一人旅と外国語会話

1) 海外旅行の会話場面

一人旅は、無言の行(ぎょう)ではありません。
意外と外国語の会話をします。私は、口数が多い方なので、雑談や無駄口も多いです。口は災いのもと、です。

「それなのに、どうして一人旅するの?」
「話したくないときに、話をするのはいやだから。行きたいところに行きたいから。奥さんに愛想をつかされているから」

けっこう、わがままな旅行者です。いやな奴かも知れません。

メテオラ2015 (197)
(  ペアで旅するのもいいけれど、一人旅もいいですよ。イメージ写真 )


旅行中の外国語会話は、大きく分けて二種類です。

一つ目は、旅行をするために必要な事務的会話です。
二つ目は、気の向くままに、他の旅行者や訪問先の人とする会話です。

断然、面白いのは二つ目の会話です。けれども、語学力を磨くという点では一つ目の会話が役に立ちます。
ホテルや駅での受付、特にトラブル対応での会話は、必死になりますので、実力がアップします。こうして身についた外国語能力を使い、偶然お会いした旅人や市民の方々との会話を楽しむことができればベストではないでしょうか。

海外旅行中に外国語で会話する場面を、もう少し、細かくひもといてみます。


2) 旅をするための会話と効能

あいさつ言葉につづく事務的な会話では、空港、ホテル、駅、案内所、飲食店、その他のお店、時には警察などの方が相手です。希望や意思を確認をするための会話なので、内容は簡潔明瞭で、具体的です。それぞれの業界用語も出てきます。外国語学習の基礎編と言ってよいでしょう。

そのうち、予約内容を確認したり、買い物や注文をするための会話は、基礎中の基礎です。あいさつ言葉と並んで、語学学習の初級編に登場する内容です。笑顔であいさつを交わせた、希望の切符が買えた、ほしいものを探して見つけられた、という、ささやかな成功体験をすると、がぜん、やる気が出ます。相手国への印象もワンステップ・アップです。

現代では、この程度の会話は、ITデータや人工知能で代用ができるようになりました。スマホに保存した予約画面を見せたり、翻訳モードを利用すれば、ほとんど、一言もしゃべらずに済みます。その分、個人個人の語学力は減退します。

事務的な会話の中で、特に難しいのはトラブル対応です。

混乱した場面で、自分の意思や希望をどれだけ通せるかですので、語学能力は格段に飛躍します。相手の言い回しで語られる状況を必死に理解したり、当方の1回限りの希望を確実に通すために、全身全霊で意思疎通を図ろうとするからです。分からない言い回しを何回も聞き直したり、だんまりや無視を決め込むスタッフに対して、あの手この手で対応を迫らないといけません。ITデータや人工知能でも代用できません。

海外旅行を何回か体験された方々は、たいてい心当たりがある場面だと思います。

そして、トラブルシューティングができたときの達成感は、初級編の成功体験どころの騒ぎではありません。鬼の首を3つくらい取ったときくらいの大きさでしょう。語学力が、知らず知らずにワンステップ上がっていることは、間違いありません。度胸もついています。凡人は、追い込まれないと勉強しない、という理論を地でいくような展開です。

こうして、礼儀正しく、金離れもよいが、世間が狭いニッポン人観光客は、度胸もあり、ノーと言える、グローバルなベテラン観光客に変身します。

だから、平均的な海外旅行記では、トラブルシューティングの場面が、かなり事細かく登場します。

空港で到着荷物が出てこなかったり、ホテルの予約が入っていなかったりすることは、一定の確率で発生しています。けれども、ひとりひとりにとっては、一生に数回あるかないかのレア体験。必然的に、海外旅行体験談の大きな話題の一つになります。

「この前、アメリカ行ったんでしょう。どうだった?」
「面白かった。それよりはさあ、帰りの飛行機がストでキャンセルになって、大変だったんだからもう」
「ふうん」

そんな生返事をしないで、聞いてあげるのが、大人の礼儀です。


3) 旅を楽しむための会話と満足感

一人旅のとき、自分の好みでする会話は、長く記憶に残ります。

その反対に、無理やりさせられる不自然な会話は、すぐに忘れるか、不快なものです。

「ダンナあ、掘り出しものだよ。おおまけして、25ドルだよ」
「うるさいなあ、あっちへ行け」

「ニッポン?ニイハオ!」
「・・・・・・・・・・」と、プイと横を向きます。

うまくあしらうのも、旅の楽しみになれば、人生にも厚みが出ます。すると、運気も上向くようです。

「あの、すみません。駅に出るには、どの道ですか」

道すがら立ち寄ったカフェのおやじに、勘定をしながら、おそるおそる切り出します。
すると、おやじは、英語もフランス語も分からない、という顔をして固まってしまいました。

「ハアイ、あたしが教えてあげる。こっちへ来て」
と英語が聞こえてきました。見ると、カウンターの横から、かなり美形のお姉さんが、笑顔で近づいてきて、表の方を指さしています。
「あなた、アレマ・ホンジャラ通り知ってる?」
「分かりません」
「しょうがないわねえ。途中まで、いっしょに行きましょう。ところで、どこから来たの?」
「日本です」
「わおー」

こういう事始めで、駅についたあと、アンジェラさんとメルアドの交換までしてしまい、何と予定変更で、昼ご飯を食べることになりました。

似たりよったりのケースも皆無ではありません。

「そんな、小説じゃないんだから」、と思う方もいるでしょう。けれども、一生に1回か2回くらい、この程度の縁ならばあります。恋に落ちて、今に至った、という話ではないので、勝手に期待しないでください。

アンジェラさんの存在で、それまでは沈んだような印象だった町も、田舎のゆったりとした風景に見えてきます。いまいち、味付けにパンチがないなあ、と思っていた料理も、家に招かれて食べてみると、一つ星レストランくらいかも、と思える、味わい深い食事になります。食事中の2時間にしゃべった言葉の量は、その国に来て会話した総量の倍くらいです。

ファーストクラスにも乗れず、アンコールワットの入場料60ドルは、ぼったくりだ、とプンプンしている身では、こういう旅の楽しみがないと、やっていけません。

そうわけで、人のご縁があると、また、そこへ行きたくなります。お互い遠く離れているので、「来週、飲みに行こうか」というふうに、からみつくことができません。人間関係は、さっぱりしたまま時間が過ぎるので、私には好都合です。知り合いができれば「御」の字ですが、そこまで行かなくとも、人の印象が良かった国には、また、行きたくなります。

そのため、意外と同じ国、同じ土地へ、旅をしたいなと考えることが増えてきた、今日このごろです。