うふふと見つめ合いたいバイヨン寺院 2019年10月訪問
アンコール・トム: Angkor Thom の中心部にあるバイヨン寺院:Bayon Temple は、「ばかでかい顔面ブッダ像」が印象に残る仏教寺院遺跡です。
ブログや旅行記の大半は、ブッダ像のことは書きますが、「巨大な顔だけの像だ」ということに、ほとんど触れていません。私は、この「顔だけ」感こそバイヨンのバイヨンたる理由だと思いますが、あまり賛同は得られないようです。近くにある南大門前のお濠の橋の欄干にもデザインされた「上半身ヒンドゥー教神様像」と合わせて、アンコール・トム観光の最大の見せ所だと感じました。
そして、このブッダの表情、とても柔和です。思わず見とれてしまいました。見つめられ、あるいは、じいっと見合ってしまいたい雰囲気を持っています。
「うふふ、ようこそ、いらっしゃいました」。
何度見ても、気が休まる表情です。彫刻家の腕がとても優れていたようです。
( ブッダのでかい顔こそバイヨンの特色 )
バイヨン寺院は、ガイドブック等の解説のとおり、ジャヤバルマン7世 :Jayabalman Ⅶ (在位1181--1218年) という有名な王様によって建立されました。
ジャヤバルマン7世は、現代ガンボジア人のなかでも1番人気の王様との話。アンコール王朝史上、最強かそれに近い名声と権力を得た方のようです。対外戦争と権力闘争に打ち勝って55歳のときに即位、首都のアンコール・トムを整備したり、首都の中心にバイヨン寺院を建立するなどして君臨、93歳の長寿を得て、みまかったという生涯だそうです。これだけでも、かなりインパクトのある国王です。
ちなみにアンコール・ワットの建立者は、スールヤバルマン2世:Suryabalman Ⅱ (在位1118-1150年)という王で、アンコール王朝最盛期の国王と解説してありました。それなりに名君だったのだと思いますが、ジャヤバルマン7世のユニークさにはかないません。
バイヨン寺院の、どでかいブッダ顔を思い出すにつれ、「どうして、この王様は「顔だけ」彫ろうとしたんだろう。頭の中、どうなっていたの?」と、考えてしまいます。キリスト教も含めて、「顔だけ神様」は、ほとんど例がありません。しつこいくらい、このジャヤバルマン7世の思考経路に関心が向いてしまいます。一般にアクセスできるサイトやブログ程度では、この問いに答えてくれるコラムは今のところありません。
( 快晴のバイヨン寺院全景 )
ぶつぶつ言っていないで、バイヨン寺院を見物した話にもどりましょう。
バイヨン寺院の近くに来ると、主塔の側面に高々と彫ってあるブッダの顔が目につきます。塔の姿も凛々しく、人出も多いので、雰囲気だけで人気スポットだということが分かりました。遺跡は3層構造なので、急な階段を昇って、少しずつ上のテラスに上がります。
( 上部回廊に登っていくとブッダのお顔も間近になってくる )
耳よりの最新情報では、バイヨン寺院の最上部のテラスは、2020年1月初めより修復工事のため登楼禁止になったとのことです。数年後に見学が再開されたら、どんな感じになっているのでしょう。
( 通路には、現役の「全身」仏像もある )
とにかく、バイヨン寺院に入ると、そこいらじゅうに、石造りの仏様のどでかい顔、顔、顔の彫刻が、いっぱい。そして、何ともいえない柔和で穏やかな微笑みをたたえているのです。一説では、建立者のジャヤバルマン7世の顔がモデルとのことです。ガイドブックに紹介されているジャヤバルマン7世の顔は柔和ですが、こちらの方がブッダ顔に合わせて彫ったこともあり得ると私は感じました。皆さまの意見はどうなのでしょうか。
「どっちでもいい」
( 有名な巨大ブッタの笑顔も午後は逆光 )
それにしても巨大な顔だけが所狭しと彫られている空間に、気持ちがぶっ飛びます。
創立者の超ユニークな感性のおかげで、現代の私たちは、バイヨンの得も言われぬ温かみある雰囲気に浸ることができるのです。あらためて、「すばらしいセンスです、ジャヤバルマン7世陛下!」
これら多数のブッダ顔、石組みがずれてきているので、ちょっと異様です。ジャヤバルマン7世時代は絶対にずれていないで、もっとすっきりした継ぎ目だったと思います。800年の歳月が経つうちに、少しずつ地盤の不等沈下が起こり、石組みが歪んだようです。また、強い日射と、多湿によるコケの繁茂などで、遺跡全体がただれた感じになっています。とても残念です。少し寂しく、無常を感じるひとときでした。
( バイヨン寺院内のブッダ顔面像の数々 )
これでも、十分に微笑ましいお顔を想像できます。石組みが、ぴたっと合わさり、石の黒ずみもぬぐって、これ以上ないくらい麗しいお顔を見てみたいものです。
いきなりですが、見方を変えると、人気マンガ、「Drスランプ・アラレちゃん」に出てくる、ニコちゃん大王がごろごろいるような気もしませんでしょうか。
( バイヨンの主塔を見上げる )
( ちょっと脇道にそれると荒廃が目に付くバイヨン )
( ブッダ顔面像がいっぱい )
( ほんの少し残るデヴァターは、ヒンズー教信仰の名残り )
カンボジアの宗教は、二転三転しながらヒンズー教から仏教に徐々に変わり、しかもヒンズー教の影響が残っているので、バイヨン内にも、アプサラダンスをするデヴァターが彫ってありました。ここのデヴァターも、ちょっと、おっかない顔つきです。ジャヤバルマン7世陛下のお好み顔なのか、こうあるべきだという当時の一般的なデヴァター顔なのか、私には分かりませんでした。
2020年2月記 了
アンコール・トム: Angkor Thom の中心部にあるバイヨン寺院:Bayon Temple は、「ばかでかい顔面ブッダ像」が印象に残る仏教寺院遺跡です。
ブログや旅行記の大半は、ブッダ像のことは書きますが、「巨大な顔だけの像だ」ということに、ほとんど触れていません。私は、この「顔だけ」感こそバイヨンのバイヨンたる理由だと思いますが、あまり賛同は得られないようです。近くにある南大門前のお濠の橋の欄干にもデザインされた「上半身ヒンドゥー教神様像」と合わせて、アンコール・トム観光の最大の見せ所だと感じました。
そして、このブッダの表情、とても柔和です。思わず見とれてしまいました。見つめられ、あるいは、じいっと見合ってしまいたい雰囲気を持っています。
「うふふ、ようこそ、いらっしゃいました」。
何度見ても、気が休まる表情です。彫刻家の腕がとても優れていたようです。
( ブッダのでかい顔こそバイヨンの特色 )
バイヨン寺院は、ガイドブック等の解説のとおり、ジャヤバルマン7世 :Jayabalman Ⅶ (在位1181--1218年) という有名な王様によって建立されました。
ジャヤバルマン7世は、現代ガンボジア人のなかでも1番人気の王様との話。アンコール王朝史上、最強かそれに近い名声と権力を得た方のようです。対外戦争と権力闘争に打ち勝って55歳のときに即位、首都のアンコール・トムを整備したり、首都の中心にバイヨン寺院を建立するなどして君臨、93歳の長寿を得て、みまかったという生涯だそうです。これだけでも、かなりインパクトのある国王です。
ちなみにアンコール・ワットの建立者は、スールヤバルマン2世:Suryabalman Ⅱ (在位1118-1150年)という王で、アンコール王朝最盛期の国王と解説してありました。それなりに名君だったのだと思いますが、ジャヤバルマン7世のユニークさにはかないません。
バイヨン寺院の、どでかいブッダ顔を思い出すにつれ、「どうして、この王様は「顔だけ」彫ろうとしたんだろう。頭の中、どうなっていたの?」と、考えてしまいます。キリスト教も含めて、「顔だけ神様」は、ほとんど例がありません。しつこいくらい、このジャヤバルマン7世の思考経路に関心が向いてしまいます。一般にアクセスできるサイトやブログ程度では、この問いに答えてくれるコラムは今のところありません。
( 快晴のバイヨン寺院全景 )
ぶつぶつ言っていないで、バイヨン寺院を見物した話にもどりましょう。
バイヨン寺院の近くに来ると、主塔の側面に高々と彫ってあるブッダの顔が目につきます。塔の姿も凛々しく、人出も多いので、雰囲気だけで人気スポットだということが分かりました。遺跡は3層構造なので、急な階段を昇って、少しずつ上のテラスに上がります。
( 上部回廊に登っていくとブッダのお顔も間近になってくる )
耳よりの最新情報では、バイヨン寺院の最上部のテラスは、2020年1月初めより修復工事のため登楼禁止になったとのことです。数年後に見学が再開されたら、どんな感じになっているのでしょう。
( 通路には、現役の「全身」仏像もある )
とにかく、バイヨン寺院に入ると、そこいらじゅうに、石造りの仏様のどでかい顔、顔、顔の彫刻が、いっぱい。そして、何ともいえない柔和で穏やかな微笑みをたたえているのです。一説では、建立者のジャヤバルマン7世の顔がモデルとのことです。ガイドブックに紹介されているジャヤバルマン7世の顔は柔和ですが、こちらの方がブッダ顔に合わせて彫ったこともあり得ると私は感じました。皆さまの意見はどうなのでしょうか。
「どっちでもいい」
( 有名な巨大ブッタの笑顔も午後は逆光 )
それにしても巨大な顔だけが所狭しと彫られている空間に、気持ちがぶっ飛びます。
創立者の超ユニークな感性のおかげで、現代の私たちは、バイヨンの得も言われぬ温かみある雰囲気に浸ることができるのです。あらためて、「すばらしいセンスです、ジャヤバルマン7世陛下!」
これら多数のブッダ顔、石組みがずれてきているので、ちょっと異様です。ジャヤバルマン7世時代は絶対にずれていないで、もっとすっきりした継ぎ目だったと思います。800年の歳月が経つうちに、少しずつ地盤の不等沈下が起こり、石組みが歪んだようです。また、強い日射と、多湿によるコケの繁茂などで、遺跡全体がただれた感じになっています。とても残念です。少し寂しく、無常を感じるひとときでした。
( バイヨン寺院内のブッダ顔面像の数々 )
これでも、十分に微笑ましいお顔を想像できます。石組みが、ぴたっと合わさり、石の黒ずみもぬぐって、これ以上ないくらい麗しいお顔を見てみたいものです。
いきなりですが、見方を変えると、人気マンガ、「Drスランプ・アラレちゃん」に出てくる、ニコちゃん大王がごろごろいるような気もしませんでしょうか。
( バイヨンの主塔を見上げる )
( ちょっと脇道にそれると荒廃が目に付くバイヨン )
( ブッダ顔面像がいっぱい )
( ほんの少し残るデヴァターは、ヒンズー教信仰の名残り )
カンボジアの宗教は、二転三転しながらヒンズー教から仏教に徐々に変わり、しかもヒンズー教の影響が残っているので、バイヨン内にも、アプサラダンスをするデヴァターが彫ってありました。ここのデヴァターも、ちょっと、おっかない顔つきです。ジャヤバルマン7世陛下のお好み顔なのか、こうあるべきだという当時の一般的なデヴァター顔なのか、私には分かりませんでした。
2020年2月記 了