パヴィアはイタリアの川越だ 2018年3月訪問
1)ミラノ近郊観光
ミラノ周辺には、ちょっと気になる観光地が点在しています。
今回は、ミラノから南へ30kmのパヴィア:Pavia という古い街に足を伸ばしました。ミラノの人気スポットのナヴィリオ運河を、ずんずんと南下していき、ポー川の支流のひとつティチーノ川:Titino と合流する場所にある中都市です。
近郊電車のパヴィア行きに乗ると約40分かかります。終点のひとつ手前が、チェルトーザ・ディ・パヴィア駅:Certosa di Pavia 、そして7km走ってパヴィア:Paviaです。
( パヴィア付近のナヴィリオ運河 )
事後の感想ですが、パヴィアは、東京で言うと川越みたいな感じの観光地だと思いました。共通点は、
大都市近郊、半日観光、街歩き、川、運河、平野、城、古い都市、再建された観光の目玉、大寺院、美味しい食、です。
異なる要素は、大学都市、キリスト教、電線のない市街、くらいです。
両都市ともに、観光初心者ならば行かないけれど、何かの拍子に足を伸ばしても満足感のある近郊観光地です。
2) パヴィアのシンボル「コペルト橋」
パヴィアのシンボルは、コペルト橋:Ponte Coperto です。一言で言えば、ティチーノ川にかかる屋根付きの石橋で、意味は、「覆われた橋」です。そのものずばりの命名で、ずっこけてしまいます。
( パヴィア中心街方向から対岸を見たコペルト橋全景 )
屋根付き橋は、アメリカの小説「マディソン郡の橋」などで知ってのとおり、そんなに珍しくもありませんが、ここまで大型の橋は数が少ないようです。そのため、パヴィアのシンボルとして、観光の目玉になったのだと思います。
実物を見ると、かなり大きい橋です。幅は2車線道路に両側の狭い歩道を加えた分があるので、かなり広いです。
( コペルト橋の内側 )
また、中央が少し盛り上がった左右対称の端正な姿が、とても印象的です。きれいに整備されていますが、第二次世界大戦の空襲で破壊されたものを、パヴィアの誇りにかけて昔どおりに復元したものです。
このあたりも、川越が「時の鐘」を街のシンボルとして、火災で焼ける度ごとに再建したことと気脈が通じるものがあります。
( 川越のシンボル「時の鐘」も明治時代の再建 )
受け売りの話ですが、コペルト橋の眺めがもっとも美しいのは、パヴィア中心部方向から対岸に渡り、パヴィアのドゥオーモを背景に見た構図だそうです。
ここは、素直に橋を渡り、おすすめの場面を見に行きました。早春の快晴の青空が目にしみます。
( コペルト橋と背後のパヴィアのドゥオーモ )
なるほど、確かに、絵になる構図です。川の水量も多く、とてもゆったりとした気分になれました。かつては、このティチーノ川からナヴィリオ運河を遡上してミラノまで行き来する船がひっきりなしに通っていたとのことです。このあたりも、川越と江戸が新河岸川(しんがしがわ)という運河みたいな水路を介してつながっていたことと似ています。
( コペルト橋からティチーノ川下流方向。左がパヴィア中心部 )
穏やかな水辺の風景は、いつ見ても心が安らぎます。
3) 朽ちゆくドゥオーモ
きびすを返して、橋から見えたドゥオーモに戻ります。
パヴィアのドゥオーモも、かなり大きなレンガ造りの建物です。けれども、思いのほか荒れています。人の気配もあまりありません。体格のよい品のありそうな顔をした老人が、古家の奥の部屋で、ごろごろ寝ているような印象です。
( パヴィアのドゥオーモ正面 )
ここのドゥオーモの正面左端には、1989年3月17日に自然崩落した塔の土台が残っています。
( ドゥオーモ脇の塔の土台 )
「あーあ。その後、再建しないのですか」
「別にぃー、そこまでしなくてもいいんじゃない。古い塔だったし、金もないから」
こちらは、コペルト橋と違って、市民からの人気がないようです。
私も同感です。ここのドゥオーモは心に響くものもないので、中に入らず、前の広場を一周して立ち去りました。
4) 優秀なパヴィア大学
パヴィアにあって、川越にないもののひとつが有名大学です。
パヴィア大学は、14世紀後半に大学に昇格しました。イタリアでは古い部類に入る学校だそうです。世界史の授業でやったのかも知れませんが、覚えているイタリアの古い大学名はボローニャ大学とサレルノ大学だけです。
おわびの気持ちも兼ねて、大学のさわりだけでも観光しました。なかなか、良い雰囲気の大学でした。
街の目抜き通りに面した本部校舎は、手入れがよく、若者たちの出入りがあるので、とても生き生きとした雰囲気です。伝統があるだけでなく、人気も実力もある大学のようです。ミラノやイタリア北部の産業集積地帯に近いので、就職状況が良いからです。やはり、金のあるところに人々は集まるのです。
( 街の中心にそびえるパヴィア大学本部校舎の外観 )
空いている門から中に入ると、外部の喧噪がウソのように、静寂でアカデミックな空間が広がっていました。
(パヴィア大学本部事務局付近の中庭 )
( パヴィア大学本部事務局付近の中庭通路 )
北イタリアによくある、うす黄色の壁と、軽快な感じのロココ風アーチが優雅な印象を醸し出していました。図書館も一般公開中だとのことですが、今回は、そこまでは入って行きませんでした。
中庭を突っ切った先に、大学の講堂(アウラ)がありました。ギリシャ風建築なので、ここ200-300年くらいの建物のようです。そこまでギリシャ風が、はやった時代があったんだな、と思います。
( パヴィア大学のアウラ(講堂) )
アウラの奥にそびえるのが、中世風の名残の3本の塔です。11世紀から15世紀ごろは、財力誇示も兼ねて煙突みたいな高い塔を建てるのが流行したとの話です。
( パヴィア大学裏に残る三本の古い塔 )
「いやあ、いわゆる「うだつが上がらない」と、おんなじ発想ですね」
「そうです。塔の1本も建てられない奴は、一流のパヴィア市民としては認めません」
やがて流行は過ぎ去り、塔は、いつの間にか1本、また1本と崩れていき、いまでは数えるほどしか残っていないようです。
こういうポイントをアピールして観光客を惹きつけることに成功したのが、トスカーナ地方のサン・ジミヤーノ:San Gimignano町。多くのニッポン人の皆さんがサン・ジミヤーノ観光を楽しんだことと思います。私も行ったことがありますが、トスカーナの田園気分が残る、とても素敵な観光地だと思います。
5) ヴィスコンティ家がまた登場
パヴィア大学を出て、目抜き通りを先へ進んだ突当りがパヴィア城こと、カステロ・ヴィスコンテーオ:Castello Visconteo、です。
城を見てひとこと。
「ミラノのお城とそっくりじゃあないですか!」
「当然です。同じヴィスコンティ家の殿様一族が、ときを前後して建てたのですから」
「そうは言っても、同じパターンで、飽きは来なかったのでしょうか?」
「そういうことは、現代人の我々からは、測りかねるのですが・・・・・」
( カステロ・ヴィスコンテーオ全景 )
( カステロ・ヴィスコンテーオ本館の外観 )
この本館は、現在では市立美術館となっているので、中を見たい場合は入館しましょう。
( パヴィア城の市立美術館入口 )
6) パヴィアでぶらぶら
イタリア観光では、やたら教会やお城、宮殿ばかりで、しばしば飽きてきます。もっと、ゆったりして、バルや面白そうなお店に入り、美しくも一筋縄ではいかない現代イタリアの空気を吸いましょう。
私もパヴィアの街の中心、ヴィットリア広場のバルに座って一休みです。橋も教会もお城も行ったので、観光はもう十分でしょう。
( パヴィアのヴィットリア広場とバルのテラス )
大都会のバルほど洗練されていませんし、目の前を通るのは、買い物帰りのおばさんや、遠足に来た小学生ですが、その代わり、ほのぼのとした落ち着きを感じます。みんな思い思いにすわって、しょうもない雑談をしています。そういう、あてどもない時の流れが中小都市の隠れた魅力です。
( バルの椅子からブロレット宮殿正面を見る )
( ブロレット宮殿の中庭側 )
ランチ前のひととき、パヴィアの目抜き通りをぶらぶらとしてみました。ローマ時代からの都市なので、街の中心部を十文字に走るCorso Strada Nuova:新街道通り、とCorso Camino Benso Cavour:カミーノ・ベンゾ・カブール通りの交差点一帯が賑わっています。一歩、裏通りへ入ると、けっこうシャッター商店街化している場所もあります。
( ちょっと繁華街をはずれた寂しいアーケード )
( 昼前後のCorso Strada Nuova:新街道通り。奥がパヴィア大学 )
( 目抜き通りのカブール通りから見えた塔 )
のんびりしていいなあ、と思うのは、都会人か外国人の勝手な思い込みかも知れません。いずこの国でも、地方都市のにぎわいを守るのは大変です。それでも、信用のある大学が厳として存在し、若い人たちの出入りが絶えないパヴィアは、恵まれているほうだと思いました。
2018年8月記 了
1)ミラノ近郊観光
ミラノ周辺には、ちょっと気になる観光地が点在しています。
今回は、ミラノから南へ30kmのパヴィア:Pavia という古い街に足を伸ばしました。ミラノの人気スポットのナヴィリオ運河を、ずんずんと南下していき、ポー川の支流のひとつティチーノ川:Titino と合流する場所にある中都市です。
近郊電車のパヴィア行きに乗ると約40分かかります。終点のひとつ手前が、チェルトーザ・ディ・パヴィア駅:Certosa di Pavia 、そして7km走ってパヴィア:Paviaです。
( パヴィア付近のナヴィリオ運河 )
事後の感想ですが、パヴィアは、東京で言うと川越みたいな感じの観光地だと思いました。共通点は、
大都市近郊、半日観光、街歩き、川、運河、平野、城、古い都市、再建された観光の目玉、大寺院、美味しい食、です。
異なる要素は、大学都市、キリスト教、電線のない市街、くらいです。
両都市ともに、観光初心者ならば行かないけれど、何かの拍子に足を伸ばしても満足感のある近郊観光地です。
2) パヴィアのシンボル「コペルト橋」
パヴィアのシンボルは、コペルト橋:Ponte Coperto です。一言で言えば、ティチーノ川にかかる屋根付きの石橋で、意味は、「覆われた橋」です。そのものずばりの命名で、ずっこけてしまいます。
( パヴィア中心街方向から対岸を見たコペルト橋全景 )
屋根付き橋は、アメリカの小説「マディソン郡の橋」などで知ってのとおり、そんなに珍しくもありませんが、ここまで大型の橋は数が少ないようです。そのため、パヴィアのシンボルとして、観光の目玉になったのだと思います。
実物を見ると、かなり大きい橋です。幅は2車線道路に両側の狭い歩道を加えた分があるので、かなり広いです。
( コペルト橋の内側 )
また、中央が少し盛り上がった左右対称の端正な姿が、とても印象的です。きれいに整備されていますが、第二次世界大戦の空襲で破壊されたものを、パヴィアの誇りにかけて昔どおりに復元したものです。
このあたりも、川越が「時の鐘」を街のシンボルとして、火災で焼ける度ごとに再建したことと気脈が通じるものがあります。
( 川越のシンボル「時の鐘」も明治時代の再建 )
受け売りの話ですが、コペルト橋の眺めがもっとも美しいのは、パヴィア中心部方向から対岸に渡り、パヴィアのドゥオーモを背景に見た構図だそうです。
ここは、素直に橋を渡り、おすすめの場面を見に行きました。早春の快晴の青空が目にしみます。
( コペルト橋と背後のパヴィアのドゥオーモ )
なるほど、確かに、絵になる構図です。川の水量も多く、とてもゆったりとした気分になれました。かつては、このティチーノ川からナヴィリオ運河を遡上してミラノまで行き来する船がひっきりなしに通っていたとのことです。このあたりも、川越と江戸が新河岸川(しんがしがわ)という運河みたいな水路を介してつながっていたことと似ています。
( コペルト橋からティチーノ川下流方向。左がパヴィア中心部 )
穏やかな水辺の風景は、いつ見ても心が安らぎます。
3) 朽ちゆくドゥオーモ
きびすを返して、橋から見えたドゥオーモに戻ります。
パヴィアのドゥオーモも、かなり大きなレンガ造りの建物です。けれども、思いのほか荒れています。人の気配もあまりありません。体格のよい品のありそうな顔をした老人が、古家の奥の部屋で、ごろごろ寝ているような印象です。
( パヴィアのドゥオーモ正面 )
ここのドゥオーモの正面左端には、1989年3月17日に自然崩落した塔の土台が残っています。
( ドゥオーモ脇の塔の土台 )
「あーあ。その後、再建しないのですか」
「別にぃー、そこまでしなくてもいいんじゃない。古い塔だったし、金もないから」
こちらは、コペルト橋と違って、市民からの人気がないようです。
私も同感です。ここのドゥオーモは心に響くものもないので、中に入らず、前の広場を一周して立ち去りました。
4) 優秀なパヴィア大学
パヴィアにあって、川越にないもののひとつが有名大学です。
パヴィア大学は、14世紀後半に大学に昇格しました。イタリアでは古い部類に入る学校だそうです。世界史の授業でやったのかも知れませんが、覚えているイタリアの古い大学名はボローニャ大学とサレルノ大学だけです。
おわびの気持ちも兼ねて、大学のさわりだけでも観光しました。なかなか、良い雰囲気の大学でした。
街の目抜き通りに面した本部校舎は、手入れがよく、若者たちの出入りがあるので、とても生き生きとした雰囲気です。伝統があるだけでなく、人気も実力もある大学のようです。ミラノやイタリア北部の産業集積地帯に近いので、就職状況が良いからです。やはり、金のあるところに人々は集まるのです。
( 街の中心にそびえるパヴィア大学本部校舎の外観 )
空いている門から中に入ると、外部の喧噪がウソのように、静寂でアカデミックな空間が広がっていました。
(パヴィア大学本部事務局付近の中庭 )
( パヴィア大学本部事務局付近の中庭通路 )
北イタリアによくある、うす黄色の壁と、軽快な感じのロココ風アーチが優雅な印象を醸し出していました。図書館も一般公開中だとのことですが、今回は、そこまでは入って行きませんでした。
中庭を突っ切った先に、大学の講堂(アウラ)がありました。ギリシャ風建築なので、ここ200-300年くらいの建物のようです。そこまでギリシャ風が、はやった時代があったんだな、と思います。
( パヴィア大学のアウラ(講堂) )
アウラの奥にそびえるのが、中世風の名残の3本の塔です。11世紀から15世紀ごろは、財力誇示も兼ねて煙突みたいな高い塔を建てるのが流行したとの話です。
( パヴィア大学裏に残る三本の古い塔 )
「いやあ、いわゆる「うだつが上がらない」と、おんなじ発想ですね」
「そうです。塔の1本も建てられない奴は、一流のパヴィア市民としては認めません」
やがて流行は過ぎ去り、塔は、いつの間にか1本、また1本と崩れていき、いまでは数えるほどしか残っていないようです。
こういうポイントをアピールして観光客を惹きつけることに成功したのが、トスカーナ地方のサン・ジミヤーノ:San Gimignano町。多くのニッポン人の皆さんがサン・ジミヤーノ観光を楽しんだことと思います。私も行ったことがありますが、トスカーナの田園気分が残る、とても素敵な観光地だと思います。
5) ヴィスコンティ家がまた登場
パヴィア大学を出て、目抜き通りを先へ進んだ突当りがパヴィア城こと、カステロ・ヴィスコンテーオ:Castello Visconteo、です。
城を見てひとこと。
「ミラノのお城とそっくりじゃあないですか!」
「当然です。同じヴィスコンティ家の殿様一族が、ときを前後して建てたのですから」
「そうは言っても、同じパターンで、飽きは来なかったのでしょうか?」
「そういうことは、現代人の我々からは、測りかねるのですが・・・・・」
( カステロ・ヴィスコンテーオ全景 )
( カステロ・ヴィスコンテーオ本館の外観 )
この本館は、現在では市立美術館となっているので、中を見たい場合は入館しましょう。
( パヴィア城の市立美術館入口 )
6) パヴィアでぶらぶら
イタリア観光では、やたら教会やお城、宮殿ばかりで、しばしば飽きてきます。もっと、ゆったりして、バルや面白そうなお店に入り、美しくも一筋縄ではいかない現代イタリアの空気を吸いましょう。
私もパヴィアの街の中心、ヴィットリア広場のバルに座って一休みです。橋も教会もお城も行ったので、観光はもう十分でしょう。
( パヴィアのヴィットリア広場とバルのテラス )
大都会のバルほど洗練されていませんし、目の前を通るのは、買い物帰りのおばさんや、遠足に来た小学生ですが、その代わり、ほのぼのとした落ち着きを感じます。みんな思い思いにすわって、しょうもない雑談をしています。そういう、あてどもない時の流れが中小都市の隠れた魅力です。
( バルの椅子からブロレット宮殿正面を見る )
( ブロレット宮殿の中庭側 )
ランチ前のひととき、パヴィアの目抜き通りをぶらぶらとしてみました。ローマ時代からの都市なので、街の中心部を十文字に走るCorso Strada Nuova:新街道通り、とCorso Camino Benso Cavour:カミーノ・ベンゾ・カブール通りの交差点一帯が賑わっています。一歩、裏通りへ入ると、けっこうシャッター商店街化している場所もあります。
( ちょっと繁華街をはずれた寂しいアーケード )
( 昼前後のCorso Strada Nuova:新街道通り。奥がパヴィア大学 )
( 目抜き通りのカブール通りから見えた塔 )
のんびりしていいなあ、と思うのは、都会人か外国人の勝手な思い込みかも知れません。いずこの国でも、地方都市のにぎわいを守るのは大変です。それでも、信用のある大学が厳として存在し、若い人たちの出入りが絶えないパヴィアは、恵まれているほうだと思いました。
2018年8月記 了