密教系のパヴィア修道院      2018年3月訪問

1) 高名な修道院

チェルトーザ・ディ・パヴィア:Certosa di Pavia = パヴィア修道院は、ミラノの南20kmくらいの平原の真っただ中に建つ、格式ある高名な修道院です。

パヴィアCチェルトーザ正面201803 (2)
(パヴィア修道院の本堂正面)

一般公開時間は、季節にもよりますが、午前、午後の各2-3時間ずつくらいです。
月曜日は閉館です。通年で、午前中は9:00から11:30まで開館、午後は14:30開館で、閉館は夏が18:00前後、冬が17:00ごろのようです。

パヴィアC修道院入口付近 (2)
( チェルトーザ・ディ・パヴィア正門の開館時間告知板 )

「お代は見てのお帰り」という修道院ですので、正門にキップ売場はありません。


2) 交通は不便な方の修道院

チェルトーザ・ディ・パヴィアに電車で行くならば、ミラノ都心部貫通するミラノ・パサンテ線:Milano Passante、に乗り入れてくる近郊電車に乗ると一本で行けます。30分毎に走っている普通パヴィア行きで都心から30分ほどです。終点のひとつ手前、修道院と同名の「チェルトーザ・ディ・パヴィア:Certosa di Pavia 」駅下車、徒歩約20分です。

電車の時刻表は、下記URLにあります。長距離列車もいっしょに掲載されていますので、少し読み取りにくいかもしれません。
http://www.trenord.it/media/2239825/q26_genova-voghera-pavia-milano.pdf

人家もまばらな平野の中の小さな駅に降り立って、四方を見回すと、延々と連なるレンガ色の塀が目に入ります。それが修道院ですが、入口は駅に面した塀と反対側にあるので、塀に沿ってぐるりと一周するように歩いて行きます。


パヴィアCの高い塀2018
( やっと着いたチェルトーザ・ディ・パヴィアの正門近く )

路線バスでも、パヴィア行きに乗って「チェルトーザ・ディ・パヴィア:Certosa di Pavia 」で下車します。東向きに進んで集落を抜けた場所から続く並木道を、やはり20分くらい歩きます。炎暑の日には、おそらく、ばてます。

パヴィアCチェルトーザ前の並木 (1)
( バス停のある集落の端から続く並木道 )

交通の便が良いとは言えないので、一般的なミラノ観光客はもちろん、住んでいても、あんまり訪れない観光地だと思います。「有名なので、いつか行こうと思っていたけれど、行きそびれた」、という場所です。

パヴィアC修道院入口付近 (1)
( チェルトーザ・ディ・パヴィア正門 )


3) 格式高い修道院

パヴィア修道院の縁起は、とても誇り高いものだそうです。Wikipedia等の解説によると、15世紀半ばに、当時のミラノの領主ヴィスコンティ家の支援を受けて、”ヴィスコンティ家による、ヴィスコンティ家のための”修道院としての基礎が確立したそうです。

「豊かなお殿様一族のための菩提寺っていう訳ですね」
「そうです。神への感謝を最大限に表すため、金に糸目をつけずに造りました」
「ゴシック様式だそうですが、豪華絢爛な建築ですね」
「そうなんですよ。さすが、お目が高い!」

チェルトーザ・ディ・パヴィアを訪れる観光客は少ないので、静かな時間の流れの中で、内外を見て回れます。本堂の奥に入るときは、修道士さんの案内に従って回ります。

たまに来る日本人観光客も、荘厳で意匠を凝らした建築物に賛辞を惜しみません。白く輝く本堂正面や、きらびやかな祭壇、立体感あふれる本堂中庭や塔などは、一見以上の価値があると思います。

建物内や本堂中庭などは撮影禁止です。Websiteなどを、是非、ご覧ください。

祈りの場であり、神へ奉仕するための場所であるということに敬意を払って見学しましょう。

内部の見学では、僧房の外観も見せてくれます。草地の中庭を取り囲むように並んだ独居式の僧房は、シンプルで静かなたたずまいです。今でも、修行に励む僧たちもいるとのことです。ひとつひとつの僧房も庭付きなので、往時、ここに入れた修行僧は、「それなりの」人たちだったようです。

パヴィアCチェルトーザ居住区の中庭 (2)
( パヴィア修道院の僧房 )

解説によると、いったん、ここに修行に入ったならば、ここで生涯を過ごすことになるそうです。安全、安心で飢えもないので、俗事に未練がない限り、安穏な生涯を送れた場所だと感じました。

どこの世界でも、修行僧の生涯は似たり寄ったりだなあと思います。ひとつのところで一生を送るか、逆に、雲水のように生涯、各地をさすらうか、の両極端です。


3) 修道院で”おつとめ”

「パヴィア修道院は、いかがでしたか」
「うーーん。ちょっと、敷居が高いところですねえ」

確かに、修道院の周囲は、ぐるりと高い塀で囲われています。まわりが農地なので、近隣の人々がうっかり入らないよう、外界との接触を断つためです。

パヴィアCチェルトーザ壁
( チェルトーザ・ディ・パヴィアの高い外周壁 )

「でも、お坊さんたちが、上司の目を盗んで外へ出て行かないようにするための塀みたいに感じました」
「まさに、無期の”おつとめ”です」
「それに、女が、こっそり忍び込んでこないようにする効果もありますね」
「そうそう、映画「薔薇の名前」でも、山深い修道院に、こっそり女が忍び込んで逢引きですからねえ」

こういう話の方が、現実味があると思います。

権力をバックにつけ、財政豊かな平野部の修道院で、もともと余裕のある家庭出身の僧に対して赤貧洗うがごとくの修行生活をしろ、という方が無理なのです。

「畑仕事は、作男中心でやらせるから、あなたさまは適当に手伝ってくれればよろしいです。あとは、大人しくお祈りしていて僧房から、あんまり出ないでね」、と本当は思っていたと説明された方が、私は納得がいきます。


4) 神を独占したい修道院

もうひとつ感じたことは、「神を独占している」という雰囲気です。別の言い方をすれば、

「うちは格式も高く、お布施も豊富なので、その分、神への奉仕が多くできるのだから、余所よりも神の恩寵を受けて然るべき」、

あるいは、

「殿の肝煎りの修道院であるウチこそ、領内では唯一、神と対話できる場所です。領民は、ウチを通して神の恵みに感謝するように!」、

という雰囲気を感じたことです。これは、「仏の真の言葉を聞けるのは、修行という特別な訓練をした私たちのみ」という論法の密教系寺院と同じ考え方です。

「ウチは、お殿様直営」のような雰囲気は、日本では、門跡寺院などで感じます。私も含めた人間の本性の一面を見たような気がしました。

私は、このようなスタイルの考え方には抵抗感を覚えるほうです。ミラノでお話しをした一人の方も、同じような感じがすると言っていました。

「ミラノのドゥオーモは誰でも受け入れる雰囲気があって親しみやすい。でも、チェルトーザ・ディ・パヴィアは、自分たちこそ神に一番近い存在だと言っているようで、権威的だな」

私も、同感です。
Duomo夕暮れややオレンジ201803
パヴィアCチェルトーザ正面201803 (3)
( ドゥオーモ(上)とチェルトーザ・ディ・パヴィア(下)の雰囲気は?)

いろいろと考えさせられたことが多かったチェルトーザ・ディ・パヴィア観光でした。


                                2018年8月記     了