やまぶきシニアトラベラー

気まぐれシニア・トラベラーの旅。あの日から、いつか来る日まで、かつ、めぐりて、かつ、とどまる旅をします。

バルマセダ

30数年ぶりのバルマセダ、メモリー

30数年ぶりのバルマセダ、メモリー   2023年2月記

バルマセダ:Balmasedaという町に30数年ぶりに行きました。
昔の地図を見るとスペイン語風に「V」almasedaと書いてある版もありますが、今はBalmasedaです。
いわゆるカスティヤーノ(スペイン)系の町ですが、それ以前にビスカヤ県の町という感覚です。

202209バルマセダ墓地坂道から教会と中心部
(高台から俯瞰したバルマセダ中心部と教会の塔)

ビルバオの南西、ビスカヤ県の山間に静かにたたずむ街は、観光化されるわけでもなく、空き家ばかりの寂れた田舎町になるわけでもなく存在していました。昔に比べると、建物の外観がきれいに修復され、カダグァ(カダガ):Cadagua 川の流れがきれいになったことが印象的でした。

202209FEVEC4バルマセダ駅見やり
(町の東はずれにあるバルマセダ駅)
202209バルマセダ中心部付近のカダグア川の流れ
(水がきれいになったカダグァ川と遊歩道)

街の中心に位置する中世由来の教会や、中心部の建物のバスク風窓枠もすっかり修復されていました。スペインも確実に経済力をつけ、メンテや維持改善にカネをつぎ込めるようになったことを実感しました。

202209バルマセダ教会前 (2)
(中心部の教会とビスカヤ風建物)
202209バルマセダ教会前広場
(教会前から町の広場をじっと見る)
郊外のツーリングを楽しむバイクの一団もバルで休憩中。広場にはいっぱいバイクが駐車してありました。
198709バルマセダ町の中心部198708
(1990年ごろの同じ場所)

広場の奥には町役場があります。
202209バルマセダ教会前広場と役場
(広場の奥に教会と隣り合わせで建つ町役場。左はバル)

ビスカヤ県の地方都市をめぐるバスツアーというのに参加すると、「中世の石橋のある町バルマセダ」という触れ込みで1時間ほど下車観光する日程になっていました。
202209バルマセダ石橋昼下がり再訪
202209バルマセダ古い橋を北から見る
(バルマセダ唯一の観光名所の石橋)

ゼロより少しでも観光客があったほうが励みになりますね。

昔、少し陰気だった路地も小ぎれいになって、ジジババの憩いの場に様変わり。住みやすくなって良かったですね。
202209バルマセダ町内旧警察跡
(川沿いの古い建物とくつろぐ老人たち)
198709バルマセダのバスク州警察前
(1990年ごろの、ほぼ同じ場所)

今となって比較して見ると、1990年代の方が、ばっちくてゴミなどもきれいに掃除されていませんでした。その当時も、のんびりした町でしたので、ゴミなど気にとめていなかったというのが現実感覚です。
202209バルマセダ実家前の古い住まい
(町の西はずれはマンション街)
202209バルマセダLasエンカルタシオネス通付近の橋
(川沿いの遊歩道に架かる人道橋)
202209バルマセダLasエンカルタシオネス通付近のカ川
(南はずれのカダグァ川の流れ)

ずっと、こんな感じで移り変わらないバルマセダなんでしょうか、と思って町を後にしました。いつまでも緑あふれる町でありますように。

                                           了

今日もさりげなく走るFEVEバルマセダ線

今日もさりげなく走るFEVEバルマセダ線  2022年11月記

2022年9月、実に30余年ぶりにFEVE:フェーベ・バルマセダ線に乗りました。この路線は、ビルバオのコンコルディア駅とバルマセダ町のラ・カルサーダ駅の間、約25Kmを結ぶ近郊路線です。

1世代分、時が経ったはずなのに、この狭軌鉄道は、電化された以外にあまり変わることなく公共交通機関としての使命を果たし続けていると感じました。同じ期間に日本の中都市近郊鉄道が、いつの間にか衰退していたのとは対照的です。スペインの交通政策がまともなのか、それとも日本の交通政策が失敗の積み重ねだったのか、考えてしまいます。

202209朝のコンコルディア駅
(C4系統、バルマセダ線の始発駅コンコルディア駅)

FEVEは、スペイン語の”Ferrocarriles de Vía Estrecha”= 狭い軌間の鉄道路線、つまり「狭軌鉄道」の意味です。現在では、スペイン国鉄のレンフェ:RENFEの狭軌鉄道部門のブランド名になっています。鉄道マニア以外には線路の幅など関係ないのですが、昔から「フェーベ」の名前で親しまれています。バルマセダ線はビルバオ近郊路線のC4系統に指定されています。当然、バリクカード利用で乗れます。

202209FEVEC4コンコルディア駅PF
(コンコルディア駅に停車中のバルマセダ行普通電車)

202209FEVEC4電車内部
(バルマセダ線電車の車内風景)

202209FEVEC4コンコルディア駅終端部
(サンタンデル行ディーゼルカーと保存展示の蒸気機関車)

電車の運行間隔は、通勤時間帯は30-40分ごと、その他の時間帯は、おおむね1時間ごと。電車は5時半すぎから23時すぎまで走っています。時刻表は以下のサイトなどで見られます。日本式に、見開きに全駅全列車が書いてあるような時刻表は、なかなか見つかりません。生活習慣が違うので仕方ないのです。

FEVE Ferrocarriles de vía estrecha / Horarios y precios / Consulta de horarios (renfe.com)

列車の本数も所要時間も30年前とほとんど変わっていないことも驚きです。時流の変化に対応して投資を行って利用客をつなぎとめている感じです。30年の間に高速道路ができたり、一般道の整備が進んだことを勘案すれば、この路線は大健闘していると言えましょう。

202209FEVEC4バスルト病院前駅全景
(ルート変更で新設のバスルト・大学病院前駅)

ビルバオの再開発計画に伴うルート変更により新設した駅のひとつ、バスルト・大学病院前駅:Basurto-Ospitalea は写真のようにガラス張り半地下構造です。道路の反対側が大学病院の正門で、周囲は中層マンション街ですがヒトの動きはほとんどありません。

202209FEVEC4バスルト病院前駅と電車 (2)
(バスルト・大学病院前駅構内と上りコンコルディア行電車)

バスルト・オスピタレア(大学病院前)駅は市内バス停も駅出入口の眼前にあるので、電車が着くと10人、20人単位で下車客があります。しかし、その他の時間帯は、がらーんとした状態です。自動改札口が設置してあるので、利用客以外の怪しい人物がホームをうろちょろすることはありません。

上り下り合わせて1時間に2-4本の電車が着く駅でも応分の設備投資を行い、公共交通のサービスレベルを維持する行政の姿勢は積極的に評価したい点です。

ビルバオ中心街を抜けた電車は2駅ばかりネルビオン川を見下ろす斜面の中腹を走ります。車窓からは整ったビルバオ市街が遠望できるので、是非、眺めてください。数年後には線路際にも、かの故ザハ・ハディード氏が基本コンセプトを作った中洲の高層ビル街ができてくるはずです。

202209ビルバオ西ネ川夕方車窓 (1)
(ネルビオン川沿いの車窓)

電車は、15分くらいすると谷間に分け入り、川沿いにくねくねと曲がる線路に車輪の音を軋ませながらバルマセダを目指します。小さな集落に止まるたびに、2人、3人と乗客が降ります。途中のアラングレン:Aranguren という駅でサンタンデルへ向かう線路と分かれると、あと2駅でバルマセダ。次第に高さを増した丘陵の緑の間を縫うように10分ばかり走ったところが、舟状の小盆地に開けたバルマセダ:Balmaseda です。電車は街中で、昔からあるバルマセダ駅と、電化に際して延長した1kmほど先の終点ラ・カルサーダ駅に停車します。両駅の中間に車両基地があり、待機中の電車や豪華観光列車牽引用のディーゼル機関車が止まっています。


202209FEVEC4バルマセダ駅午後風景
202209FEVEC4バルマセダ駅午後のどか
(バルマセダ駅構内と駅に着いた電車)

202209FEVEC4終点Calzada駅と電車
(終点のラ・カルサーダ駅)

202209FEVEディーゼル機関車側面
(観光列車用のディーゼル機関車)

コロナ禍で利用者も貨物輸送も減り、FEVEの収支も悪化したようです。細かいことは分かりませんが、最近、貨物列車を廃止したようです。バルマセダ駅西方の車両基地や、途中のアラングレン駅には錆の浮き始めたディーゼル機関車数両や貨車がいっぱい止まっていました。

これからバルマセダ線やビルバオ地区のFEVEはどうなるのでしょう。当たり前のようなクルマ社会のなかで、コロナという予期せぬ負の要因に見舞われたローカル線の未来が気になります。





FEVEバルマセダ線の思い出

FEVEバルマセダ線の思い出  1986年から1990年

1) 狭軌鉄道の栄える都市

スペインのバスク一帯では、線路の幅が1000ミリの狭軌鉄道が大活躍しています。

ビルバオのメトロとトランヴィア、バスク鉄道ことウスコトレン、それにスペイン国鉄系のFEVEの4社です。

ニッポンの鉄道さながらの狭軌鉄道王国です。

DSC06075
( バスクの鉄道の多くは狭軌。イメージ画像 )

ふと見ると、線路や架線の張り方が、日本の郊外電車やローカル線風景と、何と似ていることか。
バスクの旅が、とても心地良く、安眠できる日々になるのが、こんなところからも納得できます。


2) コンコルディア駅舎は見るばかり

バスクの狭軌鉄道4社のうち、日本人にもっとも馴染みがうすいのがFEVE:フェーベ、でしょう。

FEVEは、ビルバオから西の北部沿岸に長距離路線網を持っています。ほとんどが、1日に数往復のローカル線ですが、ビルバオやサンタンデルの都市近郊では、30分から1時間おきに電車があり、中都市の通勤通学路線となっています。

FEVEは、スペイン語の「スペイン狭軌鉄道」の略称。現在では、スペイン国鉄の、RENFEオペラドーラという会社の一部門です。

私は、縁あってFEVE近郊区間のビルバオ、バルマセダ間:Bilbao -- Balmaseda に、かつて乗りました。2000年代に電化され、ビルバオ市内のルートも変わりましたが、始発駅は、コンコルディア駅:Concordia のままです。

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( 日本人旅行者にも人気のFEVEコンコルディア駅舎遠望。2017年 )

コンコルディア駅舎は、緑色の縁取りと、細かい模様、優雅なアーチで、日本人のビルバオ旅行者にも、そこそこの人気。半分くらいの方は、「あの建物は何だ」で、終わっていますが、目をひくことは確かです。

とても、嬉しい限りです。
「駅舎は、変わらなくてもいいですが、サービスは変わってもらわなくちゃ」

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( FEVEコンコルディア駅舎南口とネルビオン川 )

コンコルディア駅は、ネルビオン川沿いの斜面に建っているので、川沿いのベンチに腰掛けると、市民さながらに憩いのひとときを過ごせます。ぼおーっとしながら、駅舎やビルバオの旧市街を眺めましょう。


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( FEVEコンコルディア駅のRENFEアバンド側出入口 )

コンコルディア駅も、反対側のアバンド駅側の出入口は、現代風です。

DSC05700
( FEVEコンコルディア駅中央改札と切符自動販売機 )

駅舎内と改札口の様子です。通勤通学時間帯以外は、利用者も多くないので、がらんとしています。

FEVEも、バスク州政府の公共交通機関支援策がないと、とっくに廃止されたかも知れません。先進国のローカル鉄道や、路線バスの在り方について、得失をわきまえながら、ヨーロッパ流の取り組み方を学ぶことも、必要ではないでしょうか。


3) ディーゼルカーでがったんごっとん

1990年代まで、FEVEのバルマセダ線も非電化でした。ディーゼルカーが、ビルバオ中心部から、エンジンのうなりを立てて発車していました。

FEVEビルバオAchurli駅DC1990年7月
( コンコルディア駅に停車中のFEVEディーゼルカー。1990年7月 )

狭軌鉄道なので、車両はRENFEの車両より小ぶりでした。かわいい感じの車両です。
車両は、どれも2両編成で1組です。

FEVEディーゼルカーバルマセダ近郊1990年7月
( アラングレン - バルマセダ間を走るFEVEの下り普通列車。1987年9月 )



車両は、数形式あり、いちばん新しいものは、ステンレスカーでした。夕方の通勤通学時間帯は4両編成の列車もありました。

デザインが当たり前すぎるので、日本のディーゼルカーと同じムードです。バスクの、真面目過ぎる実用指向が感じられます。ちょっと、つまらないかも。

緑したたるバスク西部の山あいを、ディーゼルエンジンの音を響かせて走る列車は、日本のローカル線風景とそっくりです。狭い平地に点在する家庭菜園のブドウ棚や、野菜畑も、よく手入れされ、ゆったりとした、ゆとりある空間を作り出していました。



4) バルマセダに分け入る

終点のバルマセダ:Balmaseda 駅は、小都市の拠点駅の風貌です。ビルバオから50分ほどかかります。かろうじて、ビルバオ通勤圏です。

バルマセダ駅は、大きくはないけれども、人の気配も、それなりにあります。貨物も取り扱っていたので、たまに石炭を満載した貨車が、構内を移動していました。

時間がゆっくり流れている駅に降りると、ほっとします。

FEVEバルマセダ駅まだDC1990年7月 (1)
( バルマセダ駅で発車待ちの上りビルバオ行きディーゼルカー。1986年9月 )

FEVEバルマセダで入換中のDL石炭貨物1990年7月
( バルマセダ駅で入換中の石炭貨物列車とディーゼル機関車。1986年9月 )

現在では、このバルマセダ線も全線電化され、ビルバオの近くは複線、地下トンネルで走り抜けています。貨物列車もなくなったようです。これからも、住民の足として、活気を持って走り続けてほしいものです。

次回は、ちゃんと電車でバルマセダまで往復して、時の流れをしみじみと見つめたい。

2018/3月記


まぶたの奥にバルマセダ

まぶたの奥にバルマセダ  Balmaseda

バルマセダは、私のバスクの原風景です。

バスクに初めて来たのに、何だか家に帰ってきたような気持ちになった場所でした。1986年9月のことでした。穏やかな山の稜線、適度な湿り気、優しいけれどもベタベタしない人々が、とても居心地の良い空間を創り出していたと思います。

世界中に、自分とそっくりさんは三人いると言われています。もしかしたら、自分の家にいる気なれる場所も三カ所あるのかも知れません。

バルマセダには、白砂青松の海も、深山幽谷もありません。
けれども、草の上にすわり、木々の茂る何の変哲もない山々を見ていると、永遠にまどろんでいたい気分です。

バルマセダ快晴の市街全景198708
( バルマセダ市街を丘の上から見る )

畑では、生垣仕立てのブドウの葉っぱが、さわさわと微風に揺れていました。ふたりですわって、ゆっくりと流れる時間を過ごしたい場所でした。たまに通る列車の響きが、夢と現実をつなぐ合図のように聞こえました。

このブドウ畑も、家庭菜園のひとつです。10月になると、家族の手を借りて実を摘み取り、自家製チャコリを作ります。

FEVEバルマセダまでもうすぐの鉄橋1990年7月
( ブドウ畑にそよ風は吹く )

バルマセダは観光地ではありません。当時はバスクムードも、ほとんどありません。いわゆるカステヤーノ系の住民が多いバスク州ビスカヤ県西部の山あいの街です。中世のロマネスク様式の石橋と、中心部の役場や古風なビルくらいが目立つ程度です。あとは、自分と旅先のウマが合うかどうかでしょう。

バルマセダのローマ橋198708 (2)
( バルマセダ唯一の観光スポット、ロマネスク様式の石橋 )

バルマセダローマ橋の上198708
( 静けさでいっぱいのロマネスク様式の橋を渡る )

私は、バスクという地域が、自分にとって、こんなに良く眠れる場所であったことを、心から悦び続けています。


バルマセダ町の中心部198708 (2)
( 町の中心の広場とビスカヤビルバオ銀行支店 )

バルマセダ町の中心部198708 (1)
( バルマセダの土曜市のにぎわい。現カルチャーセンター前 )

198709バルマセダ中心の教会 (2)
( 町の中心部にそびえるカトリック教会 )

198709バルマセダ中央の
( バルマセダ役場本庁舎 )

街の表通りを一歩入ると、発足間もないバスク警察署があったり、雑草が茂る川岸風景に出くわしました。通りは週末の市の立つ日以外は、いつも静かでした。ガラス張りのテラスの窓枠が特徴のバスク風ビルも、ちょっぴり田舎風です。

198709バルマセダのバスク州警察前
( バスク警察のバルマセダ事務所のはず )

バルマセダの川岸198708 (1)
( カダグア川の流れ。清流ではないけれど )

バルマセダのローマ橋198708 (3)
( 水草、ごみ、雑草の茂っていたバルマセダ町内のカダグア川 )

バルマセダ風景198708 (1)
( 新しい住宅街。住み心地は旧市街より良い )

町内を貫流するカダグア川:Ri*a Cadagua の上流は、バルマセダ・ダムで、ビルバオの水道の水源のひとつです。ダム湖脇の公園をゆるゆると歩いていると、緑がむんむんします。日本にいるのと同じ気分です。ダムの奥に見える山々の向こうに4、5時間も行けば東京の我が家に帰り着くような錯覚になりました。

バルマセダダム湖198608 (1)
( バルマセダ・ダム )

バルマセダダム湖198608 (3)
( バルマセダ・ダム湖と青い山々 )

とうとう鉄道や飛行機を乗り継いで日本に戻る時がきました。
FEVEでは、まだディーゼルカーが走っていたころの物語です。

FEVEバルマセダ駅まだDC1990年7月 (2)
( ビルバオ行き気動車と貨物列車。バルマセダ駅 1986/9 )

FEVEバルマセダよりレオン方面1990年7月
( バルマセダを後にして。また来る日まで (イメージ画像です) )


バルマセダでもビルバオでも、ニッポン人はおろか、ガイジンを見かけることは稀でした。あまりに少なすぎて、ガイジンは誰の目にも留まりません。空気のように見えない存在だからこそ、誰にもじゃまされず、永遠の惰眠をむさぼれるのかもしれません。

また来る日まで。そして、歩み続けよバルマセダ。


2018年1月  完


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