富豪の館、ノートのニコラチ館に入る 2018年9月訪問
つづいてドゥオーモ近くの1本入った道沿いにあるニコラチ館(Parazzo Nicolaci)という大邸宅を見学しました。
ニコラチ館は、通り沿いのバルコニー下に彫られた、たくさんの彫刻でも有名ですし、館の前の坂道で5月の第3週に開催される「インフィオラータ」(Infiorata )という、花を通りいっぱいに敷き詰めた祭典でも有名な場所です。インフィオラータの様子は、あちこちのブログに華やかな写真がいっぱい掲載されています。
( ニコラチ館(右)と、インフィオラータ会場となる坂道)
お寺と役場と豪邸と客寄せの祭典会場が、ほぼ街の一角に集中しているのですから、ノートの都市規模が想像できますでしょう。何を見るにも、何をやるにも、ノートではヴィットリオ・エマヌエル2世通とドゥオーモこそが会場なのです。
多くの観光客は、ニコラチ館のバルコニー下にいっぱい彫ってある”持ち送り”と言われる彫刻のユニークな姿を見物し、館の中庭に入って写真を撮ると出ていってしまいました。表通りにもどって、アイスでも食べるようですし、バスの集合時刻も気にしなければなりません。
( ニコラチ館のパンフレット )
( ニコラチ館のバルコニー下の彫刻見上げ )
(ニコラチ館の中庭から退散する観光客)
姿恰好から察するに、ドイツ人観光客も我らが同胞のニッポン人ともどもノートには長居できないようです。
「何たって、タオルミナから日帰りのバス・ツアーでシラクーザ、ノート、ラグーザ3都市めぐりをしているんだもん」
「ビーチに行かない日の、暇つぶしってとこかな」
「まあ、みんなが行くって言うんで、あたしも付いてきたんだけど」
って感じです。
それでも、バルに入り、土産物屋を冷やかして、いくばくかのお金をノートで使ってくれるのですから、ありがたや、ありがたや、なのでしょう。
私は、そこまで時間が押していなかったので、ニコラチ館にも入りました。入口付近の人混みの割には見学者が少ないので、手持無沙汰の受付のお姉さんも、にっこり。おまけに、有料の館内ガイドまで貸してくれました。
さあ、ゆっくり上の階の部屋の数々を見てみましょう。
( 2階に上がるオモテの階段 )
( かなり豪華な部屋が連なっている造り )
18世紀から19世紀を舞台にしたシチリア映画の富豪のお屋敷に出てくるような内装を感慨深げに見て回りました。当時は、部屋が直接、連続していて、いわゆる廊下がないのが普通のようでした。現代人から見ると、ご主人の寝室などの例外を除いてプライバシーもへったくれもない造りです。どうして部屋割りがこんな構造になったのか、生活の仕方が理解できていないので、ただただ見るだけです。
( 当主の寝室と再現されたベッド )
部屋には、往時の雰囲気を出すため、家具調度が少しばかり置いてありました。いまは、博物館なので生活の匂いは全くありません。
「こんなに、すっきりとした感じで日々過ごしていたとは思えないな」
「タバコ、ランプ、本、雑貨などが積み重なっていたり、使用人がお盆を捧げて行き来したり、客人がおしゃべりしていたりしていたんだろうな」
と、想像をめぐらしました。
寝室はきれいなのですが、「トイレはあったのか、それとも”おまる”を使ったのだろうか」などと想像してしまいました。洗面台もありません。
一番奥は広間でした。大きな部屋の壁面に、ダミーの窓が描かれていて開放感を醸し出しているようです。
写真のように、各種儀式はもちろん、講演会や表彰式などができるように椅子がたくさん置いてありました。
「もしかして、今晩、一般公開終了後に何かあるのかも」と、いう雰囲気でした。
( 奥の広間と、行事用の椅子 )
広間からバルコニーへ出て外を見渡すと、市役所や町の彼方に広がる田園、その向こうに横たわる地中海が一望できました。のんびりとした眺めです。クルマの音も、観光客のおしゃべりも聞こえそうで聞こえませんでした。
( ニコラチ館の2階よりノート市役所、郊外風景を遠望 )
空や海の青と、田園の緑、そして後期バロッコの建物のベージュ色の3色が程よく調和したノート風景に、しばし見とれていました。
了
つづいてドゥオーモ近くの1本入った道沿いにあるニコラチ館(Parazzo Nicolaci)という大邸宅を見学しました。
ニコラチ館は、通り沿いのバルコニー下に彫られた、たくさんの彫刻でも有名ですし、館の前の坂道で5月の第3週に開催される「インフィオラータ」(Infiorata )という、花を通りいっぱいに敷き詰めた祭典でも有名な場所です。インフィオラータの様子は、あちこちのブログに華やかな写真がいっぱい掲載されています。
( ニコラチ館(右)と、インフィオラータ会場となる坂道)
お寺と役場と豪邸と客寄せの祭典会場が、ほぼ街の一角に集中しているのですから、ノートの都市規模が想像できますでしょう。何を見るにも、何をやるにも、ノートではヴィットリオ・エマヌエル2世通とドゥオーモこそが会場なのです。
多くの観光客は、ニコラチ館のバルコニー下にいっぱい彫ってある”持ち送り”と言われる彫刻のユニークな姿を見物し、館の中庭に入って写真を撮ると出ていってしまいました。表通りにもどって、アイスでも食べるようですし、バスの集合時刻も気にしなければなりません。
( ニコラチ館のパンフレット )
( ニコラチ館のバルコニー下の彫刻見上げ )
(ニコラチ館の中庭から退散する観光客)
姿恰好から察するに、ドイツ人観光客も我らが同胞のニッポン人ともどもノートには長居できないようです。
「何たって、タオルミナから日帰りのバス・ツアーでシラクーザ、ノート、ラグーザ3都市めぐりをしているんだもん」
「ビーチに行かない日の、暇つぶしってとこかな」
「まあ、みんなが行くって言うんで、あたしも付いてきたんだけど」
って感じです。
それでも、バルに入り、土産物屋を冷やかして、いくばくかのお金をノートで使ってくれるのですから、ありがたや、ありがたや、なのでしょう。
私は、そこまで時間が押していなかったので、ニコラチ館にも入りました。入口付近の人混みの割には見学者が少ないので、手持無沙汰の受付のお姉さんも、にっこり。おまけに、有料の館内ガイドまで貸してくれました。
さあ、ゆっくり上の階の部屋の数々を見てみましょう。
( 2階に上がるオモテの階段 )
( かなり豪華な部屋が連なっている造り )
18世紀から19世紀を舞台にしたシチリア映画の富豪のお屋敷に出てくるような内装を感慨深げに見て回りました。当時は、部屋が直接、連続していて、いわゆる廊下がないのが普通のようでした。現代人から見ると、ご主人の寝室などの例外を除いてプライバシーもへったくれもない造りです。どうして部屋割りがこんな構造になったのか、生活の仕方が理解できていないので、ただただ見るだけです。
( 当主の寝室と再現されたベッド )
部屋には、往時の雰囲気を出すため、家具調度が少しばかり置いてありました。いまは、博物館なので生活の匂いは全くありません。
「こんなに、すっきりとした感じで日々過ごしていたとは思えないな」
「タバコ、ランプ、本、雑貨などが積み重なっていたり、使用人がお盆を捧げて行き来したり、客人がおしゃべりしていたりしていたんだろうな」
と、想像をめぐらしました。
寝室はきれいなのですが、「トイレはあったのか、それとも”おまる”を使ったのだろうか」などと想像してしまいました。洗面台もありません。
一番奥は広間でした。大きな部屋の壁面に、ダミーの窓が描かれていて開放感を醸し出しているようです。
写真のように、各種儀式はもちろん、講演会や表彰式などができるように椅子がたくさん置いてありました。
「もしかして、今晩、一般公開終了後に何かあるのかも」と、いう雰囲気でした。
( 奥の広間と、行事用の椅子 )
広間からバルコニーへ出て外を見渡すと、市役所や町の彼方に広がる田園、その向こうに横たわる地中海が一望できました。のんびりとした眺めです。クルマの音も、観光客のおしゃべりも聞こえそうで聞こえませんでした。
( ニコラチ館の2階よりノート市役所、郊外風景を遠望 )
空や海の青と、田園の緑、そして後期バロッコの建物のベージュ色の3色が程よく調和したノート風景に、しばし見とれていました。
了