ドゥオーモの内と外 2018年3月訪問
1) いつも心にドゥオーモを
( ドゥオーモ正面の遠景 )
ミラノに来たら、いつも心にドゥオーモの影がちらつきます。ショッピングをしていても、美味しいごはんを食べていても、ミラノとドゥオーモが一体となった風景は、深層心理と化しています。
ミラノへ初めて来る方は、よほどの事情がない限り、まず、ドゥオーモ見物です。飛行機や列車の到着時刻をうまく設定し、午後2時以降にドゥオーモに着くようにすると、順光の大聖堂と初対面できます。
私も観光客ですから、昼な夕なにドゥオーモをちら見してしまいます。「こんにちは」を言わずして、よそのお宅に入れないのと同じ気分です。
けれども、2018年のいま、内陣や屋上のテラスへ、再び入ろうという気力はありません。大勢の人が並んでいるし、入場料もうなぎ上りに高くなりました。
2) あまり絶景ではないぞ
かつて、ドゥオーモの屋根に上がれることは、あまり知られていませんでした。10年以上前に、家族ともどもドゥオーモの屋上テラスへ昇りましたが、みんな、教会の屋根に上がれることに驚いていました。夏の観光シーズンでも、屋上の入口に並んでいるのは10人くらいでした。
いまでは、ドゥオーモの屋上テラスへの登楼も、押すな押すなの大盛況です。
「入場料収入が、がっぽがっぽ入ってきて、笑いが止まりません」
「そういうのを、日本語では「坊主まる儲け」、と言うんです」
「味わい深い表現ですね」
( 今日もドゥオーモ屋上テラスへの登楼口は長蛇の列 )
ドゥオーモの屋上は、緩やかに傾斜した石の面です。下が、見えないので、お気楽に歩いていますが、もし、石が割れると、私たちは、高い天井から下の石の床へ叩きつけられるように落ちるでしょう。
屋上まで上がって来ると、地上で見えた聖像が、かなりの近さで、にょきにょきと立っている光景が見られます。「よくぞ、これだけ作ったな」と、感慨もひとしお。五百羅漢を眺めている気分です。黄金色のマリア像の写真を、間近で撮ることも忘れないようにしましょう。
( ドゥオーモの屋根そのものが最大の絶景 )
けれども、屋根越しに見えるミラノのパノラマは、期待するほど雄大ではありません。屋根上の高さが60~70メートルくらいしかないので、あまり視界が効かないのです。隣りのガッレリアや、リナシェンテの屋上、スフォルツェスコ城の塔などを眺めて良し、としましょう。
( ドゥオーモの屋上側面より見たガッレリア )
( ドゥオーモ屋上より見たスフォルツェスコ城。1988年9月 )
運が良いと、空気の澄んだ日に、北の方に連なるアルプスの峰々を見ることができます。山々の見える都会風景に接すると、日本人なので、何となくほっとしまいました。 (その写真は、いずれデジタル化予定です)
3) お参りはお静かに
ドゥオーモ参拝も、時勢には逆らえず、ここ10年ばかりの間に有料となりました。ミラノ市民は、宗派を問わずタダだったと思いますが、今はどうでしょうか。
隣の建物に行って入場券を買い、荷物検査を受け、内陣に入って参拝するのも容易ではありません。そのため、このごろはミラノへ行っても、ドゥオーモは見るだけです。タダの頃は、空いていましたので、その頃に撮った内部の様子です。祈りの場所は、そんなに変わっていないはずです。2018年に参拝した方々でも、違和感なく眺められることと思います。
太い柱と高い天井に感嘆し、お香のにおいを嗅ぎながら、静かに祈りましょう。
「ブランド店で、これぞ私が求めていたものだ、という品物に巡り合えますように!」
( ドゥオーモ内陣。1988年9月ごろ )
そして、静かに退出しましょう。
「またね、ドゥオーモさん。Ciao,ciao !」
2018年6月記 了
1) いつも心にドゥオーモを
( ドゥオーモ正面の遠景 )
ミラノに来たら、いつも心にドゥオーモの影がちらつきます。ショッピングをしていても、美味しいごはんを食べていても、ミラノとドゥオーモが一体となった風景は、深層心理と化しています。
ミラノへ初めて来る方は、よほどの事情がない限り、まず、ドゥオーモ見物です。飛行機や列車の到着時刻をうまく設定し、午後2時以降にドゥオーモに着くようにすると、順光の大聖堂と初対面できます。
私も観光客ですから、昼な夕なにドゥオーモをちら見してしまいます。「こんにちは」を言わずして、よそのお宅に入れないのと同じ気分です。
けれども、2018年のいま、内陣や屋上のテラスへ、再び入ろうという気力はありません。大勢の人が並んでいるし、入場料もうなぎ上りに高くなりました。
2) あまり絶景ではないぞ
かつて、ドゥオーモの屋根に上がれることは、あまり知られていませんでした。10年以上前に、家族ともどもドゥオーモの屋上テラスへ昇りましたが、みんな、教会の屋根に上がれることに驚いていました。夏の観光シーズンでも、屋上の入口に並んでいるのは10人くらいでした。
いまでは、ドゥオーモの屋上テラスへの登楼も、押すな押すなの大盛況です。
「入場料収入が、がっぽがっぽ入ってきて、笑いが止まりません」
「そういうのを、日本語では「坊主まる儲け」、と言うんです」
「味わい深い表現ですね」
( 今日もドゥオーモ屋上テラスへの登楼口は長蛇の列 )
ドゥオーモの屋上は、緩やかに傾斜した石の面です。下が、見えないので、お気楽に歩いていますが、もし、石が割れると、私たちは、高い天井から下の石の床へ叩きつけられるように落ちるでしょう。
屋上まで上がって来ると、地上で見えた聖像が、かなりの近さで、にょきにょきと立っている光景が見られます。「よくぞ、これだけ作ったな」と、感慨もひとしお。五百羅漢を眺めている気分です。黄金色のマリア像の写真を、間近で撮ることも忘れないようにしましょう。
( ドゥオーモの屋根そのものが最大の絶景 )
けれども、屋根越しに見えるミラノのパノラマは、期待するほど雄大ではありません。屋根上の高さが60~70メートルくらいしかないので、あまり視界が効かないのです。隣りのガッレリアや、リナシェンテの屋上、スフォルツェスコ城の塔などを眺めて良し、としましょう。
( ドゥオーモの屋上側面より見たガッレリア )
( ドゥオーモ屋上より見たスフォルツェスコ城。1988年9月 )
運が良いと、空気の澄んだ日に、北の方に連なるアルプスの峰々を見ることができます。山々の見える都会風景に接すると、日本人なので、何となくほっとしまいました。 (その写真は、いずれデジタル化予定です)
3) お参りはお静かに
ドゥオーモ参拝も、時勢には逆らえず、ここ10年ばかりの間に有料となりました。ミラノ市民は、宗派を問わずタダだったと思いますが、今はどうでしょうか。
隣の建物に行って入場券を買い、荷物検査を受け、内陣に入って参拝するのも容易ではありません。そのため、このごろはミラノへ行っても、ドゥオーモは見るだけです。タダの頃は、空いていましたので、その頃に撮った内部の様子です。祈りの場所は、そんなに変わっていないはずです。2018年に参拝した方々でも、違和感なく眺められることと思います。
太い柱と高い天井に感嘆し、お香のにおいを嗅ぎながら、静かに祈りましょう。
「ブランド店で、これぞ私が求めていたものだ、という品物に巡り合えますように!」
( ドゥオーモ内陣。1988年9月ごろ )
そして、静かに退出しましょう。
「またね、ドゥオーモさん。Ciao,ciao !」
2018年6月記 了