トレッツォ・スーラッダ城址を歩く 2018年3月訪問
友人が、「アッダ川を遡るルートでロンバルディアを案内しよう」と言って、まず来たのがトレッツォ・スーラッダ:Torezzo sull'Adda です、と言いたいところですが、世界遺産クレスピ・ダッダ:Crespi d'Adda を、ふらふらと通り抜けるという、凡庸な観光客にあるまじきミスをしました。
昔の工場だったというレンガ造りの建物や、現役の戸建て住宅みを見て、「ふんふん、そう言えば、イタリアに『新しき理想の工場』みたいな触れ込みの世界遺産があったな」と、頭の隅に記憶が呼び起こされたのですが、「まあ、いいや」と、クルマに乗っかってスルーしたのでした。
そこが、クレスピ・ダッダだったのでした。典型的な「後の祭り」、「後悔、先に立たず」の行動パターンです。
そして、「クレスピ・ダッダは、ミラノからメトロとバスを乗り継げば1時間くらいで来られるので、次の機会には是非、寄ってみたいものです」と、負け惜しみ。
実は、クレスピ・ダッダの上流1kmくらいに位置する、古城の集落トレッツォ・スーラッダ:Torezzo sull' Adda も、悪くなかったのです。凡ミス観光客の後悔の念をちくちくと刺激するような荒涼感、ひっそり感があふれる小さな町でした。
まず、日本人には、この地名が言いにくいこと、このうえもありません。「イタリア・リピーターだもんね」、と自負する方々には想像がつくと思いますが、「アッダ川沿いのトレッツォ」という意味の町です。
「どうして、前置詞みたいな語が、クレスピの方は、”d”'Adda、なのに、こっちは、”sul" なの?」
「まあ、細かく語れば、いろいろと・・・・・。」
「信濃大町と信州中野、みたいなもんですかねえ」
「地名ですからねえ」
深く考えないで、覚えることです。
「習うより、慣れろ! 街並みと城跡の散歩を楽しみましょう」
( トレッツォ・スーラッダの平凡な街並み )
( 古城の脇を、とうとうと流れるアッダ川と国道橋 )
国道橋の下流1kmくらいのところが、クレスピ・ダッダです。
( クレスピ・ダッダの工場用が主目的だった発電所跡 )
トレッツォ・スーラッダの古城の真下に残る水力発電所は、過ぎ去りし繊維産業全盛期を感じさせる造りでした。そして、19世紀末の産業最優先の発想の象徴のような立地です。
( トレッツォ・スーラッダの古城とアッダ川 )
古城を取り巻く散歩道の端は、早春の雑草に覆われはじめていました。平日には、地元の方々以外に、歩いている人はいないと言っても過言ではない観光スポットです。
( トレッツォ・スーラッダの古城の塔 )
打ち捨てられた古城風景も味わいがあります。
この程度の遺跡では、まとまった金額の修復予算など、ほぼ、つかないようです。イタリアの土地には無数の歴史が詰まっていることが実感できます。
最後の晩餐だ、ミケランジェロのピエタだ、と先を争うような観光気分とは別次元の空間です。500年くらい前の人々の生活や、川を挟んだ領土争いを想像しながら、湿っぽい土を踏んで歩きました。ガイドブック的な情報が少ない分、自分自身の勝手な想像ができるので、頭の中が冴えてきます。
( 崩れ残った古城の壁 )
一句など浮かばないまま、城跡を後にしました。
2019年2月記 了
友人が、「アッダ川を遡るルートでロンバルディアを案内しよう」と言って、まず来たのがトレッツォ・スーラッダ:Torezzo sull'Adda です、と言いたいところですが、世界遺産クレスピ・ダッダ:Crespi d'Adda を、ふらふらと通り抜けるという、凡庸な観光客にあるまじきミスをしました。
昔の工場だったというレンガ造りの建物や、現役の戸建て住宅みを見て、「ふんふん、そう言えば、イタリアに『新しき理想の工場』みたいな触れ込みの世界遺産があったな」と、頭の隅に記憶が呼び起こされたのですが、「まあ、いいや」と、クルマに乗っかってスルーしたのでした。
そこが、クレスピ・ダッダだったのでした。典型的な「後の祭り」、「後悔、先に立たず」の行動パターンです。
そして、「クレスピ・ダッダは、ミラノからメトロとバスを乗り継げば1時間くらいで来られるので、次の機会には是非、寄ってみたいものです」と、負け惜しみ。
実は、クレスピ・ダッダの上流1kmくらいに位置する、古城の集落トレッツォ・スーラッダ:Torezzo sull' Adda も、悪くなかったのです。凡ミス観光客の後悔の念をちくちくと刺激するような荒涼感、ひっそり感があふれる小さな町でした。
まず、日本人には、この地名が言いにくいこと、このうえもありません。「イタリア・リピーターだもんね」、と自負する方々には想像がつくと思いますが、「アッダ川沿いのトレッツォ」という意味の町です。
「どうして、前置詞みたいな語が、クレスピの方は、”d”'Adda、なのに、こっちは、”sul" なの?」
「まあ、細かく語れば、いろいろと・・・・・。」
「信濃大町と信州中野、みたいなもんですかねえ」
「地名ですからねえ」
深く考えないで、覚えることです。
「習うより、慣れろ! 街並みと城跡の散歩を楽しみましょう」
( トレッツォ・スーラッダの平凡な街並み )
( 古城の脇を、とうとうと流れるアッダ川と国道橋 )
国道橋の下流1kmくらいのところが、クレスピ・ダッダです。
( クレスピ・ダッダの工場用が主目的だった発電所跡 )
トレッツォ・スーラッダの古城の真下に残る水力発電所は、過ぎ去りし繊維産業全盛期を感じさせる造りでした。そして、19世紀末の産業最優先の発想の象徴のような立地です。
( トレッツォ・スーラッダの古城とアッダ川 )
古城を取り巻く散歩道の端は、早春の雑草に覆われはじめていました。平日には、地元の方々以外に、歩いている人はいないと言っても過言ではない観光スポットです。
( トレッツォ・スーラッダの古城の塔 )
打ち捨てられた古城風景も味わいがあります。
この程度の遺跡では、まとまった金額の修復予算など、ほぼ、つかないようです。イタリアの土地には無数の歴史が詰まっていることが実感できます。
最後の晩餐だ、ミケランジェロのピエタだ、と先を争うような観光気分とは別次元の空間です。500年くらい前の人々の生活や、川を挟んだ領土争いを想像しながら、湿っぽい土を踏んで歩きました。ガイドブック的な情報が少ない分、自分自身の勝手な想像ができるので、頭の中が冴えてきます。
( 崩れ残った古城の壁 )
一句など浮かばないまま、城跡を後にしました。
2019年2月記 了