やまぶきシニアトラベラー

気まぐれシニア・トラベラーの旅。あの日から、いつか来る日まで、かつ、めぐりて、かつ、とどまる旅をします。

デヴァター

こんにちはバンテアイ・スレイのデヴァターたち

こんにちはバンテアイ・スレイのデヴァターたち   2019年10月訪問

バンテアイ・スレイの女神像のデヴァターは、アンコール・ワット遺跡群のなかでピカ一だと思います。

美しい赤銅色で、彫りが深いため印象が強烈です。顔の表情も温和で、皆んな幸せそうに微笑んでいるようです。ちょっとがっかりなのは、見学ポイントから像までの距離があるので、肉眼では像の細部まで見にくいことでした。

0241バンテアイスレイのデヴァダー (27)
( 遠目にしか見えないデヴァター )

私は、別のブログで紹介しましたように、その中でもトップの美しさを誇る「東洋のモナリザ」と称えられているデヴァター像を見逃してしまいました。けれども、その次に美しい女神や、ボーイッシュな雰囲気の現代感覚のデヴァター像を見ることができました。それらの女神たちを、まとめて鑑賞することにします。
0241バンテアイスレイのデヴァダー (1)
( はにかみがちな伝統的な衣装のデヴァター )

0241バンテアイスレイのデヴァダー (8)
( きりりとした顔つきのデヴァター )

0241バンテアイスレイのデヴァダー (26)
( 笑顔が少なめのデヴァターもいました )

デヴァターは、実在の女官がモデルと言われているので、ふたつと同じ顔つきの像はありません。現役当時は、各人各様に着飾り、女の園の戦いを繰り広げながらも、優雅な暮らしをしていたのでしょう。

皆さんは、どういうタイプのデヴァターがお好みですか。

0241バンテアイスレイのデヴァダー (11)
( 顔が少し崩れて表情が見にくいデヴァター )

0241バンテアイスレイのデヴァダー (33)
( この像も、欠け方が激しいですが口元の笑みが感じられます )

0241バンテアイスレイのデヴァダー (21)
( やや彫りが浅い女神もいます )

バンテアイ・スレイには、オーソドックスな衣装ではないデヴァターが数体あります。カラダの線が出ている衣裳をつけた上半身ヌードのボーイッシュな雰囲気です。現代人にも、そのままで通じるような美しさがありました。私は、こちらのタイプにけっこう気を奪われてしまいました。

表情から推察すると、性格もさっぱりタイプで、あっけらかんとした賢さを感じました。

0241バンテアイスレイのデヴァダー (24)
( 現代風のデヴァター。すっきり美人 )

0241バンテアイスレイのデヴァダー (9)
( こちらもボーイッシュですが、表情がイマイチ )

いろいろなデヴァターが、保存状態も良く残っているバンテアイ・スレイ遺跡に、是非、足を運ぶべきです。私も、ここを見物コースのひとつに選んで、とても満足しています。

デヴァターさまたち。いつまでも美しいお姿で、世界中の人々を惹きつけてください!

2020年3月記                                      了

東洋のモナリザに振られたバンテアイ・スレイ

東洋のモナリザに振られたバンテアイ・スレイ      2019年10月訪問

バンテアイ・スレイ寺院遺跡:Banteay  Srei Temple は、「東洋のモナリザ」の異名を取る美しいデヴァター像のレリーフがとっても有名です。彫りが深く、色合いが美しいのです。

0241バンテアイスレイのデヴァダー (2)
( デヴァターが彫ってある3つの塔 )

バンテアイ・スレイのデヴァター像は、近くまで寄って見ることができません。かなり遠目に、眼を凝らして睨むような距離感です。

「観光写真と全然、違うやんけ!」
「本物を自身の眼で見たという自己満足感以外、何もないじゃん」

悪く言えば、このような印象です。どうやら遺跡保護、盗難防止のために、ここ20年ほどは見物客をレリーフ近くの回廊まで入れない方針とのこと。1923年末に、後のフランス人作家のアンドレ・マルローがデヴァター像を盗み出そうとした事件が、大きなトラウマになっているようです。帝国主義の風潮が未だに消えやらぬ時代でしたから、エジプトやメソポタミアから古代彫刻などを平然と持ち出していた頃の奢った気分があったことは想像に難くありません。

「遺跡泥棒を捕まえたカンボジア当局は、ラッキーな面もあったとはいえ偉い!」
こんなことを頭の中で思い出しながら、本堂の周りを歩いても、東洋のモナリザらしきデヴァターは目に入りません。あまりに遠すぎて、私の視力では判別がつかなかったのです。

ちなみに、『東洋のモナリザ』と称されているデヴァターは、以下のサイトなどで見られます。
https://mapio.net/pic/p-10649029/

0241バンテアイスレイのデヴァダー (27)
( 肉眼ではデヴァターは遠くに小さく見えるだけ )

「どれが、『東洋のモナリザ』か、全然、ヒントもないぞ」

頭を抱えるしかありません。くだんのデヴァターの近くに行けば、壁の隅に小さな解説板が貼ってあり、どれが『東洋のモナリザ』か図示くらいしてあるだろうという期待がものの見事に外れました。
Parisルーブルモナリザ案内0503
( ルーブル美術館のモナリザ案内表示 )

ちなみに、元祖『モナリザ』の方は、実物があるルーブル美術館の展示室の近くに、写真付きで『モナリザはあっち』という矢印案内がぺたぺた貼ってあります。『東洋』の方も、図示くらいはあるだろうという想定は、きわめて甘い発想でした。「途上国の観光案内の適当さを舐めんじゃねえよ」という声がびんびんと脳裏に響きました。

そこで他力本願。三々五々やってくるガイド付きのグループ客のそばに、それとなく寄って歩き、デヴァター像の解説を盗み聞きしようとしました。

しかし、これも失敗。4~5人のガイドさんは、全員、特定のデヴァターを指さすことなく本堂周辺の解説をしておしまい。客の方も、ふんふんと聞いて写真を撮るだけで、本堂から出て行ってしまいました。
『お前ら、デヴァター最高級の美女を見る気あんのか。何しにバンテアイ・スレイに来たんか!』と、内心、怒り心頭ですが、現実は「東洋のモナリザ」という下馬評ほどの注目度はないようです。「東洋のモナリザ」と、騒いでいるのは日本人ばかりのようです。現地のシェム・リアップ市の観光案内や、英語の総合案内ブログには、モナリザのことは書いてありません。本当は美しいデヴァター全体を愛でてほしいということなのかも知れません。

そのため、三たび作戦変更です。デジカメの望遠機能を利用して、本堂のデヴァターをひとつひとつ見ることにしました。
「確か、左向きの像だったよなあ」
「全身、ほとんど型崩れしていないはず」

まず、右向きのデヴァターは、かなりの美形でもパスです
0241バンテアイスレイのデヴァダー (1)
( 右向きのデヴァターも美しいのですが・・・・・)

ガイドブックに掲載してあった小さな写真の記憶をたどりながら、ズームアップされたデヴァターの画像を観察しますが、くっきりと判別できません。本堂正面あたりのデヴァターは、逆光で影が出ている像もあるので絞り込みも難航しました。

左向きでも、顔や頭部が崩れていたり、彫りが深くないデヴァターもパスです。アンコール・ワット中のデヴァターランキングではトップクラスでしょうが、『東洋のモナリザ』ではありません。
0241バンテアイスレイのデヴァダー (4)
( 顔周りが少し崩れている左向きデヴァター )

やっと、これかなと思えるデヴァターがズームアップした視界に入りました。左向きで保存状態も良く、表情にも品が漂っていました。

「なーるほど、確かに他のデヴァターよりは美しいかも」と、そのときは感じました。

ところが、これが大間違い。あとで買った絵はがきなどを見ながら、じっくり観察してみると、似て非なるデヴァターだったのでした。

「あああ・・・・・・・・・・。アンコール・ワット観光、最大のミス」

悔やんでも、悔やみきれません。

「左向きのデヴァターを、もっとじっくりアップすれば良かった」
「もう少し忍耐強く、プロのガイドを待ったり、写真オタクみたいな観光客が来るまで辛抱すれば良かった」
後悔先に立たずの典型でした。見落としをフォローするべく、アンコールワット遺跡を再訪する確率は、今のところかなり低いです。
0241バンテアイスレイのデヴァダー (30)
( 左向きで保存状態も良い美形のデヴァター )

皆さんの旅行記やブログを拝読していると、けっこう『モナリザ』違いがあります。『モナリザ』と評判のデヴァターは、特定の一体ではなくバンテアイ・スレイのデヴァター全部を指しているという勘違いも散見します。

本物の『東洋のモナリザ』像のポイントは、微笑みが一番愛くるしいことに加えて、頭部が1枚の石で彫ってあり、つぎはぎでないこと、正面右の頭髪部に菊のような模様の簪(かんざし)が付いていることです。ですから、良く知っている人に教えてもらうか、かなりズームアップしないと判別できません。

もちろん、東洋のモナリザを見落としたところで、今日明日の人生はこれっぽっちも変わらないでしょう。

「でもね、最高峰のものを見て、さらに研ぎ澄まされるセンスを身に付けないと、人生がほんのちょっぴり安っぽくなるんです」

2020年3月記                                              了



バンテアイ・スレイのリンガをなでたい

バンテアイ・スレイのリンガをなでたい          2019年10月訪問

バンテアイ・スレイ遺跡は、アンコールワット遺跡群の中ではトップ5くらいにランクインする人気遺跡です。クルマやトゥクトゥクで1時間もかかるのに、見物人の姿が絶えません。そして、個人客の割合が多いです。ツアーを組むような方々の多くは、駆け足観光なので、旅行会社もバンテアイ・スレイまで足を伸ばす企画を考えないのでしょう。
0206バンテアイスレイ観光セと入口 (4)
0211BANTEAY SREI正面入口
( バンテアイ・スレイの玄関口と、実際の遺跡入口 )

私は、とてもきれいに屋根掛けされたインフォメーションセンターを通過し、奥へ歩いて行き、小屋掛けした改札ポイントをとおり、本当の遺跡正面へ歩いて行きました。だいたい5分くらいの距離です。

バンテアイ・スレイは、周りの木々が大きいこともあり、平屋の小さな、けれども品のある色合いやたたずまいをした遺跡です。

順路に沿って奥へ向かい、一つ目の門をくぐると、リンガ彫刻が両脇にずらりと並んだ参道に出ました。

「わお、これぞヒンズー魂だあ」
「リンガいっぱい、世俗のムード、ムンムンだあ」
という感じです。

0213BanteaySrei正面参道 (1)
( バンテアイ・スレイ山門と奥の方に小さく見える本堂 )

ヒンズー教は、男根崇拝の上に、世俗の欲望を素直に表現する宗教だと思います。ですから、リンガも実に堂々としています。寺院が現役時代は、聖なるリンガにさわってはいけなかったのかも知れません。遺跡となっても、これ以上の摩耗や風化を防ぐために、さわってはいけないようです。

けれども。ここまで、リンガ、リンガ・・・・・・、と並ぶと、脳裏にその光景が焼き付いてしまいました。

0213BanteaySrei正面参道 (4)
( 表参道に整然と並んだリンガ )

思わず、なでなでしたり、口に入れたくなりませんか。コーンのアイスとかを頬張るように。

0213BanteaySrei正面参道 (10)
( リンガいっぱいの参道の振返り )

リンガは、デヴァター像の上半身のように黒光りしていないので、往時もあまりさわられることは少なかったのではないかと想像しています。
「それに、いっぱいあって、ほとんど同じ形なので飽きるのですよ」、という感じです。

リンガの林立する参道を越えると、お濠の向こうに美しい赤銅色の本堂が見えてきました。
そちらに気を取られたので、リンガのことは、きっぱりと脳裏から去りました。
「現金なものですねえ」

0213BanteaySrei正面参道 (11)
( バンテアイ・スレイ本堂遠望 )

バンテアイ・スレイ本堂は、品のある美しさを保っています。そして、レリーフの彫りが、他の遺跡に比べて深いために陰影が出やすいので、全体がくっきり、すっきりとした印象です。

0215バンテアイスレイ中央祠堂全景 (2)
( 彫りが深いレリーフがいっぱいのバンテアイ・スレイ本堂正面 )

0218バンテアイスレイ中央祠堂背面全景 (1)
( 真っ青な空に映える海老茶色のバンテアイスレイ本堂の塔 )

それでも、本堂の裏手に周って塔の上を見上げると、深く刻まれたレリーフが少し苔むしているのが目に入りました。500年以上、放置されて豪雨に打たれ、灼熱の太陽に照らされていれば、このくらいは仕方がないことでしょう。

「腐っても鯛」、「美人は百歳までも美人」、という語句が脳裏に浮かびました。


2020年3月記                    了

うねるバンテアイ・スレイとカフェ

うねるバンテアイ・スレイとカフェ   2019年10月訪問

バンテアイ・スレイの建造物は赤銅色の岩石が素材で、作りも精巧です。柔らかく温かみのある女性的な印象の美しい寺院遺跡でした。

けれども、バンテアイ・スレイの本堂を取り囲む壁は、歪んでうねっていました。

0221バンテアイスレイ中央祠堂と環濠1025 (12)
0221バンテアイスレイ中央祠堂と環濠1025 (8)
( うねるバンテアイスレイの周壁と中央のお堂 )

1000年以上かかって少しづつ地盤が変形し、それにつれて石組みも歪んだようです。
固めのマットの上に積み木でお寺をこしらえたら、案の定ゆがんでしまった、という雰囲気です。それでも崩落しないのですから、寺院建築は、かなり丈夫なのですね。

0221バンテアイスレイ中央祠堂と環濠1025 (4)
( 別の角度から見たバンテアイ・スレイ本堂と周壁 )

大きな熱帯樹木を背後にして、こじんまりとたたずむ赤銅色の建築が映えていました。
0221バンテアイスレイ中央祠堂と環濠1025 (1)
( 本堂と両脇の塔を背面から見る )

晴天の強い陽光を浴びた遺跡は、上品な色に光を反射していました。巨大で荘厳なアンコール・ワットと対極を成す美かも知れません。

本堂の見物を終えて池の方へ戻ると、テラス風のレストハウスがありました。ジャングルに戻ろうとして勢いよく伸びている木々の姿を見ながらのカフェタイムも気持ち良いひとときでしょう。
0209バンテアイスレイ入場口奥の蓮池 (2)
0208バンテアイスレイ内部高級レストランと仏団体 (1)
( トイレ利用案内。外部者は2000リエル、約1/2ドル )

カフェ横のトイレ利用案内です。よく見ると部外者は有料。でも、こんな辺鄙な場所で、観光目的以外の旅人でトイレを目指して来る者は、よっぽどの変人だと思います。

0208バンテアイスレイ内部高級レストランと仏団体 (2)
0208バンテアイスレイ内部高級レストランと仏団体 (3)
( わいわいがやがやフランス人のシニア・マダムご一行様 )

よしず張りのテラスの奥ではフランス人のシニアのマダムを中心とした30人くらいの団体が、わいわいがやがやとランチタイムでした。看板のメニューには「欧風ランチ35ドル」と書いてありました。カンボジア物価感覚では、眼の玉が飛び出るくらいの値段です。ご一行さまが、それを食べているのか分かりませんでしたが、とても生き生きとした表情が印象的でした。

世界中を回るようなシニアの女性旅行者は、国籍を問わず強いです。どこへ行っても、我が道を行くという表情で旅のひとときを満喫しています。
「私も、年の功の良い面を見習って旅を続けたいものです。『世界遺産を何カ所めぐった』なんて自慢するのは、小さい、小さい・・・・・」

2020年3月記                   了

荒れるにまかせたプレア・カーン遺跡

荒れるにまかせたプレア・カーン遺跡    2019年10月訪問

アンコールワット遺跡群大回りコース:Grand circuit  の最初か最後の地点に位置するプリア・カーン遺跡:Prea Khan Temple も、熱帯樹木がからみつき、あちこちが崩落したタ・プローム型の遺跡です。

小回りコースを終えて、大回りコースにやってくると、このようなパターンの風景に馴染んでしまって驚くこともなくなります。せっかく3日券は買ったし、トゥクトゥクも貸切で自由に使えるので、B級C級遺跡もできるだけ見てみようという気になります。

0431プレアカーン1023 (2)
( プレア・カーン遺跡北入口 )
0431プレアカーン1023 (5)
( プレア・カーン遺跡北門前の橋と破損した神々の石造 )

スパッ、と切り取られたヒンズー教の神様の頭部は、いわゆる地蔵泥棒のしわざのようです。買った奴に祟りがあると面白いのですが、所詮は「モノ」なので、どこかのコレクターの部屋に鎮座しているのでしょう。その代わり、保存状態は良いでしょう。

0431プレアカーン1023 (9)
( ぐらぐら感いっぱいのプレア・カーン遺跡正門 )
0431プレアカーン1023 (23)
( 木々とコケと崩れた石の数々も定番になった )

プレア・カーン遺跡の中央部に来ると、十文字の回廊の交点に、緑色にコケ蒸したリンガが置いてありました。ときどきグループ観光客が、リンガの周りを取り囲んで賑わいますが、少し過ぎると、また静寂が戻ります。

0431プレアカーン1023 (17)
( 寺院中心部に残ったリンガ遠望 )
0431プレアカーン1023 (24)
( コケむし、欠けて、ひび割れたリンガの哀愁 )

天井が崩落した場所のレリーフは、ほとんどコケに覆われようとしています。少し、薄気味悪い雰囲気です。こうして観光客が来るまで、神々やデヴァターのレリーフは、500年くらい、ひたすら歪み、崩れ、雨に当たり続けてきたんだな、と恬淡として気分で眺めました。

0431プレアカーン1023 (20)
( コケに覆われたデヴァターのレリーフ )

係員が指さして「あっちの奥に、美しい女神像があるから行ってみろ」とすすめてくれたので、くずれた石をよけながら通路を歩いて行くと、確かに美女のレリーフが2体ありました。うつむきかげんの顔つきは、端正で安らぎを覚える表情でした。

「どうか、くずれゆく遺跡のなかで、皆んなに愛されながら、ずうっと居続けてください」
0431プレアカーン1023 (29)
( プレア・カーン遺跡きっての美人デヴァター像に参拝 )
0431プレアカーン1023 (30)
( もう一体、美しい女神像がある )

それにしても、崩落度合いが中途半端ではありません。現役時代には、維持管理、お坊さんの生活支援で莫大な資金が必要だったのでしょうから、その反動で、有無を言わさずに見捨てられたのも無理はないと思いました。

「もう、やってらんねんよ」、だったのでしょう。
0431プレアカーン1023 (35)
( 日に焼け、くずれ、それでもデヴァターはたたずむ )

プレア・カーン遺跡の見どころのひとつとして、この近くに、2階建ての経蔵らしき遺跡があり、ギリシャ神殿風の外観であると解説されていましたが、見物忘れです。遠目に入っていたのかも知れませんが、ぼろぼろに崩れかけていたので、特に気に留めなかったのかも知れません。アンコールワット遺跡群には、2階建ての建造物がほとんどないそうです。これから旅される皆さまは、見落としのないよう見物することをお祈り申し上げます。

繊細で美しいデヴァター像も、ずれ、歪み、日焼けしています。往時の華やかさを忍びながら、ゆっくり一周して外に出ました。
0431プレアカーン1023 (12)
( 次第に浸食され、影がうすくなった神様 )
0431プレアカーン1023 (36)
( 時の流れに埋もれゆくデヴァターたち )

時の流れを、実際の時間の経過以上に感じたプレア・カーン遺跡でした。

2020年2月記                                   了




癩王のテラスの隙間でヒンズーの神々に囲まれる

癩王のテラスの隙間でヒンズーの神々に囲まれる     2019年10月訪問

快晴で陽射しのまぶしい10月下旬の朝、私は、アンコール・トムの「癩王のテラス」に上がりました。
有名で人気のある「象のテラス」と一対になった、長くて広い、ひな壇状の遺跡です。足早や日本人および中国人観光客のメインルートから、ほんのわずかだけ北にはずれているせいか、見物人の数はあまり多くありません。

のんびり、じっくり、芝生とひな壇歩きをしました。「ちょっと、暑っ!」

0325Aトム象のテラス昼下り風景 (7)
( 象のテラスから見た癩王のテラス )
0328Aトム癩王テラス付近風景 (5)
( 癩王のテラス側面のレリーフ )

癩王のテラスの中央部にくると、壁が二重になっていて、隙間にも入れます。ガイドブックによりますと、隙間は昔に埋められてしまっていたので、しばらくは気がつかれず、後世の調査で見つかった場所のようです。

テラス上の、イメージだけ清々しい暑い空気を吸ったあと、下に降りてみました。
せっかく来たのですから、なるべくたくさんの場所に入り込みたいです。
0328Aトム癩王テラス付近風景 (8)
( 癩王のテラス上から象のテラス方向を見る )



0328Aトム癩王テラス付近風景 (14)
( 癩王のテラスの内壁 )

赤い石を積み上げた二重壁の間を、そろりそろりと歩いて行くと、ヒンドゥーの神々のレリーフが所狭しと彫られた壁面にでました。
「ほおっ・・・・・・・・」

ヘビがモチーフのナーガ神のレリーフのある場所は、少しびくつきながら通りました。私は、ヘビがきらいなので、彫刻と分かっていても気になってしまうのです。

「いきなり、ぴょん、と頭を出したらどうしよう・・・・・・」
「くわばら、くわばら」
0328Aトム癩王テラス付近風景 (12)
( 内壁のヘビ神ナーガは、私には気味悪い存在 )
0328Aトム癩王テラス付近風景 (13)
0328Aトム癩王テラス付近風景 (11)
( 内壁の数えきれないほどのヒンズーの神々たち )

これでもか、というプレッシャーを3回も4回も感じるくらい、切り立った内壁の両側にはヒンズーの神々の像が彫られ、重なり、ずれ、そして欠けていました。インド哲学のエンドレスのような神話の世界を肌で感じました。

たまたま、せまい通路内ですれ違ったアメリカ人のお姉さまと一期一会の縁で立ち話をしました。お姉さまは、こういう光景に天にも舞い上がらんばかりの感動を覚えたそうです。同じ表情が二つとない神々に囲まれていると、無限の祝福を授けられている気分になるということでした。そして、お互いのカメラで写真を撮り合いました。私は2-3枚お願いしましたが、興奮気味のお姉さんは遠慮がちな表情をしながらも、壁の向きを変えて6-7枚撮ってくれとのこと。もちろん快諾して、いろいろなポーズと背景の写真を撮ってさしあげました。

「よい1日を!」
「あなたも!」

いやあ、ほんとに神々のお姿に間近かで囲まれると、仏教徒の私も、少し、こそばゆい気分になりました。

2020年2月記                       了



アンコールワットのいかついデヴァターたち

アンコールワットのいかついデヴァターたち        2019年10月訪問

アンコールワット遺跡群と聞くと、ついつい壮麗でユニークな形の建築美を想像しますが、実は、レリーフ、彫像類も見事でした。
1131Aワット全景斜め南より1025
( 熱帯の午後の陽光に映えるアンコールワット全景 )

私も、現地へ来てそのことに気づき、アンコール遺跡の素晴らしいレリーフに見とれてしまいました。ヒンドゥー教に題材を得ているものの、レリーフには神あり、象あり、戦争あり、生活あり、そして女神ありです。特に、デヴァターと呼ばれる女神に模した上半身裸の女性像は必見です。不勉強のため、なぜ上半身裸なのか分かりません。

ガイドブックなどによると、モデルは、当時の宮廷にいた女官を中心に本物の女性であったため、二つとして同じ表情のデヴァターはないのだそうです。

「ヒンドゥー教の現世的な面が良く分かる成り立ちですね」
「そうですよ。何事も本能の赴くままに」

そういう訳で、デヴァターを見れば、何人もさわりたくなるのは仕方ないことだと思いました。その、おさわりのお蔭で、デヴァター像はくっきり、すっきり目立っています。手垢の色も混じって、赤っぽく黒光りしている場面は、とても魅力的でした。いけないこととは知りながら、私も、ちょっと手が出てしまいました。

アンコールワットの十字回廊から第2回廊と第3回廊の間あたりには、すぐそばまで寄れるデヴァターが壁にいっぱい並んでいます。まずは、とくと、ご覧あれです。
0025Aワット午後第2回廊レリーフ1025
0667Aワット第2回廊壁デヴァダー1022

0743Aワット午後第2回廊レリーフ1025 (10)
0743Aワット午後第2回廊レリーフ1025 (9)
(アンコールワット内のデヴァターいろいろ)

「どうです!」と、誇らしげに紹介したかったのですが、アンコールワットのデヴァターたちは、イマイチです。

顔がいかついのです。

そして、彫りが浅いのです。

これでは女神の魅力半減どころか、ほとんど面白みがありません。

アンコールワットの女神を彫った職人たちセンスは、玉に傷のレベルです。あるいは、王様の美意識が現代人と大きく異なっていたのでしょうか。

「いっぱい、きれいどころはいたはずなのに、どうしてこうなるの?」

魅力的なデヴァターを見るなら、他の遺跡を試すべきです。むしゃくしゃしたので、顔なしデヴァターも紹介して終わりです。
0748Å第2回廊踊り子デヴァダー1025
( 花園のダンシング・デヴァター )

2019年12月記                               了

落書き見やるアンコールワットの十字回廊

落書き見やるアンコールワットの十字回廊      2019年10月訪問

アンコールワット見物の順路は、第1回廊の次は十字回廊である場合が多いです。第2回廊の影があまりにうすく、人の列が十字回廊に向けて進んでいるからです。
0743Aワット午後第2回廊レリーフ1025 (4)
( 左の角が、十文字の中心の十字回廊 )

十字回廊は、堂内の通路が、ちょうど十文字に交差する場所にちなんでいます。その付近が参拝者の目を惹きつけることからつけられた呼称のようです。
0735Aワット午後第2回廊天井その1
( 石組みもぴったり十文字に組み合わさった十字回廊中心 )
0661Aワット第2回廊ざっと1022 (3)
( 十字回廊内部の列柱。保存状態は良い方 )

このあたりの石組みは、あまりずれがありません。女神のデヴァターも、ぴったり合わさって美しい姿を見せてくれているので、歩いていても満足感が高いです。赤っぽい石の色も、少し華やかさを出していると感じました。

石柱の裾が削られていますが、天井に巣くっていたコウモリのフンが床に積もり、石柱が化学変化を起こして溶けてしまったためのこと。かつては、かなり荒廃していたんだなあと思いました。

十字回廊の一角には仏像が安置されてあり、お坊さんが待機しています。アンコールワットが現役のお寺であることが唯一感じられる空間です。お布施を出すと、お祈りをしてもらえるようです。私は、読経をお願いしなかったので、お布施の相場は分かりません。

0661Aワット第2回廊ざっと1022 (4)
( 十字回廊の隅に祀ってある仏像と参拝客 )

十字回廊の仏像近辺の柱には昔の落書きがいっぱいあります。日本人の落書きもあると聞いていたので、参拝者の邪魔にならないように柱を見て回りましたが、どうも見落としたようです。200年から300年前は、きっとこのあたりが参拝の中心だったのですね。お布施を多めに出し、「お坊様の目を盗んで、ちょっと記念に」という感じだったのでしょうか。

0747Aワット午後第2回廊落書き1025 (3)
0747Aワット午後第2回廊落書き1025 (2)
0747Aワット午後第2回廊落書き1025 (1)
( 十字回廊の柱周りにいっぱい書かれた昔の落書き )

落書きで一番多いのが漢字。中国人が落書き好きとは思いたくありませんが、何世紀も前から、それなりに行き来が多かったことの証でもあるようです。

日本人の落書きの主は、17世紀前半の朱印船貿易の時代の訪問者で、森本右近太夫一房(もりもと・うこんだゆう・かずふさ)という武士のもので、1632年1月のものだそうです。他にも、日本人のもの思われる落書きが10カ所以上あるようですが、詳しいことは、Wilipediaや詳細ガイドを当たった方がよいでしょう。

当時の日本人は、アンコールワットのヒンドゥー的な建造美や、権力から打ち捨てられた状況を見て、どう感じたのでしょう。クメール王朝が滅亡して200年しか経っていない時期であったので、アンコールワットも、まだ、凛として聳えていたのかも知れません。仏教寺院に改宗され、人気の少ない堂内を歩き、コウモリの群れに声高に叫ばれながら、往時の栄耀栄華をしのんだのでしょうか。

2019年12月記                          了


長すぎのアンコールワットの第1回廊

長すぎのアンコールワットの第1回廊   2019年10月訪問

皆んなにくっつくようにしてアンコールワットの第1回廊に入りました。

第1回廊は、長々と続く壁面いっぱいに途切れることなく彫ってあるレリーフがとても有名です。
0731Aワット全景午後の影快晴 (4)
( 第1回廊に登る正面階段 )

正面の階段を上がると、玄関口のようなところで道が正面、左右の3つに分かれます。

時間がない人は真っすぐに進んで本堂の中央部を目指します。普通の人は左右いずれかに曲がります。右折して反時計回りに進んだ方が有名ポイントに早く着きます。
1135Aワット第1回廊アップダウン1022
( 第1回廊は昇降個所がいっぱい )

階段数段分の敷居を次々と越えて、第1回廊を一周しました。この高い敷居は何カ所もあるので、足腰の弱い方は、ゆっくり歩きましょう。

人間の胸の高さくらいのレリーフは、昔、手でさわれたようですが、今は、おさわり禁止です。
デヴァターと呼ばれる女神の像や王様の像を中心に黒光りしています。手垢(てあか)と、もともとの石材の色が混じっているようです。黒光りしている方が、陰陽がはっきり出て見やすいです。ですから、ちょっとは、さわった方がいいのかも知れません。

レリーフの蘊蓄(うんちく)は、たくさんの方が書いていますので省略。私もガイドブックをときどき見て、有名ポイントをはずさないように周りました。

ヒンドゥー教の古典「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」などを知っていると、感動が人一倍大きくなると思います。
1138Aワット第1回廊レリーフマハーバーラタ1022 (1)
1138Aワット第1回廊レリーフ2世の行軍1022 (2)
( 戦闘の場面のレリーフ。とても有名 )

「よくぞ、ここまで彫ったもんだ」
と、あまりのレリーフの多さに感動するやら、疲れるやらでの観光です。屋根の下とはいえ、気温も30℃以上あって蒸し暑いので、ときどき水を飲みながら進みました。

上半身裸のデヴァターのレリーフも、随所にありました。現世と直結したようなヒンドゥー教の世界観は、見方によっては、とても親しみが湧きます。ただし、物語が長くて複雑なのには閉口します。「ああ、インド文化」です。

「一神教のような、単純な勧善懲悪ではないのだから仕方ないですよ・・・・・・」、というデヴァターのささやきが聞こえてきました。

アンコールワット遺跡観光は、湿気と暑さとの闘いです。
1137Aワット第一回廊レリーフ乳海攪拌
( 乳海攪拌の前後のレリーフもモノトーン )

このあたりのレリーフはモノトーン。天井も単純な三角形で、第1回廊周りでは一番シンプルな空間です。

ヒンドゥー教の教義による、世界の始まりを彫った「乳海攪拌」(にゅうかい・かくはん)という有名なレリーフの近くです。だんだん疲れてくることと、時間の押した観光客が多いせいか、正面裏側あたりまで足を伸ばしてくると、めっきり人通りが減ります。

煩悩に身を焦がしていたら、本物のデヴァター候補に出逢いました。履物を脱ぎ、お坊様に案内されて拝観しているお姿の、何と神々しく美しいことでしょうか。
1135Aワット第1回廊レリーフで僧と美女1022
( 現代のデヴァター候補とお坊様 )

現世の誘惑たっぷりの情景ですが、お坊様は修行の成果でしょうか、まったく動揺している様子がありません。

こちらは、天井のレリーフを見たりして気を紛らわします。

お菓子の落雁(らくがん)がいっぱい並べてあるかのような光景です。天井までレリーフがある遺跡はアンコールワットなど極少数です。いかに特別で豪華で精巧に造られたお寺であるか、ということを、改めて感じました。

「いやあ、やっぱり来て良かった」
「順番の初めにアンコールワットにやってきて、気力あふれているうちに見るもんだあ」

1137Aワット第1回廊レリーフ天井1022
( 第1回廊の天井の美しいレリーフ )

第1回廊は、とても長いです。外側は開けていますが、意外と風通しはよくありません。そのため、汗はひかず、足は疲れてきます。けれども、この辺りは、まだ道半ばどころか、3分の1くらいです。

少し休んでから先に進みましょう。個人客なのですから、あせらずに観光しました。

1135Aワット第1回廊列柱1022
( 第1回廊の東側の静寂と周囲の森 )
1135Aワット第1回廊外で記念写真1022午後
( 第1回廊内側の中庭と記念撮影中の人たち )

遠くから見るときれいに見えるアンコールワットも、中へ入って見ると、あちこちで崩落しています。屋根が落ちていたり、建物が崩壊して石の山になっている場所もありました。観光の目玉になっている場所は、それなりに修復されています。いかに、ここが巨大で複雑な造りであるかが分かりました。

それに、撮影ポイントもいっぱいあります。いわゆるインスタ映えする遺跡です。主塔のみならず、あちらこちらで記念撮影をしている人々に逢いました。私も、他の方にお願いして、あちらこちらで写真を撮ってもらいました。

今、見ても、アンコールワット感がたちどころに出ている写真が多いです。
「いやあ、すごいもんだ、ここは・・・・・。」

2019年12月記                           了

カテゴリー
  • ライブドアブログ