やまぶきシニアトラベラー

気まぐれシニア・トラベラーの旅。あの日から、いつか来る日まで、かつ、めぐりて、かつ、とどまる旅をします。

セーヌ川

パリのエッフェル塔をじっくり 2 セーヌ川面から望む

パリのエッフェル塔をじっくり 2 セーヌ川面から望む    2022年9月記


エッフェル塔をセーヌ川遊覧船から遠くに近くに見るのも定番のパリ観光のひとつです。

まず、直下から見上げましょう。実物は、写真なんかよりずっと迫力があります。まさに、鉄骨を組み上げた建造物という雰囲気がびんびんと伝わってきます。

エッフェル塔なくしてパリはなし200508
(イエナ橋直下より見上げるエッフェル塔)


セーヌ川船Bパリジャン船501 (1)
(バトー・パリジャン乗り場より見上げるエッフェル塔)

東京タワーが、エッフェル塔を真似したことが実感できますね。日本も、あの頃は「XXに追いつき、追い越せ」と懸命でした。

次は、少し離れた場所からのエッフェル塔です。家並みが低く、しかも高さが揃っているパリ市街に仁王立ちのごとく聳えているのが分かります。

エッフェル塔をグルネル橋付近より見る1988年8月
(グルネル橋付近より眺めたエッフェル塔)


エッフェル塔の下から観光船に乗った方は、船が上流に進むにつれてエッフェル塔が視界から小さくなっていくのを体験します。

P52アレ3世橋飾りおE塔201905
(派手な装飾のアレクサンドル2世橋付近から見るエッフェル塔)

セーヌ川はゆるやかにカーブしています。橋を3-4回くぐると、エッフェル塔も、建物にさえぎられるように見えてくるので、なんだかずっと彼方にあるように感じます。本当は、見た目ほど遠くないのですけれどね。

そして、オルセー美術館やルーブル美術館下あたりに来ると、エッフェル塔はポツンと見える程度になりました。霧やもやの濃い日ですと肉眼では見えません。夜も、彼方に光がぼおっと見える程度です。

セーヌ川船夕暮れ0501
(ルーブル美術館直下の川面からエッフェル塔遠望(左に薄く見える))

そんなこんなで、皆さんもエッフェル塔百景でも考えようかな、という気になってくれるといいなあ。皆さんの写真やスケッチのコレクションが、北斎の富嶽36景の浮世絵みたいになるといいですね。






パリのセーヌ川クルーズ1 バトームーシュ

パリのセーヌ川クルーズ1 バトームーシュ   2021年5月記

パリ観光客として、セーヌ川の橋をめぐったとあれば、絶対に省略できないのがセーヌ川観光船体験です。
かっこ良く言うと「セーヌ川クルーズ」。フランス語では「クロワジエー・ドゥラ・セーヌ」です。

そして、クルージングの始祖と言えば、バト・ムーシュ社(Bateaux Mouches)。蠅型船舶株式会社と言った意味でしょう。(発音のカナ表記はいろいろあり)
「うーん、そこまで訳されると乗船する気になれないなあ」
「まあ、そうは言わずに乗船場に足を運んでください」

セーヌ観光船Bムーシュ198608
セーヌ川船Bムーシュ0501 (1)
( セーヌ川右岸のバト・ムーシュ乗り場。上1988年、下2019年)

バト・ムーシュ社乗船場は、セーヌ右岸のグランパレの少し下流にあります。エッフェル塔から川岸に出ると、対岸の右斜め前あたりになります。ついつい、眼前の船着き場に足が向きますが、他社船乗り場です。

セーヌ観光船Bムーシュ乗り場198809
( アルマ橋付近から見たバトー・ムーシュ乗船場 )

「どうして、そう『バトー・ムーシュ社』にこだわるのですか?」
「一応、セーヌ川観光船の草分けですからね。今でも、十分に良質なサービスを維持しています。小説や、自称『パリ通』が真っ先に挙げるクルーズ船名も『バトー・ムーシュ』。多分、発音の響きが、いかにも、俺は知っているんだぜのような感じに聞こえるからです」

パリ観光は、見栄の張り合いですから、これでいいのです。

具体的なサービスや料金は、会社のサイトを見てください。上がパリ本社ベースの案内、下が日本国内の子会社の宣伝サイト (2021年5月現在、コロナ禍で運休または変則営業中です)

https://www.bateaux-mouches.fr/

http://bateaux-mouches-japon.com/about.html

遊覧内容は、はっきり言って競合他社と50歩100歩です。だからこそ、細かい違いを挙げて「俺はツウだぜ」論が幅を利かせるのです。

私もバト・ムーシュの一般遊覧コースは1988年に体験していますし、他社船に乗ったこともあります。普通に船上から風景を見たいのならば、どこの会社を選ぶかではなくて、どこの席に座るか、が勝負の分かれ目です。

P12Nダム橋とコンシ前シャンジュ橋198809
( コンシエルジュリ付近を航行するバトー・ムーシュの一般遊覧船。1988年)

このような場面こそ、セーヌ川観光の典型的なイメージですね。







パリの橋 5 セーヌを渡ってオステルリッツ駅

パリの橋 5 セーヌを渡ってオステルリッツ駅    2021年3月記

地下鉄と大河は相性が悪いようです。

20世紀スタイルの地下鉄は、大きな川を橋で跨ぐケースが多いです。
パリのメトロ5号線のオステルリッツ駅(アウステルリッツ)も地上2階にあります。東に向かう電車に乗ると、駅を出て3秒後にはセーヌ川の上にいます。

P13パリのアウステルリッツ橋198809
( メトロ5号線セーヌ川橋梁から眺めた上流方向 )

オステルリッツ駅の対岸地区は、1980年代には現代的なビル街になっていました。1990年代になると、ビル街の川沿いの再開発が進み、ベルシー地区に新たなショッピングモールができました。パリ市内にモダンなショッピングモールなんてありませんから、できてほやほやの頃の週末は大賑わいでした。

P15アウ駅高架5号線198009
( 高架線でオステルリッツ駅に入るメトロ5号線 )

メトロ5号線は、なんと、セーヌ川を渡った次の駅はリヨン駅ではありません。線路が急カーブ、急こう配で地下に潜るため、リヨン駅をかすめるように走るのです。アウステルリッツ駅とリヨン駅の間で長距離列車を乗り継ごうとする旅行者は、重い荷物を引きづってセーヌ川を渡るか短距離タクシー移動です。そんな旅行者が多いはずはないのですが、「パリのメトロと国鉄の連携って悪いな」と感じた記憶が残っています。

P14アウ橋メトロ5号線1等車があった198009
( セーヌ川を鉄橋で跨ぐメトロ5号線。1988年ごろ )

昔のメトロには1等車が連結されていました。編成中央の黄色っぽい色の車両です。座席や内部は2等車とほぼ同じですが、運賃が高い分だけ空いていました。車掌さんの1等キップチェックがあるわけではないので、1990年代半ばには廃止されました。

これを、ヨーロッパの階級社会のゆっくりとした崩壊過程のひとつと見るのか、単に時勢の変化によるサービスの変遷なのかは識者により言い分が違うような気がします。

何事に対しても不感症にならず、そういう議論をする姿勢がとっても大事なんだ、と私は思います。




パリの橋 1 橋の下と眺め

パリの橋 1   橋の下と眺め      2021年3月記

古いシャンソンに「パリの橋の下で:Sous les ponts de Paris」という曲があります。

昼間はセーヌ川沿いに開けたパリの華やかな街並みを橋をくぐり抜けながら見ても、夜になると橋の下は格安のホテルになります、という意味の曲です。

たまに聞くと、なかなか味わいのある歌詞です。セーヌ川にいっぱい架かる橋のさまざまな姿を、少し悲しげに歌っているかのようです。

P11橋トゥルネル橋スリー橋198809
( 今はなきノートルダムの尖塔越しにセーヌ川と橋を見る )

今ではセーヌ川に、パリ市内だけで30以上の橋がかかっています。運河にかかっている橋や高架橋もあります。パリのセーヌ川の橋は、どれひとつとして同じデザインの橋がないそうです。東京も、この発想を採り入れ、隅田川の橋のデザインはひとつずつ工夫を凝らすことにしたようです。

パリは「水辺の都市」ではないので、観光客で数日滞在しても、セーヌの橋なんか1回か2回しか渡らないでしょう。ましてや、都心部の橋をじっくり味わいながら歩いて渡ったり、セーヌ川クルーズ船から見上げるなんてことは、そうそう体験していないと思います。

P11朝のサンマルタン運河橋199007 明
( パリ風のサンマルタン運河の「門」型歩道橋 )

そういうパリB級、C級の記憶としてセーヌ川の橋を有名なシャンソンを頭に響かせながら渡ったり、くぐったりしました。



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