私の美味しいバスク 2017年9月
1) ずうっと美味しいバスク料理
ビルバオやバスクの食べ物は、昔も今もとても美味しいです。
スペイン国内でも、ピンチョスバルや、三ツ星レストランが脚光を浴びる前から、バスク料理は美味しいと言われてきました。
1986年刊行の「Descubre Espana Paso a Paso, Pais Vasco Ⅱ」** では、「ビスカヤ一帯の料理は、スペインでは最高です」と、いう書き出しで、郷土料理の紹介を始めています。ただし、ピンチョスのことなど、これっぽっちも触れていません。まだ、そういう時代ではなかったのです。
私も、1986年に、友人宅でバスク風のご飯を食べたときから、バスク料理は、日本人にも馴染む味だと思いました。数年後に、同じ体験をした妻も「あそこのお母さんが作ったご飯は、とても美味しかった」と、しみじみ言っています。
この本によると、特筆するべき料理は、「豊富なタラ料理、新鮮なイワシ類などなど」です。
( 豊富なタラ料理、で始まる1986年頃のバスク郷土料理紹介)
バスク一帯でも、スペイン流バル文化は日常生活の一コマです。バスク観光案内で、わざわざ書くようなテーマではありません。強いて言えば、という感じで、ナプキンが床に散らかっていることや、インテリアが重厚な木組みであることを強調した、「ビスカヤ風の飲み屋」の写真が1枚載っています。
これは、例えば、「関東の居酒屋では、立ち飲み席があるのが一般的」と、ご当地風を、ちょっぴり誇張気味に紹介しているレベルと変わりません。
2) バスク大出世
1997年9月にトラベルジャーナル社より出版された「ヨーロッパ・カルチャーガイド、スペイン」***でも、バスクの話題は2つだけです。1992年8月のバルセロナ・オリンピックによるスペイン・ブームの余韻が残っている頃です。
一つ目は、ETA情勢で、4ページを使って紹介しています。
二つ目が、「スペイン各地方の名物料理を総ざらい」、という料理研究家のコラムです。1ページを割いて、バスク料理数点を紹介しています。コラムの初めの方に、総論として、「スペイン国内では、バスク料理はおいしいことで評判」 という旨が書いてあります。
2017年の価値基準で評価すると、そもそも、バスクの話題で、バルや三ツ星レストランのことより、ETAの方がニュース性があるなんて、信じられません。
今日では当たり前のような、「世界でいちばん美味しい都市、サン・セバスチャン!」のような言い方と比べると、かなり自信がなさそうな文章です。
「本当は、パエリアが美味しいと思うんだけど、スペイン人たちは、”いや、バスク料理の方が美味しい”って、言っています」、みたいな気持ちが、出ています。
「あんた、実際、バスクに行って食べたことないでしょ」
「あっー、まあ、1回くらいあるかな。マドリードにもバスク料理店あるし・・・・」
2017年4月に出た「CREA Due Traveler」****という旅行雑誌では、バスク料理は大出世。食を中心としたバスク紹介記事に、全162ページのうち48ページを割いています。日本人にとっては、マドリード、バルセロナ、アンダルシアと並ぶ4大スペイン観光地です、とPRしている注目ぶりです。
(文藝春秋 CREA Due Traveler、2017年4月臨時増刊号 )
( 同、CREA Due Travelerの目次)
三ツ星レストランやピンチョスバルの紹介は言わずもがなです。食を切り口に据えて、海沿いの奇勝、内陸の山村などの全部が全部、世界最高水準、目からうろこのハイ・クォリティとべたほめです。「バスクに足を運ばないなんて、スペインに行ったことにならないよ」、と言いたげです。
ほんの10年前くらいまで、一般的な旅行ガイドにおけるバスク案内のページ数はゼロでした。
21世紀の声を聞く前から、バスク近辺に移り住んだ日本人の方も感慨もひとしおだと思います。
「世界中に散らばる日本人観光客でも、見落とした場所があったんだあ」
「うん、うん」
「苦しいときもあったけれど、やっと、バスクの良さが分かってきたんだね」
「うん、うん」
と、私も涙ぐむだけです。
バスク料理の大躍進物語や、お店情報などについては、多くの方が解説されています。そのとおりです。
私は大金持ちでないし、グルメツアー客でもありませんので、バスクで星のついたレストランは未体験です。けれども、普通に入っているレストランやバルも、十中八九、十分に美味しいです。ほとんど、はずれ、がありません。これは、バスクならではの食体験だと思います。
( 夕暮れのドノスティア。ピンチョスバルのひしめく通り )
また、バスク料理とピンチョス人気が急上昇中と言っても、観光ガイドで絶賛されるお店は、全体の一部です。観光地としての知名度が低い場所に行っても、美味しいレストランや、心地よいバルとの出会いがあると思います。
3) きびしい食文化づくり
バスク料理ブームや観光ブームの影響を受けて、食や絶景感を柱に据えて町おこしを狙っている地域は少なくないようですが、心して聞いてほしいことがあります。
自分たち自身で、「ご当地は、景色はきれい、食べ物は美味しく、人情は厚い。どうして人が来ないんだろう」と、思っているようでは、絶対に評判の観光地にはなれません。それが日本一だと、辛口批評家も認めるレベルまで、地域全体の生活文化を高める努力が必要です。そもそも、バスク州は、マドリード、ナバーラ、カタルーニャと並び、スペインで一番、個人所得が高い地域になっています。
バスクの日常生活は、日本人の想像以上に豊かです。手始めに、バスクの人々と同じように全員が1カ月の休暇を順番に取って、バスク体験旅行に行ってみてはいかがでしょう。バスク方式の町おこしが、とてつもなく挑戦的であることを実感できます。
湘南とか金沢みたいに、国内でもともと定評のあった地域や都市が、食文化や都市景観などに、さらに磨きをかけ、世界のショーナン、世界のカナザワになった感じなのです。
4) 私だけの三つ星
私だけの三つ星バスク料理は、有名レストランの味ではありません。友人、知人と囲む和やかな家庭料理の味です。あるいは、旅先で知り合った人たちと食べたレストランの味や、ピンチョスバルの一品です。
月並みですが、異文化体験の中で味わう、家庭の味や日常生活の食事は、それだけで星二つ分くらいの価値があります。その料理が美味しかった場合には、即座に星一つ加算です。
( カフェの夜のイメージ。袖すり合うも他生の縁 )
「深夜特急6」で、著者の沢木耕太郎さんは、ギリシャ人家庭での食体験を事細かに語っています。偶然、地元の見ず知らずの市民の家に招かれ、、一宿一飯の恩義にあずかった話です。言葉もロクに通じない中で、片言の英単語や、身振り手振りで会話しながらの食事場面が、ものすごく印象に残ったようです。ギリシャに対する好印象の決め手と言ってよいかも知れません。だれでも、こういうチャンスはあると思います。
もしかしたら、逆に、私や皆さんの誰かが、もののはずみで「うちで、ご飯食べてくか?」と、誘うことになるかも知れません。天が、ご縁を授けてくれたのです。
5) 私のピンチョスバル体験
いま、バスクの人気ピンチョスバルには、一人で来ている旅行者も少なからずいます。二人連れくらいでも、スペインは初めて、バスクも初めて程度だと、緊張がほぐれません。そういう人と、ちょっと目を合わせて、にっこりするだけでも、30分だけのピンチョスバル友達ができます。
こうしてできたカップルや小グループでピンチョスをほおばるのは、とても思い出に残るひとときです。意気投合して、2、3軒バルをはしごすれば、一生の思い出になるでしょう。
今回は、ドノスティアで、なぜかオーストラリア人と2回もバル友達になりました。顔つきは欧米系ですが、スペイン流、バスク流にはまごつくらしく、激混みバルでついつい目が合った私と、にわかグループを作って飲物と料理を注文しました。
( 宵の口の人気ピンチョスバル”ガンダリアス”。ドノスティアにて )
しかし、人気ピンチョスバル「ガンダリアス」には、一人で入りました。金曜日の日没後は、「超」の字が三つくらいつくほどの大混雑です。カウンターに行きつくために10分以上、身をよじらせて人混みの中を分け入りましたが、根気が尽きてあえなく敗退です。
いったん、人が少ないバルに行き、英気を養います。こういうところでは、私も何ら問題なく、好きなものを好きなだけ注文できます。
( 空いているピンチョスバル )
人気のピンチョスバルでも、午前中や明るいうちは、あまり混んでいません。
( 正午過ぎのバル、Bergara の店内 )
ドノスティアのピンチョスバル発祥店という呼び声が高い人気店のひとつ、ベルガーラ:Bergara というバルは、正午ごろでも、実にのんびりした雰囲気です。いわゆる、10時のおやつ気分で寄ったときの体験です。
店員さんも、「これもどう」とか、余裕の笑顔でお薦めトーク。隣のテーブルに座っていた中年ドイツ人おばさんも、目が合ったとき、「おいしいね」という感じで、にこにこと私に手を振って出ていきました。
私も、この時点では、「混んでいても、何とかなるさ」と、人気店の、のんびりムードを見て思っていました。
それが、とても甘い考えであったことは、先に書いたとおりです。
(混雑する人気店のピンチョスバル。ドノスティア旧市街 )
そのため、英気を養ったあとの人気ピンチョスバル訪問では、カウンター内の店員さんに、注文が通るまで根気よく手を変え品を変えアピールです。ここで、隣りに押し出されてきたオーストラリア人の女の子二人組といっしょになって店員さんに声をかけます。三人組は、やはり強力でした。いったんリズムに乗ると、状況も好転します。注文した料理を間違えて運んできたので作り直してもらったりと、どこに書いても恥ずかしくないピンチョスバル体験となりました。
ドノスティアのピンチョス街をふらついていると、たまにピンチョスバル・ツアーの一行に出会います。欧米系中心の10人くらいのグループを、若いガイドさんが引率しているイメージです。
( 個人参加のピンチョスバル・ツアーの様子 )
みんな、飲物と一品料理をほおばりながら、ガイドさんの説明を一生懸命聞いています。でも、人気店では、お店の中へは入りません。ガイドさんに買ってきてもらったものを、飲み終わり、食べ終わると移動です。
実は、私も土地勘のないドノスティアで、こういう個人客ベースのピンチョスバル・ツアーに参加しようかなと思っていました。けれども、ケチな性格が災いして、実際のお会計の倍くらいかかるツアーは断念したのです。「有名店、名物料理のひとつか、ふたつだけでも食べられればいいや」、程度の執着心しかなかったこともあります。
結果として、「ピンチョスバルめぐりは、ツアーに入ってまで行くものでしょうか?」、という気持ちになりました。
食通旅行者の方々の目標が、星付きレストラン体験や、有名バルの名物ピンチョス食べ歩きであることは、よく知っています。バスクに来るまで旅費もかかります。その一方、レストランはともかく、バルはカジュアルな社交の場、息抜きの場です。目標完遂、予算必達のような、会社経営方針や、人事制度の個人目標達成を意識した気分で行くものではないと、私は思っています。
バルは、「ちょっと喉が渇いたから寄る」、「店の雰囲気が好き」、「店のお姉さん、おやじ、の感じがよい」、「知り合いが来てるかも」、という流れで入るもの。肩に力が入っていては、くつろげません。ピンチョスバルは、美食でとても有名ですが、それと並行して、居心地よい雰囲気にひたり、一人でも四人でも楽しいひとときを過ごすことを期待して寄る場所のような気がします。リストを持って、「入った、食べた」、とチェックマークを付けて歩き回るようなバルめぐりでは、会社生活の延長です。旅は楽しくなりません。
「お前は甘い!そんなことしていると、美味しいピンチョスにありつけませんよ!」と、同胞の皆さんから叱られそうです。
6) さらば自家製チャコリ
2017年のいまでも、バスク料理文化は、日々、進化しています。
その中で、消えゆくバスクの美味しい味、なつかしい味もあります。自家製チャコリも、絶滅危惧種となりました。
チャコリ:txakoli 、または txakolina、は、ご当地産の微発泡ワインです。発音のアクセントは「リ」にあり、チャコ「リ」と発音します。
かすかな黄色か黄緑色をしています。どうして微発泡になるかは、専門家の説明を聞くしかありません。
私が初めてビルバオ周辺に行ったとき、チャコリは、ほぼ自家製でした。友人のお父さんが、倉庫からもぞもぞ出してきて、にやりとして、「チャコリ! バスク・シャンパーニュ」と言って、ついでくれたことが鮮明に記憶に残っています。薄味で、お酒に弱い私がコップ3杯くらい飲んでも、ほんのり赤くなるくらいです。ビンも、ワインの空きビン利用でした。
近所の親戚筋に立寄ると、「うちのチャコリだ」と言って、一杯ついでくれます。味が多少違いました。家ごとに味が微妙に違うのは、日本の昔のウメボシ感覚と同じです。
自家製チャコリは、薄いワインでしたが、今、振り返るとコクがありました。素朴な味で、どんより感がしていました。自家製でビン詰めすると密封性が悪いためか、保存が効かなかったようです。「チャコリ持ってけ」とは、ついぞ言われません。
その後、家の中でも、昼のピクニックランチでも、チャコリが必ず出ました。我が妻も、飲んでいます。「あの、家で作ったワインみたいな飲物でしょ」と、覚えています。
( 田園のピクニックランチで並んだ自家製チャコリ。青い服の人の前のビン )
「お父さんの自家製チャコリないの?」
「年を取ったし、とっくの昔に、作るのやめた」
「コクがあったのに」
「ありがと、でも今はなくなったの。お店で買えるし」
という感じです。
確かに、当時は、チャコリはお店に置いてありませんでした。だから、よそ者の旅行者はチャコリの「チ」の字も知りません。チャコリは、ワイン代節約のために、自家製で作るものでした。
21世紀のチャコリ人気を見るにつけ、バスクブームなんだあ、と感無量です。そして、専門家が醸造した有名チャコリをお土産にして帰国しました。
( ビスカヤ県の代表的チャコリ、イツァスメンディ(イチャスメンディ)。14度表示 )
ラベルを見ると、アルコール度数14度です。全然、軽めの地元ワインではないですね。
それから、ビルバオやビスカヤ一帯では、チャコリを高いところから注いでいるのを見たこともありません。
「ああ、あれはギプスコア流だ」の一言で終わり。
何でそんなこと聞くんだ、みたいな顔つきで説明されました。
「・・・・・・・・・」
** Descubre Espana Paso a Paso, Pais Vasco Ⅱ:S.A. de Promocion y Ediciones Club Internacional de Libro 社刊1986年
*** ヨーロッパ・カルチャーガイド、スペイン:1997年9月トラベルジャーナル社刊
****CREA Due Traveler:2017年4月文藝春秋社刊
了
1) ずうっと美味しいバスク料理
ビルバオやバスクの食べ物は、昔も今もとても美味しいです。
スペイン国内でも、ピンチョスバルや、三ツ星レストランが脚光を浴びる前から、バスク料理は美味しいと言われてきました。
1986年刊行の「Descubre Espana Paso a Paso, Pais Vasco Ⅱ」** では、「ビスカヤ一帯の料理は、スペインでは最高です」と、いう書き出しで、郷土料理の紹介を始めています。ただし、ピンチョスのことなど、これっぽっちも触れていません。まだ、そういう時代ではなかったのです。
私も、1986年に、友人宅でバスク風のご飯を食べたときから、バスク料理は、日本人にも馴染む味だと思いました。数年後に、同じ体験をした妻も「あそこのお母さんが作ったご飯は、とても美味しかった」と、しみじみ言っています。
この本によると、特筆するべき料理は、「豊富なタラ料理、新鮮なイワシ類などなど」です。
( 豊富なタラ料理、で始まる1986年頃のバスク郷土料理紹介)
バスク一帯でも、スペイン流バル文化は日常生活の一コマです。バスク観光案内で、わざわざ書くようなテーマではありません。強いて言えば、という感じで、ナプキンが床に散らかっていることや、インテリアが重厚な木組みであることを強調した、「ビスカヤ風の飲み屋」の写真が1枚載っています。
これは、例えば、「関東の居酒屋では、立ち飲み席があるのが一般的」と、ご当地風を、ちょっぴり誇張気味に紹介しているレベルと変わりません。
2) バスク大出世
1997年9月にトラベルジャーナル社より出版された「ヨーロッパ・カルチャーガイド、スペイン」***でも、バスクの話題は2つだけです。1992年8月のバルセロナ・オリンピックによるスペイン・ブームの余韻が残っている頃です。
一つ目は、ETA情勢で、4ページを使って紹介しています。
二つ目が、「スペイン各地方の名物料理を総ざらい」、という料理研究家のコラムです。1ページを割いて、バスク料理数点を紹介しています。コラムの初めの方に、総論として、「スペイン国内では、バスク料理はおいしいことで評判」 という旨が書いてあります。
2017年の価値基準で評価すると、そもそも、バスクの話題で、バルや三ツ星レストランのことより、ETAの方がニュース性があるなんて、信じられません。
今日では当たり前のような、「世界でいちばん美味しい都市、サン・セバスチャン!」のような言い方と比べると、かなり自信がなさそうな文章です。
「本当は、パエリアが美味しいと思うんだけど、スペイン人たちは、”いや、バスク料理の方が美味しい”って、言っています」、みたいな気持ちが、出ています。
「あんた、実際、バスクに行って食べたことないでしょ」
「あっー、まあ、1回くらいあるかな。マドリードにもバスク料理店あるし・・・・」
2017年4月に出た「CREA Due Traveler」****という旅行雑誌では、バスク料理は大出世。食を中心としたバスク紹介記事に、全162ページのうち48ページを割いています。日本人にとっては、マドリード、バルセロナ、アンダルシアと並ぶ4大スペイン観光地です、とPRしている注目ぶりです。
(文藝春秋 CREA Due Traveler、2017年4月臨時増刊号 )
( 同、CREA Due Travelerの目次)
三ツ星レストランやピンチョスバルの紹介は言わずもがなです。食を切り口に据えて、海沿いの奇勝、内陸の山村などの全部が全部、世界最高水準、目からうろこのハイ・クォリティとべたほめです。「バスクに足を運ばないなんて、スペインに行ったことにならないよ」、と言いたげです。
ほんの10年前くらいまで、一般的な旅行ガイドにおけるバスク案内のページ数はゼロでした。
21世紀の声を聞く前から、バスク近辺に移り住んだ日本人の方も感慨もひとしおだと思います。
「世界中に散らばる日本人観光客でも、見落とした場所があったんだあ」
「うん、うん」
「苦しいときもあったけれど、やっと、バスクの良さが分かってきたんだね」
「うん、うん」
と、私も涙ぐむだけです。
バスク料理の大躍進物語や、お店情報などについては、多くの方が解説されています。そのとおりです。
私は大金持ちでないし、グルメツアー客でもありませんので、バスクで星のついたレストランは未体験です。けれども、普通に入っているレストランやバルも、十中八九、十分に美味しいです。ほとんど、はずれ、がありません。これは、バスクならではの食体験だと思います。
( 夕暮れのドノスティア。ピンチョスバルのひしめく通り )
また、バスク料理とピンチョス人気が急上昇中と言っても、観光ガイドで絶賛されるお店は、全体の一部です。観光地としての知名度が低い場所に行っても、美味しいレストランや、心地よいバルとの出会いがあると思います。
3) きびしい食文化づくり
バスク料理ブームや観光ブームの影響を受けて、食や絶景感を柱に据えて町おこしを狙っている地域は少なくないようですが、心して聞いてほしいことがあります。
自分たち自身で、「ご当地は、景色はきれい、食べ物は美味しく、人情は厚い。どうして人が来ないんだろう」と、思っているようでは、絶対に評判の観光地にはなれません。それが日本一だと、辛口批評家も認めるレベルまで、地域全体の生活文化を高める努力が必要です。そもそも、バスク州は、マドリード、ナバーラ、カタルーニャと並び、スペインで一番、個人所得が高い地域になっています。
バスクの日常生活は、日本人の想像以上に豊かです。手始めに、バスクの人々と同じように全員が1カ月の休暇を順番に取って、バスク体験旅行に行ってみてはいかがでしょう。バスク方式の町おこしが、とてつもなく挑戦的であることを実感できます。
湘南とか金沢みたいに、国内でもともと定評のあった地域や都市が、食文化や都市景観などに、さらに磨きをかけ、世界のショーナン、世界のカナザワになった感じなのです。
4) 私だけの三つ星
私だけの三つ星バスク料理は、有名レストランの味ではありません。友人、知人と囲む和やかな家庭料理の味です。あるいは、旅先で知り合った人たちと食べたレストランの味や、ピンチョスバルの一品です。
月並みですが、異文化体験の中で味わう、家庭の味や日常生活の食事は、それだけで星二つ分くらいの価値があります。その料理が美味しかった場合には、即座に星一つ加算です。
( カフェの夜のイメージ。袖すり合うも他生の縁 )
「深夜特急6」で、著者の沢木耕太郎さんは、ギリシャ人家庭での食体験を事細かに語っています。偶然、地元の見ず知らずの市民の家に招かれ、、一宿一飯の恩義にあずかった話です。言葉もロクに通じない中で、片言の英単語や、身振り手振りで会話しながらの食事場面が、ものすごく印象に残ったようです。ギリシャに対する好印象の決め手と言ってよいかも知れません。だれでも、こういうチャンスはあると思います。
もしかしたら、逆に、私や皆さんの誰かが、もののはずみで「うちで、ご飯食べてくか?」と、誘うことになるかも知れません。天が、ご縁を授けてくれたのです。
5) 私のピンチョスバル体験
いま、バスクの人気ピンチョスバルには、一人で来ている旅行者も少なからずいます。二人連れくらいでも、スペインは初めて、バスクも初めて程度だと、緊張がほぐれません。そういう人と、ちょっと目を合わせて、にっこりするだけでも、30分だけのピンチョスバル友達ができます。
こうしてできたカップルや小グループでピンチョスをほおばるのは、とても思い出に残るひとときです。意気投合して、2、3軒バルをはしごすれば、一生の思い出になるでしょう。
今回は、ドノスティアで、なぜかオーストラリア人と2回もバル友達になりました。顔つきは欧米系ですが、スペイン流、バスク流にはまごつくらしく、激混みバルでついつい目が合った私と、にわかグループを作って飲物と料理を注文しました。
( 宵の口の人気ピンチョスバル”ガンダリアス”。ドノスティアにて )
しかし、人気ピンチョスバル「ガンダリアス」には、一人で入りました。金曜日の日没後は、「超」の字が三つくらいつくほどの大混雑です。カウンターに行きつくために10分以上、身をよじらせて人混みの中を分け入りましたが、根気が尽きてあえなく敗退です。
いったん、人が少ないバルに行き、英気を養います。こういうところでは、私も何ら問題なく、好きなものを好きなだけ注文できます。
( 空いているピンチョスバル )
人気のピンチョスバルでも、午前中や明るいうちは、あまり混んでいません。
( 正午過ぎのバル、Bergara の店内 )
ドノスティアのピンチョスバル発祥店という呼び声が高い人気店のひとつ、ベルガーラ:Bergara というバルは、正午ごろでも、実にのんびりした雰囲気です。いわゆる、10時のおやつ気分で寄ったときの体験です。
店員さんも、「これもどう」とか、余裕の笑顔でお薦めトーク。隣のテーブルに座っていた中年ドイツ人おばさんも、目が合ったとき、「おいしいね」という感じで、にこにこと私に手を振って出ていきました。
私も、この時点では、「混んでいても、何とかなるさ」と、人気店の、のんびりムードを見て思っていました。
それが、とても甘い考えであったことは、先に書いたとおりです。
(混雑する人気店のピンチョスバル。ドノスティア旧市街 )
そのため、英気を養ったあとの人気ピンチョスバル訪問では、カウンター内の店員さんに、注文が通るまで根気よく手を変え品を変えアピールです。ここで、隣りに押し出されてきたオーストラリア人の女の子二人組といっしょになって店員さんに声をかけます。三人組は、やはり強力でした。いったんリズムに乗ると、状況も好転します。注文した料理を間違えて運んできたので作り直してもらったりと、どこに書いても恥ずかしくないピンチョスバル体験となりました。
ドノスティアのピンチョス街をふらついていると、たまにピンチョスバル・ツアーの一行に出会います。欧米系中心の10人くらいのグループを、若いガイドさんが引率しているイメージです。
( 個人参加のピンチョスバル・ツアーの様子 )
みんな、飲物と一品料理をほおばりながら、ガイドさんの説明を一生懸命聞いています。でも、人気店では、お店の中へは入りません。ガイドさんに買ってきてもらったものを、飲み終わり、食べ終わると移動です。
実は、私も土地勘のないドノスティアで、こういう個人客ベースのピンチョスバル・ツアーに参加しようかなと思っていました。けれども、ケチな性格が災いして、実際のお会計の倍くらいかかるツアーは断念したのです。「有名店、名物料理のひとつか、ふたつだけでも食べられればいいや」、程度の執着心しかなかったこともあります。
結果として、「ピンチョスバルめぐりは、ツアーに入ってまで行くものでしょうか?」、という気持ちになりました。
食通旅行者の方々の目標が、星付きレストラン体験や、有名バルの名物ピンチョス食べ歩きであることは、よく知っています。バスクに来るまで旅費もかかります。その一方、レストランはともかく、バルはカジュアルな社交の場、息抜きの場です。目標完遂、予算必達のような、会社経営方針や、人事制度の個人目標達成を意識した気分で行くものではないと、私は思っています。
バルは、「ちょっと喉が渇いたから寄る」、「店の雰囲気が好き」、「店のお姉さん、おやじ、の感じがよい」、「知り合いが来てるかも」、という流れで入るもの。肩に力が入っていては、くつろげません。ピンチョスバルは、美食でとても有名ですが、それと並行して、居心地よい雰囲気にひたり、一人でも四人でも楽しいひとときを過ごすことを期待して寄る場所のような気がします。リストを持って、「入った、食べた」、とチェックマークを付けて歩き回るようなバルめぐりでは、会社生活の延長です。旅は楽しくなりません。
「お前は甘い!そんなことしていると、美味しいピンチョスにありつけませんよ!」と、同胞の皆さんから叱られそうです。
6) さらば自家製チャコリ
2017年のいまでも、バスク料理文化は、日々、進化しています。
その中で、消えゆくバスクの美味しい味、なつかしい味もあります。自家製チャコリも、絶滅危惧種となりました。
チャコリ:txakoli 、または txakolina、は、ご当地産の微発泡ワインです。発音のアクセントは「リ」にあり、チャコ「リ」と発音します。
かすかな黄色か黄緑色をしています。どうして微発泡になるかは、専門家の説明を聞くしかありません。
私が初めてビルバオ周辺に行ったとき、チャコリは、ほぼ自家製でした。友人のお父さんが、倉庫からもぞもぞ出してきて、にやりとして、「チャコリ! バスク・シャンパーニュ」と言って、ついでくれたことが鮮明に記憶に残っています。薄味で、お酒に弱い私がコップ3杯くらい飲んでも、ほんのり赤くなるくらいです。ビンも、ワインの空きビン利用でした。
近所の親戚筋に立寄ると、「うちのチャコリだ」と言って、一杯ついでくれます。味が多少違いました。家ごとに味が微妙に違うのは、日本の昔のウメボシ感覚と同じです。
自家製チャコリは、薄いワインでしたが、今、振り返るとコクがありました。素朴な味で、どんより感がしていました。自家製でビン詰めすると密封性が悪いためか、保存が効かなかったようです。「チャコリ持ってけ」とは、ついぞ言われません。
その後、家の中でも、昼のピクニックランチでも、チャコリが必ず出ました。我が妻も、飲んでいます。「あの、家で作ったワインみたいな飲物でしょ」と、覚えています。
( 田園のピクニックランチで並んだ自家製チャコリ。青い服の人の前のビン )
「お父さんの自家製チャコリないの?」
「年を取ったし、とっくの昔に、作るのやめた」
「コクがあったのに」
「ありがと、でも今はなくなったの。お店で買えるし」
という感じです。
確かに、当時は、チャコリはお店に置いてありませんでした。だから、よそ者の旅行者はチャコリの「チ」の字も知りません。チャコリは、ワイン代節約のために、自家製で作るものでした。
21世紀のチャコリ人気を見るにつけ、バスクブームなんだあ、と感無量です。そして、専門家が醸造した有名チャコリをお土産にして帰国しました。
( ビスカヤ県の代表的チャコリ、イツァスメンディ(イチャスメンディ)。14度表示 )
ラベルを見ると、アルコール度数14度です。全然、軽めの地元ワインではないですね。
それから、ビルバオやビスカヤ一帯では、チャコリを高いところから注いでいるのを見たこともありません。
「ああ、あれはギプスコア流だ」の一言で終わり。
何でそんなこと聞くんだ、みたいな顔つきで説明されました。
「・・・・・・・・・」
** Descubre Espana Paso a Paso, Pais Vasco Ⅱ:S.A. de Promocion y Ediciones Club Internacional de Libro 社刊1986年
*** ヨーロッパ・カルチャーガイド、スペイン:1997年9月トラベルジャーナル社刊
****CREA Due Traveler:2017年4月文藝春秋社刊
了