まぶたの奥にバルマセダ Balmaseda
バルマセダは、私のバスクの原風景です。
バスクに初めて来たのに、何だか家に帰ってきたような気持ちになった場所でした。1986年9月のことでした。穏やかな山の稜線、適度な湿り気、優しいけれどもベタベタしない人々が、とても居心地の良い空間を創り出していたと思います。
世界中に、自分とそっくりさんは三人いると言われています。もしかしたら、自分の家にいる気なれる場所も三カ所あるのかも知れません。
バルマセダには、白砂青松の海も、深山幽谷もありません。
けれども、草の上にすわり、木々の茂る何の変哲もない山々を見ていると、永遠にまどろんでいたい気分です。
( バルマセダ市街を丘の上から見る )
畑では、生垣仕立てのブドウの葉っぱが、さわさわと微風に揺れていました。ふたりですわって、ゆっくりと流れる時間を過ごしたい場所でした。たまに通る列車の響きが、夢と現実をつなぐ合図のように聞こえました。
このブドウ畑も、家庭菜園のひとつです。10月になると、家族の手を借りて実を摘み取り、自家製チャコリを作ります。
( ブドウ畑にそよ風は吹く )
バルマセダは観光地ではありません。当時はバスクムードも、ほとんどありません。いわゆるカステヤーノ系の住民が多いバスク州ビスカヤ県西部の山あいの街です。中世のロマネスク様式の石橋と、中心部の役場や古風なビルくらいが目立つ程度です。あとは、自分と旅先のウマが合うかどうかでしょう。
( バルマセダ唯一の観光スポット、ロマネスク様式の石橋 )
( 静けさでいっぱいのロマネスク様式の橋を渡る )
私は、バスクという地域が、自分にとって、こんなに良く眠れる場所であったことを、心から悦び続けています。
( 町の中心の広場とビスカヤビルバオ銀行支店 )
( バルマセダの土曜市のにぎわい。現カルチャーセンター前 )
( 町の中心部にそびえるカトリック教会 )
( バルマセダ役場本庁舎 )
街の表通りを一歩入ると、発足間もないバスク警察署があったり、雑草が茂る川岸風景に出くわしました。通りは週末の市の立つ日以外は、いつも静かでした。ガラス張りのテラスの窓枠が特徴のバスク風ビルも、ちょっぴり田舎風です。
( バスク警察のバルマセダ事務所のはず )
( カダグア川の流れ。清流ではないけれど )
( 水草、ごみ、雑草の茂っていたバルマセダ町内のカダグア川 )
( 新しい住宅街。住み心地は旧市街より良い )
町内を貫流するカダグア川:Ri*a Cadagua の上流は、バルマセダ・ダムで、ビルバオの水道の水源のひとつです。ダム湖脇の公園をゆるゆると歩いていると、緑がむんむんします。日本にいるのと同じ気分です。ダムの奥に見える山々の向こうに4、5時間も行けば東京の我が家に帰り着くような錯覚になりました。
( バルマセダ・ダム )
( バルマセダ・ダム湖と青い山々 )
とうとう鉄道や飛行機を乗り継いで日本に戻る時がきました。
FEVEでは、まだディーゼルカーが走っていたころの物語です。
( ビルバオ行き気動車と貨物列車。バルマセダ駅 1986/9 )
( バルマセダを後にして。また来る日まで (イメージ画像です) )
バルマセダでもビルバオでも、ニッポン人はおろか、ガイジンを見かけることは稀でした。あまりに少なすぎて、ガイジンは誰の目にも留まりません。空気のように見えない存在だからこそ、誰にもじゃまされず、永遠の惰眠をむさぼれるのかもしれません。
また来る日まで。そして、歩み続けよバルマセダ。
2018年1月 完
バルマセダは、私のバスクの原風景です。
バスクに初めて来たのに、何だか家に帰ってきたような気持ちになった場所でした。1986年9月のことでした。穏やかな山の稜線、適度な湿り気、優しいけれどもベタベタしない人々が、とても居心地の良い空間を創り出していたと思います。
世界中に、自分とそっくりさんは三人いると言われています。もしかしたら、自分の家にいる気なれる場所も三カ所あるのかも知れません。
バルマセダには、白砂青松の海も、深山幽谷もありません。
けれども、草の上にすわり、木々の茂る何の変哲もない山々を見ていると、永遠にまどろんでいたい気分です。
( バルマセダ市街を丘の上から見る )
畑では、生垣仕立てのブドウの葉っぱが、さわさわと微風に揺れていました。ふたりですわって、ゆっくりと流れる時間を過ごしたい場所でした。たまに通る列車の響きが、夢と現実をつなぐ合図のように聞こえました。
このブドウ畑も、家庭菜園のひとつです。10月になると、家族の手を借りて実を摘み取り、自家製チャコリを作ります。
( ブドウ畑にそよ風は吹く )
バルマセダは観光地ではありません。当時はバスクムードも、ほとんどありません。いわゆるカステヤーノ系の住民が多いバスク州ビスカヤ県西部の山あいの街です。中世のロマネスク様式の石橋と、中心部の役場や古風なビルくらいが目立つ程度です。あとは、自分と旅先のウマが合うかどうかでしょう。
( バルマセダ唯一の観光スポット、ロマネスク様式の石橋 )
( 静けさでいっぱいのロマネスク様式の橋を渡る )
私は、バスクという地域が、自分にとって、こんなに良く眠れる場所であったことを、心から悦び続けています。
( 町の中心の広場とビスカヤビルバオ銀行支店 )
( バルマセダの土曜市のにぎわい。現カルチャーセンター前 )
( 町の中心部にそびえるカトリック教会 )
( バルマセダ役場本庁舎 )
街の表通りを一歩入ると、発足間もないバスク警察署があったり、雑草が茂る川岸風景に出くわしました。通りは週末の市の立つ日以外は、いつも静かでした。ガラス張りのテラスの窓枠が特徴のバスク風ビルも、ちょっぴり田舎風です。
( バスク警察のバルマセダ事務所のはず )
( カダグア川の流れ。清流ではないけれど )
( 水草、ごみ、雑草の茂っていたバルマセダ町内のカダグア川 )
( 新しい住宅街。住み心地は旧市街より良い )
町内を貫流するカダグア川:Ri*a Cadagua の上流は、バルマセダ・ダムで、ビルバオの水道の水源のひとつです。ダム湖脇の公園をゆるゆると歩いていると、緑がむんむんします。日本にいるのと同じ気分です。ダムの奥に見える山々の向こうに4、5時間も行けば東京の我が家に帰り着くような錯覚になりました。
( バルマセダ・ダム )
( バルマセダ・ダム湖と青い山々 )
とうとう鉄道や飛行機を乗り継いで日本に戻る時がきました。
FEVEでは、まだディーゼルカーが走っていたころの物語です。
( ビルバオ行き気動車と貨物列車。バルマセダ駅 1986/9 )
( バルマセダを後にして。また来る日まで (イメージ画像です) )
バルマセダでもビルバオでも、ニッポン人はおろか、ガイジンを見かけることは稀でした。あまりに少なすぎて、ガイジンは誰の目にも留まりません。空気のように見えない存在だからこそ、誰にもじゃまされず、永遠の惰眠をむさぼれるのかもしれません。
また来る日まで。そして、歩み続けよバルマセダ。
2018年1月 完