難読の国境HENDAYE 2017年9月
( Hendaye駅付近からスペイン方向を俯瞰 )
かなり理屈っぽい一文です。
日本人にとって、陸路の国境越えは、貴重な体験ですので、旅行記やブログにも、しばしば登場します。
バスク地方は、フランスとスペインにまたがって広がっています。EUのシェンゲン協定という条約加盟国間では、原則として国境の検問を行なっていません。ですから、私たちが県境を通過する感覚で、フランスとスペインは行き来できます。
フランス側の国境の町は Hendaye、スペイン側は Irun です。
「さあ、何て読むんでしょう」
「XXXXX、とイルン」
イルンは、99%以上の人が正解します。けれども、フランス側の地名が、なかなか発音できません。フランスでも難読地名のひとつです。
「アンダイ」と発音します。アクセントは、「ア」にあります。やや鼻にかかった、かっこつけたような「ア」の音です。「ア」ンダイと聞こえます。
近隣の人たちが口にしたり、SNCFの電車の案内放送を聞いていると「”ア”ンダイ」という音が分かるのですが、つづりだけ見ると、迷ってしまいます。字数に対して、発音も短いです。
アンダイエ、ヘンダイエ、エンダイエ、などなど。少しフランス語の知識があると、Hは発音しないということを思いだすので、アン・・・とかエン・・・・とか言い出すようです。
おまけに、スペイン語では、Hendaia=エンダイア、という呼称なので、余計に混乱します。
「どうして、こうなるの?」と、言葉の持つ複雑さに、ため息をつかざるを得ません。
この町は、1940年10月23日、ドイツのヒトラー総統とスペインのフランコ総統が会談した現代史上のポイントです。「アンダイ会談」と呼んでいます。ドイツはスペインに参戦を強く促しました。けれども、スペインは第二次世界大戦に参戦しませんでした。また、町内の教会に古いバスク十字架があります。
( アンダイからイルンを望む。上1987年、下2017年 )
※アンダイの対岸の右手方向がオンダビリア
フランスからスペインへ鉄道で行くと、この町か、バルセロナ側の国境を通過します。私も初めてここを通過したのは1984年です。TGVができる前でしたので、夜行特急「プエルタ・デル・ソル」という列車に乗り、深夜1時に国境に着きました。二つの国の鉄道は、線路の幅が異なるので、例外を除き、国境駅で車両を乗換えなければなりません。当時、フランス発の国際列車は、必ずスペイン側のイルンまで乗り入れていましたので、アンダイ下車はなし。寝ぼけまなこで、人の流れについて、列車を乗換えたので「アンダイ」の音さえ聞いていません。
1986年になって、初めてスペイン側からフランス側へ移動する際、今度はアンダイ始発の列車にのるために、ここにやってきて、初めて実地で「アンダイ」という音を聞きました。
「こう発音するんだ」と、つづりと耳に残った音を比較して、フランス語のトリックにひっかかたような気分。「どうりで、みんなが分からないわけだ」、とも思いました。
SNCFのアンダイ駅は30数年経ても、ほとんど同じです。両国とも通貨がユーロになったので、駅前に軒を連ねていた両替商は、ことごとく撤退。2017年現在は、のんびりとした田舎町の風情です。
EUの経済統合を肌で感じました。日本と近隣諸国の関係に、少し、気をもんでしまいました。
(SNCFアンダイ駅舎。上1987年、下2017年 )
( アンダイ駅を発車するSNCFの上り普通電車TERアキテーヌ。特急ひたち号と似ています )
アンダイとイルンの間には、ビダソア川:Bidassoa (スペイン語:Bidasoa) が流れています。鉄道と並行して国道の橋があるので、鉄道のみならず、バスやクルマで、ここを通る日本人はたくさんいらっしゃると思います。
列車の乗換で右往左往していると、何が何だかわからないうちに電車が動きだしてしまいます。だから、これが、国境体験なのかと後で振り返ってみました。
また、アンダイの対岸はスペインですが、河口付近は、バスク風街並みが美しいと人気上昇中のオンダリビア:Hondabirria という町です。もののはずみで、向こうよりアンダイ側を眺めた方もいらっしゃるはずです。
( ビダソア川と、RENFEとSNCFの共有の鉄橋。背後右がオンダビリア方向 )
何かの縁ですから、アンダイのことも記憶にとどめて旅を続けます。
了
( Hendaye駅付近からスペイン方向を俯瞰 )
かなり理屈っぽい一文です。
日本人にとって、陸路の国境越えは、貴重な体験ですので、旅行記やブログにも、しばしば登場します。
バスク地方は、フランスとスペインにまたがって広がっています。EUのシェンゲン協定という条約加盟国間では、原則として国境の検問を行なっていません。ですから、私たちが県境を通過する感覚で、フランスとスペインは行き来できます。
フランス側の国境の町は Hendaye、スペイン側は Irun です。
「さあ、何て読むんでしょう」
「XXXXX、とイルン」
イルンは、99%以上の人が正解します。けれども、フランス側の地名が、なかなか発音できません。フランスでも難読地名のひとつです。
「アンダイ」と発音します。アクセントは、「ア」にあります。やや鼻にかかった、かっこつけたような「ア」の音です。「ア」ンダイと聞こえます。
近隣の人たちが口にしたり、SNCFの電車の案内放送を聞いていると「”ア”ンダイ」という音が分かるのですが、つづりだけ見ると、迷ってしまいます。字数に対して、発音も短いです。
アンダイエ、ヘンダイエ、エンダイエ、などなど。少しフランス語の知識があると、Hは発音しないということを思いだすので、アン・・・とかエン・・・・とか言い出すようです。
おまけに、スペイン語では、Hendaia=エンダイア、という呼称なので、余計に混乱します。
「どうして、こうなるの?」と、言葉の持つ複雑さに、ため息をつかざるを得ません。
この町は、1940年10月23日、ドイツのヒトラー総統とスペインのフランコ総統が会談した現代史上のポイントです。「アンダイ会談」と呼んでいます。ドイツはスペインに参戦を強く促しました。けれども、スペインは第二次世界大戦に参戦しませんでした。また、町内の教会に古いバスク十字架があります。
( アンダイからイルンを望む。上1987年、下2017年 )
※アンダイの対岸の右手方向がオンダビリア
フランスからスペインへ鉄道で行くと、この町か、バルセロナ側の国境を通過します。私も初めてここを通過したのは1984年です。TGVができる前でしたので、夜行特急「プエルタ・デル・ソル」という列車に乗り、深夜1時に国境に着きました。二つの国の鉄道は、線路の幅が異なるので、例外を除き、国境駅で車両を乗換えなければなりません。当時、フランス発の国際列車は、必ずスペイン側のイルンまで乗り入れていましたので、アンダイ下車はなし。寝ぼけまなこで、人の流れについて、列車を乗換えたので「アンダイ」の音さえ聞いていません。
1986年になって、初めてスペイン側からフランス側へ移動する際、今度はアンダイ始発の列車にのるために、ここにやってきて、初めて実地で「アンダイ」という音を聞きました。
「こう発音するんだ」と、つづりと耳に残った音を比較して、フランス語のトリックにひっかかたような気分。「どうりで、みんなが分からないわけだ」、とも思いました。
SNCFのアンダイ駅は30数年経ても、ほとんど同じです。両国とも通貨がユーロになったので、駅前に軒を連ねていた両替商は、ことごとく撤退。2017年現在は、のんびりとした田舎町の風情です。
EUの経済統合を肌で感じました。日本と近隣諸国の関係に、少し、気をもんでしまいました。
(SNCFアンダイ駅舎。上1987年、下2017年 )
( アンダイ駅を発車するSNCFの上り普通電車TERアキテーヌ。特急ひたち号と似ています )
アンダイとイルンの間には、ビダソア川:Bidassoa (スペイン語:Bidasoa) が流れています。鉄道と並行して国道の橋があるので、鉄道のみならず、バスやクルマで、ここを通る日本人はたくさんいらっしゃると思います。
列車の乗換で右往左往していると、何が何だかわからないうちに電車が動きだしてしまいます。だから、これが、国境体験なのかと後で振り返ってみました。
また、アンダイの対岸はスペインですが、河口付近は、バスク風街並みが美しいと人気上昇中のオンダリビア:Hondabirria という町です。もののはずみで、向こうよりアンダイ側を眺めた方もいらっしゃるはずです。
( ビダソア川と、RENFEとSNCFの共有の鉄橋。背後右がオンダビリア方向 )
何かの縁ですから、アンダイのことも記憶にとどめて旅を続けます。
了