やまぶきシニアトラベラー

気まぐれシニア・トラベラーの旅。あの日から、いつか来る日まで、かつ、めぐりて、かつ、とどまる旅をします。

アッダ川

レオナルド・ダ・ヴィンチ発案らしき渡し船

レオナルド・ダ・ヴィンチ発案らしき渡し船  2018年3月訪問


「ミラノには、もうひとつダ・ヴィンチがあるんだよ」
と、友人がウインクしながら連れて行ってくれたのが、”インベルサーゴの渡し”:Traghetto Imbersago” でした。別名、レオナルド(ダ・ヴィンチ)の渡し”:Traghetto Leonardesco ( トラゲット・レオナルデスコ ) と呼ばれているのです。
外アッダ川Imbersagoレオナルドの渡し船 (7)
( レオナルド(ダ・ヴィンチ)の渡しの双胴船 )

インベルサーゴは、この付近の地名です。ミラノから北東に約30kmくらいのアッダ川のくねった場所で、ひっそり営業している感じでした。

「伝聞によると、かの天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ様が発案した無動力の渡し船システムなんだよ」
「うそでしょ!」
「看板にも、ちゃんと、『レオナルドの』って書いてあるよ。双胴船によって水流を上手く変化させて川の流れを横切る推進力を得るみたい。上部に張られたロープがあるので、下流に流されないような工夫もされていますよ」
「常人には考え付かない仕組みですね。ダ・ヴィンチが出てくる理由が分かりました」
「10年くらい前に、復活したのさ」

『エコ・ブーム』対応と、『町おこし』の一環のようです。
外アッダ川Imbersagoレオナルドの渡し船 (6)
( レオナルドの渡し船の料金表や営業時間案内 )

料金表を読むと、冬場は週末のみ、春から秋は毎日運行。渡し賃は、大人1人90セント、クルマ1台2.6ユーロです。主に観光用ですが、地場の行き来にも使えるサービスです。

外アッダ川Imbersagoレオナルドの渡し船 (1)
( 早春のアッダ川風景 )

渡し船は、100メートル弱の幅のアッダ川の両岸を、片道5-6分かかってゆっくりと往復しています。スローモーションのVTRを見ているような気分です。ダ・ヴィンチがらみの観光スポットにしては、静かすぎ、のんびりし過ぎです。
外アッダ川Imbersagoレオナルドの渡し船 (3)
( 数人の乗客を乗せて近づいてくるトラゲット・レオナデスコ )

あとで、物の本や他のブログなどを読んでみました。レオナルド・ダ・ヴィンチが考案したものだとは、はっきりと言い切れないようです。不用意に突っ込まれないためにも、目立たないようにしているのかも知れません。単に、やる気がないだけなのかも知れません。

「動力も使わないし、見た目もユニークな双胴船です。”『伝承によると』、天才ダ・ヴィンチ先生考案の・・・”と、きちんと断ってPRすればいいのにと思ってしまいました。日本人リピーター向けなんかには受けるのではないでしょうか」

「人が来すぎて押すな押すなの盛況で、乗船するまで長時間待ちになって困るもんね」
と、いう面もあるでしょう。

この前、行った、スペインのビルバオ郊外のビスカヤ橋の人気上昇ぶりを思い出すにつれ、こんなことを思って、インベルサーゴの渡し風景を眺めていました。

2019年2月記を修正                了

トレッツォ・スーラッダ城址を歩く

トレッツォ・スーラッダ城址を歩く    2018年3月訪問


友人が、「アッダ川を遡るルートでロンバルディアを案内しよう」と言って、まず来たのがトレッツォ・スーラッダ:Torezzo sull'Adda です、と言いたいところですが、世界遺産クレスピ・ダッダ:Crespi d'Adda を、ふらふらと通り抜けるという、凡庸な観光客にあるまじきミスをしました。

昔の工場だったというレンガ造りの建物や、現役の戸建て住宅みを見て、「ふんふん、そう言えば、イタリアに『新しき理想の工場』みたいな触れ込みの世界遺産があったな」と、頭の隅に記憶が呼び起こされたのですが、「まあ、いいや」と、クルマに乗っかってスルーしたのでした。

そこが、クレスピ・ダッダだったのでした。典型的な「後の祭り」、「後悔、先に立たず」の行動パターンです。

そして、「クレスピ・ダッダは、ミラノからメトロとバスを乗り継げば1時間くらいで来られるので、次の機会には是非、寄ってみたいものです」と、負け惜しみ。

実は、クレスピ・ダッダの上流1kmくらいに位置する、古城の集落トレッツォ・スーラッダ:Torezzo sull' Adda も、悪くなかったのです。凡ミス観光客の後悔の念をちくちくと刺激するような荒涼感、ひっそり感があふれる小さな町でした。

まず、日本人には、この地名が言いにくいこと、このうえもありません。「イタリア・リピーターだもんね」、と自負する方々には想像がつくと思いますが、「アッダ川沿いのトレッツォ」という意味の町です。

「どうして、前置詞みたいな語が、クレスピの方は、”d”'Adda、なのに、こっちは、”sul" なの?」
「まあ、細かく語れば、いろいろと・・・・・。」
「信濃大町と信州中野、みたいなもんですかねえ」
「地名ですからねえ」

深く考えないで、覚えることです。
「習うより、慣れろ! 街並みと城跡の散歩を楽しみましょう」

外レッコTrezzo sull'Adda街並み201803
( トレッツォ・スーラッダの平凡な街並み )

外レッコTrezzo sull'Adda国道橋201803
( 古城の脇を、とうとうと流れるアッダ川と国道橋 )

国道橋の下流1kmくらいのところが、クレスピ・ダッダです。

外レッコTrezzo sull'Adda発電所とダム2018 (2)
( クレスピ・ダッダの工場用が主目的だった発電所跡 )

トレッツォ・スーラッダの古城の真下に残る水力発電所は、過ぎ去りし繊維産業全盛期を感じさせる造りでした。そして、19世紀末の産業最優先の発想の象徴のような立地です。

外レッコTrezzo sull'Adda城跡201803 (1)
( トレッツォ・スーラッダの古城とアッダ川 )

古城を取り巻く散歩道の端は、早春の雑草に覆われはじめていました。平日には、地元の方々以外に、歩いている人はいないと言っても過言ではない観光スポットです。


外レッコTrezzo sull'Adda城跡201803 (5)
( トレッツォ・スーラッダの古城の塔 )

打ち捨てられた古城風景も味わいがあります。
この程度の遺跡では、まとまった金額の修復予算など、ほぼ、つかないようです。イタリアの土地には無数の歴史が詰まっていることが実感できます。

最後の晩餐だ、ミケランジェロのピエタだ、と先を争うような観光気分とは別次元の空間です。500年くらい前の人々の生活や、川を挟んだ領土争いを想像しながら、湿っぽい土を踏んで歩きました。ガイドブック的な情報が少ない分、自分自身の勝手な想像ができるので、頭の中が冴えてきます。

外レッコTrezzo sull'Adda城跡201803 (4)
( 崩れ残った古城の壁 )

一句など浮かばないまま、城跡を後にしました。

2019年2月記     了



カテゴリー
  • ライブドアブログ