やまぶきシニアトラベラー

気まぐれシニア・トラベラーの旅。あの日から、いつか来る日まで、かつ、めぐりて、かつ、とどまる旅をします。

バスクの旅スペインフランス

バスク鉄道ウルダイバイ線のんびり旅

バスク鉄道ウルダイバイ線のんびり旅

1) アチューリ駅の影うすく

バスク鉄道こと、ウスコトレン:Euskotren のビルバオのターミナル駅は、アチューリ駅でした。

けれども、2017年4月のメトロ3号線の開通で、アチューリ駅:Atxuri, Bilbao は、過去の歴史になろうとしています。
ベルメオ方面に向かう電車以外の大半が、アチューリ駅に入らず、メトロと相互乗り入れとなりました。将来計画では、ベルメオ方面の電車もメトロ直通とし、アチューリ駅はトランヴィアの中間駅になるようです。

やや重苦しい雰囲気のアチューリ駅舎は、歴史的な建物となって、ウスコトレンの始発駅であったころの記憶を刻むのかも知れません。

今日は、めっきり電車本数も減ったアチューリ駅から、ゲルニカ、ベルメオへ向かうウスコトレン各駅停車に乗ります。通称、ウルダイバイ線 :Urdaibai と呼ばれています。

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( ビルバオ・アチューリ駅舎正面。右は、始発のトランヴィア )

アチューリ駅は、旧市街の南西部、ネルビオン川沿いの細長い土地にに身をすくめるように作られています。プラットホームは1番線から4番線まであります。1番線は、改札の左奥の方なので、ちょっと分かりにくいです。

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(アチューリ駅正面改札。人影は少なめ )


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( アチューリ駅の線路終端の車止め )




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( アチューリ駅構内。後方は、ネルビオン川とリベラ橋 )

リベラ橋を遠目に見て、準急トラーニャ行きが発車するところです。駅の電光表示が、Semi Expressだったので、「準急」と書いています。平日に数本運転されるだけの通勤通学電車です。

ライトをつけて停車しているのが、次に発車する各駅停車ベルメオ行き:Bermeo です。現役最古参の200系の青い車両です。ベルメオ方面の電車は、平日30分間隔、土曜休日は1時間間隔の運転です。

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( アチューリ駅ホーム先端から下り方向を望む )


2) のんびりとゲルニカに向かう

ベルメオ行きの電車は、1車両に数人の乗客を乗せてアチューリ駅を発車しました。

川に沿って蛇行する複線の線路を左側通行で進むと、3分で、次の駅ボルエタに到着。メトロとの乗換駅ですが、平日の朝の下りに乗ってくる乗客は数名です。周辺は、少し時代がかった工業地帯で、かつて重工業都市だったころのビルバオの面影を残しているようでした。

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( メトロ1,2号線との乗換駅ボルエタ駅:Bolueta )

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( 乗換口。左ウスコトレン、右ビルバオ・メトロ )

各駅停車の電車は、2、3分おきに停車しながら東へ走り、ドゥランゴ方面との分岐点を過ぎると、線路は単線になり、向きを北に変えます。同じようなデザインのマンションが点在する都市近郊風景は一転し、木々の生い茂る丘陵地帯となります。
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( 本線とウルダイバイ線の分岐点の様子 )


電車が、小さな峠を越えると、次第に農地や牧草地が視界に入ってきます。北海道みたいな風景です。前日の雨でぬれた牧草や木々の、しっとりとした緑色が、少し重たく感じます。

私にとっては、とても落ち着く車窓の緑でした。

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( ゲルニカ近郊の農村風景 )

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( 車窓から見たゲルニカの街はずれ )

次第に家が増えてくると、電車は、ゲルニカ駅:Gernika に到着です。アチューリ駅から50分かかりました。ビスカイバスでも45分前後かかるそうです。本数は、電車、バスともに同じくらい。駅とバスターミナルは隣接していますので、ビルバオからベルニカ観光に往復する人は、お好みで交通機関を選べばよいと思います。

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( ゲルニカ駅に着いたウスコトレンの電車と降車客 )

ゲルニカは、地域の中心都市なので、8割くらいの人が下車。代わりに乗ってくる人がいます。

電車は、ゲルニカ駅で5分以上停車。上り電車の到着を待って発車します。
とても、のんびりとしたローカル線風景です。

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( 上り電車が到着。背後は、ウスコトレンの工場兼車両基地 )

構内踏切には警報器がありません。そのため、上り電車は、時速20kmくらいで、ゆーーーくりとプラットホームに入ってきます。そして、上り電車の降車客が踏切を渡り終わったころ、下り電車が、静かに発車して行きました。

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( ゲルニカ駅で交換する上下の電車 )

ゲルニカ駅も、かなり立派な造りです。
正面入り口奥は、待合室、事務室で、人の乗り降りできる改札口は、正面右の張り出し部分にあります。プラットホームのかさ上げや、自動改札化のときに、動線が変わったようです。

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( ゲルニカ駅舎正面 )

ここで途中下車して、ゲルニカの歴史的建築や、バスクの小都市の、しっとりとした雰囲気を、こころから楽しみました。


3) ウルダイバイ線のハイライトを見よう

ゲルニカ見物を終えて、再び、ウルダイバイ線のお客となりました。
進行方向右側に座り、ウルダイバイ自然公園の湿原風景と、エスチュアリーと呼ばれる河口の地形を楽しみます。

ゲルニカを出た電車は、10分くらい走ると、湿原の縁に出ます。時速80kmくらいですが、かなり揺れます。

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( 2枚ともウルダイバイ自然公園の眺め )

9月半ばを過ぎると、ススキの穂が出始め、一帯も初秋の雰囲気が漂い始めました。湿原の向こうに木々がびっしりと茂った山々が見え、日本と同じスカイラインの田園風景が続きます。こんな風景を見ながら、老いていくのもいいなあ、と思える景色です。

湿原が尽きると、電車の行く先に海が見え始めます。別荘らしき家、ヨットなども目に入ってきます。バスクの豊かさを、さりげなく見せられたような気分です。

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( 車窓に海が見えます。ムンダカ手前付近 )

幾つかの入り江を通り過ぎたところが、ムンダカ駅:Mundaka。ひそひそ声さえ遠くから聞こえそうな静かな漁村です。

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( 終点のひとつ手前、ムンダカ駅 )

途中下車して、どんよりとしたカンタブリアの海を見に行きました。

そして、三たびウスコトレンの客となって走ること5分。ウルダイバイ線の終点ベルメオ駅:Bermeo に着きました。

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( 雨をついてカーブしたベルメオ駅に着く電車)

今日のベルメオは、朝の曇り空が、昼過ぎには本降りの雨と変わりました。もやに霞むベルメオの旧市街に行き、ランチを食べがてら街中散歩も雨模様。晴れれば、カラフルな色合いをした漁港周辺のマンションが、もっと映えるんだろうな、と思わずにはいられません。


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( ベルメオ駅で折返し待ちのウルダイバイ線の電車 )

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( ベルメオ駅前。駅舎は、半地下構造 )

ベルメオ駅についた電車は15分ばかり停まって、折返して行きます。地元の人たちに混じって数人のガイジン観光客も降りてきます。駅員さんに、「サンファン・デ・ガステルガチェ行きのバスは、どこから出ますか」というようなことを聞いているようです。あんなに有名観光地なので、案内表示くらい出せばいいのに、と私は思いますが、ヨーロッパ感覚では、そうはならないようです。

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( ベルメオ駅裏の高台より雨に霞む旧市街を遠望 )

ウスケラが聞こえてくるビスカヤ県の美しい漁港都市ベルメオ風景を脳裏に焼き付けて、帰路につきましょう。
平凡なようで、バスクらしさを感じるウルダイバイ線の電車の旅でした。

                                                2018年3月 記   了






酔狂で乗るウスコトレン各駅停車

酔狂で乗るウスコトレン各駅停車  2017年9月

1)ウスコトレンは遅い

バスク鉄道ことウスコトレン:Euskotrenは、ハイレベルな狭軌鉄道ですが、スピードが遅いのが玉に傷です。
それも、かなり大きい傷です。

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( ウスコトレンのロゴと950型車体側面 )

安全、安心、清潔、正確。安いし、本数も多めのラウンドダイヤで、時刻表要らずで乗れるのはいいのですが、遅いのです。最高時速は90km、平均時速は30kmから40kmくらいです。電車は、ほとんどが各駅停車で、快速や急行は、ビルバオ付近で平日通勤時に数往復走っているだけです。

ウスコトレンでの20分から30分くらいの短距離通勤や移動は苦になりませんが、1時間くらい離れた場所に行くときは、バスの方が早いことも、しばしばです。

特に、ドノスティア、ビルバオ間の約100kmは、ウスコトレンの各駅停車で移動すると2時間半以上かかります。1時間おきの運転で、運賃は6ユーロです。

この区間は、高速バス利用が圧倒的に便利です。所要時間は1時間半以下、朝6時から午後10時過ぎまで10分から30分間隔で発車。運賃は7ユーロから18ユーロくらいです。鉄道は競争に勝てません。


2)酔狂な電車移動

そういう区間なので、今回は、意を決してウスコトレン鈍行列車の旅を試しました。鉄道の旅も好きなのですが、ちょっと酔狂な電車の旅でした。

始発は、ドノスティア・アマラ駅:Amara Donostia です。狭軌で、折り返し式の駅なので、プラットホームの先端に立って線路を眺めると、日本の大手私鉄と変わらない鉄道風景が目に入ります。

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( ウスコトレンのアマラ駅から見る線路 )
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( アマラ駅正面 )

ドノスティア、つまりサンセバスチャンから電車に乗って、延々と西へ進むとビルバオです。

2017年4月8日より、ウスコトレンはビルバオの地下鉄3号線と相互乗り入れを開始しました。新しい終点は、マティコ駅:Matiko, Bilbao です。旧来のアチューリ駅には入りません。その代わり、他のメトロとの乗換や、都心部へのアクセスが便利なサスピカレアク/カスコビエホ駅:Zazpikaleak/ Casco Viejo に直行できるようになりました。

「また、ひとつビルバオのウスコトレンが便利になりましたね」
「まあね。でも、電車は遅いよ」
「マティコまで2時間50分かかりますものね」
「そういうこと。近隣の通勤通学者は便が良くなったと思うよ」

東武の宇都宮あたりで、「東武の電車も半蔵門線乗入れだから、渋谷まで乗換なしで行けるよ」と、会話しているような感じです。

車内の路線図は、ばっちり、新しい運転系統のものに変わっていました。けれども、9月ごろの段階では、website上の路線図や時刻表は旧来のままでした。年末になって、やっと変更されました。勤勉なバスクでも、意外と、のんびりしたところもあるので、ほっとします。

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( ビルバオ・マティコまで相互乗り入れ表示をした車内路線図 )


写真は、午後の明るい時間帯のアマラ駅ホーム風景です。
さわやかな雰囲気の駅です。

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( 午後の陽ざしを浴びるアマラ駅と電車 )

ビルバオ行き電車は、アマラ駅を定刻に発車しました。ここから西では、電車は左側通行となります。進行方向右側に乗ると、ところどころで海が見えます。左側に乗って2時間くらいすると、ドゥランゴ:Durango  という小都市の奥にそびえている石灰岩の奇峰が見えます。

電車は、たいていすいています。景色に合わせて席を移れば、ギプスコア県からビスカヤ県一帯の田園風景のハイライトを、居ながらにして見られます。

だんだん退屈してきて、ぼおっとしていても大丈夫です。この辺りでは、旅の者の荷物をかすめ取るような軽犯罪は、めったにありません。


3) 海と山と集落と

車窓から、雲間にカンタビリアの海と、石灰岩質の崖が荒々しい海岸風景が、ちらりと見えました。

山陰本線の出雲市から江津あたりの車窓風景と似ている気がしました。林の中をくねくねと走る列車は、ところどころでトンネルに入ったかと思うと、砂浜を取り囲むようにできた集落を見渡すように走ります。

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( ウスコトレンの車窓から望む海、サラウツ前後 )

線路は、山すそや、川の蛇行に忠実に沿ってカーブしながら西へ西へと続いています。日本に、とても似ている雰囲気の場所を走ることもあります。

”のんびり過ぎるバスク途中下車の旅”、というタイトルで、テレビ放映してほしいな、と思います。


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( ウスコトレンの車窓から見える川と緑の山々 )

電車は、30分から1時間におきくらいに、それなりの規模の町に入ります。電車は、サラウツ、デバ、エイバル、ドゥランゴなどを経て、終点のビルバオに向かって行きます。



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( デバ駅プラットホームと電車 )

途中の駅は、年季の入った建物も少なくありません。そして、有人駅は、よく手入れされています。簡易型自動改札機も全線で設置済みです。

ウスコトレンの主要駅は、古風な外観を保ちつつ、21世紀型サービスの提供も怠ってはいません。常に、時代にキャッチアップするべく、投資を続ける経営姿勢に、とても好感が持てます。

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( デバ駅の改札口と簡易自動改札機 )

ウスコトレンのビルバオ行きは、行程の半分あたりで、U字カーブを切りながら峠越えする区間に入ります。

緑いっぱいの山々の間に、小さな町が点在しています。しかし、一帯は、過疎になやむ山村ではありません。中小の機械系の工場がたくさんある工業地帯です。ウスコトレンの電車を製造しているCAFという車両メーカーの登記上の本社も、こういう雰囲気の小都市、ギプスコア県のベアサインという町にあります。エイバル:Eibar という都市のサッカーチームは、スペイン全国リーグ入りをするくらいの強さです。

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( 県境の山間にある小工業都市風景 )


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( 現代的製造業が盛んなエイバルの駅 )


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( ドゥランゴ付近から遠望する石灰石の山々 )

電車は、山合いの谷間をくねくねと走り、小さな町ごとに、パラパラと乗ったり降りたりを繰り返しながら、ビルバオ近郊まで来ました。線路の左右に、10階建てくらいのマンションが点在するようになると、ビルバオ通勤圏です。いつの間にか線路も複線になり、スピードも上がって、コンスタントに時速80km以上を出すようになります。

メトロ3号線への乗り入れ駅、ククヤーガ・エチェバリ駅:Kukullaga Etxebarri に到着です。

相互乗り入れ開始に際して、全面的に改築され、真新しい駅と何ら変わりません。日本の大都市郊外の新興住宅地に伸びてきた私鉄新線の駅の雰囲気です。プラットホームと電車の床面の高さが、ぴったりと揃い、駅の色合いも日本のカラーリングセンスと似ているのも、親近感のひとつの理由だと感じました。

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( ククヤーガ・エチェバリ駅で発車待ちのメトロ直通電車 )

メトロ3号線は、ウスコトレン仕様で建設され、ウスコトレンが運転しているので、ウスコトレンの地下新線と言っても過言ではありません。

きょろきょろと、地下新線区間を物珍し気に見ている間に、ビルバオ都心部への最寄り駅、サスピカレアク / カスコビエホ 駅に到着しました。

「よくぞ電車で来たもんだ! ちょっと疲れたあ」
「次は、やっぱ、高速バスにしよっ!」

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4) 消え始める風景

別のタイミングで、ウスコトレンのビルバオの本拠地アチューリ駅:Atxuri を訪問しました。
駅舎は、100年くらい経つ、重厚な感じの石造建築です。少し暗い印象です。


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( アチューリ駅正面と、トランヴィア )

メトロとの直通運転開始で、アチューリ駅に入ってくる電車は、かつての半分以下です。土曜休日には、1時間に1本しか電車がありません。もう少しすると、郊外電車の発着をやめ、市電相当のトランヴィアをククヤーガ・エチェバリまで延長して、路線網をすっきり再編成したいようです。

そうなった頃に、また、ビルバオに行けたらいいなあ。

脳裏に、そんなことを浮かべながら構内に入ると、ウスコトレン新旧電車三代が、そろい踏みでプラットホームに停まっていました。左端が、現役で一番古い200型、真ん中が最新鋭900型、右端が300型です。右の奥に、ちらりと見える黄緑と白の車体は、トランヴィアで、昼間は使わない編成をアチューリ駅の隅に留置しているようです。

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( ウスコトレン三代。左から200系、900系、300系 )


ウスコトレンも、アチューリ駅も、バスク旅行気分を、じんわりと盛り上げてくれる脇役です。リピーターの方々、お住まいの方々にとって、いつまでも身近な公共交通機関でありますように。


                                                  2018年3月記   了



















































ビルバオのRENFEの影うすく

ビルバオのRENFEの影うすく


1) ビルバオのレアな特急電車

2017年9月現在、ビルバオの長距離電車は、絶滅危惧種です。

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( 1日2往復のマドリード行き特急アルビア:Alvia。アバンド駅にて )

ビルバオ・アバンド駅:Abando 発着の特急電車は、1日4往復か5往復しかありません。マドリードやバルセロナに行く途中の峠越え区間でスピードが出ないため、飛行機やバスに比べて競争力がなくなってしまったのです。

下の写真は、アバンド駅の、長距離列車到着案内です。マドリード、バルセロナまで各2本、西の端のビーゴまで1日1本の特急電車があるだけです。マドリード発着の1往復は、休日運休です。

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( ビルバオ発着の長距離列車は絶滅寸前。2017年9月 )

マドリードまで、特急電車でも5時間、高速バスでも5時間なので、旅行者は、安くて本数の多い高速バスに流れます。そのため、アバンド駅で、特急電車を見かけたら、とても貴重な旅行体験です。

スペイン版の新幹線が開通するまで、ビルバオと特急列車の縁はうすいままでしょう。

ビルバオ発の夜行列車は、とっくの昔に全滅。4-5時間くらいの距離にあるサラマンカやバヤドリド、ログローニョなどへ往復していた準急列車も、ろうそくの炎が尽きるように、ひっそりと消えた感じです。


2) 観光名所アバンド駅:Estacion  Bilbao Abando Indarecio Prieto

長距離列車の衰退と入れ替わるように、アバンド駅は、観光名所化していました。

最近の正式名称は、アバンド・インダレチオ・プリエート駅。何で、長ったらしい名前にしたのでしょうね。まあ、実態としては「アバンド駅」で通用しています。

2017年9月現在、駅舎は改修工事中です。母屋は、列車本数に似合わず、堂々たる構えです。鉄道全盛時代に、スペイン北部の中心都市ビルバオの玄関口として設計された気概が感じられます。どっしりとした石造建築で、5本のプラットホームはすべてドーム屋根で覆われています。

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( 改修工事中のRENFEビルバオ・アバンド駅。2017年9月)

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( 従前のビルバオ・アバンド駅舎。1990年7月 )

駅舎入口は1階、プラットホームは2階です。ゆるやかな坂にある地形を上手に利用した作りです。
かつては、長距離用の切符売場が1階に並んでいました。今では、通勤通学客を意識したエキナカ商店街に変身です。

バスクの駅なので、ゴミや落書きもなく、床の掃除も行き届き、清潔で静穏な空間が広がっています。

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( アバンド駅1階から2階へ上がるエスカレーターを見る )

アバンド駅の2階へあがります。
エスカレーターを上がった右に、きっぷ売場と、近郊電車のきっぷの自動販売機が並んでいます。

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( アバンド駅の有人きっぷ売場。階下よりホーム脇に移っていた。2017年9月 )

電車の発着案内表示もあって、一応、駅らしい雰囲気が漂っています。
ただただ広い空間に、申し訳程度に切符売場や電車が見える光景は、少し寂しい限りです。

そして、エスカレーターを降りて、後ろに振り向くと、シュールなオブジェと、アバンド駅名物の大きなステンドグラスが、どどーんと視界に飛び込んできます。

「おおっ」と、ビルバオのすごさに惹かれる瞬間でもあります。

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ここは、ビルバオ街歩き名所のひとつなので、かなり観光客がいます。ボランティア・ガイドさんに連れられたガイジン客ご一行様と遭遇するときもあります。

電車に乗らずとも、アバンド駅2階のステンドグラス見物くらいは、是非、お立ち寄りください。


3) そおっと走るRENFE近郊電車

2017年9月時点で、ビルバオのRENFE近郊路線は3系統あります。セルカニアス:Cercanias、というサービスです。すべて、アバンド駅を起終点としています。
観光客に縁があるのは、サントゥルティ:Santurti に向かう路線で、メトロ2号線と、つかず離れず走り、ビスカヤ橋最寄りのポルトゥガレテーテ駅を経て、終点に至ります。

アバンド駅の中央改札口にくると、赤と白に塗り分けられた通勤電車がずらりと並んでいて、ちょっとしたターミナル駅感覚を味わえます。この電車は、マドリード一帯の車両より、一世代前の形式です。

どの系統も、朝夕20分毎、昼間30分から40分毎の運転なので、全体的に、のんびりムードが漂っています。乗客もパラパラ程度です。自転車の持ち込みも可能です。サイクリストも、あまり混雑を気にせず、指定の場所に自転車を持ち込んで、乗ってきます。

環境にやさしい街づくり、交通サービスは、スペインでも当たり前の光景です。

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( RENFE近郊電車の自動改札口。自転車利用も可能 )

近郊電車は、向かって右寄りの1番線から5番線に発着します。

特急電車は、左の6番線、7番線、8番線に発着します。特急ホームに入るためには、専用の改札口へ回り、荷物検査を受けます。けっこう、ものものしいのは、過去の列車爆破テロの教訓でしょう。日本人感覚では、びっくりする人がいそうです。

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( 長距離ホーム6番線に入線した特急アルビア、マドリード行き )


3) 通勤電車に乗る

近郊電車は、3両1ユニットです。
写真で見ると長い編成のように感じますが、遠近法のなせる錯覚です。

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( アバンド駅ホームに揃うRENFE近郊電車。マドリード圏より古いタイプ )

車内はクロスシート。メトロやウスコトレンの電車に比べると、横幅が広く、車体も長いつくりです。軌間1668ミリメートルの広軌鉄道ですが、サイズ的には軌間1435ミリの標準軌の電車と、ほぼ同じです。

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( RENFE通勤電車の車内。メトロより広めの空間 )


RENFEの通勤電車:セルカニアスは、ときどき思い出したように、アバンド駅をすうっと発車して行きます。左側通行で走ります。

アバンド駅のプラットホームは、長距離列車用に作られたため、気の遠くなるくらいの長さです。写真の奥に見える坂の下のトンネルをくぐると、すぐに次の駅です。ビルバオ都心部の駅と駅の間は、1kmくらいしか離れていません。

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( アバンド駅を発車するRENFE近郊電車。背後はビルバオの団地風新市街側 )

ですから、電車は、スピードを上げる間もなく、次の駅に停車します。数人が乗り降りすると、プシュー、とドアが閉まって、ゆっくりと発車します。

RENFEの電車は、アバンドから20分ほどで、ビスカヤ橋の最寄り駅、ポルトゥガレーテ駅:Portugalete に到着します。メトロの駅と同名ですが、ふたつの駅は1.5kmくらい離れています。RENFEの駅は、ネルビオン川沿いなので、駅を降りると、すぐにビスカヤ橋が見えます。けれども、RENFEに乗るまでが手間なので、日本人の大多数は、メトロ利用のようです。それが、合理的な選択だと思います。

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( 朝のRENFEポルトゥガレーテ駅風景 )

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( RENFEポルトゥガレーテ駅改札口 )

RENFE近郊電車体験もしたかったので、終点のサントゥルーティまで乗ってきました。

貨物線が、さらに伸びているので、線路は先のほうまで続いています。港町の岸壁沿いにある何の変哲もない駅です。風情も何もありません。発車5分くらい前になると、地元の人が、ばらばらと集まってきて、「はい、発車あ」の世界です。

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( サントゥルティ駅に停車中のRENFE近郊電車:Cercanias )


4) 思い出のアバンド駅風景

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( 1990年のビルバオ・アバンド駅ホームと、背後のBBVAタワー。長距離列車もそれなりにあった )



1990年夏のアバンド駅プラットホーム風景です。

マドリードから着いた夜行急行が奥の方に停まっています。電気機関車が引っ張る客車急行も待機中。その隣りが、近郊電車です。現在とは逆に、1番線から5番線が長距離列車、6,7,8番線が近郊電車発着ホームでした。

ドーム屋根の向こうにそびえる、現BBVA本店タワービルが、ビルバオのゆるぎない経済力を象徴しているかのようです


198709ビルバオアバンド駅構内と夜行列車着
( マドリードより着いた夜行列車。アバンド駅、1990年 )

2017年の現在、茶色と白のカラーリングの客車も、なつかしの一コマとなりました。
乾燥したカステーヤの大地を、羊の群れや、朽ち果てた風車らしき遺構を見ながら、延々と走り続けるスペイン独特の長距離列車の旅も、20年くらい前になくなったようです。ガイジン旅行者の、勝手なノスタルジーですね。

現在では、スペイン国内で、AVEその他の高速電車と、クロスシートの近郊電車以外で移動することは、ほとんど体験不能になったようです。ヨーロッパ風鉄道ムード満点の、コンパートメント方式のスペイン鉄道の旅は、記憶の中だけになりました。

鉄道旅行ファンにとっては、味気ない内容ですが、時代の趨勢です。

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( アバンド駅の近郊電車と奥のステンドグラス。1990年 )

しかし、アバンド駅突当りのステンドグラスは、変わらぬ姿です。

198709ビルバオアバンド駅近郊電車が到着
( 1990年頃のRENFEのビルバオ近郊電車 )

青地に黄色の帯を巻いた3両1ユニットの近郊電車に、時の流れを感じます。30年経っても、近郊電車は3両編成のまま。同じような内容で、ビルバオ一帯を黙々と走っているというのは、安定というべきか、進歩がないと言うべきか、ちょっと迷います。



                                        2017年9月訪問/2018年3月記     了



FEVEバルマセダ線の思い出

FEVEバルマセダ線の思い出  1986年から1990年

1) 狭軌鉄道の栄える都市

スペインのバスク一帯では、線路の幅が1000ミリの狭軌鉄道が大活躍しています。

ビルバオのメトロとトランヴィア、バスク鉄道ことウスコトレン、それにスペイン国鉄系のFEVEの4社です。

ニッポンの鉄道さながらの狭軌鉄道王国です。

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( バスクの鉄道の多くは狭軌。イメージ画像 )

ふと見ると、線路や架線の張り方が、日本の郊外電車やローカル線風景と、何と似ていることか。
バスクの旅が、とても心地良く、安眠できる日々になるのが、こんなところからも納得できます。


2) コンコルディア駅舎は見るばかり

バスクの狭軌鉄道4社のうち、日本人にもっとも馴染みがうすいのがFEVE:フェーベ、でしょう。

FEVEは、ビルバオから西の北部沿岸に長距離路線網を持っています。ほとんどが、1日に数往復のローカル線ですが、ビルバオやサンタンデルの都市近郊では、30分から1時間おきに電車があり、中都市の通勤通学路線となっています。

FEVEは、スペイン語の「スペイン狭軌鉄道」の略称。現在では、スペイン国鉄の、RENFEオペラドーラという会社の一部門です。

私は、縁あってFEVE近郊区間のビルバオ、バルマセダ間:Bilbao -- Balmaseda に、かつて乗りました。2000年代に電化され、ビルバオ市内のルートも変わりましたが、始発駅は、コンコルディア駅:Concordia のままです。

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( 日本人旅行者にも人気のFEVEコンコルディア駅舎遠望。2017年 )

コンコルディア駅舎は、緑色の縁取りと、細かい模様、優雅なアーチで、日本人のビルバオ旅行者にも、そこそこの人気。半分くらいの方は、「あの建物は何だ」で、終わっていますが、目をひくことは確かです。

とても、嬉しい限りです。
「駅舎は、変わらなくてもいいですが、サービスは変わってもらわなくちゃ」

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( FEVEコンコルディア駅舎南口とネルビオン川 )

コンコルディア駅は、ネルビオン川沿いの斜面に建っているので、川沿いのベンチに腰掛けると、市民さながらに憩いのひとときを過ごせます。ぼおーっとしながら、駅舎やビルバオの旧市街を眺めましょう。


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( FEVEコンコルディア駅のRENFEアバンド側出入口 )

コンコルディア駅も、反対側のアバンド駅側の出入口は、現代風です。

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( FEVEコンコルディア駅中央改札と切符自動販売機 )

駅舎内と改札口の様子です。通勤通学時間帯以外は、利用者も多くないので、がらんとしています。

FEVEも、バスク州政府の公共交通機関支援策がないと、とっくに廃止されたかも知れません。先進国のローカル鉄道や、路線バスの在り方について、得失をわきまえながら、ヨーロッパ流の取り組み方を学ぶことも、必要ではないでしょうか。


3) ディーゼルカーでがったんごっとん

1990年代まで、FEVEのバルマセダ線も非電化でした。ディーゼルカーが、ビルバオ中心部から、エンジンのうなりを立てて発車していました。

FEVEビルバオAchurli駅DC1990年7月
( コンコルディア駅に停車中のFEVEディーゼルカー。1990年7月 )

狭軌鉄道なので、車両はRENFEの車両より小ぶりでした。かわいい感じの車両です。
車両は、どれも2両編成で1組です。

FEVEディーゼルカーバルマセダ近郊1990年7月
( アラングレン - バルマセダ間を走るFEVEの下り普通列車。1987年9月 )



車両は、数形式あり、いちばん新しいものは、ステンレスカーでした。夕方の通勤通学時間帯は4両編成の列車もありました。

デザインが当たり前すぎるので、日本のディーゼルカーと同じムードです。バスクの、真面目過ぎる実用指向が感じられます。ちょっと、つまらないかも。

緑したたるバスク西部の山あいを、ディーゼルエンジンの音を響かせて走る列車は、日本のローカル線風景とそっくりです。狭い平地に点在する家庭菜園のブドウ棚や、野菜畑も、よく手入れされ、ゆったりとした、ゆとりある空間を作り出していました。



4) バルマセダに分け入る

終点のバルマセダ:Balmaseda 駅は、小都市の拠点駅の風貌です。ビルバオから50分ほどかかります。かろうじて、ビルバオ通勤圏です。

バルマセダ駅は、大きくはないけれども、人の気配も、それなりにあります。貨物も取り扱っていたので、たまに石炭を満載した貨車が、構内を移動していました。

時間がゆっくり流れている駅に降りると、ほっとします。

FEVEバルマセダ駅まだDC1990年7月 (1)
( バルマセダ駅で発車待ちの上りビルバオ行きディーゼルカー。1986年9月 )

FEVEバルマセダで入換中のDL石炭貨物1990年7月
( バルマセダ駅で入換中の石炭貨物列車とディーゼル機関車。1986年9月 )

現在では、このバルマセダ線も全線電化され、ビルバオの近くは複線、地下トンネルで走り抜けています。貨物列車もなくなったようです。これからも、住民の足として、活気を持って走り続けてほしいものです。

次回は、ちゃんと電車でバルマセダまで往復して、時の流れをしみじみと見つめたい。

2018/3月記


ドノスティア行き電車の旅

ドノスティア行き電車の旅    2017年9月

1) バイヨンヌからローカル電車に乗って

バスク地方は、あまり広くありません。町から町へ移動するときは、普通電車や路線バスの旅が多くなります。

今回は、パス・バスク:Passbask というフリーきっぷを使って、バイヨンヌ:Bayonne からドノスティア:Donostia へ普通電車で移動です。ここは、ビルバオとドノスティア間の高速バス移動に次いで、往来が頻繁な区間かも知れません。

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( バイヨンヌ駅に並んだTERアキテーヌのローカル電車 )

旅程は、フランス国鉄:SNCFの電車で国境のアンダイ:Hendaye まで行き、そこで ウスコトレン:Euskotren (バスク鉄道)に乗り換え、目的地ドノスティア (サン・セバスチャン):Donostia を目指すという内容です。約80km、乗車時間およそ2時間の、のんびりした移動です。

久しぶりに、ローカル線風の電車と鉄道風景を楽しみました。

バイヨンヌ駅舎は、白っぽい石でできた、時計塔のある威風堂々とした構えです。最近の経済成長のおかげか、壁を洗い、駅前の改良工事中です。きちんと手入れを怠らない姿勢が伝わってきました。さすがフランスです。時計が全然役に立たないのは、あきらめるしかありません。

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( 時計塔のある堂々としたSNCFバイヨンヌ駅舎 )

きっぷを自動刻印機に通して、使用開始の印字をします。これをやらないと、キセル乗車になります。くわばら、くわばら。インテリアの色使いが華やかで、いかにもフランス風です。

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( バイヨンヌ駅舎内部と改札口付近 )

駅構内には、3本のプラットホームがあり、1番線から5番線まであります。そのうち、真ん中の2番線がパリ方面行き、3番線がアンダイ方面行きのホームです。人は、多くなく、朝夕の通勤時間帯でも、のんびりとしたムードが漂っています。

これから乗るTER Aquitaine (テル・アキテーヌ)という普通電車は、地方政府がお金を出し、SNCFが受託運行している地域内のローカル電車です。連接台車の4両編成の車両は、まだ、新しく、車内もきれいです。

※時刻表は、別のブログ「バスク時刻表2017年メモ」を参照してください。

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電車の出入口は、低いプラットホームに対応するよう床面を低くしてあります。それでも、まだ、1段ばかりステップを昇らないといけないのは、ご愛嬌でしょう。

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( TERアキテーヌ電車側面 )

色とりどりの服を着た乗客が、のんびりとパリ行きのTGVを待っています。ヨーロッパの鉄道駅ならではの旅情を感じる場面です。

その日のアンダイ行き普通は、のっけから45分遅れ。やっと来た電車に乗って終点を目指します。
車内も、温かみのある雰囲気。清潔ですっきりしています。

TERアキテーヌも、自転車持ち込み可。日本のローカル線も、利用客の便を考えて、是非、見習ってほしいです。大前提としては、よほどのことがない限り、全員座れて、まだ空席がある程度の混み具合であることです。

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( TERアキテーヌ車内の様子 )

最近のSNCFでは、普通電車でも自動音声による案内放送があります。

駅を発車すると、
「この電車はアンダイ行きです。次はビアリッツです」
(Ce train est destination Hendaye. Prochaine d'arret, Biarittz. )
と次の停車駅を放送します。

駅が近づくと、
「ビアリッツに着きます」
( Nous arrivons a* Biarittz. )
と、言います。技術の進歩の成果です。

けれども、ご乗車ありがとうございます、とか、ドアに指をはさまれないよう、ご注意ください、とかは決して言いません。

電車は、約40分かけて、フランス南端の国境の町を目指しました。

45分の遅れは、終点までそのまま。そのため、折り返し上り電車も15分遅れで発車して行きました。どうして遅れたのか、最後まで理由は分かりません。


2) アンダイとエンダイア:Hendaye & Hendaia

「Hendaye」は、難読地名です。フランス語では、「ア」ンダイと発音します。アクセントは最初の「ア」にあります。なんとなく、”アンダイエ” などと言いたくなる気持ちは分かりますが、秋葉原が、決してアキバ・ハラではなく、アキハ・バラであるように、ここは、アンダイです。

事態をややこしくしている要因に、Hendayeのことを、スペイン語またはウスケラでは、Hendaia、エンダイア、と言うこともあります。もしかしたら、エンダヤ、と聞こえる方もいると思います。フランス語風の発音をする方は、どうか、最後の母音を独立して発音したくなる気持ちを、ぐっと、こらえてください。

アンダイは、スペインに向かう場合、フランス最後の駅です。駅の構内は広大で、3本のプラットホームの海側には20本以上の線路がある貨物ヤードが広がっています。

シェンゲン協定により、国境の検問が事実上廃止となった現在、アンダイ駅もがらんとしてしまいました。ローカル線の折返し駅の風情です。長くて幅の広いプラットホームにぽつんと停車したTERアキテーヌの電車が、どこがわびしげです。

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( 広すぎるアンダイ駅構内 )

アンダイ駅舎の外観は、30年前と変わっていません。多少、改造していますが、私にとっては懐かしい姿のままでした。

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( SNCFアンダイ駅舎 )
198608アンダイ駅
( 30年前と、ほとんど変わらないアンダイ駅。Gare de Hendaye Sep.1986 )

けれども、内部は21世紀に見合うよう、現代風になっていました。天井の照明は明るくなり、発車案内は電光掲示になって、きっぷの自動販売機も設置されました。フランスとスペインを結ぶ幹線ルート上に位置していることに変わりはないので、駅には、少なくない数の旅行者がいます。

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( アンダイ駅改札と左奥のきっぷ売場 )

接続電車の発車時刻まで余裕があったので、駅の周りをぶらぶらしました。
たくさんの線路の向こうに、国境のビダソア川を隔ててオンダビリアやイルンの市街地が見えます。

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( アンダイ駅付近から対岸のオンダビリア方面を見る )
198609アンダイ駅からイルン方向手前EUSKO鉄
( アンダイ駅付近から眺めたイルン方向。1986年9月 )

かつて、駅前に軒を連ねていた両替屋さんも、ユーロ導入ですっかり消えました。平凡なアパートが並ぶだけの駅前風景です。

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( 雨のアンダイ駅前。左の道路下付近が、EuskotrenのHendaia駅 )

3) ウスコトレンで進む:Euskotren

駅に沿った道路から下を見ると、バスク鉄道こと、Euskotrenの一本きりの線路が、すうっと伸びています。

SNCFの設備や敷地がたいそうな規模であることと比べると、究極のシンプル形です。けれども、旅行者にとっては、ウスコトレンの方が便利な電車なのです。

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( ウスコトレンのエンダイア駅と、奥のSNCFアンダイ駅舎 )

乗換客は、SNCFアンダイ駅とウスコトレンのエンダイア:Hendaia 駅の間100メートルくらいを徒歩で移動します。雨でも、荷物をひきづって走れば、まあいいか程度の距離感です。

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( SNCF Hendaye駅前から見たHendaia駅舎 )

ウスコトレンの駅舎は、海上コンテナ1個分くらいの、こじんまりした空間です。きっぷ売場、2台のきっぷ自動販売機、自動改札機があるので、電車の到着時には、けっこう混雑します。駅員さんが、「降りる人を通してあげてえ」、というように腕を横に広げて、乗車客を止めています。

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( Hendaia駅舎内部。左の青枠がきっぷの自動販売機 )

ひとしきり電車到着時の喧噪が終わると、改札口もプラットホームもひっそりとします。

電車は、ドノスティア方面からやってきて、十数分停車したのち、折り返しドノスティア・アマラ経由ラサルテ行きとなります(Amara,Donostia ---  Lasarte) 。 30分間隔の運転です。Hendaia駅では、朝6時から夜10時すぎまで、まったく同じパターンでの電車折返し風景が、米つきバッタのように繰り返されます。とても、わかりやすい仕組みです。

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( Hendaia駅に到着したウスコトレンの折返し電車 )

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( ウスコトレン最新型900形の車内 )

CAF社製の最新型の900形電車は、丸味を帯びた先頭デザイン、白っぽい色合い、機能的な座席、ごみ落書きがない車内などが印象的です。鉄道サービスや技術レベルが、とても高いことが一目で分かりました。安心して乗っていられる鉄道です。

車内の行先案内や停車駅案内は、スクリーン表示です。言語表記は、ウスケラ、スペイン語、フランス語、英語の順で繰り返されます。

また、放送では、次の停車駅の地名のみ、1回だけ言います。「次は」、に相当するセリフはなしで、チャイムのあと、「アマラ。ドノスティア」という感じです。

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( ウスコトレン900形の停車駅、行先スクリーン表示 )

さて、発車です。
すぐに、国境のビダソア川を渡ります。進行方向右側には、SNCFとスペイン国鉄RENFEの線路が敷かれた橋があります。その向こうに見えるのは、イルンとオンダビリアの境目くらいの街並みです。

写真はありませんが、進行方向左側は国道の橋です。

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( Hendaia発車直後に渡る国境のビダソア川とSNCF/RENFEの線路 )

電車は、ドノスティア・アマラまでは、右側通行で走ります。約40分かかります。

ガイジン客の大半は、サンセバスチャンに行きたいのですが、表示はドノスティアやアマラばかり。サンセバスチャンの文字が少なく、不安になる方もいるようです。ドノスティアが、サンセバスチャンと同じ意味であることや、アマラ駅が、ドノスティアの中心部に近いターミナル駅であることを知らないと、仕方がないです。慣れるしかありません。

途中駅から、少しづつ地元客が乗ってきて、アマラに着くころには、座席の3分の1くらいが埋まっていました。
私も、ビーチと美食の高級リゾート、ドノスティア観光に行くため、電車を降ります。海辺のすがすがしい空気を思いっきり吸いに行きましょう。


4) ドノスティア・アマラの鉄道風景:Donostia Amara

電車はアマラに到着しました。8割方の乗客が降ります。そして、その半分くらいの人が乗ってきます。

アマラ駅は、ウスコトレン最大の駅です。折返し式の配線で、プラットホームのある線路は6本あります。朝から晩まで、電車がひっきりなしに発着しています。そう言っても、日本人感覚では、人も少なく、いつもがらんとしています。

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( ドノスティア・アマラ駅プラットホーム風景 )

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( アマラ駅に並ぶ多くの自動改札 )

アマラ駅正面は、さすがに堂々たる造りです。青い看板に書いてある内容は、駅名ではなく、メトロ・ドノスティアという意味のウスケラ兼カスティヤーノです。駅前は、ちょとした公園になっていて、観光客は、木々の向こうに並ぶ整然とした高級マンション風景に、この地の豊かさを感じてしまいます。同時に、「ここは、安心な町だ」という雰囲気も伝わってきます。

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( アマラ駅正面 )

アマラ駅では、すべての電車が折返します。見ていると、先発の電車が発車したあと、早ければ4、5分もすると、次の電車が同じプラットホームに入線します。ダイヤが正確で、ちみつな運行管理がされていることが実感できます。車両がきれい、混雑がない、待ち時間が少ないことを考えると、日本と同等か、それ以上のサービスと技術水準です。
「ウスコトレン、すごいぞ」、と心の中で、拍手喝采しました。

ホーム脇の側線に停まっている青い電車は、旧型車両です。定期列車は、すべて白色ベースの900形車両で運転されていました。

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( アマラ駅で発車待ちをするウスコトレンの電車たち )

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( 4本の電車が横並びで停車しているのは壮観な眺め )

バスク鉄道こと、ウスコトレンの線路の幅は、JRよりちょっとだけ狭い1000mmです。また、プラットホームは、電車の床面とぴったり同じ高さに作ってあります。そのため、プラットホームに立って線路を見やると、日本の線路風景と、ほとんどウリ二つの光景が展開します。カーブの作り方、ポイントの配置など、いつもの通勤で見慣れている雰囲気そのものです。

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腹ごなしの散歩を兼ねて、アマラから5分ばかり郊外に出て、新興住宅街にある駅に降りました。日本の大都市近郊の私鉄の新線風景と、とても似た光景です。地味な色合い、機能性重視で、デザインで冒険しない抑制の効いた造りなど、日本人に受け入れやすい駅風景です。

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( ロイオラ駅出入口: Loiola )

小規模駅には、普段、駅員さんはいません。自動改札機のうち、必ず1台は通路幅が広く、車椅子利用者や、ベビーカーを押したお客がゆうゆう通れるようになっています。

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( 標準的な自動改札機とプラットホームへの階段など )

駅構内には、広告看板類がいっさいありません。発車案内は、LED電光案内で表示。電車が近づくと、発車案内表示脇のランプが点滅します。自動音声で、「電車がまいります」、とか、「あぶないですから白線の内側へ下がってお待ちください」、と注意放送を行なうことはありません。

乗客は、静かに待ち、電車もあまり音を立てずに到着し、ちょっとだけ、さわさわとしながら客扱い行なって、すうーーっと発車していきます。

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( 駅に着いた電車 )

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( 臨時折返し用のシーサスクロッシングを通って到着するウスコトレン )

「都会の電車だなあ」と、見とれてしまいました。


                                           2018/2月記。2017/9訪問   了

ビルバオ・メトロというアート

ビルバオ・メトロというアート:Metro Bilbao

1) ビルバオ・メトロという作品

ビルバオのメトロは、地下鉄です。
1995年11月に最初の区間が開通しました。グッゲンハイム美術館ビルバオ分館開館に先立つこと2年前です。

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( ビルバオ・メトロの電車。地下区間へ入るところ )

この電車は、日常の乗り物ですが、ビルバオのイベントのひとつみたいです。人々の目をひくため、デザインも相当考え抜いたのではないかと感じました。設計責任者は、イギリス人建築家ノーマン・フォスター: Norman Foster という人物です。

観光客は、おじけづいていないで、是非メトロに乗ってみたいものです。最低運賃1ユーロくらいの観光名所に入ったと思うと、気分もウキウキします。メトロの駅も車内も、とても安全、清潔です。落書きや物乞い、小銭ドロボーは、バスク人の誇りにかけて、見かけません。日本と同じくらい治安の良いバスクは、世界中の宝と言っても良いでしょう。

私の感じるところ、メトロは、確実にトップ5以内の観光スポットです。

「残りの4つは、何ですか?」
「グッゲンハイム美術館、ビスカヤ橋、ユニークデザイン建築群、グルメですかね」
「うーーん、そんなもんでしょうね。あなたにしては、まっとうな答えなので、拍子抜けしました」
「納得したら、さっそく、メトロに乗りましょう」

乗車前に、ビルバオ・メトロの作品概要を整理しておきます。2017年9月現在の姿です。

*名称    メトロ・ビルバオ:Metro Bilbao
*路線数   3系統。 1,2号線は都心部では合流して運転。3号線は独立した路線。
*シンボルカラー  1,2号線はオレンジ色。3号線は青。

*開業    1995年11月。逐次延伸中。全線複線電化。
*軌間(線路の幅)    1000ミリ ( 日本のJRは1067ミリ )
*通行区分  全線で左側通行。 ( スペインのクルマは右側通行 )
*立体交差  全線立体交差。地下区間または高架区間。
*駅の構造  例外を除き、全駅、上下線別対面式プラットホーム構造で自動改札機設置。ホームドアはなし。
*バリアフリー 各駅にエレベーターあり。
*車両    1,2号線はメトロビルバオ独自の電車。4両または5両編成。
        3号線は、ウスコトレン社が運営のため、同社900系電車4両編成で運転。

*運転本数  朝6時前より夜11時過ぎまで運転。都心部では5分から10分ごとの運転。
*相互乗入れ 2017年4月11日開業の3号線のみ、ウスコトレン線と相互乗り入れ中。
         最長はビルバオ・マティコ駅発ドノスティア・アマラ行き普通電車。
*ダイヤ構成  平日、土曜休日、週末終夜の3本建て。
*終夜運転  金曜夜は終電を2時ごろまで繰下げ、土曜日深夜は終夜運転。

*運賃    ゾーン別運賃。3段階あり、0.90ユーロから1.18ユーロ。
        バリクカード(旧名クレディトラン):barikcard という名称のICカード導入済。 
        カード利用時は割引運賃適用。50回または70回利用割引運賃、シニア割引、年間ベースの学生割引等がある。

*その他   3号線は、ビルバオのロイウ空港まで延伸工事中。開通年未定。


2) メトロの駅で、わくわく、どきどき

ビルバオ・メトロと言えば、ガラスのドームの出入口がシンボルです。とても洗練されたなデザインで、一度、見たら目に焼き付きます。私はガラスいも虫のように感じました。

電車に乗ることをためらっている方でも、メトロの出入口のコメントは忘れません。ビルバオを代表するオブジェを見落とすような観光客は、ほぼ皆無です。

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( モユア広場のメトロ出入口。ガラスいも虫が二カ所あります )

ガラスいも虫は、ビルバオの中心部では、それなりに見かけます。観光客が多いモユア広場には二つあって、思わず、「わあー」と、興奮してしまいます。

「見とれていないで中へ入りましょう」
「はあい」

下の写真は、モユア駅の西隣り、インダウチュ駅の西側出口です。木立がすがすがしい歩道の途中に、にょっきり顔を出しています。
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( インダウチュ駅西口のメトロ出入口 )

ガラスで覆われた地下への出入口そのものは、東京にもいくつかあります。舎人ライナー日暮里駅そばの駐輪場への出入口、メトロ東西線の竹橋駅の出入口などです。けれども、ビルバオのものは、デザインが洗練され、しかも機能美を追求した現代風のシンプルさを感じる分、東京の類似品より、一枚も二枚も上をゆく構造物だと感じます。みなさまの感想は、いかがでしょうか。

東京も、2020年オリンピックがチャンス。是非、すてきなデザイン、記憶に残る機能美を追求してほしいです。

1274日暮里駅いもむし型出入り口
雪の竹橋の午後201801 (1)
(上は日暮里駅駐輪場、下は竹橋駅のガラスドーム )

ガラスいも虫の内部から地上を見上げると、じゃばら風です。外から見たほどユニークな雰囲気ではありません。
メトロの駅は、全部が全部、このタイプの出入口ではありません。大半がエスカレーター用の出入口ですが、ときどき階段のこともあります。どういう理由で、ガラスいも虫式か、その他式か、を選んでいるのか、確かめていなくて、すみません。

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( ガラスいも虫内部 )

例えば、BBVAタワーがそびえるアバンド駅:Abando  のメインはガラスいも虫式ですが、脇の方の出入口は、何の変哲もないスタイルです。

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( アバンド駅のBBVAタワー前のメトロ出入口 )



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( 同じアバンド駅でも、ガラスいも虫式でない出入口 )

ずんずん駅の中へ入ります。

モユア駅の通路には、ノーマン・フォスター氏のサインをかたどったレリーフがあります。ふうーん、と見たまではよかったのですが、写真を撮り忘れました。

メトロ1,2号線の地下方式の各駅の構内は、色合いや寸法がほぼ同じデザインです。駅名標を取り替えれば、どれがどの駅だが分からなくなるくらい、そっくりです。乗降客の多い駅と、少ない駅で、大小の差があってもいいような気がしますが、そんなことはありません。下のモユア駅のように、人通りが多いか、あるいは郊外の駅のように、がらんとしているかだけの差です。

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( メトロ1,2号線は、全駅ほぼ統一デザイン。改札手前のきっぷ自動販売機 )

改札口につながる通路には、かならず切符の自動販売機があります。切符だけでなく、バリクカードの販売やチャージもできます。ウスケラ、スペイン語に加えて英語案内もあります。故障もめったにありません。つり銭もきちんと出ます。

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( メトロのきっぷ自動販売機。英語案内もあります )

私もバリクカード:barikcard を購入して、電車乗り場へ向かいます。

旧名はctb = Credit Tran Bilbao らしいのですが、2017年現在、当局は ”barik card ” 一本で押してきていました。

340バリクカード表面
( バリクカード表面 )

モユア駅のメトロの改札口です。ヨーロッパの標準的な装置です。

どこの駅も必ず改札口が二カ所あります。けれども、二つの改札口は、構内でつながっていません。反対側の出入口に降りてしまったときは、地上で遠回りをしてホテルや観光スポットに向かうしかありません。

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( メトロの改札口。全駅統一デザイン )

改札をとおり、プラットホームへ降りてきました。
銀色と灰色の壁、通路、手すりで統一された構内は、やや前衛的な雰囲気です。SF映画の宇宙船の通路のような雰囲気です。広告類は、いまのところ一切ありません。

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( メトロのホーム。大きな断面のトンネルで、広々感を出している )

バリアフリー対策も完璧で、全駅にエレベーターが設置され、専用の自動改札を通って電車に乗り降りできます。

21世紀を見据えたプロジェクトなのに、ホームドアがないのが、やや不思議でした。そこまで混雑しないと見たのか、うっかり設計忘れか、真相は調べていません。勉強不足をおわび申し上げます。

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( バリア・フリー用のメトロのホーム・エレベーター。改札も独立仕様 )

当然、駅名標も統一デザイン。
カラーリングは、1,2号線がオレンジ色、3号線が青色です。
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( メトロの駅名標と各種案内。1,2号線はオレンジ、3号線は青がシンボルカラー )


3) いろいろな電車体験

メトロでも、案内放送や、電車接近のチャイム類はいっさいありません。ホーム上には、次の電車が何分後に到着するかを知らせる電光掲示板が下がっています。また、電車が入ってくる直前になると、ホーム上の照明が、パアッと、一ランク明るくなって、乗客に注意を促しています。

「あぶないですよ!!黄色い線の内側を歩いてくださあーーい」と、マイクでがなり立てるようなことはありません。ビルバオ・メトロがデフォだと思っているバスク人が、東京のメトロに乗ると、人の多さにびっくり、次に、注意放送の騒々しさに、「四六時中怒られているみたい」、という感想をもらすかも知れません。

ビルバオ市民は、あまりおしゃべりせずにメトロに乗っていますので、駅の中も大変静かです。

こういうところが、多くの日本人旅行者のみなさんが、「バスクは、スペインじゃないみたい」と感じる原体験のひとつです。私も、そのとおりだと思います。

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( ホームに入ってきたメトロ1,2号線の電車。左側通行です )

1,2号線の電車の車内です。シンプルで機能的なデザインです。開業以来20年以上経っているのに、メンテがしっかりしているせいか、あまり古さを感じません。

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( メトロ1,2号線電車の車内 )

メトロの路線は、都心部から離れると地上に顔を出し、高架区間が多くなります。高架の駅も、それなりに軽快なモダンデザインです。

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( メトロ地上区間の駅と電車。ブエルタ駅にて )

平日の朝、郊外から都心へ向かう通勤時間帯の電車に乗ってみました。

9月の日の出は午前8時ごろです。曇り空が、ようやく明るくなってきたエチェバリ駅:Etxebarri  都心方向のホームは、途切れない程度に通勤客が電車を待っています。各乗車口に数人ずつ並ぶほどでもありません。電車は、4,5分間隔で発車しますが、見ていると、全員座れます。モユアまで約10分です。

感覚的ですが、朝の通勤電車より、ランチタイム時や夕方帰宅時の電車の方が、混んでいるような気もします。みな、一目散で食事をとりに家に帰ったり、待ち合わせ場所に向かうので、人が集中しやすいのです。

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( 郊外のエチェバリ駅の朝8時ごろの上りホーム風景 )

4) メトロ3号線登場

2017年4月11日にメトロ3号線が開業しました。
ウスコトレン社の経営なので、全体の雰囲気は、ウスコトレンの地下区間みたいな感じです。在来線と相互乗り入れも始まりました。1,2号線とは、東京メトロと都営地下鉄のような関係ですが、サービスは縦割りではありません。

3号線もビルバオのメトロの一部なので、運賃体系は共通、駅の造りや案内方法も1,2号線と極力似せてあります。当たり前と言えば、当たり前のことをやっているまでです。

キーとなる駅は、サスピカレアク / カスコビエホ駅: Zazpikaleak / Casco Viejo です。1,2号線との乗換駅であり、ビルバオの都心部に一番近い駅です。昔風のビルの間に割り込むようにしてガラス張の明るいイメージの駅舎を造りました。

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( 新装なったサスピ・カレアク / カスコ・ビエホ 駅出入口。 赤1,2号線、青3号線の表示 )

メインの出入口は、ガラスいも虫デザインではありません。中に入ると、左右すぐのところに3号線改札、中央のエスカレーター下に1,2号線改札があります。両系統を乗り継ぐときは、いちど、改札を出たり入ったりしますが、運賃は通算されます。

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( 1,2号線と3号線の乗換場所。系統別の改札で、エスカレーター下が1,2号線改札 )

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( サスピカレアク / カスコビエホ 駅の系統別出口、通路案内 )

3号線は、開通直後なので、駅も電車もピッカピカ。ホームに蛍光灯の光がきれいに反射しています。まだ、乗客は多くないので、電車はかなりすいています。

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( 3号線の青い駅名標、案内表示。サスピ・カレアク / カスコ・ビエホ駅 )

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( ククヤーガ・エチェバリ駅に停車中の3号線始発電車と、左アチューリ行き在来線 )

3号線の東の終点が、ククヤーガ・エチェバリ駅: Kukullaga Etxebarri 。相互乗り入れの接続駅です。古い駅を、全面的に改修したので、新駅とみまごうばかりのピカピカ度でした。


ビルバオ・メトロをだいぶ楽しんだので、最後に夜景をみてみましょう。

朝の暗いうちや夜間に、ガラスいも虫の駅に行くと、明かりが曲面ガラスに反射して、華やかな雰囲気です。雨に濡れた歩道にも光が当たり、いつもより多くの光の点が映っていました。

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( 闇に煌々と輝くビルバオ・メトロのガラス・ドーム出入口 )

なかなか幻想的な雰囲気が出ていました。

                                             2017/9観光、2018/2記   了


ビルバオめぐるトランヴィア

ビルバオめぐるトランヴィア   2017年9月


1) トランヴィアに乗ろう

トランヴィア:Tranvi*a は、2002年開業のLRT:Light Rail Transit です。

あえて訳せば、ビルバオ市電ですが、昔ながらのチンチン電車ではありません。バリアフリー、低騒音、低運賃、芝生軌道、現代デザインの、弱者と環境にやさしい21世紀を意識した乗り物です。
線路の幅は、ウスコトレン、メトロと同じ1000ミリメートル。日本のJRや大部分の私鉄より軌間が67ミリほどせまいだけの狭軌鉄道です。

大きな曲面ガラスと、縦幅の長い窓の黄緑色のイメージの電車は、とてもスマート。ビルバオの新しいビル群にお似合いです。街中歩きで目にすると、絶対に乗りたくなる乗り物です。安全、安心ですので、おじけづかずに乗りましょう。

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( グッゲンハイム付近の芝生軌道を走るビルバオのトランヴィア )

トランヴィアは、グッゲンハイム美術館と同じように、今世紀のビルバオをリードする存在です。観光にも便利な電車で、カスコビエホ脇のアリアーガや、グッゲンハイム、高速バスターミナル直結のサン・マメスなども通ります。居ながらにしてビルバオの過去、現在、近未来が見えます。テーマパーク内の乗り物気分です。
運賃は均一制で、バリクカードで0.73ユーロ、現金で1.5ユーロ(2017年9月現在)です。全線の所要時間は22分。昼間は10分ごとの運転です。

車内でウトウトしても、スリはいません。でも、キセル乗車は絶対にいけません。

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( トランヴィアの車内。ワンマン運転。ほとんど混まない )


2) 始発駅は地味に

トランヴィアの東の起点アチューリ:Atxuri です。近郊電車ウスコトレン:Euskotren のアチューリ駅前が停留所です。2017年4月から、ウスコトレンの半分以上の電車が、都心部に近いカスコ・ビエホ方面に行くメトロ3号線と相互乗り入れを開始したので、アチューリ駅は、かなり寂れてしまいました。

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( アチューリ駅前に停車中のトランヴィア )

アチューリ駅は、ウスコトレン、日本語訳バスク鉄道のビルバオのターミナル駅として建設されたので、装飾も凝っている堂々たる建物です。

トランヴィアは、乗車前にバリクカードをタッチするか、きっぷを買って自分で改札機に通します。電車内で、カードをタッチしたり、現金精算することはできません。ビルバオ・ルールですから、慣れるしかありません。

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( バリクカードのタッチ装置 )

トランヴィアのカード・リーダーです。始発のアチューリで写真撮り忘れたので、アバンド停留所のもので代用です。
カードがない人は、自動販売機できっぷを都度買います。少額紙幣も使え、つり銭もきちんと出ます。
きっぷを買ったら、乗車前に、赤い矢印の先にある、自動消印装置にきっぷを差し込んで、使用済み状態にします。ヨーロッパで、よくある方式です。

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( トランヴィアのきっぷ販売機 )

黄緑色の自動販売機は、大型で、とても頑丈そうです。数時間おきに係員が回ってチェックしています。几帳面なバスク気質を反映して、故障やつり銭切れを見たことはありません。つまり、検札のとき、”機械の故障できっぷを買えなかったとか、タッチ忘れた”、という言い訳は99.99%ウソ、です。

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( トランヴィアの運転席 )

トランヴィアの一番前に乗ると、運転手さんと同じように前方の景色が見えます。童心に帰って、わくわくしながら眺めるのがいいかも。
スペインでは、運転席かぶりつきのような鉄道趣味はないので、もしかしたら、運転手さんが気味悪るがるかも知れません。

「信号よし、出発進行!」


3) 静かに走ろうビルバオ

スペイン人はおしゃべりです。
けれども、トランヴィアもメトロもバスも、ビルバオの乗り物の車内はたいてい静かです。

ニッポン:
「ご乗車ありがとうございます。この電車は、ラ・カシーヤ行きです。後ろ乗り、前降りです。運賃は170・・・エンです。カードリーダーに、ピッという音がなるまでタッチしてください。車両なかほどに優先席がございます。急ブレーキにご注意ください」
(運転手さんの肉声で)「14時50分発ラ・カシーヤ行きです。あと1分少々で発車です」
「ドアが閉まります。ご注意ください」
(運転手さんの肉声で)「ドア閉めまーす」

ピンポーン「次は、リベラです。お出口は右側です」
LEDの文字表示は、日本語、英語、中文、ハングルが、繰り返し流れるように出ています。

うるさいぞお!!音声案内は日本語しかないし、ガイジン客はどうすればいいんだ。

トランヴィア:
電子音で、ププーーー”。ドアが閉まって、静かに発車。案内放送は一切なし。

ポーン「リベラ」
LEDの文字表示は、アルファベットで書いた駅名がずっと表示されているのみ。

たった、これだけです。無口なスペイン人のようです。

少しは、静かなトランヴィア車内を見習ってほしいのですが。


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( リベラ停留所。左がラ・リベラ市場(いちば) )

アチューリから、4つ目の停留所プラサ・バロハまでは単線です。三連接車体の電車が、くねくねと旧市街脇の狭い道を急カーブ、急スロープでゆっくりと走り抜けます。途中、アリアーガで必ず上下線の電車が交換します。道路上を走るので、トランヴィアは右側通行です。


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( アリアーガ停留所に入るラ・カシーヤ行きトランヴィア )

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( アリアーガ停留所では、必ず電車交換 )

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( アリアーガ劇場を回り込み、アーレナル橋を上り勾配で渡ると、アバンド停留所 )


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( 急カーブを過ぎてアバンド停留所に着くアチューリ行き )


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( アバンドから、再び急カーブ、急スロープでネルビオン川左岸に出る )

線路は、ネルビオン川沿いに出た付近で複線になります。少し走ると、芝生軌道になります。環境にやさしいトランヴィアの名前に負けない風景の中を走ります。


4) クライマックスはグッゲンハイム

ネルビオン川沿いからグッゲンハイム、ウスカルディナ付近が、トランヴィアでもっともダイナミックな風景が展開する区間です。川沿いの公園や、美術館、高層ビル、センスのよいホテルやマンションを右や左に見ながらトランヴィアは、少しゆっくり目に走ります。歩くのが面倒な方は、この付近の車窓風景を楽しまれますように。

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( スビスリを遠目に見てトランヴィアは走る )

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( グッゲンハイム美術館の下をくぐるためカーブ )

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( グッゲンハイムの下をくぐるトランヴィアの線路 )

電車は、きちんと次の停留所を自動音声で告げてくれます。

ポーン。「グッグ(ン)アイム」
「・・・・・・・・・・・」
「旅のお方、グッゲンハイム美術館はここですよ」
「えっ、ほんとだ。ありがとうございます」
「よい、いちにちを」

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( Guggenheim 停留所。美術館より、ちょっと西側にある )

グッグアイムを過ぎると、しばらく新しい公園の中を走ります。イベルドローラ・タワーや、ウスカルドゥナを見やると、電車は左にカーブして、緩やかな坂道を上り始めます。サビーノ・アラナ大路です。
初秋のさわやかな風が、並木をさわさわと揺らしていて、とても清々しい気分でした。

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( Avenida Sabino Arana。 トランヴィアの線路は、植樹帯の左にあります )


5) いきいきサン・マメス停留所

”サン・マメス”

アスレティック・ビルバオ・サンマメス・スタディアム下車停留所です。
旅行者の多くにとって、馴染み深くなった地名です。だんだんビルバオ市民のような気分になってきました。
「メトロ、RENFE、FEVE、高速バスご利用の方はお乗換です。バスク大学本部行きノンストップ・バスご利用の方は、進行方向前方にお進みください」、とは、トランヴィアでは放送しません。

若い人が、いっぱい居て、現代的なビルがたくさんあって、山の緑も目に入る、この停留所が、私はけっこう好きです。

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( 2枚とも、サン・マメス停留所。背後はバスク大工学部校舎 )

サン・マメスを出たトランヴィアは、「コ」の字形に、高速バスターミナルを周り込むように走ります。頭を東に向けたところで出た大通りが、アウトノミア通り:Autonomia です。新市街を、ぐるっと大回りした感じで、ラスト区間に入ります。


6) 終点、ラ・カシーヤです

ちょっとだけ、ガタゴトと音を立てて、電車は終点ラ・カシーヤ: La Casilla に到着です。バスしか接続しない、中途半端な場所ですが、近隣住民の方が、けっこう乗り降りしています。

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( ラ・カシーヤに到着するトランヴィア )

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( ラ・カシーヤで折返し待ち )

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( ラ・カシーヤ終点から東の都心部方向は、線路が途切れておしまい )

いったん、車内の客となれば、徒歩観光にも劣らず、さまざまなビルバオ風景が見られます。
乗っても損はない電車のミニ・トリップです。

「ここから、どうやって次に進めばいいんでしょうか?」
「斜め左前方あたりを目標にして15分か20分歩くと、モユア広場に出ます。次は、歩いてビルバオを楽しみましょう。ちなみに、バルは、左折して歩いて行くとあります」
「ありがとう」

メモ2002年開業 約5.5km 22分



夏が来ればカストロ・ウルディアレス

夏が来ればカストロ・ウルディアレス:CASTRO URDIALES


真夏のバスクは、バカンス・シーズンです。
普通の市民でも1カ月くらい休みます。

バカンスの一番人気は、自前で持っている海沿いの別荘で、ずっと過ごすことです。
一軒家を持っているリッチな方もいますが、大半は、海の見えるリゾート・マンションで夏休みです。私たち日本人とは、ちがう感覚です。いや、暮らし向きが豊かなのかも知れません。

かつて、そういう海辺のリゾート地へ寄ったことがありました。
カストロ・ウルディアレス:Castro Urdiales という名の、地方レベルのリゾートです。ビルバオから西へ約30km、ここまで来るとバスク州ではなく、隣のカンタブリア州です。けれども、生活圏としては、ビルバオ近郊の町です。

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( 晩夏のカストロ・ウルディアレスのビーチと町はずれの要塞跡 )


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( カストロ・ウルディアレス市街とリゾートマンション 1986/9 )


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( カストロ・ウルディアレス漁港と旧市街風景 1986/9 )

普段は、のどかな漁港風景が広がり、マンションの立ち並ぶリゾートエリアにポツポツと人が歩いているくらいです。けれども、夏休みや春秋の週末は、別荘族で大賑わい。ここからビルバオの職場までクルマで通う人もたくさん出現するようです。それでも1時間弱の通勤時間。
「人間らしいなあ」、のひとことに尽きます。


さらに西へ進み、ビルバオから50kmほど離れると、ラレド:Laredo という、かなり有名なリゾートがあります。何でも、スペイン王族も、たまに来るとか、来ないとかの町だそうです。

江の島みたいな海に突き出た岩山が美しい、遠浅のビーチを擁した典型的なリゾートタウンです。

ラレドには、白砂のビーチを取り囲むように、白壁のリゾート・マンションが林立しています。建物のデザイン、色調が似ているので、街並みを鳥瞰すると、統一感があり、とてもすっきりしています。

よく考えると、日本人が理想とするビーチ・リゾートのイメージです。

1LDKか2LDKのマンション価格は、本体価格のみで800万円から2000万円くらいです。こじんまりしたマンションなら、買ってもいいかなと思います。

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( (参考)  ラレド:Laredo の遠浅のビーチ、フリーフォトより引用 )


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( (参考) ラレド:Laredo に立ち並ぶリゾートマンション群。フリーフォトより引用 )


けれども、ラレドのような整った眺めが一朝一夕にできるものではないことは、現在の日本の都市景観、リゾート景観の、ばらばら感を思い出せば納得できるでしょう。

気持ちはゆったり、街並みはすっきりしたいなあ、と思います。

「どこから手をつければいいのでしょうか?」

「まずは、ゆったり休むことです。正社員、1年以上勤務した契約社員、派遣社員には、例外を認めず、最低連続10日勤務日の休暇を義務付けてほしいです。仕事も義務、休みも義務、です。街並み整理には10年単位の努力が要りますけれども、バカンス事始めは、今からすぐにできます!」

コツは、非正規雇用の方も、しっかりサポートするだと思います。そうしないと、「休暇中に、派遣さんに仕事を取られるのではないか」と、正社員の方が疑心暗鬼になり、職場が総すくみになって、おちおち休めなくなるからです。

いかがですか。ニッポンもいいところですが、バスクの良さにも学びたいと思います。

                                                        2018/2 記   了

クジラ去りしベルメオ

クジラ去りしベルメオ:Bermeo

ベルメオに寄ってみました。

ウスコトレン:Eusokotren  こと、バスク鉄道で、ビルバオから1時間20分なので、ちょっと時間に余裕があれば、半日で往復できる観光ポイントです。

漁港を取り囲む、丘の上の旧市街を、ちょっとだけ歩いてみました。バスクムードが漂う建物はカラフルな色合いです。観光ポスターにも盛んに登場します。

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( ベルメオ旧港の典型的風景。カラフルな家並みと居並ぶレジャー船 )

こういう光景は、付近一帯の漁師町ならではもの。レケイティオ:Lekeitio  なども観光客に人気のようです。

ベルメオでも、いわゆる新市街に出ると、現代風の中層マンションが並んでいます。二階建てくらいが多い日本の中小の港町風景とは、この点では異なります。

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( ベルメオ駅は半地下式。背後は新市街 )

ベルメオ駅は半地下式です。駅前に帆船のモニュメントがあり、港町気分を引き立てています。

駅前通りに出ると、ウスケラ:Euskera  、つまりバスク語のみの道案内標識が早速に目に入りました。この辺は、もうウスケラ話者が当たり前のように住んでいる地域です。ちょっと離れたところには、いわゆるスペイン語標識もあるので、旅行者でも心配いりません。

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( ウスケラのみの案内表示。真ん中は”旧市街”表示 )

駅前から見える公園の奥の方が、ベルメオ観光の中心、旧市街です。

雲が低く垂れ込め、雨も降りだしてきました。今日は、秋雨にむせぶベルメオを見るしかありません。

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( ベルメオ駅前から左ネストール劇場 中央ラメラ公園、奥が旧市街 )

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( 坂の上からベルメオ新港と、ラメラ公園を隔てて旧市街の丘を見る )

丘をひとつ回り込むと、旧港に出ました。漁船とレジャー船が半々に並んでいました。

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( ベルメオ旧港の波止場から見上げた旧市街 )

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( 坂の上から旧港を見下ろす )

漁港なのに、現代のベルメオは、あまり生臭くありません。

ここは、18世紀ごろまでクジラ漁で栄えた町ですが、乱獲によりクジラが絶滅すると、漁港としては次第に活気を失ったようです。クジラ問題は、とてもナーバスなテーマです。観光客は、歴史として知るだけが無難なようです。

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( 雨にむせぶイサロ島と右、ムンダカ対岸の山 )

海の彼方には、ムンダカ:Mundaka からも見えるイサロ島が雲間に鎮座していました。
降りしきる雨音だけが、海に響きます。

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( 市内のところどころにある漁師の像 )

街歩きコースの途中には、ところどころ休息スペースがあり、昔をしのぶように漁師一家の像が建っています。家事をしていたり、頭上にカゴを乗せて行商する、おかみさんの像もありました。

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( 新旧市街の境目にある漁師のおかみさんの像 )

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( 旧市街を囲んでいた城壁の出入口わきの立像 )

旧市街は、坂道がいっぱいあります。それでも小一時間歩けば、だいたい一周できます。途中で、バル兼食堂に入って、一休みしました。駅のそばの公園脇の広場にもピンチョス・バルが数軒あり、観光客も立ち寄ります。もちろん、路地裏のバルに入っても、みな、親切に旅の者の注文を聞いてくれます。

デラックスなレストランこそありませんが、バスクなので普通のお店でも、食のレベルは高いです。

道すがら、一応、市の中心にある市役所と、真向いにあるサンタマリア教会も見て、駅へ戻りました。

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( ベルメオ市役所前広場。左が市役所、右はサンタマリア教会 )

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( サンタマリア教会正面と鐘楼 )

バルを出ると、雨脚がいっそう強くなっていて、歩いている人もめっきり少なくなりました。大粒の雨が、石畳の道に音をたてて降り注いでいました。昼間なのに、少し寂しげな雰囲気になりました。

バスクの雨は、1時間くらいすると小降りになることが多いので、あせらず、あわてず天気の回復を待ちましょう。

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( 雨脚を増したベルメオ旧市街の通り風景 )

ほらね、雨もやんで視界もはっきりしてきました。


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( ベルメオ新港。右は船のモニュメント )

バスクの漁村風景を残す町、ベルメオに別れを告げましょう。
「アグル!」 ( またね )


                                          2017/9観光、2018/2記    了

彼女と見つめたい海ムンダカ

彼女と見つめたい海ムンダカ:Mundaka

バスクの海は、どちらかというと、物憂げな表情をした海です。

緯度が北にあること、バスクを含むカンタブリアの海岸が北向きで、自分の前に影が出やすいことが理由のような気がします。 

地中海の明るいビーチが、屈託なく遊んだり、ナンパする海だとすれば、バスクの海は、二人で寄り添って、じっと見つめたい海です。

かつて訪れたムンダカの海は、オレンジの夕陽に照らされ、静かに水面を揺らしていました。磯に張り出した公園に、しばしたたずんで、波が打ち寄せる音を聞き、黒くなってゆく風景を見つめていました。


ベルメオMundaka港公園198607夕方のビスケー湾
( ムンダカ港付近よりカンタブリア海とイサロ島の夕暮れ 1986年 )

その海を、再び見つめるために、ムンダカに向かいました。

ゲルニカから電車で約20分、北へ向かって走ります。

ウスコトレン:Euskotren の電車は、ゲルニカをあとにすると、ウルダイバイ自然保護区: Urdaibaiとなっている湿地帯の西側を延々と走ります。湿地の彼方には、木々に覆われたバスクの丘陵が続いています。小雨模様ですが、緑がいっそう濃く映え、日本の田園風景と重なります。

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( ゲルニカ郊外の車窓風景 )

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( ウルダイバイの湿原を間近に見ながら走る )

電車は、一駅ごとに海に近づき、小さな入り江やヨットハーバーが目に入るようになります。

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( ウルダイバイの河口付近。エスチュアリーと呼ばれる地形 )

ムンダカ:Mundaka 駅到着です。数人のお客をパラパラと下ろした青い電車は、ガッタンと音をたてながら去っていきました。

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( ムンダカ駅プラットホーム。電車はベルメオ行きの下り )

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( ムンダカ駅舎。集落の西はずれにある )

ムンダカの集落は、他にも増して静寂が支配的です。観光客はほとんどいません。小ぎれいなバスク風出窓が目立つマンション街や、旧役場、いまやヨットが主人公となった港を見ながら、海辺の公園まで歩いてきました。

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( 昼下がりのムンダカの目抜き通りと、ビスカイバス )

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( ムンダカ港近くの広場と、バスク風マンション )

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( ムンダカ港と、イサロ島遠望 )

港と隣り合わせの公園に、久しぶりに立つことができました。
海と山と川の風景を、ひとつひとつ視野に入れていきます。

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( ムンダカ港公園と、木立の背後の集落風景 )

ムンダカ港の防波堤の先には、イサロ島:Izaro が横たわっています。

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( ムンダカ港公園よりイサロ島遠望 )

低い雲がおちてきそうな2017年のイサロ島風景ですが、波は、あくまで穏やか。バスクの海と向き合う感慨にひたります。

” ムンダカの、雲をささえるイサロ島 ”

ベルメオMundaka港公園198607夕方のビスケー湾
( 茜色に染まったイサロ島風景を思い出す )


視線を、河口の対岸に移します。

三角江と訳されるエスチュアリーと、ゆるやかな山々の風景はいつまでも変わりません。ちらりと、バスク地方特有の灰色の石灰岩むき出しの山肌がのぞいています。天気により、霧にむせび、あるいは、秋の夕陽にオレンジ色もあざやかに輝きます。

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( ムンダカ港より、東の海岸線と石灰岩質の山を遠望 )

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( エスチュアリー対岸の奥を見る )

ベルメオ198607ムンダカ港公園より上流を見る
( オレンジ色に染まるムンダカ付近のエスチュアリー 1986年 )

エスチュアリーの奥の方にも目をこらします。ゲルニカ付近の山々は、あくまでも優しく、そして青く鎮座しています。

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( 雲が低いので、ゲルニカあたりは霞んでいる )

198709ムンダカからウルダイバイ方向の夕方
( 夕暮れが美しいムンダカのエスチュアリーとゲルニカ方面 1986年 )

なんか、室生犀星の一文を思い出してしまいます。

「ふるさとは、遠きにありて、思ふもの。 そして、悲しくうたふもの 」

実際は、ふるさとでも出生地でもありません。バスクに来て喜んでいます。それでも、何か帰ってきたような気分になり、また、去らねばならないと思うのでしょう。これが、私のバスクの風景です。

三度目は、やっぱり晴れの日に来たいものです。


                                       2017/9月訪問。2018/2記   了












ゲチョのアイセロータの海風

ゲチョのアイセロータの海風


ビスカヤ橋右岸のゲチョ市:Getxo はビルバオ都市圏の衛星都市です。ニッポン人にとっての知名度はいまひとつですが、実は、スペイン屈指の高級住宅街のひとつです。

ビスカヤ橋観光の前後に時間を作り、是非、街中をふらついてみましょう。豊かなバスクの、さらなる奥の深さを感じます。家の値段を聞いて、さらなるバスクの奥の深さにため息がでます。

ビスカヤ橋右岸の遊歩道を海に向かって歩いて行くとビーチに出ます。遊歩道は、浜辺に沿って彼方の崖の方までずっと続いています。右手の公園には、ビルバオ港の繁栄をたたえる大きなモニュメントが建っています。

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( ゲチョのビーチの遊歩道 )

海には、ビルバオの新客船ターミナルが突き出し、明るい雰囲気のショッピングモールやヨットハーバーが並んでいます。もう、これだけでセレブな気分を感じます。

運がよいと、大型クルーズ船が停泊している場面に出会えます。実際は、ビーチで寝転ぶ美女の方に視線が移ります。

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( ビルバオ新旅客船ターミナルとヨットハーバー )

ヨットハーバー前から、海岸が湾曲するあたりにかけての一帯が、超高級住宅街です。豪邸というより、小さなお城のような邸宅がビーチに沿って連なっています。

こうした邸宅のオーナーは、イギリス系スペイン人がほとんど。19世紀末、イギリスからここにやってきて製鉄業や造船業で財を築いた経営者たちが、きれいな空気と広い場所を求めて、ゲチョに家を構えたのが始まりです。竣工当時は、成金趣味だったようなデザインも、築100年を超すと、風格が出てきています。

ビーチの裏側の幹線道路を走って、邸宅の数々を見ました。
「ほんとに、ここスペイン?」、という光景が広がっています。

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( ゲチョの幹線道路と海沿いの邸宅 )

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( ビーチを眺める高台にそびえる豪邸 )

海沿いに比べると、内陸側の住宅街は、超がつかない程度の高級住宅街です。どちらにせよ、私の財力では、手がとどかない物件ですが、お城ふうの家を見た後だと、何かほっとしました。

本当は、これでも、かなりの豪邸です。芦屋と田園調布のレベルを超えています。生活道路に至るまで電線は、まったく張り巡らされていません。道沿いに看板や標語がペタペタ張ってあることもありません。緑に囲まれた敷地のなかに、品のよい家が、静かに並んでいました。

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( ゲチョ内陸地区のバス通りと住宅街 )

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( ゲチョ住宅街の細い生活道路風景 )

内陸部の高級住宅1軒のお値段は、不動産会社のwebsiteで、おおまかな感覚はつかめます。税別で、最低200万ユーロ以上です。3億円弱です。海の見える物件は、最低でも350万ユーロくらいします。

「IT長者さま。是非、1軒購入し、社員も泊まらしてやってください”ゲチョに家があってね”、なんてセリフが出ると、絶対に、他人のあなたさまを見る目が変わります!」

個人宅には入れないので、同じ造りのガーデンレストラン「ヨラストキ」:Jolastoki、に入って、耳あか程度のセレブ気分を味わいました。

このあたりは高台なので、目をこらすと、ビスカヤ橋の頂上部が遠くに見えます。午後の熱気で、鉄塔がかげろうのように、ゆらゆらと揺れて見えました。

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( レストラン、ヨラストキの正面玄関への道 )

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( ビスカヤ橋は遠きにありて、かげろうのごとし )

ビーチ沿いに戻って先へ進みます。白っぽい石灰岩がむき出しの崖を回り込むと、昔の漁師町の雰囲気を残した一角に出ます。産業革命が始まるまでは、ゲチョは、小さな漁港だったことを思い出させる観光スポットです。

ポルト・サーラ:Portu Zaharra という地区です。
またまたウスケラ:Euskera  の単語です。カンの良い方は想像がつくと思いますが、”古い港”という意味です。ここまで足を伸ばす人は、バスク度が高めなので、ウスケラも頭ではなく、肌で感じるようになってきているはずです。

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( ポルト・サーラの岸壁 )

ポルト・サーラには、バル、レストラン、ブティック兼お土産屋さんが石畳の坂道に沿って並んでいます。近隣の人々が、夕暮れときや週末にぶらぶらするには、お手頃な場所です。ガイジンは、ほとんど見かけません。

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( ポルト・サーラという名前のバル。内部はレトロ調 )


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(  雨上がりのポルト・サーラのバル&ブティック街 )

少なくない数の日本人旅行者が、ビスカヤ橋両岸のバルやレストラン体験をおすすめしています。是非、もっと足を伸ばして、ポルト・サーラ散策も検討ください。市バスでも来ることができます。本当は、品のよい芸能人でも来て、絶賛してくれると、バスク人気が、さらにアップするのですが、なかなかうまくいきませんね。

私に言わせれば、ちょっとくらい日本人が増えたって、人数的には、まだまだ、たかが知れています。ゲチョの雰囲気が壊れることはありません。肝心なことは、まず、バスクに来ることです!

ポルト・サーラを過ぎて、白い崖の先端の方まで来ました。

芝生の先に雑草が茂る、半分、野性的な公園です。アイセロータ:Aixerrota  という名前です。ウスケラで、”風車”、という意味です。昔ながらの風車が1基、ぽつんと残っていて、手ごろなランドマークになっています。

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( アイセロータ公園:Aixerrota /  Mirador Aixerrota )

風車に隣接して、クビータ:Cubita という名前の、高級レストラン兼バルがあります。みんな「アイセロータのレストラン」と呼んでいるようです。少し洒落た服に着替え、彼女といっしょに夜景を見ながら夕食をすると、とてもさまになるお店です。

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( アイセロータのレストラン、クビータ )

アイセロータ公園一帯は住宅街なので、景色を見る人、子供を遊ばせる人が混在しています。

澄み切った青空に輝いている太陽も、傾き始めました。

「 夕陽待つ、ゲチョの海原、輝きて、バスクの山に、雲はたなびく」

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( 夕方近くのゲチョ対岸の眺め )

芝生にすわり、少しずつ影を濃くしていくゲチョの街並みや、バスクの山々を、しばしの間ぼうーっと眺めていました。
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( ゲチョの海沿いの住宅街。左奥の彼方がビルバオ )

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(ネルビオン河口と、対岸のサントゥルティ市街。その左がポルトガレーテ方向 )

ちょっと、近所の公園に散歩に来た気分です。海風に当たっていると、うとうとと眠くなる心地よい空間です。バスクの適度な湿り気、濃い緑、おだやかな気質の人々に囲まれていると、家だか旅先だか分からなくなります。

ゆっくりとたなびく雲を見ながら、腰をあげました。


2017/9観光 / 2018年2月記     了



ゲルニカでバスクを感じる

ゲルニカでバスクを感じる:Gernika


1) ゲルニカはバスクにあり

ゲルニカは、ピカソの「ゲルニカ」で有名な町です。戦争の悲劇を改めて心に刻む町です。それと同時に、バスクの心のふるさとでもあります。バスクの人々の魂を感じることができます。

「えっ、ゲルニカってバスクにあったの?」

30余年前、私も、ここに来て、初めてゲルニカがバスクの地名だということを知りました。マドリードの美術館で、本物のゲルニカを見て数年後のことでした。

21世紀のいま、ゲルニカのレプリカは日本でも見られるようになりました。JR東京駅丸の内北口のOazoビル1階のロビーにもあります。ときどき、その前をとおりますが、場面が混乱している様子が伝わってくる不思議な作品です。

232東京駅前オアゾビル1階にあるゲルニカのレプリカ
( 丸の内Oazoビル1階ロビーにあるゲルニカ。無料で見られます )

バスク人気が上昇するにつれ、ドノスティア(サンセバスチャン)や、ビルバオの知名度が上がりました。そのため、第二次世界大戦の記憶の町ゲルニカの知名度は、相対的に下がり気味です。これが、時の流れというものでしょう。

けれども、見方によっては、バスク旅行の日本人が激増すれば、ゲルニカに寄る日本人も増えると思います。話に聞いたり、マドリードで見たゲルニカの、実際の土地を体験する人数が増えることは、良いことです。実際、私も日本人ツアーの一行をお見かけし、仰天してしまいました。よくぞ、ここまで、という気分でした。


2) ゲルニカ交通事情

ゲルニカも綴りがウスケラ風になり、Gernika と書きます。以前は、Guernica と書いていました。
ここは、人口1万5000人くらいの、静かで、のんびりとしていますが、さびれた様子もない小都市です。観光ムードがあるのは、中心部のエリアのみです。行政上は、隣町と合併して、ゲルニカ・ルーモ:Gernika-Lumo となっています。

交通は、ビルバオからウスコトレン(バスク鉄道)で約50分、またはビスカイバスで45分くらいです。電車もバスも、平日は30分毎、土曜休日は1時間ごとの運転です。ゲルニカ駅に隣接してバスターミナルがあるので、迷いません。半日観光で気軽に足を伸ばせます。

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( ゲルニカ駅舎。バス発着場は、写真の右手100mくらい )


3) バスク議事堂でレンダカリ気分

はじめに、駅前の観光案内板を見るか、街中の観光案内所まで行って、ゲルニカ議事堂の場所や博物館、絵のレプリカの場所を確認しましょう。いずれも駅から徒歩10分圏にあります。

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( ゲルニカ駅前の観光案内板 )

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( 町の中心部にある観光案内所 )

駅を背にして、左斜め前の方の丘の上に建つのがゲルニカ議事堂:Gernikako Batzarretxea = ゲルニカコ・バッツァレッチャ です。フェリアル公園:Ferrial を通り抜け、ゆるい階段を昇ると、石造平屋建ての重そうな議事堂が見えてきます。築200年弱の建物です。世界遺産や国宝ではありません。

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( フェリアル公園。議事堂側からの景色 )

よく手入れされた周囲の芝生と、何本も生い茂る大きな木の緑が目にしみる聖地の雰囲気を持つ場所です。振り返ると、平凡な家並みの向こうに、青々としたなだらかな山並みが望めます。

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( ゲルニカ議事堂正面 )

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( 議事堂前から見るゲルニカ市街とビスカヤの山並み )

議事堂内部は、大きく二つの部屋に分かれています。入口そばの議場と、入口左の大広間です。
ここは、かつてはバスク全体の議事堂でしたが、のちにビスカヤ県の議事堂となり、いまでは、バスク州かビスカヤ県の儀式を行なう場所になっています。そのため、ほとんど一年中、見学ができます。観光客に優しい施設です。入場無料なので、ツアーで来ても、開館時間内ならば、必ず入場観光できます!

雨が多いので、ここにも日本製の「傘ポン」が設置してあります。日本人なので、思わず顔がほころんでしまいますが、係員は、「何がそんなに珍しいんだ」みたいな顔をしています。
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( ゲルニカ議事堂入口脇の傘ポン )

議場内部は、質素ですが品があります。天井の細工が見事です。また、壁面を取り込んでいる歴代ビスカヤ伯爵の肖像を見ていると、バスクの長い時間や、それなりに政治的に上手くやっていた過去のノウハウを感じます。
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( 議場風景。正面が議長席 )

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( 議場の天井。細工が見事 )

議場正面は議長であるバスク政府首班の席です。呼称は、「レンダカリ」: Lehendakari 。けっこう、かっこいい名前です。意味は、「おかしら」。現代風の呼称に引き直すと、大統領、社長、首班などなどでしょう。

ちょっと、あぶない脱線ですが、どこかの国の金髪の大統領様も、人工衛星と称するミサイルを発射してひんしゅくを買っている首領様も、昔風ウスケラで呼ぶならば「レンダカリ」で、ひとくくりだと思います。

議長席をじっと見ていると、歴代レンダカリが、粛々と議会を率いていた様子が脳裏を横切りました。

議場の隣りは、ロビー風の大広間。その奥に図書室、資料室があります。天井を仰ぐと、バスクの木を描いたステンドグラスが、無言で訪れる人々の上にかぶさっていました。

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( 大広間全景 )

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( ステンドグラスに描かれたバスクの木 )

私は、1986年9月にここに来たことがありますので、ここを見るのは二度目です。バスク議事堂の中では、時間がほとんど進んでいません。

ゲルニカ旧バスク議事堂会議の間198708
( 1986年当時のバスク議事堂の大広間。少しだけ変わった )


4) ゲルニカの木を感じる

ゲルニカの木を見るため、大広間の衝立を回り込んで外にでました。議場の方からも出られます。
この有名な木は、建物背後の庭で、ひたすら静寂を保って直立していました。

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( 三代目ゲルニカの木。四代目説もあり )

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( ゲルニカの木と、議事堂背後の建物 )

バスク州は、グルメツアーの地だということ以外、気にかけるものがないと、「ゲルニカの木」は、ただの木です。ツアー客のみなさんも、3分くらい眺め、写真を2-3枚撮ると帰ってしまいました。時間は短くとも、バスク気分を感じればよいと思います。

歴史的には、ゲルニカの木は、バスクのシンボルであり、バスクの人々のシンボルでもあります。

解説によると、バスク領主になったビスカヤ伯は、この木の下で、バスクの自治権尊重を誓いました。日本人にとっての、三種の神器に似た感じ方をするのが、ゲルニカの木かも知れません。普通の木だと分かっていても、感情移入してしまうのです。

ゲルニカの木を5分、10分と眺めていると、無言のプライドが木の周りを取り巻いているような気分になりました。心霊スポットのような求心力があるのかも知れません。

今の木は、30年前の木とは、明らかに違っていました。パンフレットによると、私が初めて見たのは、1860年に植えられた二代目でした。かなり大きく育っていましたが、とうとう2004年に枯れてしまったようです。そのため、二代目の実から育てた苗木を2015年に植え替え、三代目としたそうです。

ゲルニカ柏の木三代目198608
( 二代目のゲルニカの木。1986年の姿 )

ちなみに、この木の種類は、オーク:Oak tree と書いてあるので、樫の木のように見えます。しかし、実物を見ると分かりますように、ヨーロッパ柏か、ミズナラの木です。柏餅で使う柏の葉っぱのような、切れ込みがありますし、近くにある同種の木には、どんぐりがいっぱいなっています。


5) 初代ゲルニカの木

いったん議事堂を出て、庭に回りました。ギリシャ風の列柱に囲まれた、お堂の中に、初代ゲルニカの木の太い幹が保存してあります。きっと、村のどこからでも見えるシンボリックな樹木だったのでしょう。

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( 議事堂の庭と、初代ゲルニカの木の保存用お堂 )

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( 初代ゲルニカの木の幹回り )

日本でも、有名な松の木などが枯死すると、次々と植え替えていき、「今ごらんいただけます、太郎のマツは五代目でございます」なんて、ガイドさんが口にしています。あれと、そっくりです。

バスク人と日本人って意外と似通ったところがあるんだ、と感じました。


6) ゲルニカと戦争

ゲルニカの木を感じたあとは、街中へもどり、バスクの中小都市の雰囲気を味わいました。

また、1937年4月26日に起きた、ヒトラー指揮下のナチスのコンドル軍団による無差別空爆の悲劇を、思い起こしましょう。他所者の私ごときが言うことではないかも知れませんが、バスクの心のふるさとゲルニカだったからこそ、ここはファシストたちに執拗に憎まれたような気がします。

今では、平和博物館ができ、空爆の様子を、末永く語り継げるようになっています。街はずれの戸外にも、ゲルニカのレプリカがあるので、寄ってみました。

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( ゲルニカ市街地にある、ピカソの「ゲルニカ」のレプリカ )

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( 町の中心部にあるゲルニカ・ルーモ市役所(役場) )

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( 市役所の対面にある平和博物館 )

市役所から駅へ通じるあたりが、ゲルニカの中心部です。けっこう人通りが絶えません。この一帯が、空爆で壊滅した地区です。伝統的な外観をしていますが、実は20世紀建築がけっこうあります。市街地は、道に迷っても、しまったと気づいて5分も引き返せば、見慣れた場所にもどれる大きさです。こころおきなく、無心で街歩きを楽しみました。

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( 石造の立派なアーケードがある市役所通り )

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( 観光案内所の、はす向かいにある数少ない土産物屋さん )

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( ゲルニカ市民生活の中心、公設マーケット。左の丸屋根の建物 )

中心街の通りには、観光客もいるし、地元の若い人や老人もいて、けっこう活気があります。シャッター通りはありません。カフェが何軒もあり、思い思いに、おしゃべりをしたり、仕事の息抜きにピンチョスひとつ、コーヒー一杯を口に入れてスマホをいじっているネクタイ姿の紳士もいます。確かに耳に入ってくるのは、ウスケラが多いです。

私なりのバスクを感じて、ゲルニカを去ることにしました。


2017/9訪問、2018/1記    了


出船がくぐるビスカヤ橋

出船がくぐるビスカヤ橋

1) ビルバオ郊外のユニークな名所

ビスカヤ橋:Puente Vizcaya も、ビルバオ観光の人気スポットのひとつです。2006年の世界文化遺産登録以来、人気は上昇の一途。ウスケラ呼称は、Bizkaia Zubia,、ビスカイア・スビア。別名、吊り下げ橋:Puente Colgante です。

この橋は、運搬橋と呼ばれる構造。高いマストの船も下をくぐれるよう、トラス構造の橋桁が、ものすごく高い位置にあります。橋を渡る場合は、上部のトラスから吊り下げられたゴンドラに乗って対岸に移動します。橋と言えば橋、渡し船の変形と言えば、そうかなあと思います。
観光案内や、橋のたもとにある説明を見ると、同形式の橋は、ヨーロッパを中心に最盛期には10カ所以上あったようです。

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( 明け方のビスカヤ橋全景。 奥が海側、左ポルトガレーテ、右ゲチョ )

ビスカヤ橋は、ビルバオ市内を流れているネルビオン川の河口付近にあります。グッゲンハイム美術館からは10kmほど下流なので、歩いて行かれません。メトロ1号線に乗って、右岸のアレータ駅:Areeta 下車、または、2号線で、左岸のポルトガレーテ駅:Portgalete 下車、それぞれ徒歩約10分で着きます。両線ともに、電車の運転間隔は、7,8分から10分おきくらいです。

また、スペイン国鉄RENFEのアバンド駅から近郊電車に乗り、ポルトガレーテ駅で降りると徒歩3分くらいで着きます。メトロの駅とRENFEの駅は同名ですが、まったく別の場所にあります。電車の運転間隔は昼間30分毎、朝夕20分毎です。

他の方々の旅行記を読むと、丘の中腹にあるメトロのポルトガレーテ駅から歩きだすと、動く歩道があり、その先にビスカヤ橋の門型の橋脚が見えて感動する、と書いてあります。行きと帰りに別々のルートを取ると、楽しみがさらに増えそうです。


2) ビスカヤ橋周辺散歩

川岸に出ると、ビスカヤ橋の大きさに圧倒されます。華奢な割には、堂々として存在感抜群です。晴れても降っても、昼でも夜でも、人々の視界から消えることはありません。橋の周囲は、両岸とも長い遊歩道になっています。時間を多めに取って、いろいろな角度から見物しました。

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( 雨にむせぶビスカヤ橋。ポルトガレーテ側から下流方向を望む )

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( 青空に映えるビスカヤ橋。ポルトガレーテ側から上流方向を望む )

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( ゲチョ側からビスカヤ橋と上流方向を望む )

橋は、「門」の字形に鉄骨を組んで作った構造。橋桁までの高さは水面から45メートル、長さは164メートルです。

3) 見上げればエッフェル塔に通じる

この橋は、アルベルト・パラーシオ:Alberto Palacio というスペイン人建築家の設計で、1893年に完成しました。パラーシオは、パリのエッフェル塔の設計責任者ギュスタフ・エッフェル:Gustave Eiffel の弟子でした。ヨーロッパが、名実ともに世界最先端技術を誇り、繁栄を謳歌していた頃に活躍した方です。
「最新技術をもってすれば、昔の人が夢だと思ったことも、次々と実現できる」、と自信にあふれていたさまが、びんびんと伝わってきました。

改めて、ビスカヤ橋の橋脚を見上げました。師匠の作品と、鉄骨の組み方や、ゆるやかな曲線を組み込んだデザインなどが似ているような気がします。私は、建築家でないので、勝手な思い込みかもしれません。当時の鉄骨構造物の最新鋭技術の粋を集めて設計、建設したので、だれがやっても、似たような感じになったのかも知れません。竣工当時の色は黒。現在の赤茶色には、10年くらい前に地域住民の要望により塗り替えられたそうです。

255先生作のエッフェル塔と雰囲気似ている2005年8月
( パリのエッフェル塔。お師匠様の作品。1889年竣工 )

エッフェル塔基礎部4隅に表裏なし1989年8月
( エッフェル塔の基礎部分の鉄骨組み )

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( ビスカヤ橋の橋脚と上部トラスを見上げる )

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( ビスカヤ橋の橋脚内部を見上げる )

4) 橋は見るより渡るもの

ビスカヤ橋は現役です。ゴンドラに乗って渡れます。毎日、たくさんの市民と車を乗せて、ゴンドラはひねもす往復運動を繰り返しています。
また、観光名所としてトラス上部も歩けます。私は、こわいので行きませんでしたが、旅行記などを読むと、遠くまで見晴らしがきく絶景ポイントのようです。次に行くときは、誰かに手を引いてもらってでも、上に登らないといけません。

ちょっと眺めて引き返すのでは早すぎます。けれども、急ぎのツアー客は、国籍を問わず、すぐにUターンしてしまうようです。

「みなさあん、15分後にバスに集合です」
スペイン語のガイドさんが、おばさまたちに声を掛けています。
「えっ、スペイン人でも、こんな駆け足観光するの?」
「ええ、遠くから来ると、いろいろ見物するところがあるの」

思わず、目が合ったマダムの一人は、あらま、という顔している私の前で、こんな感じのことを言いたそうに、にっこり微笑んで去って行きました。おしゃべりの発音からすると、南のアンダルシアから来たツアー客のようです。

自動販売機できっぷを買うか、バリクカードを入場ゲートにタッチしてゴンドラ乗り場に入ります。
2017年9月現在で、料金は、歩行者40セント、バイク1.5ユーロ。クルマは7ユーロくらいで、割高です。クルマには定期割引みたいなものがあるかも知れません。

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( ビスカヤ橋きっぷ自動販売機。スペイン語、ウスケラ、英語 )

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( ビスカヤ橋自動改札。上部の突起がカードリーダー )

ゴンドラは、原則365日24時間営業。おおむね8分から10分間隔で両岸を行き来しています。両側が歩行者用の立ち席、真ん中の露天空間が、二輪車、クルマ用です。大型バスやダンプカーは乗れません。ですから、観光バスで来たら、橋を一往復しましょう。レンタカーならば、フェリーのようにゴンドラに乗って橋を渡りましょう。

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( 改札内の待合スペース。ゴンドラ接岸まで待機 )

ゴンドラは、到着すると、いったん人とクルマをすべて降ろします。その次に、入場ゲートを開けるので、ゴンドラに乗ったまま往復することはできません。

ビスカヤ橋が、いくらビルバオ屈指の観光名所だと言っても、特別な場合を除けば、昼間の利用者は市民8割観光客2割です。観光客は、国籍を問わず、ゴンドラに乗る前からウキウキ気分です。窓の外を見たり、動画撮影の準備に余念がありません。市民は、冷ややかな顔つきで壁に寄りかかっていたり、スマホをいじっていますが、チラチラと観光客に目線が行きます。
「おおっ、今日はニッポン人か中国人観光客がいるな」と、興味津々なのです。

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( ゴンドラ内部。 景色を見ているのは、ほとんど観光客 )

ゴンドラは、合図のブザーに続いて、すぅーと動き出します。とてもスムーズで、音や振動はほとんどありません。約2分で対岸に着きますが、接岸時にも、極めて軽いショックがあるくらいです。立ったままで、何ら問題ありません。

クルマ用の甲板は、専用の係員の誘導に従って乗り込み、ハンドブレーキを下げて、しばし待機します。バイクや台車は、3台ずつ2列に並ぶクルマとクルマの間に入ります。車両の動きが止まると、係員が料金徴収に回ってきます。やがて、安全バーが閉まり、ブザー音に続いてゴンドラが動き出します。

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( ゴンドラの甲板の様子。昼間はクルマも満車ではない )

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( 安全確認をするゴンドラ甲板係員 )
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( 対岸に着いて先に進むクルマ )

この辺りの手順は、多くの人が興味深げに書いています。

「ところで、この程度だと、クルマが暴走して落ちたりしないの?」
「実は、あったのよ。2,3年前に1台、川に落っこって、運転者さんが亡くなったの」

テレビのトップニュースになったりして、ビルバオ市民は、びっくりしたようです。
ご冥福をお祈りします。


5) 橋の近くに渡し船

私たちは、ビスカヤ橋のユニークさ、巨大さに圧倒されて、しばし両岸を行き来します。
ちょっと、落ち着いて周りを見ると、ビスカヤ橋の上流、ほんの200メートルくらいの場所に、渡船があります。なんで、こんな目と鼻の先に、似たような渡河サービスが併存しているのか理由は分かりません。

料金は35セント、運航間隔も5分から10分毎です。20人乗りくらいの小さなボートが、ミズスマシのように川の両岸を行ったり来たりしています。
川面の低い位置からビスカヤ橋の雄姿を見られそうなので、乗船しました。

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( 渡船風景 )

期待に違わず、低い目線から眺めた橋は、いっそう、そそり立った感じを出していました。


6) 超ラッキーチャンス

超ラッキーなことに、ビスカヤ橋の下を、中型船がくぐりぬけるところを、この目でしっかり見ることができました。具体的な数字は分かりませんが、ビルバオ都心部の埠頭が縮小され、川沿いの工場や造船所がなくなって以来、ある程度大きい船は、ほとんど通らなくなったようです。

その日は、前日まで、ビルバオ都心の埠頭でイベントに参加していたグリーンピースの船が、外洋に出るため、川を下ってビスカヤ橋に接近してきたのです。

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( 川を下ってきたグリーンピース船 )

船は、けっこう速く接近してきます。船が警笛を鳴らしたり、川岸のサイレンが鳴って、船の接近を知らせたりすることはありません。係員が、目視で船を確認します。そして、ビスカヤ橋のゴンドラは接岸したまま待機となり、渡船は出航見合わせとなるだけです。

渡船に乗っていた私や客は、市民、観光客を問わず大興奮。持てる者は、皆、カメラやスマホを出して船べりからレンズを構えます。橋のゴンドラでも、乗客たちが、レンズを船に向けている様子が、ガラス越しに見えました。

船は、どんどん近づいてきました。
そして、あっという間にビスカヤ橋の下をくぐります。だいたい15秒くらいの瞬間芸を見ている気分でした。

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( ビスカヤ橋直下に近づく。ゴンドラは接岸待機状態 )

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( ビスカヤ橋の真下あたりを進む船 )

マストから橋桁まで20メートルくらいの隙間が残っていますが、従来タイプの橋ならば、中型船の高さでは、絶対に橋の下をくぐりぬけられません。

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( グリーンピース船がビスカヤ橋の真下を過ぎたあたり )

みんなでワーワー言いながら、写真や動画を撮っているうちに、船は河口に遠ざかって行きました。


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(  出船は次第に遠ざかりて )

そして、ゴンドラは再び動き出します。ものの1分もしないうちに、いつものビスカヤ橋風景が戻ってきました。

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( 去りゆく出船と、運航を再開したビスカヤ橋のゴンドラ )

私は、偶然、渡船上にいましたが、他のお客たちが船頭さんをせっつきます。少し、橋の方へ動いて、出船を追いかけるようにしてよ、と言ったみたいです。そのため、いつもより、湾曲しながら渡船は対岸に着きました。

そのおかげで、私も、大変貴重な場面を、この目で見ることができました。
”ビルバオに入る大型船の航行を妨げないために、橋桁を高くした運搬橋を作った”、というビスカヤ橋の存在意義を目の前で見せつけられました。もう、ぐうの音も出ません。大満足です。


7) ビスカヤ橋、煌々(こうこう)

ビスカヤ橋は、観光名所である前に市民の交通手段です。
ですから、朝夕のラッシュもあり、昼夜、天候にかかわらず営業しています。
スペインの日の出は遅く、夏でも7時前後、冬は9時過ぎにならないと明るくなりません。ですから、7時から8時前後の朝の通勤通学時間帯は、たいてい夜明け前です。

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( 闇にかすかに浮かぶビスカヤ橋 )

ビスカヤ橋のゴンドラは、白い蛍光灯を煌々とともして、すぅーと、黒い水面の上を行ったり来たりしています。朝夕は、クルマも、じゅずつなぎとなるのでゴンドラに乗るまで1回か2回待ちです。

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( 煌々と蛍光灯をともして往復する朝のゴンドラ )

橋のライトアップサービスはありません。川岸の街灯の光を受け、暗闇に浮かぶビスカヤ橋は、無言ながら、着実に使命を果たす縁の下の力持ちのような姿を見せています。水面でゆらゆらと揺れている明かりが、とても幻想的な雰囲気を醸し出していました。

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( 夜明け近くのビスカヤ橋の雄姿 )


ビスカヤ橋を見渡せるバルでピンチョスをほおばり、坂道の陰から顔を出す橋桁風景に心をときめかせ、ハイソなゲチョ市内散歩にうっとり気分となるなど、この一帯には、まだ、いろいろな楽しみ方が残っています。

そして、多様なビスカヤ橋の光景を見ていると、ビルバオの優しく心にしみ込んでくるような雰囲気が押し寄せてきて、感極まってしまいそうです。


                                                      了  2017/9観光

まぶたの奥にバルマセダ

まぶたの奥にバルマセダ  Balmaseda

バルマセダは、私のバスクの原風景です。

バスクに初めて来たのに、何だか家に帰ってきたような気持ちになった場所でした。1986年9月のことでした。穏やかな山の稜線、適度な湿り気、優しいけれどもベタベタしない人々が、とても居心地の良い空間を創り出していたと思います。

世界中に、自分とそっくりさんは三人いると言われています。もしかしたら、自分の家にいる気なれる場所も三カ所あるのかも知れません。

バルマセダには、白砂青松の海も、深山幽谷もありません。
けれども、草の上にすわり、木々の茂る何の変哲もない山々を見ていると、永遠にまどろんでいたい気分です。

バルマセダ快晴の市街全景198708
( バルマセダ市街を丘の上から見る )

畑では、生垣仕立てのブドウの葉っぱが、さわさわと微風に揺れていました。ふたりですわって、ゆっくりと流れる時間を過ごしたい場所でした。たまに通る列車の響きが、夢と現実をつなぐ合図のように聞こえました。

このブドウ畑も、家庭菜園のひとつです。10月になると、家族の手を借りて実を摘み取り、自家製チャコリを作ります。

FEVEバルマセダまでもうすぐの鉄橋1990年7月
( ブドウ畑にそよ風は吹く )

バルマセダは観光地ではありません。当時はバスクムードも、ほとんどありません。いわゆるカステヤーノ系の住民が多いバスク州ビスカヤ県西部の山あいの街です。中世のロマネスク様式の石橋と、中心部の役場や古風なビルくらいが目立つ程度です。あとは、自分と旅先のウマが合うかどうかでしょう。

バルマセダのローマ橋198708 (2)
( バルマセダ唯一の観光スポット、ロマネスク様式の石橋 )

バルマセダローマ橋の上198708
( 静けさでいっぱいのロマネスク様式の橋を渡る )

私は、バスクという地域が、自分にとって、こんなに良く眠れる場所であったことを、心から悦び続けています。


バルマセダ町の中心部198708 (2)
( 町の中心の広場とビスカヤビルバオ銀行支店 )

バルマセダ町の中心部198708 (1)
( バルマセダの土曜市のにぎわい。現カルチャーセンター前 )

198709バルマセダ中心の教会 (2)
( 町の中心部にそびえるカトリック教会 )

198709バルマセダ中央の
( バルマセダ役場本庁舎 )

街の表通りを一歩入ると、発足間もないバスク警察署があったり、雑草が茂る川岸風景に出くわしました。通りは週末の市の立つ日以外は、いつも静かでした。ガラス張りのテラスの窓枠が特徴のバスク風ビルも、ちょっぴり田舎風です。

198709バルマセダのバスク州警察前
( バスク警察のバルマセダ事務所のはず )

バルマセダの川岸198708 (1)
( カダグア川の流れ。清流ではないけれど )

バルマセダのローマ橋198708 (3)
( 水草、ごみ、雑草の茂っていたバルマセダ町内のカダグア川 )

バルマセダ風景198708 (1)
( 新しい住宅街。住み心地は旧市街より良い )

町内を貫流するカダグア川:Ri*a Cadagua の上流は、バルマセダ・ダムで、ビルバオの水道の水源のひとつです。ダム湖脇の公園をゆるゆると歩いていると、緑がむんむんします。日本にいるのと同じ気分です。ダムの奥に見える山々の向こうに4、5時間も行けば東京の我が家に帰り着くような錯覚になりました。

バルマセダダム湖198608 (1)
( バルマセダ・ダム )

バルマセダダム湖198608 (3)
( バルマセダ・ダム湖と青い山々 )

とうとう鉄道や飛行機を乗り継いで日本に戻る時がきました。
FEVEでは、まだディーゼルカーが走っていたころの物語です。

FEVEバルマセダ駅まだDC1990年7月 (2)
( ビルバオ行き気動車と貨物列車。バルマセダ駅 1986/9 )

FEVEバルマセダよりレオン方面1990年7月
( バルマセダを後にして。また来る日まで (イメージ画像です) )


バルマセダでもビルバオでも、ニッポン人はおろか、ガイジンを見かけることは稀でした。あまりに少なすぎて、ガイジンは誰の目にも留まりません。空気のように見えない存在だからこそ、誰にもじゃまされず、永遠の惰眠をむさぼれるのかもしれません。

また来る日まで。そして、歩み続けよバルマセダ。


2018年1月  完


難読の国境HENDAYE

難読の国境HENDAYE    2017年9月

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 (  Hendaye駅付近からスペイン方向を俯瞰 )

かなり理屈っぽい一文です。

日本人にとって、陸路の国境越えは、貴重な体験ですので、旅行記やブログにも、しばしば登場します。

バスク地方は、フランスとスペインにまたがって広がっています。EUのシェンゲン協定という条約加盟国間では、原則として国境の検問を行なっていません。ですから、私たちが県境を通過する感覚で、フランスとスペインは行き来できます。

フランス側の国境の町は Hendaye、スペイン側は Irun です。

「さあ、何て読むんでしょう」
「XXXXX、とイルン」

イルンは、99%以上の人が正解します。けれども、フランス側の地名が、なかなか発音できません。フランスでも難読地名のひとつです。
「アンダイ」と発音します。アクセントは、「ア」にあります。やや鼻にかかった、かっこつけたような「ア」の音です。「ア」ンダイと聞こえます。

近隣の人たちが口にしたり、SNCFの電車の案内放送を聞いていると「”ア”ンダイ」という音が分かるのですが、つづりだけ見ると、迷ってしまいます。字数に対して、発音も短いです。

アンダイエ、ヘンダイエ、エンダイエ、などなど。少しフランス語の知識があると、Hは発音しないということを思いだすので、アン・・・とかエン・・・・とか言い出すようです。

おまけに、スペイン語では、Hendaia=エンダイア、という呼称なので、余計に混乱します。
「どうして、こうなるの?」と、言葉の持つ複雑さに、ため息をつかざるを得ません。

この町は、1940年10月23日、ドイツのヒトラー総統とスペインのフランコ総統が会談した現代史上のポイントです。「アンダイ会談」と呼んでいます。ドイツはスペインに参戦を強く促しました。けれども、スペインは第二次世界大戦に参戦しませんでした。また、町内の教会に古いバスク十字架があります。

( アンダイからイルンを望む。上1987年、下2017年 )
198609アンダイ駅からイルン方向手前EUSKO鉄
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※アンダイの対岸の右手方向がオンダビリア

フランスからスペインへ鉄道で行くと、この町か、バルセロナ側の国境を通過します。私も初めてここを通過したのは1984年です。TGVができる前でしたので、夜行特急「プエルタ・デル・ソル」という列車に乗り、深夜1時に国境に着きました。二つの国の鉄道は、線路の幅が異なるので、例外を除き、国境駅で車両を乗換えなければなりません。当時、フランス発の国際列車は、必ずスペイン側のイルンまで乗り入れていましたので、アンダイ下車はなし。寝ぼけまなこで、人の流れについて、列車を乗換えたので「アンダイ」の音さえ聞いていません。

1986年になって、初めてスペイン側からフランス側へ移動する際、今度はアンダイ始発の列車にのるために、ここにやってきて、初めて実地で「アンダイ」という音を聞きました。
「こう発音するんだ」と、つづりと耳に残った音を比較して、フランス語のトリックにひっかかたような気分。「どうりで、みんなが分からないわけだ」、とも思いました。

SNCFのアンダイ駅は30数年経ても、ほとんど同じです。両国とも通貨がユーロになったので、駅前に軒を連ねていた両替商は、ことごとく撤退。2017年現在は、のんびりとした田舎町の風情です。

EUの経済統合を肌で感じました。日本と近隣諸国の関係に、少し、気をもんでしまいました。

(SNCFアンダイ駅舎。上1987年、下2017年 )
198608アンダイ駅
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( アンダイ駅を発車するSNCFの上り普通電車TERアキテーヌ。特急ひたち号と似ています )

アンダイとイルンの間には、ビダソア川:Bidassoa  (スペイン語:Bidasoa) が流れています。鉄道と並行して国道の橋があるので、鉄道のみならず、バスやクルマで、ここを通る日本人はたくさんいらっしゃると思います。

列車の乗換で右往左往していると、何が何だかわからないうちに電車が動きだしてしまいます。だから、これが、国境体験なのかと後で振り返ってみました。

また、アンダイの対岸はスペインですが、河口付近は、バスク風街並みが美しいと人気上昇中のオンダリビア:Hondabirria という町です。もののはずみで、向こうよりアンダイ側を眺めた方もいらっしゃるはずです。

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( ビダソア川と、RENFEとSNCFの共有の鉄橋。背後右がオンダビリア方向 )

何かの縁ですから、アンダイのことも記憶にとどめて旅を続けます。


                                                            了



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