やまぶきシニアトラベラー

気まぐれシニア・トラベラーの旅。あの日から、いつか来る日まで、かつ、めぐりて、かつ、とどまる旅をします。

パリ観光客・トラベラー

パリの橋 8 戦場にちなむ橋

パリの橋 8 戦場にちなむ橋     2021年4月記


ヨーロッパやアメリカの街中の地名には、しばしば戦場や将軍の名前が使われています。

パリ市内のセーヌ川には37の橋が架かっているとのことですが、けっこう戦場にちなむ名前があります。下流からビラケム、イエナ、アルマ、オステルリッツ、ガリリャーノなどです。架け替えで名前が変わりましたが、1990年代後半まではソルフェリーノ橋という歩行者専用の橋もありました。

この命名法は明らかに日本人の命名感覚と違います。その良し悪しは別として、こうした戦場系の橋をまとめて振り返ってみました。

P53船上からビラッケム橋201905
( セーヌ川遊覧船から見たビラケム(ビール・アッケイム)橋 )

出だしは好調です。
ビラケム橋は地下鉄が上を通る2階建ての橋なので、写真を残そうという気になっていました。

P52イエナ橋とシャイヨー198609
( エッフェル塔から見下ろしたイエナ橋 )

イエナ橋も有名なので、いろいろな機会に撮影していました。上から、地上面から、そして川面からの姿が幾枚も残っていました。「よしよし」です。

P53船上からイエナ橋201905
( セーヌ川遊覧船上からみたイエナ橋 )

次はアルマ橋:Pont de l'Armaです。見た目も現代風の鋼鉄の橋ですし、有名観光スポットの近くでもないので、とても印象が薄いです。近くに、玉ねぎスタイルの塔を持つロシア正教会があるのですが、観光スポットではないので、ほとんど誰も関心を払いません。

P52ポンデラルマと正教会201905
( アルマ橋:ポンデラルマも印象が薄い )

セーヌ川の橋もときどき架け替えられました。ソルフェリーノ橋という人道橋はなくなり、現在はレオポール・セダール-サンゴール橋になっています。文化人でもあったセネガル初代大統領の名前だそうですが、それ以上のことは分かりません。どういう背景や縁での命名なのでしょう。

「まあね。フランスもいろいろな歴史があるんですよ」

P52ソルフェリーノ橋198809
( 今は別の橋になった、架け替え前のソルフェリーノ橋 )

そして、かなり上流まで飛ん現れるのがオステルリッツ橋。ここもメトロ関連のイメージがある場所なので、数回、写真に納めていました。

P13オステルリッツ橋とメトロ橋201905
( セーヌ川遊覧船上から見たオステルリッツ橋と、近接のメトロの橋 )


なんと、ガリリャーノ橋の写真がないことに気づき愕然としました。セーヌの上流にあるので仕方がないですね、と言い訳です。

パリ観光は奥が深いこと、もしパリに住んだ方がいても、数年程度ではパリという都会の表面をなでるだけなのではないかということを改めて実感した今回でした。






パリの橋 7 観光客の定番ポンヌフ

パリの橋 7 観光客の定番ポンヌフ   2021年4月記

パリ観光で一番有名な橋は、たぶん「ポンヌフ:Pont neuf」でしょう。
シテ島の西の端をはさんで、北側と南側にある2つの橋の総称がポンヌフです。

P53ポンヌフ遠景198608 (2)
( コンシエルジュリ(左)と正面ポンヌフ北側7連アーチ )

P53ポンヌフ南側5アーチ201905
( ポンヌフ南側の5連アーチ )

「名前の意味が『新しい橋』なのに、パリのセーヌ川に現存するもっとも古い橋」という、お決まりのセリフで有名。
ノートルダムやコンシエルジュリの近くにあるので、観光客はほぼ間違いなく行く。
名前が短くて覚えやすいので、ブログネタにもってこい。
橋そのものも重厚なデザインで絵になる。

P53ポンヌフ朝もや198608
( 朝もやのポンヌフ北側と霞むコンシエルジュリ )

こんな理由でポンヌフは、とっても有名です。でも、渡ったからと言って、あんまり感動はありません。ノートルダム見物の”ついで”などに渡るので、そこまで意識が向いていないからです。重厚な橋ですが、華麗なデザインでないことも印象が薄い理由です。けれども、多くのパリ観光体験談に出てくるところを見ると、取り組みやすいテーマなのかも知れません。

P53ポンヌフアーチと財務省198608
( そばで見ると、しっかり、どっしりのポンヌフ北側 )

P53セーヌポンヌフ見上げ201905
( 川面からポンヌフ7連アーチを見上げる )

長く、いつまでも記憶に残ることは大切です。パリ体験を裏打ちする縁の下の力持ちのような存在だと思います。

架橋以来400余年、最近、汚れを掃除してもらってきれいになったポンヌフをみてパリの歴史を感じましょう、なんて訳ないですね。ガイドさんや観光案内の受け売りでポンヌフのことなんか書いたって、誰あれも読みやしません。あなただけのポンヌフ体験を書いてこそのブログでありますように。




パリの橋 6 自由の女神がここにも

パリの橋 6 自由の女神がここにも   2021年3月記

パリ市内のセーヌ川の一番下流あたりにも「自由の女神」があります。観光客には意外と知られていません。
「だって、『自由の女神』って言ったら、ニューヨークでしょ」
「ええ。まあ」、と、声も小さくなりがちです。

P31自由の女神レプリカ白鳥の島198808
( セーヌ川の中洲の突端に立つ自由の女神のレプリカ )

「でもね、一流のパリ観光客を目指そうと思ったら、このくらいと知らないといけませんね」
「ああ、そういうことね」

この自由の女神はレプリカです。フランス革命100周年記念にニューヨーク市民有志から贈られました。なんか、ほのぼのする話です。そして、本当に大切にしなければいけないのは、こんな記念碑ではなく、「自由」そのものです。

エッフェル塔からセーヌ川の下流を眺めると、自由の女神のレプリカが立っている中洲の突端もみえます。その近くに架かっている橋は「グルネル橋」です。

P31E塔から自由の女神方向セーヌ
( セーヌ川の中洲をエッフェル塔から見下ろす )

パリ通を標榜する観光案内ブログでもあんまり登場しないスポットです。我こそは、移住者でもなく、駐在員や留学生でもないパリ通観光案内を上梓したいと思う方、是非、コロナ禍明けにはチャレンジしてみてください。パリを見る目が一段と広がります。



パリの橋 5 セーヌを渡ってオステルリッツ駅

パリの橋 5 セーヌを渡ってオステルリッツ駅    2021年3月記

地下鉄と大河は相性が悪いようです。

20世紀スタイルの地下鉄は、大きな川を橋で跨ぐケースが多いです。
パリのメトロ5号線のオステルリッツ駅(アウステルリッツ)も地上2階にあります。東に向かう電車に乗ると、駅を出て3秒後にはセーヌ川の上にいます。

P13パリのアウステルリッツ橋198809
( メトロ5号線セーヌ川橋梁から眺めた上流方向 )

オステルリッツ駅の対岸地区は、1980年代には現代的なビル街になっていました。1990年代になると、ビル街の川沿いの再開発が進み、ベルシー地区に新たなショッピングモールができました。パリ市内にモダンなショッピングモールなんてありませんから、できてほやほやの頃の週末は大賑わいでした。

P15アウ駅高架5号線198009
( 高架線でオステルリッツ駅に入るメトロ5号線 )

メトロ5号線は、なんと、セーヌ川を渡った次の駅はリヨン駅ではありません。線路が急カーブ、急こう配で地下に潜るため、リヨン駅をかすめるように走るのです。アウステルリッツ駅とリヨン駅の間で長距離列車を乗り継ごうとする旅行者は、重い荷物を引きづってセーヌ川を渡るか短距離タクシー移動です。そんな旅行者が多いはずはないのですが、「パリのメトロと国鉄の連携って悪いな」と感じた記憶が残っています。

P14アウ橋メトロ5号線1等車があった198009
( セーヌ川を鉄橋で跨ぐメトロ5号線。1988年ごろ )

昔のメトロには1等車が連結されていました。編成中央の黄色っぽい色の車両です。座席や内部は2等車とほぼ同じですが、運賃が高い分だけ空いていました。車掌さんの1等キップチェックがあるわけではないので、1990年代半ばには廃止されました。

これを、ヨーロッパの階級社会のゆっくりとした崩壊過程のひとつと見るのか、単に時勢の変化によるサービスの変遷なのかは識者により言い分が違うような気がします。

何事に対しても不感症にならず、そういう議論をする姿勢がとっても大事なんだ、と私は思います。




パリの橋 4 メトロが跨ぐSNCF

パリの橋 4 メトロが跨ぐSNCF     2021年3月記

パリのメトロにも、ご多分にもれず高架区間があります。

市内北部を弧を描くように走る2号線も、車窓からサクレクール寺院がちらりと見る高架区間がありますし、フランス国鉄SNCF北駅のすぐそばを線路は通ります。

Pメトロ2号線GdNord付近201509
( パリ北駅北方を跨ぐメトロ2号線 2015年)

国鉄の線路の数は多いので、メトロの高架橋も本格的なトラス構造の橋です。

PメトロGdNordを跨ぐ201509
( SNCFの跨線橋からメトロと特急タリスを見る 2015年 )

鉄道好きな方々なら、いっぺんくらい立ち寄って、北駅(ガール・デュ・ノール)にひっきりなしに発着するユーロスターやタリス、通勤電車などを眺めてもいいと思います。ヨーロッパでは、鉄道が、まだまだ公共交通機関として重要な地位を占めていることが実感できます。日本とは違う鉄道風景を眺めれば視野もぐんと広がります。





パリの橋 3 メトロが渡るビラッケイム橋

パリの橋 3  メトロが渡るビラッケイム橋     2021年3月記


パリのメトロも、ところどころで地上に顔を出して走ります。2号線のガール・デュ・ノールの北側や6号線のビラッケイム(ビラケム)あたりの高架区間が有名です。

P31ビールアッケイム橋を渡る電車と女神199007
( 2階建てのビル・アッケイム橋をエッフェル塔から望む。1990年8月 )

特に、エッフェル塔近くのビラッケイム駅:Bir Hakeimあたりは、窓の外が明るくなったと思ったら、電車がセーヌ川を渡っているわ、エッフェル塔がけっこう間近に見えるわ、で観光客ながらに興奮するわ、わくわくするわの路線です。

私は、東京の丸の内線の本郷三丁目から後楽園に向かうときみたいだな、と感じています。地下鉄の電車がいきなりトンネルを抜け出たと思ったら、次の瞬間には高架橋になり、道が視線のかなり下に見えて、初めての者はびっくりしてしまうパターンが両者そっくりに思えました。

P31ビールアッケイムの6号線電車198608
( シュルシュルっとメトロが橋を渡って駅に着きます )

我が家の子供たちも、そばに座っていた初老のパリジャンに
「坊や、ほら、窓のそとにエッフェル塔が見えるぞ」みたいなことをジェスチャー混じりに囁かれて興奮していたことを覚えています。

パリジャンだって、いつもいつもツンツンしているわけではないのです、と実感できた場面でした。

エッフェル塔界隈は、けっこう現代建築が増えています。観光客にはありがたくないようですが、モダンなビルで働く官僚気分や、居心地のよい高級マンションの居間でエッフェル塔を眺めるなんていうのは、フランス人にとっても贅沢のようです。

P31ビルアッケイム橋俯瞰201905
( 2019年になっても、現代風のビルがちょっと増えた程度のビラッケイム橋)

30-40年経っても、パリの街並みって、あんまり変わっていません。

「それがいいのよ」、と日本人のパリぞっこんマダム。
「古臭い建物ばかりで新鮮味がないわ」と、恋する乙女心を持ち続けるパリジェンヌ。







パリの橋 2  運河の橋

パリの橋 2  運河の橋    2021年3月記


パリの橋渡りは、意外な場所から始めましょう。

下町のサン・マルタン運河やヴィレット運河に架かる人道橋です。階段で上り下りします。パリの下町が出てくる映画とか風景画で見たことがあるのではないでしょうか。

P11朝のサンマルタン運河橋199007 明
( サンマルタン運河に架かる人道橋 )

運河の両側に建物が続く地区もあります。昔むかしの映画「北ホテル」では、まさにホテルの前に運河と橋がある場面が映っていました。

人道橋は、下を船が通れるように高く作ってあります。
「じゃあ、クルマはどうやって運河を横切るの」
「運河の水位が段差で低くなった場所に橋があります。跳ね橋ではないので、クルマや人は四六時中通れます。けれども、クルマが通れる橋はあんまり多くありません。歩行者は遠回りがいやなので、階段を上り下りするタイプの橋を行ったり来たりしています」
「ふうん。そうだったんだあ」
と、パリを分かったか、分かっていないのか意味不明の相槌を打ちます。

サンマルタン運河閘門201509
( 閘門(こうもん)と「門」型の人道橋 )

サンマルタン運河は、昔は船の行き来も多かったようですが、20世紀後半からは専らレジャーや観光用です。市民の皆さんは、ぶらぶらしながら水辺の風景を楽しんだり、1日2-3往復する観光船に乗って運河クルーズを楽しんでいます。船に乗ると、運河のトンネルをくぐり抜けたり、閘門を20分くらいかけて船が上り下りする場面を体験できるそうです。

「いいね。今度、行ってみよ」
「そう言っても、大半の日本人はパリ3泊4日くらいです。なかなか、10区から19区、20区あたりに足を伸ばせません」
「そうかあ」

ですから、写真やセンスのよいエッセイを読んで、パリの水辺風景を楽しみましょう。最近では、サンマルタン運河と一体化した北のヴィレット運河あたりが再開発で驚くほどきれいになりました。水面すれすれの遊歩道や21世紀スタイルの人道橋を渡って、新しいパリを楽しみましょう。

サンマルタン運河と船と人道橋201509
( 21世紀スタイルのヴィレット運河の人道橋 )

水質浄化も成って、すっかり憩いの場と化したヴィレット運河と公園には、ゆったりとした時間が流れています。






パリの橋 1 橋の下と眺め

パリの橋 1   橋の下と眺め      2021年3月記

古いシャンソンに「パリの橋の下で:Sous les ponts de Paris」という曲があります。

昼間はセーヌ川沿いに開けたパリの華やかな街並みを橋をくぐり抜けながら見ても、夜になると橋の下は格安のホテルになります、という意味の曲です。

たまに聞くと、なかなか味わいのある歌詞です。セーヌ川にいっぱい架かる橋のさまざまな姿を、少し悲しげに歌っているかのようです。

P11橋トゥルネル橋スリー橋198809
( 今はなきノートルダムの尖塔越しにセーヌ川と橋を見る )

今ではセーヌ川に、パリ市内だけで30以上の橋がかかっています。運河にかかっている橋や高架橋もあります。パリのセーヌ川の橋は、どれひとつとして同じデザインの橋がないそうです。東京も、この発想を採り入れ、隅田川の橋のデザインはひとつずつ工夫を凝らすことにしたようです。

パリは「水辺の都市」ではないので、観光客で数日滞在しても、セーヌの橋なんか1回か2回しか渡らないでしょう。ましてや、都心部の橋をじっくり味わいながら歩いて渡ったり、セーヌ川クルーズ船から見上げるなんてことは、そうそう体験していないと思います。

P11朝のサンマルタン運河橋199007 明
( パリ風のサンマルタン運河の「門」型歩道橋 )

そういうパリB級、C級の記憶としてセーヌ川の橋を有名なシャンソンを頭に響かせながら渡ったり、くぐったりしました。



パリの門めぐり6  パリという鬼門

パリの門めぐり6  パリという鬼門    2021年2月記


パリで一番、ハードルが高いのは「パリ」という門です。

この鬼門は、一部の方々の前にしか立ちはだからないのですが、観光客や留学生、駐在員を問わず、心に中に建っています。パリ鬼門を前にしたならば、速やかに誰かに背中を押してもらい、早く門を潜り抜けることです。いつまでも、うっとり眺めていると、永遠に鬼門はくぐれません。

シャンゼリゼより凱旋門正面小サイズ198009
( パリ鬼門は、いろいろな姿に変わって心の中に入ってくる )

パリは、「見せる」都市づくりに力を入れてきたので、大勢の観光客やガイジンがパリに魅せられます。ニッポン人は、文明開化を通してフランスやパリのイメージを作ったので、「華の都パリ」にぞっこんです。私だって、最初は、そんなイメージでフランス語を第2外国語として選択したのですから、フランス政府のイメージ大作戦は成功してるのです。

201905パリブイヨンChartier内装
( アールデコ調の天井が読者の心にからみつくかも)

ただ、文学や絵画のイメージだけでフランスを見なかったことや、フランス語の先生が、けっこう皮肉っぽい視点で現代フランスの光と闇を語ってくれたことで、パリの鬼門は通り抜けることができたようです。そういう意味で、とてもフランス人っぽい先生であったようです。ありがとうございました。

テルトル広場お約束明修正199007
( テルトル広場は今日も観光客でいっぱい、のはずがコロナで・・・・・ )

曰く、
「パリのアパートの平均面積なんて東京以下だからね」
「(当時の)ソ連や東欧と国境を接していない分、共産主義のイメージがよいんだよ。それに、ソ連が攻めてきたら、真っ先に攻め込まれるのはフランスじゃないしね」
「フランス外食産業最大の売り上げを誇る『マクドナルド』」

皆さんは、どんなジョークや皮肉を耳にしたでしょうか。
                                                               了


パリの門めぐり5   サンドゥニ門

パリの門めぐり5   サンドゥニ門   2021年2月記

現存するパリの門めぐりの最後は、サンドゥニ門(サン・ドニ)門です。
メトロの、ストラスブール・サンドゥニ駅下車徒歩1分の立地です。

サンドゥニ門は、サン・マルタン門より西へ100mほど行った場所に建っています。ルイ14世の命で1672年に完成したそうです。記念碑なので、門としての実用性はありません。

偶然なのかどうか分かりませんが、普通に「市の門」と想像するとき思い浮かぶような形の門が、2つ隣接しています。けれども、全然、観光名所ではないし、それどころかサンドゥニ門の奥の方は暗くなると危ない、などという噂も立つ地区です。

Parisサンドニ門正面0504
( 彫刻が印象的なサンドニ門:Saint Deni )

ルイ14世の遺体は、ここを通って墓所のサンドゥニ(サンドニ)大聖堂へ運ばれたそうです。けれども、門自体は全然、悲壮感などありません。当時も今も、とにかく、ハコモノを作ればよかったのです。

198809サンドニ門横風景
( 1989年夏ごろのサンドゥニ門 )

サンドゥニ門も大通り沿いに建っているので、30-40年ほど前は、自動車の排気ガスで黒ずんでいました。ブラブラ歩き、とか、環境に優しい街づくりなんて発想が出てくるまでは、門のあるサン・マルタン通りやボンヌ・ヌベル通りはクルマがいっぱいでした。このあたりは、どちらかというと下町風なので、ワイワイがやがやの雰囲気です。



Parisサンドニ門斜め前0504
( すっかり化粧直ししたサンドゥニ門 )

私は、この近くを所用で訪問したときに、近くのレストランに行ったので門の存在を知っていたのですが、普通は、あえて門めぐりをするか、ホテルが偶然に近くであったなどの理由がないと、サンマルタン門やサンドゥニ門のことは知りません。

「東京へ来るガイジン観光客が、わざわざ亀戸天神などへ行きませんよね」

Parisサンドニ門Bヌーベル大通0504
( サンドゥニ門と、ボンヌ・ヌベル大通り )

「でもね、周りは普段着のパリっていう感じの場所ですよ」
「いろんな人がいっぱい歩いています。これが、治安注意説の原因かも。自分だって、胡散臭い方に入っていることに気づかない方々の言い分のようですね」

それなりに美しく修繕されたパリの街並みと門を楽しみましょう。
                                                           了

パリの門めぐり4  サンマルタン門

パリの門めぐり4  サンマルタン門     2021年2月記

パリの門、4番目の訪問先はサン・マルタン門です。
Parisサンマルタン門近影0504
( 午後の日差しに映えるサン・マルタン門)

「聞いたことないなあ。どこにあるの?」
「メトロ4号線や10号線の、ストラスブール・サンドニという駅で降りたらすぐの場所です」
「へえー。でも、あんまり観光では行かない場所ですね」
「ええ、至って普通のパリの街並みが続いています。観光客のいないパリの風景って感じです」

サン・マルタン門は1674年に完成したそうです。すぐ近くにあるサンドニ門と双子のような門です。どちらも、あのルイ14世の命令で建設された記念碑的な門です。実用性はありません。

198008サンマルタン門ルモニエ事務所から望む汚れ有の頃 (1)
( 近くの建物からのぞいたサン・マルタン門)

40年ほど前のサン・マルタン門は、自動車の排気ガスで、やや黒ずんでいました。石組のへこみには雑草も生えていました。邪魔者扱いまではいきませんが、長い間、あんまり手入れしていなかったようです。ところが、2019年に近くを通ったときは、きれいに化粧直しされてベージュ色の美しい姿で建っていました。パリ美化作戦のひとつとして、すす払いをしたようです。

Parisサンmarutann門あれこれ0504 (5)
( パリの日常に溶け込んだサン・マルタン門)

サン・マルタン門は、昔も今の当たり前のようにパリの街並みと一体化しています。けれども、パリで、門のある街角なんて、ここと、お隣のサンドニ門くらいで、実は珍しいのです。

3度目、4度目のリピーター観光客となったら、たまには、ストラスブール・サンドニ駅で降りてみましょう。名所めぐりでは味わえないパリの雑多な日常も体験できます。ついでに、大通りの交差点そばにあるスーパー「モノプリ:Monoprix」にも寄れます。

「うーん、東京でいえば五反田とか錦糸町みたいな感じかな。それなりの繁華街でにぎやかなんですが観光客と縁遠い」

                                                                了

パリの門めぐり3 カルーゼル門

パリの門めぐり3  カルーゼル門   2021年2月記

3番目のカルーゼル凱旋門( Arc de Triomoph de Carrousel )は、5つの門めぐりのちょうど半ばです。

カルーゼル門は、ルーブル美術館の西寄りに鎮座しています。ルーブル美術館の入場に気を取られて見落としがちですが、緑の木々に囲まれてたたずむ姿をぜひ、思い出してください。

美術館入場の列に並んでいると、こんな風に見えます。
「あっ、あれね。カルーゼル門って言うんだ」と、いう印象でしょう。
Parisルーブル前カル門221905
( 見るだけがほとんどのカルーゼル門 )

この門も、本家の凱旋門と同じようにナポレオンの戦勝記念のための建造物。1808年に竣工しました。小振りなのでナポレオンは満足せず、もっと大きな凱旋門を建てることにしたのは、史書や案内書が語るとおりです。こんな小さな門でも装飾が凝っているので、完成までに2年かかったようです。見た目には半年もあれば、御の字で建てられそうなのですが、という感想です。

カルーゼル門は、パリの都市軸の東の端にあるので、門の真下まで来ると、遠くに凱旋門が見えます。

チュイルリーのカルーゼル門とシャンゼリセ補正明゙1986年9月
( カルーゼル門の先に除くオベリスクと凱旋門 )

チュイルリーのカルーゼル門アーチと凱旋門方面1986年9月
( 夕暮れのカルーゼル門、オベリスク、凱旋門 )

こういう風に、パリらしい一直線上にならんだランドマークをぜひ、身近かに体験しましょう。アメリカ合衆国の首都ワシントンのキャピタル・ヒルも、こんな風に一直線上に街を代表する主要建物が配置されていると聞いています。

コンコルドからカルーゼル門編集198009
( チュイルリー公園からカルーゼル門とルーブルを振り返る )

カルーゼル門をくぐった遥か先から振り返ってルーブルを見ると、こんな感じです。カルーゼル門の一直線上の先にルーブルのへこみがあることが体感できます。

「こういうアングルで写真撮ること少ないので、古い写真ですみません」

                                                          了





パリの門めぐり2の5 夜の凱旋門

パリの門めぐり2の5  夜の凱旋門    2021年2月記

夜の凱旋門のライトアップも楽しみましょう。

今でこそ、あっちでもこっちでも華やかなライトアップが見られますが、つい20-30年前から始まったイベント。
せっかくなので、昔の凱旋門のライトアップを思い出しました。

凱旋門シャンゼリゼ聖夜199512
( クリスマスのライトアップのシャンゼリゼと凱旋門。1995年12月 )

フランスを代表する街並みだけに飾り付けも凝っています。

199512ライトアップの凱旋門補正小サイズ
( ライトアップされた凱旋門を間近に見る。1995年12月 )

闇夜に、ぼおっと浮かび上がるように光を当てています。現在ならば、やれ三色旗仕様だ、やれコロナ応援カラーだとか多種多様なことができるのでしょう。それはそれで良いとして、暗闇に浮かぶだけの門も、迫力がありました。周りに光が少ないので、とても目立っていました。

凱旋門の夜1988年8月補正
( 少しだけ闇に浮かぶ凱旋門。1988年9月 )

クリスマス以外は、単に門の周りから光をぼおっと当てているだけ。だからこそ、存在感が強かったのかも知れません。

「いやいや、あんたが年を取って、単にノルタルジーにひたっているだけだよ」
「それもそうだな。技術の進歩を素直に賞賛しましょう」

また、派手に染まった夜の凱旋門を見られたらいいなと思っています。
                                                           了

パリの門めぐり2の4 凱旋門で「お上りさん」

パリの門めぐり2の4  凱旋門で「お上りさん」    2021年1月記

パリの凱旋門は上に登れます。意外と知られていません。

Paris凱旋門近影0502
( 凱旋門の周囲にたむろする観光客 )

我が家でも、子供たちと初めてパリに行って、シャンゼリゼ通りに立って凱旋門を背後にして記念撮影したあとのことです。

「じゃあ、門のてっぺんへ上りましょう」
「えっ、あの上まで行けるの?」
「行けるよ」
「行く、いくう・・・・・・。早くう・・・」

というような感じでした。読んで字のごとく、まさに「お上りさん」です。

我が家の奥様も、初めてのパリ訪問時に、同じ反応を示しました。私自身はどうだったかというと、事前に誰かに入れ知恵されていたので、凱旋門に着いて初めて屋上に行けることを知ってワクワクした記憶はありません。


凱旋門屋上の様子198009
( 凱旋門の屋上風景 1980年9月 )

コロンブスの卵のことわざではないですが、凱旋門の真下に行くには、まず地下道をくぐって広場の中心部に向かわなければなりません。そのあと、門の足の部分にある入口に行って入場券を買い、屋上に上ります。2021年現在は、狭い螺旋階段を10分弱かけて、えっちらおっちら上らないといけないようですが、10年くらい前までは小さなエレベーターで屋上のすぐ下の踊り場まで上れました。当然、階段コースより入場料は少し高かったです。

子供たちの歓声とともに見たパリの鳥瞰はひとしおでした。

凱旋門屋上からエ塔展望198009
( 凱旋門から見たエッフェル塔。1980年9月。現在とほぼ同じ景観 )

凱旋門は、年に数日の休館日があるのみで、ほぼ年中無休。そのうえ、夜の10時か11時ごろまで開いているので、夜景見物もよし、寒風に震えながらパリの街並み俯瞰もよしです。

思い思いのやり方でパリ見物を楽しめればよいですね。




パリの門めぐり2の3 横から後ろから凱旋門

パリの門めぐり2の3 横から後ろから凱旋門  2021年1月記


パリで2泊3日くらいの観光ですと、時間がないので凱旋門の後ろや横に回ることは、よほどのことがない限りありません。それに、凱旋門の圧倒的な大きさを前にすると、少し遠ざかって見ようとか、脇の方に回ってみようとする気力も湧きません。

ですから、パリ観光のリピーターの方々で、偶然、凱旋門の横顔や後ろからの姿を眼にした場合は、是非、写真の2-3枚を撮っておきましょう。自分だけの、意外と貴重なパリ有名ポイント風景となります。

凱旋門を背後から198608補正後
( 西日を浴びる凱旋門の裏側(ラ・デファンス側)風景 )

晴れの日の夕暮れ、凱旋門の西側は美しく輝きます。シャンゼリゼ通りの反対側のグランダルム大通り沿い:Avenue Grand Arme まで行ってみました。オレンジ色に輝く大きな凱旋門の姿を記憶に残しました。

凱旋門フォッシュ通りから近景198609
( 夕陽を浴びて輝くフォッシュ通り面の凱旋門 )

その次は、斜め横から凱旋門の夕焼け見物。凱旋門から放射状に出ている道のなかで最も美しいとされているフォッシュ大通り:Avenue Foch から堂々たる姿を拝みました。すごい量感です。

Paris凱旋門北東から201905
( 凱旋門を北東方向より見る )

午前中のすっきりとした空気に映える凱旋門北東側。凱旋門は裏表の印象が同じなので、写真を撮った位置をよく覚えておかないと、どれがどの向きやら分からなくなります。

カルーゼル門越し凱旋門夕方198609
( カルーゼル門から一直線にオベリスク、凱旋門を見る )

これぞパリの都市づくり、を実証するかのようなアングル。ルーブル美術館前のカルーゼル門から西をのぞくと、コンコルド広場に鎮座するオベリスクを通して、その彼方に凱旋門が左右対称の姿で目に入ってきます。直線的な美しさがパリのウリであることを実感する一場面でした。






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