やまぶきシニアトラベラー

気まぐれシニア・トラベラーの旅。あの日から、いつか来る日まで、かつ、めぐりて、かつ、とどまる旅をします。

ミラノ郊外散歩

ベラージョにてブタに真珠

ベラージョにてブタに真珠    2018年3月訪問

ミラノの北にあるコモ湖:Lago di Como は、ミラネーゼにもヨーロッパ人にも日本人にも人気のあるリゾート観光地です。

たくさんの日本人旅行者も、日帰りや1-2泊でコモの町を訪ね、自然美を愛で、湖畔に点在する豪華な別荘を見て感嘆の声をあげています。有名映画スターウォーズのロケ地の一つになった別荘にも行きたいでしょう。

そういうなかで、ベラージョ:Bellagio (ベッラージョ)は、「コモ湖の真珠」( perla di Como ) という呼び声も高い高級人気リゾートです。「人」という漢字の形をしたコモ湖の、ちょうど股座(またぐら)の先っぽにある小さな町です。

「私も、ベラージョに着くまで、そんな評判など全く知りませんでした。ブタに真珠です」
「そう、ここは真珠:la perla、なんです。きれいでしょ」
「清々しくて上品な町ですね」
「でしょう!!」
ってな感じです。

『どこでも、清楚で美しいものを真珠に例えるんだな』と、自問自答しながら湖畔を散歩しました。

3月末ともなると、夕方の陽ざしにも温かみが残るようになりますが、空気は、まだまだ冷たく、数少ない観光客は、コートの襟を立てて歩いています。

外レッコ奥ベラージョのコモ湖 (2)
( ベラージョの埠頭。右奥がコモ方向 )

外レッコ奥ベラージョ湖畔 (3)
( 早春のベラージョ港付近の広場 )

夏の写真を見ると、ヨーロッパ内外からやってくる観光客でいっぱいです。けれども、木々の芽も出ない3月の平日に、さむざむとした湖畔を歩いているのは、ブタに真珠状態の私とか、犬の散歩の町民くらい。テレビとか口コミの影響でしょうか、中国人の4-5人連れが数組いて、寒い中でもばっちり写真を撮りまくりです。けれども、ぶらぶら歩きはしないで、波止場の方へ行ってしまいました。

外レッコ奥ベラージョ街並み (2)
( 湖畔の遊歩道とバルのテラス )

温かみがあると言えばあるバルのテラスに、我らも腰掛けて、暖かいココアをゆっくりと飲みます。
やや、『武士は食わねど高楊枝』気分です。
『夏でも、バルのテラスの飲物の値段は同じなのだろうか』
まったく、ケチくさいことばかり思いつきます。

外レッコ奥ベラージョ街並み (1)
(  寒い季節は、大方のお店が休業 )


外レッコ奥ベラージョ坂道 (1)
( 急坂の両側にもお土産屋さんがいっぱい )

暖かい飲物で、気分も良くなったので、少しだけ坂道をぶーらぶら。
次回は、木々の葉っぱがそよぐ季節か、黄葉を見に来たいものです。


2019年2月記       了

マドンナ・デル・ギザッロを通り過ぎてしまった

マドンナ・デル・ギザッロを通り過ぎてしまった    2018年3月訪問

寒いと、私の観光センサーも感度が鈍ることが、よく、あります。

マドンナ・デル・ギザッロ(Madonna del Ghisallo /マドンナ・デル・ギザーロ) への、ちょっとした、お出かけ日がそうでした。天気は快晴ですが、アルプスの南とはいえ、ロンバルディア平野の北部一帯は、かなりの冷え込みでした。午後3時すぎには、もう谷合いの集落は陰りはじめ、空気は急に冷たくなります。

「日陰は寒いよう。珍しい教会?分かった、分かった、もう行こう!」
の世界です。

ミラノから北へ約30km。アッソ:Asso、という小さな町の北のはずれに、ぽつねんと建つ、塔のある教会風景は、震えそうな早春の夕暮れムードのなかにありました。

外レッコ奥ASSOの教会塔 (1)
( アッソの街はずれの街道沿いの教会 )

なぜか、その日は閉門だったということも、観光気分に水を差しました。

「だいたい、教会なんて、よほどのことがない限り、明るいうちは、みんなに門戸を開いているもんでしょ」
「今日は、きっと、『よほど』のことがあった日なんだよ。留守番のおやじがカゼひいた、とかね」

そのため、谷底の教会見物は、ものの数分で終え、私たちは、尾根伝いに街道を上り、コモ湖の展望風景が眺められるマドンナ・デル・ギザッロ という山村に着きました。

きれいな芝生のある公園に、展望台と、ガラス張りの博物館、こじんまりとしたお堂のような教会がある場所です。雪を頂いた山々が眼前に見える風光明媚の空間です。

外レッコ奥のギサーロ村とコモ湖 (4)
( マドンナ・デル・ギザッロのサイクリング博物館 )

春から秋にかけては、清々しすぎるほど美しい展望台なんだろうなあと、思いながら、コモ湖と周辺の山々を眺め、ドアの開いていたお堂に入って、しばしの休憩です。

「ここは、サイクリングに人気のルートなんだよ」
「ふうん、どうりで、いっぱい自転車グッズやレース写真があるわけだ」
教会の壁や棚に、これでもかと並んでいる自転車関連記念品を眺めました。

それにしても、寒いこと。15分もたつと、体がブルブルと震えてくるような冷え込みです。

「寒いから、バルに行こうよ」
「賛成」
と、いうわけで、「ブタに真珠」状態のまま、私たちはマドンナ・デル・ギザッロを後にしたのです。ものの見事に、教会の写真は撮り忘れ。あとで、「あそこ、そんなに有名なお堂だったの」、と気づく大失態です。

「ああ、なんてもったいない。ヨーロッパのサイクリストの聖地のひとつ、マドンナ・デル・ギザッロを、ただ、とおり過ぎるなんて!」
自転車愛好家の方々の、こんな非難めいた声が、ぐわんぐわんと、耳の奥にひびいています。

「次は、緑いっぱいの季節に、ゆっくりと行くから。ご安心あれ」です。

ご当地の博物館のサイトは以下のとおりです。やはり、夏の風景はピカ一です。
https://www.museodelghisallo.it/en/

参考までに、アッソ~ギザッロ~ベラージョ間のASF社の路線バス時刻表です。C36系統で、ギザッロ集落内の停留所は、教会から少し離れているようです。
https://www.asfautolinee.it/content/en/home

休日運休のようですが、バスは、1日に10往復内外走っています。それなりに行きつけますね。

外レッコ奥のギサーロ村とコモ湖 (3)
( コモ湖東側と早春のレッコ背後の山地 )

外レッコ奥の村の道201803
( マドンナ・デル・ギザッロからベラージョへ )

とっても寒い早春のサイクリング街道見物でしたが、「まあ、次回のための偵察みたいなもんですね」。
ちょっとミスしたときの、反省と言い訳です。

アルプスを遠望できる、清潔で豊かな山村風景を、次回は泊りがけで楽しみ、快眠をむさぼろうと思いました。


2019年2月記    了


トレッツォ・スーラッダ城址を歩く

トレッツォ・スーラッダ城址を歩く    2018年3月訪問


友人が、「アッダ川を遡るルートでロンバルディアを案内しよう」と言って、まず来たのがトレッツォ・スーラッダ:Torezzo sull'Adda です、と言いたいところですが、世界遺産クレスピ・ダッダ:Crespi d'Adda を、ふらふらと通り抜けるという、凡庸な観光客にあるまじきミスをしました。

昔の工場だったというレンガ造りの建物や、現役の戸建て住宅みを見て、「ふんふん、そう言えば、イタリアに『新しき理想の工場』みたいな触れ込みの世界遺産があったな」と、頭の隅に記憶が呼び起こされたのですが、「まあ、いいや」と、クルマに乗っかってスルーしたのでした。

そこが、クレスピ・ダッダだったのでした。典型的な「後の祭り」、「後悔、先に立たず」の行動パターンです。

そして、「クレスピ・ダッダは、ミラノからメトロとバスを乗り継げば1時間くらいで来られるので、次の機会には是非、寄ってみたいものです」と、負け惜しみ。

実は、クレスピ・ダッダの上流1kmくらいに位置する、古城の集落トレッツォ・スーラッダ:Torezzo sull' Adda も、悪くなかったのです。凡ミス観光客の後悔の念をちくちくと刺激するような荒涼感、ひっそり感があふれる小さな町でした。

まず、日本人には、この地名が言いにくいこと、このうえもありません。「イタリア・リピーターだもんね」、と自負する方々には想像がつくと思いますが、「アッダ川沿いのトレッツォ」という意味の町です。

「どうして、前置詞みたいな語が、クレスピの方は、”d”'Adda、なのに、こっちは、”sul" なの?」
「まあ、細かく語れば、いろいろと・・・・・。」
「信濃大町と信州中野、みたいなもんですかねえ」
「地名ですからねえ」

深く考えないで、覚えることです。
「習うより、慣れろ! 街並みと城跡の散歩を楽しみましょう」

外レッコTrezzo sull'Adda街並み201803
( トレッツォ・スーラッダの平凡な街並み )

外レッコTrezzo sull'Adda国道橋201803
( 古城の脇を、とうとうと流れるアッダ川と国道橋 )

国道橋の下流1kmくらいのところが、クレスピ・ダッダです。

外レッコTrezzo sull'Adda発電所とダム2018 (2)
( クレスピ・ダッダの工場用が主目的だった発電所跡 )

トレッツォ・スーラッダの古城の真下に残る水力発電所は、過ぎ去りし繊維産業全盛期を感じさせる造りでした。そして、19世紀末の産業最優先の発想の象徴のような立地です。

外レッコTrezzo sull'Adda城跡201803 (1)
( トレッツォ・スーラッダの古城とアッダ川 )

古城を取り巻く散歩道の端は、早春の雑草に覆われはじめていました。平日には、地元の方々以外に、歩いている人はいないと言っても過言ではない観光スポットです。


外レッコTrezzo sull'Adda城跡201803 (5)
( トレッツォ・スーラッダの古城の塔 )

打ち捨てられた古城風景も味わいがあります。
この程度の遺跡では、まとまった金額の修復予算など、ほぼ、つかないようです。イタリアの土地には無数の歴史が詰まっていることが実感できます。

最後の晩餐だ、ミケランジェロのピエタだ、と先を争うような観光気分とは別次元の空間です。500年くらい前の人々の生活や、川を挟んだ領土争いを想像しながら、湿っぽい土を踏んで歩きました。ガイドブック的な情報が少ない分、自分自身の勝手な想像ができるので、頭の中が冴えてきます。

外レッコTrezzo sull'Adda城跡201803 (4)
( 崩れ残った古城の壁 )

一句など浮かばないまま、城跡を後にしました。

2019年2月記     了



うわさのダヴィンチの渡し船

うわさのダヴィンチの渡し船     2018年3月訪問


「ミラノには、もうひとつダ・ヴィンチがあるんだよ」
と、友人がウインクしながら連れて行ってくれたのが、”レオナルド(ダ・ヴィンチ)の渡し”:Traghetto Leonardesco ( トラゲット・レオナルデスコ )でした。

別名は、”インベルサーゴの渡し”:Traghetto Imbersago。インベルサーゴは、この付近の地名です。

アッダ川のくねった場所で、ひっそり営業している感じでした。

外アッダ川Imbersagoレオナルドの渡し船 (7)
( レオナルド(ダ・ヴィンチ)の渡し船 )

外アッダ川Imbersagoレオナルドの渡し船 (3)
( エンジンなしの双胴船 )

「うそでしょ!」
「看板にも、ちゃんと、『レオナルドの』って書いてあるでしょ。いちおう、レオナルド・ダ・ヴィンチ考案の渡し船という触れ込み。双胴船と水流を上手くバランスさせて川の流れを横切るみたい。上部に張られたロープがあるので、下流に流されないようです。動力はなしのエコ・システムだぞお。」
「ふうーん」


外アッダ川Imbersagoレオナルドの渡し船 (6)
( Traghetto Leonardesco の案内表示 )

料金表を読むと、冬場は週末のみ、春から秋は毎日運行。渡し賃は、大人1人90セント、クルマ1台2.6ユーロです。
観光用ですが、地場の行き来にも使えるサービスです。
「けっこう、やるじゃない」
「10年くらい前に、復活したのさ」
いわゆる『町おこし』の一環のようです。

渡し船は、100メートル弱の幅のアッダ川の両岸を、ゆっくりと往復しています。片道5-6分かかっています。早春のロンバルディア路で、スローモーションのVTRを見ているような気分です。

外アッダ川Imbersagoレオナルドの渡し船 (1)
( 対岸に着いた渡し船と、早春のアッダ川風景 )

ダ・ヴィンチがらみの観光スポットにしては、静かすぎ、のんびりし過ぎです。

あとで、物の本などを読んでみました。レオナルド・ダ・ヴィンチが考案したものだとは、はっきりと言い切れないようです。不用意に突っ込まれないためにも、目立たないようにしているのかも知れません。単に、やる気がないだけなのかも知れません。

「動力も使わないし、見た目も双胴船でユニークです。”『伝承によると』、天才ダ・ヴィンチ先生考案の・・・”と、きちんと断って、もっとPRすればいいのに。特に、日本人リピーター向けなんかに」
と、思うのは、私だけなのでしょうか。

「人が来すぎて押すな押すなの盛況で、乗船するまで長時間待ちになって困るもんね」
と、いう面もあるでしょう。

この前、行った、スペインのビルバオ郊外のビスカヤ橋の人気上昇ぶりを思い出すにつれ、こんなことを思って、インベルサーゴの渡し風景を眺めていました。


2019年2月記                了



パヴィアはイタリアの川越だ


パヴィアはイタリアの川越だ    
2018年3月訪問

1)ミラノ近郊観光

ミラノ周辺には、ちょっと気になる観光地が点在しています。

今回は、ミラノから南へ30kmのパヴィア:Pavia という古い街に足を伸ばしました。ミラノの人気スポットのナヴィリオ運河を、ずんずんと南下していき、ポー川の支流のひとつティチーノ川:Titino と合流する場所にある中都市です。

近郊電車のパヴィア行きに乗ると約40分かかります。終点のひとつ手前が、チェルトーザ・ディ・パヴィア駅:Certosa di Pavia 、そして7km走ってパヴィア:Paviaです。

パヴィアから修道院への道とナヴィリオ運河
( パヴィア付近のナヴィリオ運河 )

事後の感想ですが、パヴィアは、東京で言うと川越みたいな感じの観光地だと思いました。共通点は、

大都市近郊、半日観光、街歩き、川、運河、平野、城、古い都市、再建された観光の目玉、大寺院、美味しい食、です。

異なる要素は、大学都市、キリスト教、電線のない市街、くらいです。

両都市ともに、観光初心者ならば行かないけれど、何かの拍子に足を伸ばしても満足感のある近郊観光地です。


2) パヴィアのシンボル「コペルト橋」

パヴィアのシンボルは、コペルト橋:Ponte Coperto です。一言で言えば、ティチーノ川にかかる屋根付きの石橋で、意味は、「覆われた橋」です。そのものずばりの命名で、ずっこけてしまいます。

パヴィアのポンテコペルト全景
( パヴィア中心街方向から対岸を見たコペルト橋全景 )

屋根付き橋は、アメリカの小説「マディソン郡の橋」などで知ってのとおり、そんなに珍しくもありませんが、ここまで大型の橋は数が少ないようです。そのため、パヴィアのシンボルとして、観光の目玉になったのだと思います。

実物を見ると、かなり大きい橋です。幅は2車線道路に両側の狭い歩道を加えた分があるので、かなり広いです。

パヴィアのポンテコペルト道路
( コペルト橋の内側 )


また、中央が少し盛り上がった左右対称の端正な姿が、とても印象的です。きれいに整備されていますが、第二次世界大戦の空襲で破壊されたものを、パヴィアの誇りにかけて昔どおりに復元したものです。

このあたりも、川越が「時の鐘」を街のシンボルとして、火災で焼ける度ごとに再建したことと気脈が通じるものがあります。

川越の時の鐘真夏201808 (11)
( 川越のシンボル「時の鐘」も明治時代の再建 )

受け売りの話ですが、コペルト橋の眺めがもっとも美しいのは、パヴィア中心部方向から対岸に渡り、パヴィアのドゥオーモを背景に見た構図だそうです。

ここは、素直に橋を渡り、おすすめの場面を見に行きました。早春の快晴の青空が目にしみます。

パヴィアのポンテコペルト全景 (3)
( コペルト橋と背後のパヴィアのドゥオーモ )

なるほど、確かに、絵になる構図です。川の水量も多く、とてもゆったりとした気分になれました。かつては、このティチーノ川からナヴィリオ運河を遡上してミラノまで行き来する船がひっきりなしに通っていたとのことです。このあたりも、川越と江戸が新河岸川(しんがしがわ)という運河みたいな水路を介してつながっていたことと似ています。

パヴィアのティチーノ川下流方向
( コペルト橋からティチーノ川下流方向。左がパヴィア中心部 )

穏やかな水辺の風景は、いつ見ても心が安らぎます。


3) 朽ちゆくドゥオーモ

きびすを返して、橋から見えたドゥオーモに戻ります。

パヴィアのドゥオーモも、かなり大きなレンガ造りの建物です。けれども、思いのほか荒れています。人の気配もあまりありません。体格のよい品のありそうな顔をした老人が、古家の奥の部屋で、ごろごろ寝ているような印象です。

パヴィアのDuomoとVとDo
( パヴィアのドゥオーモ正面 )

ここのドゥオーモの正面左端には、1989年3月17日に自然崩落した塔の土台が残っています。

パヴィアDuomoの崩れた塔跡
( ドゥオーモ脇の塔の土台 )

「あーあ。その後、再建しないのですか」
「別にぃー、そこまでしなくてもいいんじゃない。古い塔だったし、金もないから」

こちらは、コペルト橋と違って、市民からの人気がないようです。
私も同感です。ここのドゥオーモは心に響くものもないので、中に入らず、前の広場を一周して立ち去りました。


4) 優秀なパヴィア大学

パヴィアにあって、川越にないもののひとつが有名大学です。

パヴィア大学は、14世紀後半に大学に昇格しました。イタリアでは古い部類に入る学校だそうです。世界史の授業でやったのかも知れませんが、覚えているイタリアの古い大学名はボローニャ大学とサレルノ大学だけです。

おわびの気持ちも兼ねて、大学のさわりだけでも観光しました。なかなか、良い雰囲気の大学でした。

街の目抜き通りに面した本部校舎は、手入れがよく、若者たちの出入りがあるので、とても生き生きとした雰囲気です。伝統があるだけでなく、人気も実力もある大学のようです。ミラノやイタリア北部の産業集積地帯に近いので、就職状況が良いからです。やはり、金のあるところに人々は集まるのです。

パヴィア大学外観 (2)
( 街の中心にそびえるパヴィア大学本部校舎の外観 )

空いている門から中に入ると、外部の喧噪がウソのように、静寂でアカデミックな空間が広がっていました。
パヴィア大学中庭 (2)
(パヴィア大学本部事務局付近の中庭 )

パヴィア大学図書館付近 (1)
( パヴィア大学本部事務局付近の中庭通路 )

北イタリアによくある、うす黄色の壁と、軽快な感じのロココ風アーチが優雅な印象を醸し出していました。図書館も一般公開中だとのことですが、今回は、そこまでは入って行きませんでした。

中庭を突っ切った先に、大学の講堂(アウラ)がありました。ギリシャ風建築なので、ここ200-300年くらいの建物のようです。そこまでギリシャ風が、はやった時代があったんだな、と思います。

パヴィア大学レオナルド広場と講堂アウラ
( パヴィア大学のアウラ(講堂) )

アウラの奥にそびえるのが、中世風の名残の3本の塔です。11世紀から15世紀ごろは、財力誇示も兼ねて煙突みたいな高い塔を建てるのが流行したとの話です。

パヴィア大学の三本の塔2018
( パヴィア大学裏に残る三本の古い塔 )

「いやあ、いわゆる「うだつが上がらない」と、おんなじ発想ですね」
「そうです。塔の1本も建てられない奴は、一流のパヴィア市民としては認めません」

やがて流行は過ぎ去り、塔は、いつの間にか1本、また1本と崩れていき、いまでは数えるほどしか残っていないようです。

こういうポイントをアピールして観光客を惹きつけることに成功したのが、トスカーナ地方のサン・ジミヤーノ:San Gimignano町。多くのニッポン人の皆さんがサン・ジミヤーノ観光を楽しんだことと思います。私も行ったことがありますが、トスカーナの田園気分が残る、とても素敵な観光地だと思います。


5) ヴィスコンティ家がまた登場

パヴィア大学を出て、目抜き通りを先へ進んだ突当りがパヴィア城こと、カステロ・ヴィスコンテーオ:Castello Visconteo、です。

城を見てひとこと。

「ミラノのお城とそっくりじゃあないですか!」
「当然です。同じヴィスコンティ家の殿様一族が、ときを前後して建てたのですから」
「そうは言っても、同じパターンで、飽きは来なかったのでしょうか?」
「そういうことは、現代人の我々からは、測りかねるのですが・・・・・」

パヴィア城と周囲の公園風景 (3)
( カステロ・ヴィスコンテーオ全景 )

パヴィア城と周囲の公園風景 (4)
( カステロ・ヴィスコンテーオ本館の外観 )

この本館は、現在では市立美術館となっているので、中を見たい場合は入館しましょう。

パヴィア城と市立美術館
( パヴィア城の市立美術館入口 )


6) パヴィアでぶらぶら

イタリア観光では、やたら教会やお城、宮殿ばかりで、しばしば飽きてきます。もっと、ゆったりして、バルや面白そうなお店に入り、美しくも一筋縄ではいかない現代イタリアの空気を吸いましょう。

私もパヴィアの街の中心、ヴィットリア広場のバルに座って一休みです。橋も教会もお城も行ったので、観光はもう十分でしょう。

パヴィアのヴィットーリア広場とバル201803 (2)
( パヴィアのヴィットリア広場とバルのテラス )

大都会のバルほど洗練されていませんし、目の前を通るのは、買い物帰りのおばさんや、遠足に来た小学生ですが、その代わり、ほのぼのとした落ち着きを感じます。みんな思い思いにすわって、しょうもない雑談をしています。そういう、あてどもない時の流れが中小都市の隠れた魅力です。

パヴィアBroletto宮201803
( バルの椅子からブロレット宮殿正面を見る )

パヴィアのカバネリア広場界隈 (1)
( ブロレット宮殿の中庭側 )

ランチ前のひととき、パヴィアの目抜き通りをぶらぶらとしてみました。ローマ時代からの都市なので、街の中心部を十文字に走るCorso Strada Nuova:新街道通り、とCorso Camino Benso Cavour:カミーノ・ベンゾ・カブール通りの交差点一帯が賑わっています。一歩、裏通りへ入ると、けっこうシャッター商店街化している場所もあります。

パヴィアのカバネリア広場界隈 (3)
( ちょっと繁華街をはずれた寂しいアーケード )

パヴィアStradaNuova風景
( 昼前後のCorso Strada Nuova:新街道通り。奥がパヴィア大学 )

パヴィア旧市街の塔のある風景2018
( 目抜き通りのカブール通りから見えた塔 )

のんびりしていいなあ、と思うのは、都会人か外国人の勝手な思い込みかも知れません。いずこの国でも、地方都市のにぎわいを守るのは大変です。それでも、信用のある大学が厳として存在し、若い人たちの出入りが絶えないパヴィアは、恵まれているほうだと思いました。


                                    2018年8月記        了









密教系のパヴィア修道院

密教系のパヴィア修道院      2018年3月訪問

1) 高名な修道院

チェルトーザ・ディ・パヴィア:Certosa di Pavia = パヴィア修道院は、ミラノの南20kmくらいの平原の真っただ中に建つ、格式ある高名な修道院です。

パヴィアCチェルトーザ正面201803 (2)
(パヴィア修道院の本堂正面)

一般公開時間は、季節にもよりますが、午前、午後の各2-3時間ずつくらいです。
月曜日は閉館です。通年で、午前中は9:00から11:30まで開館、午後は14:30開館で、閉館は夏が18:00前後、冬が17:00ごろのようです。

パヴィアC修道院入口付近 (2)
( チェルトーザ・ディ・パヴィア正門の開館時間告知板 )

「お代は見てのお帰り」という修道院ですので、正門にキップ売場はありません。


2) 交通は不便な方の修道院

チェルトーザ・ディ・パヴィアに電車で行くならば、ミラノ都心部貫通するミラノ・パサンテ線:Milano Passante、に乗り入れてくる近郊電車に乗ると一本で行けます。30分毎に走っている普通パヴィア行きで都心から30分ほどです。終点のひとつ手前、修道院と同名の「チェルトーザ・ディ・パヴィア:Certosa di Pavia 」駅下車、徒歩約20分です。

電車の時刻表は、下記URLにあります。長距離列車もいっしょに掲載されていますので、少し読み取りにくいかもしれません。
http://www.trenord.it/media/2239825/q26_genova-voghera-pavia-milano.pdf

人家もまばらな平野の中の小さな駅に降り立って、四方を見回すと、延々と連なるレンガ色の塀が目に入ります。それが修道院ですが、入口は駅に面した塀と反対側にあるので、塀に沿ってぐるりと一周するように歩いて行きます。


パヴィアCの高い塀2018
( やっと着いたチェルトーザ・ディ・パヴィアの正門近く )

路線バスでも、パヴィア行きに乗って「チェルトーザ・ディ・パヴィア:Certosa di Pavia 」で下車します。東向きに進んで集落を抜けた場所から続く並木道を、やはり20分くらい歩きます。炎暑の日には、おそらく、ばてます。

パヴィアCチェルトーザ前の並木 (1)
( バス停のある集落の端から続く並木道 )

交通の便が良いとは言えないので、一般的なミラノ観光客はもちろん、住んでいても、あんまり訪れない観光地だと思います。「有名なので、いつか行こうと思っていたけれど、行きそびれた」、という場所です。

パヴィアC修道院入口付近 (1)
( チェルトーザ・ディ・パヴィア正門 )


3) 格式高い修道院

パヴィア修道院の縁起は、とても誇り高いものだそうです。Wikipedia等の解説によると、15世紀半ばに、当時のミラノの領主ヴィスコンティ家の支援を受けて、”ヴィスコンティ家による、ヴィスコンティ家のための”修道院としての基礎が確立したそうです。

「豊かなお殿様一族のための菩提寺っていう訳ですね」
「そうです。神への感謝を最大限に表すため、金に糸目をつけずに造りました」
「ゴシック様式だそうですが、豪華絢爛な建築ですね」
「そうなんですよ。さすが、お目が高い!」

チェルトーザ・ディ・パヴィアを訪れる観光客は少ないので、静かな時間の流れの中で、内外を見て回れます。本堂の奥に入るときは、修道士さんの案内に従って回ります。

たまに来る日本人観光客も、荘厳で意匠を凝らした建築物に賛辞を惜しみません。白く輝く本堂正面や、きらびやかな祭壇、立体感あふれる本堂中庭や塔などは、一見以上の価値があると思います。

建物内や本堂中庭などは撮影禁止です。Websiteなどを、是非、ご覧ください。

祈りの場であり、神へ奉仕するための場所であるということに敬意を払って見学しましょう。

内部の見学では、僧房の外観も見せてくれます。草地の中庭を取り囲むように並んだ独居式の僧房は、シンプルで静かなたたずまいです。今でも、修行に励む僧たちもいるとのことです。ひとつひとつの僧房も庭付きなので、往時、ここに入れた修行僧は、「それなりの」人たちだったようです。

パヴィアCチェルトーザ居住区の中庭 (2)
( パヴィア修道院の僧房 )

解説によると、いったん、ここに修行に入ったならば、ここで生涯を過ごすことになるそうです。安全、安心で飢えもないので、俗事に未練がない限り、安穏な生涯を送れた場所だと感じました。

どこの世界でも、修行僧の生涯は似たり寄ったりだなあと思います。ひとつのところで一生を送るか、逆に、雲水のように生涯、各地をさすらうか、の両極端です。


3) 修道院で”おつとめ”

「パヴィア修道院は、いかがでしたか」
「うーーん。ちょっと、敷居が高いところですねえ」

確かに、修道院の周囲は、ぐるりと高い塀で囲われています。まわりが農地なので、近隣の人々がうっかり入らないよう、外界との接触を断つためです。

パヴィアCチェルトーザ壁
( チェルトーザ・ディ・パヴィアの高い外周壁 )

「でも、お坊さんたちが、上司の目を盗んで外へ出て行かないようにするための塀みたいに感じました」
「まさに、無期の”おつとめ”です」
「それに、女が、こっそり忍び込んでこないようにする効果もありますね」
「そうそう、映画「薔薇の名前」でも、山深い修道院に、こっそり女が忍び込んで逢引きですからねえ」

こういう話の方が、現実味があると思います。

権力をバックにつけ、財政豊かな平野部の修道院で、もともと余裕のある家庭出身の僧に対して赤貧洗うがごとくの修行生活をしろ、という方が無理なのです。

「畑仕事は、作男中心でやらせるから、あなたさまは適当に手伝ってくれればよろしいです。あとは、大人しくお祈りしていて僧房から、あんまり出ないでね」、と本当は思っていたと説明された方が、私は納得がいきます。


4) 神を独占したい修道院

もうひとつ感じたことは、「神を独占している」という雰囲気です。別の言い方をすれば、

「うちは格式も高く、お布施も豊富なので、その分、神への奉仕が多くできるのだから、余所よりも神の恩寵を受けて然るべき」、

あるいは、

「殿の肝煎りの修道院であるウチこそ、領内では唯一、神と対話できる場所です。領民は、ウチを通して神の恵みに感謝するように!」、

という雰囲気を感じたことです。これは、「仏の真の言葉を聞けるのは、修行という特別な訓練をした私たちのみ」という論法の密教系寺院と同じ考え方です。

「ウチは、お殿様直営」のような雰囲気は、日本では、門跡寺院などで感じます。私も含めた人間の本性の一面を見たような気がしました。

私は、このようなスタイルの考え方には抵抗感を覚えるほうです。ミラノでお話しをした一人の方も、同じような感じがすると言っていました。

「ミラノのドゥオーモは誰でも受け入れる雰囲気があって親しみやすい。でも、チェルトーザ・ディ・パヴィアは、自分たちこそ神に一番近い存在だと言っているようで、権威的だな」

私も、同感です。
Duomo夕暮れややオレンジ201803
パヴィアCチェルトーザ正面201803 (3)
( ドゥオーモ(上)とチェルトーザ・ディ・パヴィア(下)の雰囲気は?)

いろいろと考えさせられたことが多かったチェルトーザ・ディ・パヴィア観光でした。


                                2018年8月記     了


  • ライブドアブログ