やまぶきシニアトラベラー

気まぐれシニア・トラベラーの旅。あの日から、いつか来る日まで、かつ、めぐりて、かつ、とどまる旅をします。

ビスカヤ県

夏が来ればカストロ・ウルディアレス

夏が来ればカストロ・ウルディアレス:CASTRO URDIALES


真夏のバスクは、バカンス・シーズンです。
普通の市民でも1カ月くらい休みます。

バカンスの一番人気は、自前で持っている海沿いの別荘で、ずっと過ごすことです。
一軒家を持っているリッチな方もいますが、大半は、海の見えるリゾート・マンションで夏休みです。私たち日本人とは、ちがう感覚です。いや、暮らし向きが豊かなのかも知れません。

かつて、そういう海辺のリゾート地へ寄ったことがありました。
カストロ・ウルディアレス:Castro Urdiales という名の、地方レベルのリゾートです。ビルバオから西へ約30km、ここまで来るとバスク州ではなく、隣のカンタブリア州です。けれども、生活圏としては、ビルバオ近郊の町です。

カストロウルディアレス海辺の風景198607 (1)
( 晩夏のカストロ・ウルディアレスのビーチと町はずれの要塞跡 )


カストロウルディアレス海辺の風景198607 (4)
( カストロ・ウルディアレス市街とリゾートマンション 1986/9 )


カストロウルディアレス海辺の風景198607 (3)
( カストロ・ウルディアレス漁港と旧市街風景 1986/9 )

普段は、のどかな漁港風景が広がり、マンションの立ち並ぶリゾートエリアにポツポツと人が歩いているくらいです。けれども、夏休みや春秋の週末は、別荘族で大賑わい。ここからビルバオの職場までクルマで通う人もたくさん出現するようです。それでも1時間弱の通勤時間。
「人間らしいなあ」、のひとことに尽きます。


さらに西へ進み、ビルバオから50kmほど離れると、ラレド:Laredo という、かなり有名なリゾートがあります。何でも、スペイン王族も、たまに来るとか、来ないとかの町だそうです。

江の島みたいな海に突き出た岩山が美しい、遠浅のビーチを擁した典型的なリゾートタウンです。

ラレドには、白砂のビーチを取り囲むように、白壁のリゾート・マンションが林立しています。建物のデザイン、色調が似ているので、街並みを鳥瞰すると、統一感があり、とてもすっきりしています。

よく考えると、日本人が理想とするビーチ・リゾートのイメージです。

1LDKか2LDKのマンション価格は、本体価格のみで800万円から2000万円くらいです。こじんまりしたマンションなら、買ってもいいかなと思います。

LaredoFreePhoto2018
( (参考)  ラレド:Laredo の遠浅のビーチ、フリーフォトより引用 )


laredo free photo 2018
( (参考) ラレド:Laredo に立ち並ぶリゾートマンション群。フリーフォトより引用 )


けれども、ラレドのような整った眺めが一朝一夕にできるものではないことは、現在の日本の都市景観、リゾート景観の、ばらばら感を思い出せば納得できるでしょう。

気持ちはゆったり、街並みはすっきりしたいなあ、と思います。

「どこから手をつければいいのでしょうか?」

「まずは、ゆったり休むことです。正社員、1年以上勤務した契約社員、派遣社員には、例外を認めず、最低連続10日勤務日の休暇を義務付けてほしいです。仕事も義務、休みも義務、です。街並み整理には10年単位の努力が要りますけれども、バカンス事始めは、今からすぐにできます!」

コツは、非正規雇用の方も、しっかりサポートするだと思います。そうしないと、「休暇中に、派遣さんに仕事を取られるのではないか」と、正社員の方が疑心暗鬼になり、職場が総すくみになって、おちおち休めなくなるからです。

いかがですか。ニッポンもいいところですが、バスクの良さにも学びたいと思います。

                                                        2018/2 記   了

クジラ去りしベルメオ

クジラ去りしベルメオ:Bermeo

ベルメオに寄ってみました。

ウスコトレン:Eusokotren  こと、バスク鉄道で、ビルバオから1時間20分なので、ちょっと時間に余裕があれば、半日で往復できる観光ポイントです。

漁港を取り囲む、丘の上の旧市街を、ちょっとだけ歩いてみました。バスクムードが漂う建物はカラフルな色合いです。観光ポスターにも盛んに登場します。

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( ベルメオ旧港の典型的風景。カラフルな家並みと居並ぶレジャー船 )

こういう光景は、付近一帯の漁師町ならではもの。レケイティオ:Lekeitio  なども観光客に人気のようです。

ベルメオでも、いわゆる新市街に出ると、現代風の中層マンションが並んでいます。二階建てくらいが多い日本の中小の港町風景とは、この点では異なります。

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( ベルメオ駅は半地下式。背後は新市街 )

ベルメオ駅は半地下式です。駅前に帆船のモニュメントがあり、港町気分を引き立てています。

駅前通りに出ると、ウスケラ:Euskera  、つまりバスク語のみの道案内標識が早速に目に入りました。この辺は、もうウスケラ話者が当たり前のように住んでいる地域です。ちょっと離れたところには、いわゆるスペイン語標識もあるので、旅行者でも心配いりません。

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( ウスケラのみの案内表示。真ん中は”旧市街”表示 )

駅前から見える公園の奥の方が、ベルメオ観光の中心、旧市街です。

雲が低く垂れ込め、雨も降りだしてきました。今日は、秋雨にむせぶベルメオを見るしかありません。

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( ベルメオ駅前から左ネストール劇場 中央ラメラ公園、奥が旧市街 )

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( 坂の上からベルメオ新港と、ラメラ公園を隔てて旧市街の丘を見る )

丘をひとつ回り込むと、旧港に出ました。漁船とレジャー船が半々に並んでいました。

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( ベルメオ旧港の波止場から見上げた旧市街 )

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( 坂の上から旧港を見下ろす )

漁港なのに、現代のベルメオは、あまり生臭くありません。

ここは、18世紀ごろまでクジラ漁で栄えた町ですが、乱獲によりクジラが絶滅すると、漁港としては次第に活気を失ったようです。クジラ問題は、とてもナーバスなテーマです。観光客は、歴史として知るだけが無難なようです。

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( 雨にむせぶイサロ島と右、ムンダカ対岸の山 )

海の彼方には、ムンダカ:Mundaka からも見えるイサロ島が雲間に鎮座していました。
降りしきる雨音だけが、海に響きます。

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( 市内のところどころにある漁師の像 )

街歩きコースの途中には、ところどころ休息スペースがあり、昔をしのぶように漁師一家の像が建っています。家事をしていたり、頭上にカゴを乗せて行商する、おかみさんの像もありました。

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( 新旧市街の境目にある漁師のおかみさんの像 )

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( 旧市街を囲んでいた城壁の出入口わきの立像 )

旧市街は、坂道がいっぱいあります。それでも小一時間歩けば、だいたい一周できます。途中で、バル兼食堂に入って、一休みしました。駅のそばの公園脇の広場にもピンチョス・バルが数軒あり、観光客も立ち寄ります。もちろん、路地裏のバルに入っても、みな、親切に旅の者の注文を聞いてくれます。

デラックスなレストランこそありませんが、バスクなので普通のお店でも、食のレベルは高いです。

道すがら、一応、市の中心にある市役所と、真向いにあるサンタマリア教会も見て、駅へ戻りました。

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( ベルメオ市役所前広場。左が市役所、右はサンタマリア教会 )

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( サンタマリア教会正面と鐘楼 )

バルを出ると、雨脚がいっそう強くなっていて、歩いている人もめっきり少なくなりました。大粒の雨が、石畳の道に音をたてて降り注いでいました。昼間なのに、少し寂しげな雰囲気になりました。

バスクの雨は、1時間くらいすると小降りになることが多いので、あせらず、あわてず天気の回復を待ちましょう。

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( 雨脚を増したベルメオ旧市街の通り風景 )

ほらね、雨もやんで視界もはっきりしてきました。


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( ベルメオ新港。右は船のモニュメント )

バスクの漁村風景を残す町、ベルメオに別れを告げましょう。
「アグル!」 ( またね )


                                          2017/9観光、2018/2記    了

彼女と見つめたい海ムンダカ

彼女と見つめたい海ムンダカ:Mundaka

バスクの海は、どちらかというと、物憂げな表情をした海です。

緯度が北にあること、バスクを含むカンタブリアの海岸が北向きで、自分の前に影が出やすいことが理由のような気がします。 

地中海の明るいビーチが、屈託なく遊んだり、ナンパする海だとすれば、バスクの海は、二人で寄り添って、じっと見つめたい海です。

かつて訪れたムンダカの海は、オレンジの夕陽に照らされ、静かに水面を揺らしていました。磯に張り出した公園に、しばしたたずんで、波が打ち寄せる音を聞き、黒くなってゆく風景を見つめていました。


ベルメオMundaka港公園198607夕方のビスケー湾
( ムンダカ港付近よりカンタブリア海とイサロ島の夕暮れ 1986年 )

その海を、再び見つめるために、ムンダカに向かいました。

ゲルニカから電車で約20分、北へ向かって走ります。

ウスコトレン:Euskotren の電車は、ゲルニカをあとにすると、ウルダイバイ自然保護区: Urdaibaiとなっている湿地帯の西側を延々と走ります。湿地の彼方には、木々に覆われたバスクの丘陵が続いています。小雨模様ですが、緑がいっそう濃く映え、日本の田園風景と重なります。

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( ゲルニカ郊外の車窓風景 )

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( ウルダイバイの湿原を間近に見ながら走る )

電車は、一駅ごとに海に近づき、小さな入り江やヨットハーバーが目に入るようになります。

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( ウルダイバイの河口付近。エスチュアリーと呼ばれる地形 )

ムンダカ:Mundaka 駅到着です。数人のお客をパラパラと下ろした青い電車は、ガッタンと音をたてながら去っていきました。

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( ムンダカ駅プラットホーム。電車はベルメオ行きの下り )

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( ムンダカ駅舎。集落の西はずれにある )

ムンダカの集落は、他にも増して静寂が支配的です。観光客はほとんどいません。小ぎれいなバスク風出窓が目立つマンション街や、旧役場、いまやヨットが主人公となった港を見ながら、海辺の公園まで歩いてきました。

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( 昼下がりのムンダカの目抜き通りと、ビスカイバス )

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( ムンダカ港近くの広場と、バスク風マンション )

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( ムンダカ港と、イサロ島遠望 )

港と隣り合わせの公園に、久しぶりに立つことができました。
海と山と川の風景を、ひとつひとつ視野に入れていきます。

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( ムンダカ港公園と、木立の背後の集落風景 )

ムンダカ港の防波堤の先には、イサロ島:Izaro が横たわっています。

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( ムンダカ港公園よりイサロ島遠望 )

低い雲がおちてきそうな2017年のイサロ島風景ですが、波は、あくまで穏やか。バスクの海と向き合う感慨にひたります。

” ムンダカの、雲をささえるイサロ島 ”

ベルメオMundaka港公園198607夕方のビスケー湾
( 茜色に染まったイサロ島風景を思い出す )


視線を、河口の対岸に移します。

三角江と訳されるエスチュアリーと、ゆるやかな山々の風景はいつまでも変わりません。ちらりと、バスク地方特有の灰色の石灰岩むき出しの山肌がのぞいています。天気により、霧にむせび、あるいは、秋の夕陽にオレンジ色もあざやかに輝きます。

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( ムンダカ港より、東の海岸線と石灰岩質の山を遠望 )

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( エスチュアリー対岸の奥を見る )

ベルメオ198607ムンダカ港公園より上流を見る
( オレンジ色に染まるムンダカ付近のエスチュアリー 1986年 )

エスチュアリーの奥の方にも目をこらします。ゲルニカ付近の山々は、あくまでも優しく、そして青く鎮座しています。

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( 雲が低いので、ゲルニカあたりは霞んでいる )

198709ムンダカからウルダイバイ方向の夕方
( 夕暮れが美しいムンダカのエスチュアリーとゲルニカ方面 1986年 )

なんか、室生犀星の一文を思い出してしまいます。

「ふるさとは、遠きにありて、思ふもの。 そして、悲しくうたふもの 」

実際は、ふるさとでも出生地でもありません。バスクに来て喜んでいます。それでも、何か帰ってきたような気分になり、また、去らねばならないと思うのでしょう。これが、私のバスクの風景です。

三度目は、やっぱり晴れの日に来たいものです。


                                       2017/9月訪問。2018/2記   了












ゲチョのアイセロータの海風

ゲチョのアイセロータの海風


ビスカヤ橋右岸のゲチョ市:Getxo はビルバオ都市圏の衛星都市です。ニッポン人にとっての知名度はいまひとつですが、実は、スペイン屈指の高級住宅街のひとつです。

ビスカヤ橋観光の前後に時間を作り、是非、街中をふらついてみましょう。豊かなバスクの、さらなる奥の深さを感じます。家の値段を聞いて、さらなるバスクの奥の深さにため息がでます。

ビスカヤ橋右岸の遊歩道を海に向かって歩いて行くとビーチに出ます。遊歩道は、浜辺に沿って彼方の崖の方までずっと続いています。右手の公園には、ビルバオ港の繁栄をたたえる大きなモニュメントが建っています。

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( ゲチョのビーチの遊歩道 )

海には、ビルバオの新客船ターミナルが突き出し、明るい雰囲気のショッピングモールやヨットハーバーが並んでいます。もう、これだけでセレブな気分を感じます。

運がよいと、大型クルーズ船が停泊している場面に出会えます。実際は、ビーチで寝転ぶ美女の方に視線が移ります。

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( ビルバオ新旅客船ターミナルとヨットハーバー )

ヨットハーバー前から、海岸が湾曲するあたりにかけての一帯が、超高級住宅街です。豪邸というより、小さなお城のような邸宅がビーチに沿って連なっています。

こうした邸宅のオーナーは、イギリス系スペイン人がほとんど。19世紀末、イギリスからここにやってきて製鉄業や造船業で財を築いた経営者たちが、きれいな空気と広い場所を求めて、ゲチョに家を構えたのが始まりです。竣工当時は、成金趣味だったようなデザインも、築100年を超すと、風格が出てきています。

ビーチの裏側の幹線道路を走って、邸宅の数々を見ました。
「ほんとに、ここスペイン?」、という光景が広がっています。

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( ゲチョの幹線道路と海沿いの邸宅 )

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( ビーチを眺める高台にそびえる豪邸 )

海沿いに比べると、内陸側の住宅街は、超がつかない程度の高級住宅街です。どちらにせよ、私の財力では、手がとどかない物件ですが、お城ふうの家を見た後だと、何かほっとしました。

本当は、これでも、かなりの豪邸です。芦屋と田園調布のレベルを超えています。生活道路に至るまで電線は、まったく張り巡らされていません。道沿いに看板や標語がペタペタ張ってあることもありません。緑に囲まれた敷地のなかに、品のよい家が、静かに並んでいました。

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( ゲチョ内陸地区のバス通りと住宅街 )

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( ゲチョ住宅街の細い生活道路風景 )

内陸部の高級住宅1軒のお値段は、不動産会社のwebsiteで、おおまかな感覚はつかめます。税別で、最低200万ユーロ以上です。3億円弱です。海の見える物件は、最低でも350万ユーロくらいします。

「IT長者さま。是非、1軒購入し、社員も泊まらしてやってください”ゲチョに家があってね”、なんてセリフが出ると、絶対に、他人のあなたさまを見る目が変わります!」

個人宅には入れないので、同じ造りのガーデンレストラン「ヨラストキ」:Jolastoki、に入って、耳あか程度のセレブ気分を味わいました。

このあたりは高台なので、目をこらすと、ビスカヤ橋の頂上部が遠くに見えます。午後の熱気で、鉄塔がかげろうのように、ゆらゆらと揺れて見えました。

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( レストラン、ヨラストキの正面玄関への道 )

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( ビスカヤ橋は遠きにありて、かげろうのごとし )

ビーチ沿いに戻って先へ進みます。白っぽい石灰岩がむき出しの崖を回り込むと、昔の漁師町の雰囲気を残した一角に出ます。産業革命が始まるまでは、ゲチョは、小さな漁港だったことを思い出させる観光スポットです。

ポルト・サーラ:Portu Zaharra という地区です。
またまたウスケラ:Euskera  の単語です。カンの良い方は想像がつくと思いますが、”古い港”という意味です。ここまで足を伸ばす人は、バスク度が高めなので、ウスケラも頭ではなく、肌で感じるようになってきているはずです。

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( ポルト・サーラの岸壁 )

ポルト・サーラには、バル、レストラン、ブティック兼お土産屋さんが石畳の坂道に沿って並んでいます。近隣の人々が、夕暮れときや週末にぶらぶらするには、お手頃な場所です。ガイジンは、ほとんど見かけません。

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( ポルト・サーラという名前のバル。内部はレトロ調 )


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(  雨上がりのポルト・サーラのバル&ブティック街 )

少なくない数の日本人旅行者が、ビスカヤ橋両岸のバルやレストラン体験をおすすめしています。是非、もっと足を伸ばして、ポルト・サーラ散策も検討ください。市バスでも来ることができます。本当は、品のよい芸能人でも来て、絶賛してくれると、バスク人気が、さらにアップするのですが、なかなかうまくいきませんね。

私に言わせれば、ちょっとくらい日本人が増えたって、人数的には、まだまだ、たかが知れています。ゲチョの雰囲気が壊れることはありません。肝心なことは、まず、バスクに来ることです!

ポルト・サーラを過ぎて、白い崖の先端の方まで来ました。

芝生の先に雑草が茂る、半分、野性的な公園です。アイセロータ:Aixerrota  という名前です。ウスケラで、”風車”、という意味です。昔ながらの風車が1基、ぽつんと残っていて、手ごろなランドマークになっています。

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( アイセロータ公園:Aixerrota /  Mirador Aixerrota )

風車に隣接して、クビータ:Cubita という名前の、高級レストラン兼バルがあります。みんな「アイセロータのレストラン」と呼んでいるようです。少し洒落た服に着替え、彼女といっしょに夜景を見ながら夕食をすると、とてもさまになるお店です。

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( アイセロータのレストラン、クビータ )

アイセロータ公園一帯は住宅街なので、景色を見る人、子供を遊ばせる人が混在しています。

澄み切った青空に輝いている太陽も、傾き始めました。

「 夕陽待つ、ゲチョの海原、輝きて、バスクの山に、雲はたなびく」

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( 夕方近くのゲチョ対岸の眺め )

芝生にすわり、少しずつ影を濃くしていくゲチョの街並みや、バスクの山々を、しばしの間ぼうーっと眺めていました。
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( ゲチョの海沿いの住宅街。左奥の彼方がビルバオ )

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(ネルビオン河口と、対岸のサントゥルティ市街。その左がポルトガレーテ方向 )

ちょっと、近所の公園に散歩に来た気分です。海風に当たっていると、うとうとと眠くなる心地よい空間です。バスクの適度な湿り気、濃い緑、おだやかな気質の人々に囲まれていると、家だか旅先だか分からなくなります。

ゆっくりとたなびく雲を見ながら、腰をあげました。


2017/9観光 / 2018年2月記     了



ゲルニカでバスクを感じる

ゲルニカでバスクを感じる:Gernika


1) ゲルニカはバスクにあり

ゲルニカは、ピカソの「ゲルニカ」で有名な町です。戦争の悲劇を改めて心に刻む町です。それと同時に、バスクの心のふるさとでもあります。バスクの人々の魂を感じることができます。

「えっ、ゲルニカってバスクにあったの?」

30余年前、私も、ここに来て、初めてゲルニカがバスクの地名だということを知りました。マドリードの美術館で、本物のゲルニカを見て数年後のことでした。

21世紀のいま、ゲルニカのレプリカは日本でも見られるようになりました。JR東京駅丸の内北口のOazoビル1階のロビーにもあります。ときどき、その前をとおりますが、場面が混乱している様子が伝わってくる不思議な作品です。

232東京駅前オアゾビル1階にあるゲルニカのレプリカ
( 丸の内Oazoビル1階ロビーにあるゲルニカ。無料で見られます )

バスク人気が上昇するにつれ、ドノスティア(サンセバスチャン)や、ビルバオの知名度が上がりました。そのため、第二次世界大戦の記憶の町ゲルニカの知名度は、相対的に下がり気味です。これが、時の流れというものでしょう。

けれども、見方によっては、バスク旅行の日本人が激増すれば、ゲルニカに寄る日本人も増えると思います。話に聞いたり、マドリードで見たゲルニカの、実際の土地を体験する人数が増えることは、良いことです。実際、私も日本人ツアーの一行をお見かけし、仰天してしまいました。よくぞ、ここまで、という気分でした。


2) ゲルニカ交通事情

ゲルニカも綴りがウスケラ風になり、Gernika と書きます。以前は、Guernica と書いていました。
ここは、人口1万5000人くらいの、静かで、のんびりとしていますが、さびれた様子もない小都市です。観光ムードがあるのは、中心部のエリアのみです。行政上は、隣町と合併して、ゲルニカ・ルーモ:Gernika-Lumo となっています。

交通は、ビルバオからウスコトレン(バスク鉄道)で約50分、またはビスカイバスで45分くらいです。電車もバスも、平日は30分毎、土曜休日は1時間ごとの運転です。ゲルニカ駅に隣接してバスターミナルがあるので、迷いません。半日観光で気軽に足を伸ばせます。

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( ゲルニカ駅舎。バス発着場は、写真の右手100mくらい )


3) バスク議事堂でレンダカリ気分

はじめに、駅前の観光案内板を見るか、街中の観光案内所まで行って、ゲルニカ議事堂の場所や博物館、絵のレプリカの場所を確認しましょう。いずれも駅から徒歩10分圏にあります。

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( ゲルニカ駅前の観光案内板 )

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( 町の中心部にある観光案内所 )

駅を背にして、左斜め前の方の丘の上に建つのがゲルニカ議事堂:Gernikako Batzarretxea = ゲルニカコ・バッツァレッチャ です。フェリアル公園:Ferrial を通り抜け、ゆるい階段を昇ると、石造平屋建ての重そうな議事堂が見えてきます。築200年弱の建物です。世界遺産や国宝ではありません。

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( フェリアル公園。議事堂側からの景色 )

よく手入れされた周囲の芝生と、何本も生い茂る大きな木の緑が目にしみる聖地の雰囲気を持つ場所です。振り返ると、平凡な家並みの向こうに、青々としたなだらかな山並みが望めます。

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( ゲルニカ議事堂正面 )

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( 議事堂前から見るゲルニカ市街とビスカヤの山並み )

議事堂内部は、大きく二つの部屋に分かれています。入口そばの議場と、入口左の大広間です。
ここは、かつてはバスク全体の議事堂でしたが、のちにビスカヤ県の議事堂となり、いまでは、バスク州かビスカヤ県の儀式を行なう場所になっています。そのため、ほとんど一年中、見学ができます。観光客に優しい施設です。入場無料なので、ツアーで来ても、開館時間内ならば、必ず入場観光できます!

雨が多いので、ここにも日本製の「傘ポン」が設置してあります。日本人なので、思わず顔がほころんでしまいますが、係員は、「何がそんなに珍しいんだ」みたいな顔をしています。
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( ゲルニカ議事堂入口脇の傘ポン )

議場内部は、質素ですが品があります。天井の細工が見事です。また、壁面を取り込んでいる歴代ビスカヤ伯爵の肖像を見ていると、バスクの長い時間や、それなりに政治的に上手くやっていた過去のノウハウを感じます。
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( 議場風景。正面が議長席 )

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( 議場の天井。細工が見事 )

議場正面は議長であるバスク政府首班の席です。呼称は、「レンダカリ」: Lehendakari 。けっこう、かっこいい名前です。意味は、「おかしら」。現代風の呼称に引き直すと、大統領、社長、首班などなどでしょう。

ちょっと、あぶない脱線ですが、どこかの国の金髪の大統領様も、人工衛星と称するミサイルを発射してひんしゅくを買っている首領様も、昔風ウスケラで呼ぶならば「レンダカリ」で、ひとくくりだと思います。

議長席をじっと見ていると、歴代レンダカリが、粛々と議会を率いていた様子が脳裏を横切りました。

議場の隣りは、ロビー風の大広間。その奥に図書室、資料室があります。天井を仰ぐと、バスクの木を描いたステンドグラスが、無言で訪れる人々の上にかぶさっていました。

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( 大広間全景 )

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( ステンドグラスに描かれたバスクの木 )

私は、1986年9月にここに来たことがありますので、ここを見るのは二度目です。バスク議事堂の中では、時間がほとんど進んでいません。

ゲルニカ旧バスク議事堂会議の間198708
( 1986年当時のバスク議事堂の大広間。少しだけ変わった )


4) ゲルニカの木を感じる

ゲルニカの木を見るため、大広間の衝立を回り込んで外にでました。議場の方からも出られます。
この有名な木は、建物背後の庭で、ひたすら静寂を保って直立していました。

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( 三代目ゲルニカの木。四代目説もあり )

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( ゲルニカの木と、議事堂背後の建物 )

バスク州は、グルメツアーの地だということ以外、気にかけるものがないと、「ゲルニカの木」は、ただの木です。ツアー客のみなさんも、3分くらい眺め、写真を2-3枚撮ると帰ってしまいました。時間は短くとも、バスク気分を感じればよいと思います。

歴史的には、ゲルニカの木は、バスクのシンボルであり、バスクの人々のシンボルでもあります。

解説によると、バスク領主になったビスカヤ伯は、この木の下で、バスクの自治権尊重を誓いました。日本人にとっての、三種の神器に似た感じ方をするのが、ゲルニカの木かも知れません。普通の木だと分かっていても、感情移入してしまうのです。

ゲルニカの木を5分、10分と眺めていると、無言のプライドが木の周りを取り巻いているような気分になりました。心霊スポットのような求心力があるのかも知れません。

今の木は、30年前の木とは、明らかに違っていました。パンフレットによると、私が初めて見たのは、1860年に植えられた二代目でした。かなり大きく育っていましたが、とうとう2004年に枯れてしまったようです。そのため、二代目の実から育てた苗木を2015年に植え替え、三代目としたそうです。

ゲルニカ柏の木三代目198608
( 二代目のゲルニカの木。1986年の姿 )

ちなみに、この木の種類は、オーク:Oak tree と書いてあるので、樫の木のように見えます。しかし、実物を見ると分かりますように、ヨーロッパ柏か、ミズナラの木です。柏餅で使う柏の葉っぱのような、切れ込みがありますし、近くにある同種の木には、どんぐりがいっぱいなっています。


5) 初代ゲルニカの木

いったん議事堂を出て、庭に回りました。ギリシャ風の列柱に囲まれた、お堂の中に、初代ゲルニカの木の太い幹が保存してあります。きっと、村のどこからでも見えるシンボリックな樹木だったのでしょう。

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( 議事堂の庭と、初代ゲルニカの木の保存用お堂 )

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( 初代ゲルニカの木の幹回り )

日本でも、有名な松の木などが枯死すると、次々と植え替えていき、「今ごらんいただけます、太郎のマツは五代目でございます」なんて、ガイドさんが口にしています。あれと、そっくりです。

バスク人と日本人って意外と似通ったところがあるんだ、と感じました。


6) ゲルニカと戦争

ゲルニカの木を感じたあとは、街中へもどり、バスクの中小都市の雰囲気を味わいました。

また、1937年4月26日に起きた、ヒトラー指揮下のナチスのコンドル軍団による無差別空爆の悲劇を、思い起こしましょう。他所者の私ごときが言うことではないかも知れませんが、バスクの心のふるさとゲルニカだったからこそ、ここはファシストたちに執拗に憎まれたような気がします。

今では、平和博物館ができ、空爆の様子を、末永く語り継げるようになっています。街はずれの戸外にも、ゲルニカのレプリカがあるので、寄ってみました。

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( ゲルニカ市街地にある、ピカソの「ゲルニカ」のレプリカ )

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( 町の中心部にあるゲルニカ・ルーモ市役所(役場) )

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( 市役所の対面にある平和博物館 )

市役所から駅へ通じるあたりが、ゲルニカの中心部です。けっこう人通りが絶えません。この一帯が、空爆で壊滅した地区です。伝統的な外観をしていますが、実は20世紀建築がけっこうあります。市街地は、道に迷っても、しまったと気づいて5分も引き返せば、見慣れた場所にもどれる大きさです。こころおきなく、無心で街歩きを楽しみました。

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( 石造の立派なアーケードがある市役所通り )

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( 観光案内所の、はす向かいにある数少ない土産物屋さん )

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( ゲルニカ市民生活の中心、公設マーケット。左の丸屋根の建物 )

中心街の通りには、観光客もいるし、地元の若い人や老人もいて、けっこう活気があります。シャッター通りはありません。カフェが何軒もあり、思い思いに、おしゃべりをしたり、仕事の息抜きにピンチョスひとつ、コーヒー一杯を口に入れてスマホをいじっているネクタイ姿の紳士もいます。確かに耳に入ってくるのは、ウスケラが多いです。

私なりのバスクを感じて、ゲルニカを去ることにしました。


2017/9訪問、2018/1記    了


出船がくぐるビスカヤ橋

出船がくぐるビスカヤ橋

1) ビルバオ郊外のユニークな名所

ビスカヤ橋:Puente Vizcaya も、ビルバオ観光の人気スポットのひとつです。2006年の世界文化遺産登録以来、人気は上昇の一途。ウスケラ呼称は、Bizkaia Zubia,、ビスカイア・スビア。別名、吊り下げ橋:Puente Colgante です。

この橋は、運搬橋と呼ばれる構造。高いマストの船も下をくぐれるよう、トラス構造の橋桁が、ものすごく高い位置にあります。橋を渡る場合は、上部のトラスから吊り下げられたゴンドラに乗って対岸に移動します。橋と言えば橋、渡し船の変形と言えば、そうかなあと思います。
観光案内や、橋のたもとにある説明を見ると、同形式の橋は、ヨーロッパを中心に最盛期には10カ所以上あったようです。

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( 明け方のビスカヤ橋全景。 奥が海側、左ポルトガレーテ、右ゲチョ )

ビスカヤ橋は、ビルバオ市内を流れているネルビオン川の河口付近にあります。グッゲンハイム美術館からは10kmほど下流なので、歩いて行かれません。メトロ1号線に乗って、右岸のアレータ駅:Areeta 下車、または、2号線で、左岸のポルトガレーテ駅:Portgalete 下車、それぞれ徒歩約10分で着きます。両線ともに、電車の運転間隔は、7,8分から10分おきくらいです。

また、スペイン国鉄RENFEのアバンド駅から近郊電車に乗り、ポルトガレーテ駅で降りると徒歩3分くらいで着きます。メトロの駅とRENFEの駅は同名ですが、まったく別の場所にあります。電車の運転間隔は昼間30分毎、朝夕20分毎です。

他の方々の旅行記を読むと、丘の中腹にあるメトロのポルトガレーテ駅から歩きだすと、動く歩道があり、その先にビスカヤ橋の門型の橋脚が見えて感動する、と書いてあります。行きと帰りに別々のルートを取ると、楽しみがさらに増えそうです。


2) ビスカヤ橋周辺散歩

川岸に出ると、ビスカヤ橋の大きさに圧倒されます。華奢な割には、堂々として存在感抜群です。晴れても降っても、昼でも夜でも、人々の視界から消えることはありません。橋の周囲は、両岸とも長い遊歩道になっています。時間を多めに取って、いろいろな角度から見物しました。

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( 雨にむせぶビスカヤ橋。ポルトガレーテ側から下流方向を望む )

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( 青空に映えるビスカヤ橋。ポルトガレーテ側から上流方向を望む )

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( ゲチョ側からビスカヤ橋と上流方向を望む )

橋は、「門」の字形に鉄骨を組んで作った構造。橋桁までの高さは水面から45メートル、長さは164メートルです。

3) 見上げればエッフェル塔に通じる

この橋は、アルベルト・パラーシオ:Alberto Palacio というスペイン人建築家の設計で、1893年に完成しました。パラーシオは、パリのエッフェル塔の設計責任者ギュスタフ・エッフェル:Gustave Eiffel の弟子でした。ヨーロッパが、名実ともに世界最先端技術を誇り、繁栄を謳歌していた頃に活躍した方です。
「最新技術をもってすれば、昔の人が夢だと思ったことも、次々と実現できる」、と自信にあふれていたさまが、びんびんと伝わってきました。

改めて、ビスカヤ橋の橋脚を見上げました。師匠の作品と、鉄骨の組み方や、ゆるやかな曲線を組み込んだデザインなどが似ているような気がします。私は、建築家でないので、勝手な思い込みかもしれません。当時の鉄骨構造物の最新鋭技術の粋を集めて設計、建設したので、だれがやっても、似たような感じになったのかも知れません。竣工当時の色は黒。現在の赤茶色には、10年くらい前に地域住民の要望により塗り替えられたそうです。

255先生作のエッフェル塔と雰囲気似ている2005年8月
( パリのエッフェル塔。お師匠様の作品。1889年竣工 )

エッフェル塔基礎部4隅に表裏なし1989年8月
( エッフェル塔の基礎部分の鉄骨組み )

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( ビスカヤ橋の橋脚と上部トラスを見上げる )

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( ビスカヤ橋の橋脚内部を見上げる )

4) 橋は見るより渡るもの

ビスカヤ橋は現役です。ゴンドラに乗って渡れます。毎日、たくさんの市民と車を乗せて、ゴンドラはひねもす往復運動を繰り返しています。
また、観光名所としてトラス上部も歩けます。私は、こわいので行きませんでしたが、旅行記などを読むと、遠くまで見晴らしがきく絶景ポイントのようです。次に行くときは、誰かに手を引いてもらってでも、上に登らないといけません。

ちょっと眺めて引き返すのでは早すぎます。けれども、急ぎのツアー客は、国籍を問わず、すぐにUターンしてしまうようです。

「みなさあん、15分後にバスに集合です」
スペイン語のガイドさんが、おばさまたちに声を掛けています。
「えっ、スペイン人でも、こんな駆け足観光するの?」
「ええ、遠くから来ると、いろいろ見物するところがあるの」

思わず、目が合ったマダムの一人は、あらま、という顔している私の前で、こんな感じのことを言いたそうに、にっこり微笑んで去って行きました。おしゃべりの発音からすると、南のアンダルシアから来たツアー客のようです。

自動販売機できっぷを買うか、バリクカードを入場ゲートにタッチしてゴンドラ乗り場に入ります。
2017年9月現在で、料金は、歩行者40セント、バイク1.5ユーロ。クルマは7ユーロくらいで、割高です。クルマには定期割引みたいなものがあるかも知れません。

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( ビスカヤ橋きっぷ自動販売機。スペイン語、ウスケラ、英語 )

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( ビスカヤ橋自動改札。上部の突起がカードリーダー )

ゴンドラは、原則365日24時間営業。おおむね8分から10分間隔で両岸を行き来しています。両側が歩行者用の立ち席、真ん中の露天空間が、二輪車、クルマ用です。大型バスやダンプカーは乗れません。ですから、観光バスで来たら、橋を一往復しましょう。レンタカーならば、フェリーのようにゴンドラに乗って橋を渡りましょう。

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( 改札内の待合スペース。ゴンドラ接岸まで待機 )

ゴンドラは、到着すると、いったん人とクルマをすべて降ろします。その次に、入場ゲートを開けるので、ゴンドラに乗ったまま往復することはできません。

ビスカヤ橋が、いくらビルバオ屈指の観光名所だと言っても、特別な場合を除けば、昼間の利用者は市民8割観光客2割です。観光客は、国籍を問わず、ゴンドラに乗る前からウキウキ気分です。窓の外を見たり、動画撮影の準備に余念がありません。市民は、冷ややかな顔つきで壁に寄りかかっていたり、スマホをいじっていますが、チラチラと観光客に目線が行きます。
「おおっ、今日はニッポン人か中国人観光客がいるな」と、興味津々なのです。

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( ゴンドラ内部。 景色を見ているのは、ほとんど観光客 )

ゴンドラは、合図のブザーに続いて、すぅーと動き出します。とてもスムーズで、音や振動はほとんどありません。約2分で対岸に着きますが、接岸時にも、極めて軽いショックがあるくらいです。立ったままで、何ら問題ありません。

クルマ用の甲板は、専用の係員の誘導に従って乗り込み、ハンドブレーキを下げて、しばし待機します。バイクや台車は、3台ずつ2列に並ぶクルマとクルマの間に入ります。車両の動きが止まると、係員が料金徴収に回ってきます。やがて、安全バーが閉まり、ブザー音に続いてゴンドラが動き出します。

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( ゴンドラの甲板の様子。昼間はクルマも満車ではない )

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( 安全確認をするゴンドラ甲板係員 )
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( 対岸に着いて先に進むクルマ )

この辺りの手順は、多くの人が興味深げに書いています。

「ところで、この程度だと、クルマが暴走して落ちたりしないの?」
「実は、あったのよ。2,3年前に1台、川に落っこって、運転者さんが亡くなったの」

テレビのトップニュースになったりして、ビルバオ市民は、びっくりしたようです。
ご冥福をお祈りします。


5) 橋の近くに渡し船

私たちは、ビスカヤ橋のユニークさ、巨大さに圧倒されて、しばし両岸を行き来します。
ちょっと、落ち着いて周りを見ると、ビスカヤ橋の上流、ほんの200メートルくらいの場所に、渡船があります。なんで、こんな目と鼻の先に、似たような渡河サービスが併存しているのか理由は分かりません。

料金は35セント、運航間隔も5分から10分毎です。20人乗りくらいの小さなボートが、ミズスマシのように川の両岸を行ったり来たりしています。
川面の低い位置からビスカヤ橋の雄姿を見られそうなので、乗船しました。

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( 渡船風景 )

期待に違わず、低い目線から眺めた橋は、いっそう、そそり立った感じを出していました。


6) 超ラッキーチャンス

超ラッキーなことに、ビスカヤ橋の下を、中型船がくぐりぬけるところを、この目でしっかり見ることができました。具体的な数字は分かりませんが、ビルバオ都心部の埠頭が縮小され、川沿いの工場や造船所がなくなって以来、ある程度大きい船は、ほとんど通らなくなったようです。

その日は、前日まで、ビルバオ都心の埠頭でイベントに参加していたグリーンピースの船が、外洋に出るため、川を下ってビスカヤ橋に接近してきたのです。

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( 川を下ってきたグリーンピース船 )

船は、けっこう速く接近してきます。船が警笛を鳴らしたり、川岸のサイレンが鳴って、船の接近を知らせたりすることはありません。係員が、目視で船を確認します。そして、ビスカヤ橋のゴンドラは接岸したまま待機となり、渡船は出航見合わせとなるだけです。

渡船に乗っていた私や客は、市民、観光客を問わず大興奮。持てる者は、皆、カメラやスマホを出して船べりからレンズを構えます。橋のゴンドラでも、乗客たちが、レンズを船に向けている様子が、ガラス越しに見えました。

船は、どんどん近づいてきました。
そして、あっという間にビスカヤ橋の下をくぐります。だいたい15秒くらいの瞬間芸を見ている気分でした。

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( ビスカヤ橋直下に近づく。ゴンドラは接岸待機状態 )

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( ビスカヤ橋の真下あたりを進む船 )

マストから橋桁まで20メートルくらいの隙間が残っていますが、従来タイプの橋ならば、中型船の高さでは、絶対に橋の下をくぐりぬけられません。

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( グリーンピース船がビスカヤ橋の真下を過ぎたあたり )

みんなでワーワー言いながら、写真や動画を撮っているうちに、船は河口に遠ざかって行きました。


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(  出船は次第に遠ざかりて )

そして、ゴンドラは再び動き出します。ものの1分もしないうちに、いつものビスカヤ橋風景が戻ってきました。

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( 去りゆく出船と、運航を再開したビスカヤ橋のゴンドラ )

私は、偶然、渡船上にいましたが、他のお客たちが船頭さんをせっつきます。少し、橋の方へ動いて、出船を追いかけるようにしてよ、と言ったみたいです。そのため、いつもより、湾曲しながら渡船は対岸に着きました。

そのおかげで、私も、大変貴重な場面を、この目で見ることができました。
”ビルバオに入る大型船の航行を妨げないために、橋桁を高くした運搬橋を作った”、というビスカヤ橋の存在意義を目の前で見せつけられました。もう、ぐうの音も出ません。大満足です。


7) ビスカヤ橋、煌々(こうこう)

ビスカヤ橋は、観光名所である前に市民の交通手段です。
ですから、朝夕のラッシュもあり、昼夜、天候にかかわらず営業しています。
スペインの日の出は遅く、夏でも7時前後、冬は9時過ぎにならないと明るくなりません。ですから、7時から8時前後の朝の通勤通学時間帯は、たいてい夜明け前です。

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( 闇にかすかに浮かぶビスカヤ橋 )

ビスカヤ橋のゴンドラは、白い蛍光灯を煌々とともして、すぅーと、黒い水面の上を行ったり来たりしています。朝夕は、クルマも、じゅずつなぎとなるのでゴンドラに乗るまで1回か2回待ちです。

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( 煌々と蛍光灯をともして往復する朝のゴンドラ )

橋のライトアップサービスはありません。川岸の街灯の光を受け、暗闇に浮かぶビスカヤ橋は、無言ながら、着実に使命を果たす縁の下の力持ちのような姿を見せています。水面でゆらゆらと揺れている明かりが、とても幻想的な雰囲気を醸し出していました。

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( 夜明け近くのビスカヤ橋の雄姿 )


ビスカヤ橋を見渡せるバルでピンチョスをほおばり、坂道の陰から顔を出す橋桁風景に心をときめかせ、ハイソなゲチョ市内散歩にうっとり気分となるなど、この一帯には、まだ、いろいろな楽しみ方が残っています。

そして、多様なビスカヤ橋の光景を見ていると、ビルバオの優しく心にしみ込んでくるような雰囲気が押し寄せてきて、感極まってしまいそうです。


                                                      了  2017/9観光

まぶたの奥にバルマセダ

まぶたの奥にバルマセダ  Balmaseda

バルマセダは、私のバスクの原風景です。

バスクに初めて来たのに、何だか家に帰ってきたような気持ちになった場所でした。1986年9月のことでした。穏やかな山の稜線、適度な湿り気、優しいけれどもベタベタしない人々が、とても居心地の良い空間を創り出していたと思います。

世界中に、自分とそっくりさんは三人いると言われています。もしかしたら、自分の家にいる気なれる場所も三カ所あるのかも知れません。

バルマセダには、白砂青松の海も、深山幽谷もありません。
けれども、草の上にすわり、木々の茂る何の変哲もない山々を見ていると、永遠にまどろんでいたい気分です。

バルマセダ快晴の市街全景198708
( バルマセダ市街を丘の上から見る )

畑では、生垣仕立てのブドウの葉っぱが、さわさわと微風に揺れていました。ふたりですわって、ゆっくりと流れる時間を過ごしたい場所でした。たまに通る列車の響きが、夢と現実をつなぐ合図のように聞こえました。

このブドウ畑も、家庭菜園のひとつです。10月になると、家族の手を借りて実を摘み取り、自家製チャコリを作ります。

FEVEバルマセダまでもうすぐの鉄橋1990年7月
( ブドウ畑にそよ風は吹く )

バルマセダは観光地ではありません。当時はバスクムードも、ほとんどありません。いわゆるカステヤーノ系の住民が多いバスク州ビスカヤ県西部の山あいの街です。中世のロマネスク様式の石橋と、中心部の役場や古風なビルくらいが目立つ程度です。あとは、自分と旅先のウマが合うかどうかでしょう。

バルマセダのローマ橋198708 (2)
( バルマセダ唯一の観光スポット、ロマネスク様式の石橋 )

バルマセダローマ橋の上198708
( 静けさでいっぱいのロマネスク様式の橋を渡る )

私は、バスクという地域が、自分にとって、こんなに良く眠れる場所であったことを、心から悦び続けています。


バルマセダ町の中心部198708 (2)
( 町の中心の広場とビスカヤビルバオ銀行支店 )

バルマセダ町の中心部198708 (1)
( バルマセダの土曜市のにぎわい。現カルチャーセンター前 )

198709バルマセダ中心の教会 (2)
( 町の中心部にそびえるカトリック教会 )

198709バルマセダ中央の
( バルマセダ役場本庁舎 )

街の表通りを一歩入ると、発足間もないバスク警察署があったり、雑草が茂る川岸風景に出くわしました。通りは週末の市の立つ日以外は、いつも静かでした。ガラス張りのテラスの窓枠が特徴のバスク風ビルも、ちょっぴり田舎風です。

198709バルマセダのバスク州警察前
( バスク警察のバルマセダ事務所のはず )

バルマセダの川岸198708 (1)
( カダグア川の流れ。清流ではないけれど )

バルマセダのローマ橋198708 (3)
( 水草、ごみ、雑草の茂っていたバルマセダ町内のカダグア川 )

バルマセダ風景198708 (1)
( 新しい住宅街。住み心地は旧市街より良い )

町内を貫流するカダグア川:Ri*a Cadagua の上流は、バルマセダ・ダムで、ビルバオの水道の水源のひとつです。ダム湖脇の公園をゆるゆると歩いていると、緑がむんむんします。日本にいるのと同じ気分です。ダムの奥に見える山々の向こうに4、5時間も行けば東京の我が家に帰り着くような錯覚になりました。

バルマセダダム湖198608 (1)
( バルマセダ・ダム )

バルマセダダム湖198608 (3)
( バルマセダ・ダム湖と青い山々 )

とうとう鉄道や飛行機を乗り継いで日本に戻る時がきました。
FEVEでは、まだディーゼルカーが走っていたころの物語です。

FEVEバルマセダ駅まだDC1990年7月 (2)
( ビルバオ行き気動車と貨物列車。バルマセダ駅 1986/9 )

FEVEバルマセダよりレオン方面1990年7月
( バルマセダを後にして。また来る日まで (イメージ画像です) )


バルマセダでもビルバオでも、ニッポン人はおろか、ガイジンを見かけることは稀でした。あまりに少なすぎて、ガイジンは誰の目にも留まりません。空気のように見えない存在だからこそ、誰にもじゃまされず、永遠の惰眠をむさぼれるのかもしれません。

また来る日まで。そして、歩み続けよバルマセダ。


2018年1月  完


めざせ絶景のサンファン・デ・ガステルガチェ  3 絶景にひたる

めざせ絶景のサンファン・デ・ガステルガチェ       2017年9月

その3  絶景にひたる

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(絶景のサンファン・デ・ガステルガチェ)

サンファン・デ・ガステルガチェは、今のところ、入場料無料、駐車場無料です。自然保護費用や、トイレ、案内標識維持費用などを賄うため、そのうち有料になるかも知れません。

エネペリのバルで一休みしたあと、最初は展望台まで足を向けました。
案内標識に沿って歩くこと約5分で到達します。かなりの急坂で、ところどころ未舗装の場所があるので、足元注意です。多くの人が、この展望台までは行き来するので、狭い遊歩道はかなり混雑します。

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(にぎわいのサンファン・デ・ガステルガチェ展望台遊歩道。参道への分岐点付近)

展望台に到達。
ここからは、美しくも荒々しいサンファン・デ・ガステルガチェの全貌が、はっきりと見えました。海に出っ張った岩山は、やっぱりユニークな存在です。昔から、信仰の対象になった理由が分かります。

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(展望台より見たサンファン・デ・ガステルガチェ)

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(サンファン・デ・ガステルガチェとアカチャ島。ワイワイがやがや)

運良く、晴れ間が広がってきました。今がチャンスとばかりに、岩山の教会堂まで行くことにします。往復1時間から1時間半です。
最初は、急斜面の道を降ります。
ここまでやってきた老若男女の半分くらいが、教会堂を目指している感じです。お年寄りの方は、準備万端。歩きやすく雨にも耐える服装や履物です。

一歩、一歩、サンファン・デ・ガステルガチェが近づいてきます。メルヘンチックな場所では、みんな記念撮影に余念がありません。

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(サンファン・デ・ガステルガチェへ降りる急坂で1枚)

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(かつてクルマが入っていた道路跡を下る)

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(アカチャ島も近くなった)

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(サンファン・デ・ガステルガチェの島へつながる、くびれまで到達)

下りはじめて約15分で、本土と島のつなぎ目まで来ました。
「うおーっ!」
岩山が量感いっぱいで眼前に迫ります。岩肌に打ち付ける波しぶきも荒々しく、気持ちが高ぶります。

ここからは、一転、石畳の登り道です。
空の青い部分が大きくなり、陽光が差して来ました。

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(山頂へ連なる石段の参道に取りつく)


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( はじめは緩やかスロープ )

この石段は、現地では中国の”万里の長城”に例えられています。「よくぞ、こんな壁のような石段を作ったものだ」、と感無量です。

石段は約250段。途中に数字が書いてあるようですが、息切れしていて見落としました。

岩山の右端の二つの洞穴には、絶えず波頭が立ち、少し秘境感を醸し出しています。
参道の途中には、下り階段もあり、自己責任で磯に降りられます。晴れ間が出たので、家族連れが磯遊びをしていました。

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 (洞穴に打ち寄せる荒波)

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(石段の参道から磯へ降りる階段)

「あそこが、頂上!。もう一息!」と、言い聞かせながら歩みを進めます。

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(あと少しと思って、頂上を見上げる)

登りはじめてから約15分。何とかお堂にたどりつきました。

「とうとう、念願のサンファン・デ・ガステルガチェに登りつめたあ!」

教会堂の周りだけ、秋晴れです。もう、ここで思い残すことはありません。

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( サンファン・デ・ガステルガチェの教会堂を見上げる)

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( 青空のサンファン・デ・ガステルガチェ教会堂正面)

教会堂内部は、当日は閉鎖。けれども鐘つきは大丈夫。鐘を3回鳴らすと再訪がかなう、とか、カップルならば永遠に別れない、とか。子供どうしや、カップルが列を作って次々と鐘をついていました。

「いっしょに鐘をついてくれるパートナーがいればなあ」、と、少し、目が霞みました。

頂上から見る海や陸の様子も、目に焼き付く風景です。品のよいリゾートタウン、バキオの街並みが湾曲した海岸の奥に見えます。

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( サンファン・デ・ガステルガチェ山頂よりバキオ方面を遠望 )

また、教会堂の北面に回ると、カンタブリアの真っ青な海が茫々とに眼前に横たわっていました。隣のアカチャ島が、手にとどくような距離で迫っています。目をこらすと、その遥か向こうに、天然ガスをくみ上げるリグがうっすらと見えます。

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(サンファン・デ・ガステルガチェ教会北面と、アカチャ島)

喉をうるおし、汗が引くのを待ちながら、山頂の教会堂を、もう1回めぐります。
山頂に売店やバルはないので、飲物、汗拭き持参はお忘れなく。トイレはあります。

初秋の風はすがすがしく、見下ろした磯に打ち寄せる波は、飽くことなく岩にぶつかり、水しぶきをあげています。

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( サンファン・デ・ガステルガチェ山頂で風に吹かれる参拝客)

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(寄せては砕け散るカンタブリアの波)

山頂に着いて20分。黒雲が再び空の彼方から現れ、サンファン・デ・ガステルガチェに迫ってきました。
階段を下り、そして県道へ続く急坂を上ります。聖から俗への帰還です。

坂の途中で、もういちど振り返ると、サンファン・デ・ガステルガチェの雄姿がありました。

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(岩山への遊歩道途中から見下ろすサンファン・デ・ガステルガチェ全景)


すごいところですが、期待し過ぎてもいけないので、一言付け加えます。
このようなパターンの絶景は、けっこうあります。”海に突き出た島状の岩山と、頂上のお堂”という組み合わせです。

ABBA*の名曲で綴った映画「マンマ・ミーア」の舞台となった、ギリシャのスコペロス島は、サンファン・デ・ガステルガチェとそっくり。向こうが地中海にある分、全体的に明るいです。
(*1文字目のBは左向き)

日本では、江の島風景が似ています。クルマの通る橋や、参道のお土産屋さん、食べ物屋さんなどが一切ない姿を想像すると、共通点が多いと思います。石川県の能登半島東端近くの見附島(別名軍艦島)も、サンファン・デ・ガステルガチェに近い雰囲気を持っていると思います。

フランスのル・モンサンミッシェルは、サンファン・デ・ガステルガチェを荘重にした感じ。島や教会が一回りも二回りも大きいので、少し権威的です。バスク版は、荒くれムードが混じった素朴さが売りの聖なる場所です。

もう一度、
「やっぱり、来てよかったあ!」


その3 了

めざせ絶景サンファン・デ・ガステルガチェ   了。







めざせ絶景のサンファン・デ・ガステルガチェ  2 エネペリ


めざせ絶景のサンファン・デ・ガステルガチェ    2017年9月


その2  エネペリの展望台



サンファン・デ・ガステルガチェは、秘境ムードが少しだけ漂う観光地です。交通は不便です。自然保護地区なので、周囲には、昔からあるバルなどが数軒建っているだけです。

一本道が続く県道を折れてサンファン・デ・ガステルガチェ入口まで来ると、大駐車場と大きなバルが鎮座しています。県道の右左折場所には、きちんと標識が立っていますので、迷子になる心配はありません。


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(サンファン・デ・ガステルガチェ無料大駐車場)

「えっ!こんなに大きい駐車場なの」
と、声に出したくらいの光景が広がります。第1から第10駐車場くらいまでありそうです。広くて平坦な場所には大型バスが駐車しています。


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(バル、エネペリ横の無料大駐車場)

当日は週末でしたので、クルマがいっぱいです。
「あっちに多分、空きあるよ」
「ありがと!」
そんな感じで、行き交うクルマのドライバーどうしが、声を掛け合ったり、ジェスチャーで合図しています。

このあたりは、
人気ドライブインの様相です。

サンファン・デ・ガステルガチェのイラストがついた看板に沿って歩いて行くと、遊歩道の入口に、”エネペリ” :Eneperi Jatetxea、という名前の大きな観光バルがありました。Jatetxeaは、ウスケラ(バスク語)で、ハテチャ(ハテチェァ)と発音し、”食堂”の意味です。


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(エネペリ食堂の玄関)

聞いたところによりますと、ドライブ感覚の人は、このあたりから岩山を見物して帰れば十分満足なようです。
「東京の人は、たまに江の島行くけど、いつもいつも山頂や磯の方まで行かないよね」
「江の島のシラス丼食べがてらドライブする?」
のと、同じ感覚です。

私も、まずはエネペリで一休みしました。中はかなり広く、屋外席やピクニック・コーナーもあります。

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(エネペリの玄関付近の屋外席)

太陽が出ているときは、こういう席でリフレッシュします。
エネペリは、バルとレストランに分かれていて、バルの部分はピンチョス・パルです。お値段は、市中より高めなのは致し方ありません。味は、十分においしいと思います。午後1時、2時と周るにつれて、どんどん混んできました。

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(エネペリのバル風景。まだ、すいているころ)

エネペリに入り、左横のバル・カウンターに寄らないで真っすぐに進んだところが、屋内展望スペースです。バルで一品買わなくても入れます。お店の人のチェックもありません。ガラスをいっぱい使った近代的な空間です。

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(エネペリの屋内展望スペース)

ここは完全自由席です。バルの一部なので当たり前です。

先着順ですから、混んでくると、窓際席を確保するのが容易ではありません。後から来たグループは、鵜の目鷹の目で室内を見まわしています。席を立ちそうな人がいると、すかさず近寄って「ここ、空きますか」と確かめて席取りをしています。

テラスに出てサンファン・デ・ガステルガチェを見物しましょう。
ここからでも、十分に気分爽快です。
「よくぞ、たどり着いたね」

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(エネペリの室内展望スペースのテラスからの眺め)

残念ですが、ここからだと、サンファン・デ・ガステルガチェの絶景も上半分くらいしか見えません。

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(エネペリの屋外庭園の端からの眺望)

お店の外へ出ると、ちょっぴり眺望は良くなります。
高齢などで足腰に自信がない方、時間が取れない方は、ここから見物するしかありません。
私は入りませんでしたが、レストランで食事しながらゆったり見物すると、それなりに味わいがあるそうです。ただし、週末や夏休みシーズンの混雑時は3時間待ち、4時間待ちだそうです。

サンファン・デ・ガステルガチェは、周囲も緑いっぱいの雰囲気の良い場所です。けれども、秘境と表現するには、少し大げさな気がします。
また、、少なくとも30年くらい前には、そこそこ知名度があったようです。1980年代のバスク名所案内にも、ちゃんと掲載してありました。現在ほど注目度は高くありませんが、奇観で有名なB級観光地だったようです。

観光地紹介風に言うと、そもそも、1990年代まで、バスク自体が”秘境”、あるいは”危険ゾーン”でした。

サンファンデガステルガチェ 出典Pais VascoⅡ
(サンファン・デ・ガステルガチェ紹介。出典。Descubra Espan*a  Paso a Paso, Pais Vasco Ⅱ、S.A.de Promocion y Ediciones 1986年版 、 * n 上に~がある

余談ですが、1980年代のバスク一帯では、多くの地名の綴り方が21世紀の現在と異なっていました。サンファン・デ・ガステルガチェは、”San Juan de Gastelugache”、バキオは”Baquio" でした。


   その2 了




めざせ絶景のサンファン・デ・ガステルガチェ 1 バキオ


めざせ絶景のサンファン・デ・ガステルガチェ 2017年9月
San Juan de Gaztelugatxe

その1 ウスケラの海辺バキオ

今日はサンファン・デ・ガステルガチェをめざすことにしました。
海に突き出した岩山と、その頂上に建つ教会が強烈な印象で迫る、ビスカヤ県内の絶景ポイントです。

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(サンファン・デ・ガステルガチェ全景)


サンファン・デ・ガステルガチェは、最近、とみに有名になった観光ポイント。2014年のスペイン国内の絶景人気ナンバーワンの場所だったそうです。ヨーロッパ内外からもたくさんの人が来ていました。けれども、日本人には少し縁遠いようです。

余談ですが、それにしても、すごい名前と綴りですね。
”San Juan de Gaztelugatxe”

周辺住民の言葉であるウスケラでの言い方は、多少違うようですが、観光客ですので勘弁です。

サンファン・デ・ガステルガチェに行くには、ビルバオからバキオ回り、あるいは、ベルメオ回りの二通りの方法があります。クルマで行くのが便利ですが、電車や路線バスを乗り継いで行くこともできます。
私は、バキオ経由で行きました。ビスカイバスならば、3518系統バキオ行き(Bakio)で、およそ1時間の旅です。

当日の天気予報は、「曇り時々晴れ、ところによっては小雨」という何とも無責任な内容。「まあ、何とかなるさ」という気分で出発。今回は、是非行ってみたいと思っていた場所なので、多少の悪天候など気になりません。

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(バキオ市街を西側より見る)

バキオに到着。小雨模様ですが、雲が切れてきそうな気配もします。
ここは、ビルバオ市民の保養地も兼ねた海辺の小さなリゾートタウン。真夏と週末をのぞけば、静かなバスクの町。ウスケラを話す住民が多数派の町です。観光客が、いきなりウスケラでペラペラやられて呆然ということはありません。

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(バキオ市街はずれの河口よりサンファン・デ・ガステルガチェを遠望)

まず、町の西はずれまで歩いて行き、サンファン・デ・ガステルガチェを遠目にチェック。街中を流れる川沿いの遊歩道を通って河口に来ました。
うっすらとサンファン・デ・ガステルガチェの三角形の岩山が見えます。「このぶんだと、行けるぞ!」と、心の中で思わず喝采。

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(サンファン・デ・ガステルガチェを拡大)

バルで30分ほど待機して、もう一度チェックすると、雲がかなり上がってきています。「うひひ」

バキオ一帯は、ご当地風ワインであるチャコリの産地のひとつ。山の斜面にはブドウ畑や牧草地が点在しています。

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(サンファン・デ・ガステルガチェのズームアップ)

サンファン・デ・ガステルガチェをズームアップ。目をこらすと、もう、山頂に登る人々の姿が少なからず見えます。観光写真は正面からの姿が大半ですが、横向きの風景も見られて満足でした。

それでは再び前進。

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(バキオ市街を東側の高台より見る)

バキオからサンファン・デ・ガステルガチェまでは、東へ向かう県道の一本道です。町はずれの坂道を上ってくると、ちょっとした展望台があり、バキオの街並みを見ることができます。

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(リゾート地バキオ市街とビスカヤの山々)

バキオのビーチ。9月だというのに、雨や曇り空の下で見ると、冬の日本海のようです。


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(県道沿いのサンファン・デ・ガステルガチェ展望台)


県道沿いのサンファン・デ・ガステルガチェを真下に見る展望ポイントに到着。バキオから約4kmです。
「あっ、電線がじゃま」
この件については日本と同じで、苦笑せざるを得ません。つくづく、バスクと日本は相性いいんだなと思ってしまいます。
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(県道沿いの展望台からのパノラマ)

視界は180度開けているので、サンファン・デ・ガステルガチェと、その東どなりのアカチャ島を遠望。やっぱり「電線どけ」です。

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(サンファン・デ・ガステルガチェ付近をズームアップ)

「もっと近寄り、あの教会まで行きたい !」


綴りメモ

サンファン・デ・ガステルガチェ:San Juan de Gaztelugatxe
バキオ:Bakio
ビスカイバス:Bizkaibus 
ウスケラ:Euskera   /   Euskara
チャコリ:Txacoli  /  Txacolin

その1了




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