やまぶきシニアトラベラー

気まぐれシニア・トラベラーの旅。あの日から、いつか来る日まで、かつ、めぐりて、かつ、とどまる旅をします。

シニア旅の気分

私の旅する外国語


私の旅する外国語  


1) 英語とフランス語

私が海外旅行で使う言葉は、英語とフランス語です。

英語に比べてフランス語のレベルは、かなり見劣りしますが、旅行するくらいならば大丈夫です。

中国語やアラビア語は、まったくできません。日本語も、得意ではありません。空気が読めないという、日本語習得能力における致命的な欠陥を負っているからです。

バスク語と訳されているウスケラや、その他の言語も、一つか二つのあいさつ語くらいは覚えますが、外国語を話すという感じではありません。

その割には、よく海外に行くじゃない、と指摘を受けそうです。
「何だかんだで、旅行者の出没しそうなところ、だいたい英語書いてありますから」

アテネ空港二言語201509
( 海外旅行で英語が書いてあると、ほっとします )

海外旅行や外国関係の仕事において、外国語ができたほうが良いことは自明の理です。その一方、外国語が全くできないからと言って、海外旅行ができないとか、貿易などの仕事ができない、ということもありません。自信を持って、海外に出かけ、外国人と渡り合いましょう。

英語ができると、たいていの国で何とか旅行ができます。日本への旅行でも何とかなります。

フランス語で意思疎通ができると、ヨーロッパ旅行やアフリカの半分くらいの国の旅行が、さらに楽しくなります。また、フランス語が分かると、親戚関係にあるスペイン語、イタリア語、ポルトガル語、ルーマニア語などでの意思疎通が有利になります。恋愛とか男女関係のもつれに寛容になる傾向が出ます。

同じような背景で、ドイツ語ができる人、ロシア語ができる人は、それぞれ類似の言語を話している場所では、他の方々より意思疎通がしやすいと思います。ただし、中国語については、どういうコミュニケーションの広がりが展開するのか、私には想像できません。


2) たくさんの言葉

ヨーロッパに行くと、各国人が集まりそうな場所には、たくさんの言語で説明や注意が書いてあります。

イーリー大聖堂は入場無料だが要寄付198107
 ( 観光地での多言語表記。イギリスのイーリー大聖堂。日本語がユニーク )

実に多種多様な言葉があるんだあ、と実感します。それと同時に、ヨーロッパ系の言語って、何だかんだ言っても、かなり似ているんだ、とも感じます。字面だけで観察すると、いわゆるアルファベット、キリル文字、日本語と中国語に出てくる漢字、アラビア文字の四つくらいが、好対照を成しています。

「この四系統の言葉ができたらすごいな」というのが、率直な感想です。

ですから、
「私は、ドイツ語、オランダ語、ノルウェー語、英語、スペイン語ができます」と、言っても、きびしい評価をすれば、せいぜい、ドイツ語・英語グループと、スペイン語グループの二言語ができます、というくらいに過ぎないのではないか、ということです。私たち日本人と、あまり変わりませんね。

念のため申し添えますが、オランダ語などを卑下する意図は皆無です。各国語の関係には、大くくりなグルーピングがあるので、日本人の考える多言語話者と、ヨーロッパ人の言う多言語話者では、少しレベル感が違うというということを理解してほしい、ということです。


3) 言葉の持つ特異な力

これからの海外旅行では、言葉の問題について、AI、つまり人工知能の成果がどんどん入り込む、と私は信じています。

英語ができないから海外旅行を思いとどまってしまう人たちは、音声認識タイプの小型翻訳機を使えば、不安なく旅行できる時代は目前だと思います。

英語とフランス語ができるなんて、普通の海外旅行者にとって、なんらメリットではなくなるでしょう。スマホ操作が苦手で、美術館やウーバーの予約ができないとか、フライト変更通知が届かないので、出発便の遅れを知らないまま空港まで行って時間の無駄になった、という方が、ロスが相対的に大きくなるでしょう。

それでも、言葉の持つ特異な力は残ります。個人と個人とが信頼し合うためには、肉声で話し合うことが必要です。

肉声には、話し手の感情が乗り移り、それを相手も察知できます。お互いの顔つきや、声の抑揚で、話し手の気持ちを補完して伝えることができます。あなたに好意を持っている、とか、単に客と担当者としてお話ししているかが分かるのです。

AI翻訳機を使って、互いに好意を抱いていることが分かったのでカップルになっても、その次には肉声で話さないと愛情ははぐくまれないと思います。話し手の情熱と思いやりを、肉声で相手に伝えることが絶対に欠かせません。

海外旅行をしていると、たまに、友達の輪が広がる幸運な場面に出会えます。これは、実際に旅行した者だけのユニークな体験であり、人生の肥やしです。

たくさんの方が、地元の人たちとの他愛ない会話を、旅の貴重な思い出として書き残しているのも、同じ理由です。個人と個人との会話は、私とあなただけの秘密体験です。他人に話しても、減ったり、価値が低くなることはありません。名所の説明書きで得たよう知識やグルメ解説は、学者さんやリピーター旅行者の解説にかかれば、ふけば飛ぶような自慢話に過ぎないことと大違いです。


4) 将来の海外旅行体験

グーグルマップや動画サイトの普及により、今以上に、遠くの風景や出来事も、自分の居場所で簡単に見ることができるようになるでしょう。

ますます現地報告型の体験談や、旅行記は意味を失います。旅行者が何を感じ、旅先の人や物とどういうふうに接し、どういう気持ちになったかが、旅行記や体験談の最大のポイントになると思います。

写真が発達したため、従前のように、肖像画や風景画を綿密に描く必要がなくなったとき、西洋で、人間の感動を、物や表情を通さず、記号や模様を使って表現する抽象芸術が発達しはじめました。私たちは、生活上では、昔ながらの絵や彫刻を見慣れているため、抽象芸術を受け入れない人が多いです。物の形や顔があると、そちらにイメージが引っ張られてしまい、感動の本質がぼけてしまう側面も理解してほしいな、と思います。

技術の変化により、海外旅行体験でも同じようなことが、進行するような気がします。グーグルサービスで見た名所旧跡を実地で確認して、大げさに語ったところで、「ああ、知ってるよ。それが、どうかしたの?」で終わりです。

それよりも、人と人との接触を通して、旅行者ひとりひとりが何を感じたか、もっともっと直接的な感想を伝えてほしいです。

「窓口の係員は親切だったけど、入場料お一人様60ドル。出口で、これでもかの笑顔でチップねだり。ぼったくり体質だなあ」

「注文の料理が売り切れたおわびに薦めてくれた料理を、片言の英語で一生懸命説明する店主の、おもてなしの気持ちに、この国の真面目さを感じました」

そして、何語で話したのかは、けっこう大きなポイントだと思います。言葉は文化なので、各言語特有の言い回しを通して、旅行者ひとりひとりは、旅先の人と文物を感じるでしょう。

例えば、英語で旅するフランスと、フランス語で旅するフランスは、微妙に違った国になります。最近では、「フランスってのは、フランス語オンリーだ」と、戦々恐々としながら渡航したフランスで、観光業関係者の大半が、きれいな英語で応対くれた体験を、驚きと歓びいっぱいで語る人の多さが印象的です。

ルーブル仮設土産店中国語有り201509
( フランスでも多言語表記は当たり前になった。ルーブルにて )

「でもねえ。世界中どこへ行っても、英語、エイゴ、っていうのも恐ろしい」
「その気持ち、よく分かります。だから、反、英語帝国主義みたいな流れがありますね」
「そういうとき、フランス語を出すと、一気に雰囲気なごむんだよね」

フランス語というのは、いまだに、隠然たる力を持っているようです。


2018年2月








一人旅と外国語会話

一人旅と外国語会話

1) 海外旅行の会話場面

一人旅は、無言の行(ぎょう)ではありません。
意外と外国語の会話をします。私は、口数が多い方なので、雑談や無駄口も多いです。口は災いのもと、です。

「それなのに、どうして一人旅するの?」
「話したくないときに、話をするのはいやだから。行きたいところに行きたいから。奥さんに愛想をつかされているから」

けっこう、わがままな旅行者です。いやな奴かも知れません。

メテオラ2015 (197)
(  ペアで旅するのもいいけれど、一人旅もいいですよ。イメージ写真 )


旅行中の外国語会話は、大きく分けて二種類です。

一つ目は、旅行をするために必要な事務的会話です。
二つ目は、気の向くままに、他の旅行者や訪問先の人とする会話です。

断然、面白いのは二つ目の会話です。けれども、語学力を磨くという点では一つ目の会話が役に立ちます。
ホテルや駅での受付、特にトラブル対応での会話は、必死になりますので、実力がアップします。こうして身についた外国語能力を使い、偶然お会いした旅人や市民の方々との会話を楽しむことができればベストではないでしょうか。

海外旅行中に外国語で会話する場面を、もう少し、細かくひもといてみます。


2) 旅をするための会話と効能

あいさつ言葉につづく事務的な会話では、空港、ホテル、駅、案内所、飲食店、その他のお店、時には警察などの方が相手です。希望や意思を確認をするための会話なので、内容は簡潔明瞭で、具体的です。それぞれの業界用語も出てきます。外国語学習の基礎編と言ってよいでしょう。

そのうち、予約内容を確認したり、買い物や注文をするための会話は、基礎中の基礎です。あいさつ言葉と並んで、語学学習の初級編に登場する内容です。笑顔であいさつを交わせた、希望の切符が買えた、ほしいものを探して見つけられた、という、ささやかな成功体験をすると、がぜん、やる気が出ます。相手国への印象もワンステップ・アップです。

現代では、この程度の会話は、ITデータや人工知能で代用ができるようになりました。スマホに保存した予約画面を見せたり、翻訳モードを利用すれば、ほとんど、一言もしゃべらずに済みます。その分、個人個人の語学力は減退します。

事務的な会話の中で、特に難しいのはトラブル対応です。

混乱した場面で、自分の意思や希望をどれだけ通せるかですので、語学能力は格段に飛躍します。相手の言い回しで語られる状況を必死に理解したり、当方の1回限りの希望を確実に通すために、全身全霊で意思疎通を図ろうとするからです。分からない言い回しを何回も聞き直したり、だんまりや無視を決め込むスタッフに対して、あの手この手で対応を迫らないといけません。ITデータや人工知能でも代用できません。

海外旅行を何回か体験された方々は、たいてい心当たりがある場面だと思います。

そして、トラブルシューティングができたときの達成感は、初級編の成功体験どころの騒ぎではありません。鬼の首を3つくらい取ったときくらいの大きさでしょう。語学力が、知らず知らずにワンステップ上がっていることは、間違いありません。度胸もついています。凡人は、追い込まれないと勉強しない、という理論を地でいくような展開です。

こうして、礼儀正しく、金離れもよいが、世間が狭いニッポン人観光客は、度胸もあり、ノーと言える、グローバルなベテラン観光客に変身します。

だから、平均的な海外旅行記では、トラブルシューティングの場面が、かなり事細かく登場します。

空港で到着荷物が出てこなかったり、ホテルの予約が入っていなかったりすることは、一定の確率で発生しています。けれども、ひとりひとりにとっては、一生に数回あるかないかのレア体験。必然的に、海外旅行体験談の大きな話題の一つになります。

「この前、アメリカ行ったんでしょう。どうだった?」
「面白かった。それよりはさあ、帰りの飛行機がストでキャンセルになって、大変だったんだからもう」
「ふうん」

そんな生返事をしないで、聞いてあげるのが、大人の礼儀です。


3) 旅を楽しむための会話と満足感

一人旅のとき、自分の好みでする会話は、長く記憶に残ります。

その反対に、無理やりさせられる不自然な会話は、すぐに忘れるか、不快なものです。

「ダンナあ、掘り出しものだよ。おおまけして、25ドルだよ」
「うるさいなあ、あっちへ行け」

「ニッポン?ニイハオ!」
「・・・・・・・・・・」と、プイと横を向きます。

うまくあしらうのも、旅の楽しみになれば、人生にも厚みが出ます。すると、運気も上向くようです。

「あの、すみません。駅に出るには、どの道ですか」

道すがら立ち寄ったカフェのおやじに、勘定をしながら、おそるおそる切り出します。
すると、おやじは、英語もフランス語も分からない、という顔をして固まってしまいました。

「ハアイ、あたしが教えてあげる。こっちへ来て」
と英語が聞こえてきました。見ると、カウンターの横から、かなり美形のお姉さんが、笑顔で近づいてきて、表の方を指さしています。
「あなた、アレマ・ホンジャラ通り知ってる?」
「分かりません」
「しょうがないわねえ。途中まで、いっしょに行きましょう。ところで、どこから来たの?」
「日本です」
「わおー」

こういう事始めで、駅についたあと、アンジェラさんとメルアドの交換までしてしまい、何と予定変更で、昼ご飯を食べることになりました。

似たりよったりのケースも皆無ではありません。

「そんな、小説じゃないんだから」、と思う方もいるでしょう。けれども、一生に1回か2回くらい、この程度の縁ならばあります。恋に落ちて、今に至った、という話ではないので、勝手に期待しないでください。

アンジェラさんの存在で、それまでは沈んだような印象だった町も、田舎のゆったりとした風景に見えてきます。いまいち、味付けにパンチがないなあ、と思っていた料理も、家に招かれて食べてみると、一つ星レストランくらいかも、と思える、味わい深い食事になります。食事中の2時間にしゃべった言葉の量は、その国に来て会話した総量の倍くらいです。

ファーストクラスにも乗れず、アンコールワットの入場料60ドルは、ぼったくりだ、とプンプンしている身では、こういう旅の楽しみがないと、やっていけません。

そうわけで、人のご縁があると、また、そこへ行きたくなります。お互い遠く離れているので、「来週、飲みに行こうか」というふうに、からみつくことができません。人間関係は、さっぱりしたまま時間が過ぎるので、私には好都合です。知り合いができれば「御」の字ですが、そこまで行かなくとも、人の印象が良かった国には、また、行きたくなります。

そのため、意外と同じ国、同じ土地へ、旅をしたいなと考えることが増えてきた、今日このごろです。















私の一人旅

私の一人旅

一人旅は、世界中で、連綿と、すたれることなく続いているスタイルです。

私も、先進国に行くなら、一人旅が好みです。ときどき、夫婦旅もいいものです。

最近では、一人参加のツアーも、一人旅と表現する人が増えています。あんまり、一人旅という感じはしないと思うのですが、言葉尻の問題はともかく、「パートナーや友達といっしょに、海外くんだりまで行くのはやだ」と、思っている人が少なくないことが分かります。

たくさんの人が、いろいろな切り口や書き方で一人旅の長短を述べていますが、大半が、肯定派です。
私も、肯定派の先達に加わって、自分自身の感じ方を書き残そうと思います。

私の一人旅は、ほぼ、先進国か観光国の旅です。そして、昔は学生、今はシニアで、期間は1週間から2週間程度です。かなり軟弱に見えますが、自分のしたいように旅しています。

一般的な見方では、一人旅の人には、陰があり、あまり関わりたくないイメージです。失恋したり、会社をクビになって傷心の海外旅行をしているか、学究肌、オタク肌で協調性がないので、必然的に一人旅をしている、と思いたいようです。そういう方も中にはいらっしゃいますから、一人旅の美女やイケメンに声をかけてみましょう。

一人旅を見つめる1
 ( 一人旅は気ままで、奥もあり )

けれども、多くの人たちは、自分自身で自由気ままに旅を楽しむために、一人旅をしています。2017年12月末、有名旅行会社H.I.S.社の澤田秀雄社長が、春先くらいに3カ月から半年間の一人旅に出ることがニュースになっていました。ただ、楽しめれば、それでよいと思います。

一人旅の最大のメリットは、気楽に行動できることだと思います。

同行者に気を遣うことなく、自由に動いたり、とどまったりするので、ストレスがたまりません。先進国では、ホテルにいれば引き籠って過ごせます。明日の糧や交通手段の心配がないので、気持ちが無になれるときがあります。気分がすっきりします。
そのあと、自分の旅の次の情景が浮かぶことがあります。とても、楽しい空想です。「昼間会った、あの人はどうしているかな」とか、「明日、情熱の出会いがあるかな」などと、ふと頭に浮かびます。

一人旅をしていると、意外と会話します。

何でも自分でこなさないといけないので、ホテルでも、バルでも、自分の肉声と身振り手振りが頼りです。押し売りのオバサンも、列車の前の座席に座ったカッコいいお兄さんも、自分とだけ会話するのです。ウマが合って、話がはずめば、とても幸せな気分になります。世界が、さらに広がるチャンスかも知れません。また、「NO」の一言が、出なかったばっかりに、無駄遣いをしたりすると、とても後悔し、反省します。

いつも誰かが傍にいないと不安な寂しがり屋タイプの方には、想像できないでしょうが、一人旅派は、このくらいで十分なのです。

一人旅のデメリットは、言い尽くされているとおりだと思います。トイレに行くにも他人に声かけが要る、シングル料金が高い、話し相手がいなくて寂しい、予約ミスも自己責任、等々です。数え上げたらキリがありません。

強いてデメリットを追加するならば、ときどき、凡庸な観光客にあるまじきミスを犯すことです。2番目に重要なくらいの定番の観光ポイントをはずすのです。例えば、ばりばりのお上りさん観光客としてパリ行ったのに、ルーブル美術館でミロのヴィーナスの前を素通りしていた、という感じのミスです。帰国後に、「あれま、どうしよう」と、思います。「後悔、先に立たず」、の典型例です。旅行記をまとめるとき、その場面は抽象的な書き方にするなどして、ごまかします。

「何か、変んな人だな」と、思った人もいるでしょう。

実際、一人旅を好むような人の考え方は、現代日本のサラリーマン社会の多数派意見ではありません。私も、見た目は普通ですが、会社の有給休暇を使い切って、親戚縁者を、年に何人も、あの世へ送る人間ではありません。頭の中で、少しだけ多くのことを考えているだけです。

私から見ると、「30歳になって、バックパック背負って1年かけて世界一周。ブログを作ったので、ポチしてね」、という方は、多数派です。絵に書いたようなアンチ・サラリーマン的世界旅行です。行動は少しユニークですが、脳みその中味は普通の日本人。そういう一人旅で満足できたらいいな、と旅先で思ったことがあります。

年の功のせいか、最近は、旅先で、見ず知らずの人と、たのしいおしゃべりをする機会が増えた気がします。若い女性は、白髪混じりのシニアっぽい人に話しかけられてもリスクを感じないようです。実に嬉しい変化です。そのため、学生のころや、一人出張に出ていたころに比べて、旅先での会話時間が増えています。一期一会の楽しさを、より多く味わえるようになりました。

一期一会のとき
 ( 旅先の一期一会。あなたたちは今どこに )

「それだけ、図々しくなったということだよ」
「大阪のオバチャンほどではないですよ」
「それが、年の功じゃ」
という感じです。

 2017年12月記                                     了

















迷えるシニア旅行

1) まさかの60歳

私も、60歳の節目が近づいてきました。

はっきり言って、「私は60歳です」と、自己紹介をするような場面を、まだ想像できません。「まさか、こんなことが起きるなんて」、という気分です。

いまのところ、職場も無風です。ブラック企業でもありません。
おそらく、他社の多くと同じように、60歳を境目に、給与は半額とか6掛けとかに減り、65歳まで中途半端な状態に置かれます。

198007仏歩行者用信号 (1)
 (  迫りくる定年 )

サラリーマンの価値観や仕事中心の生活感覚だけで、自分自身のことを評価しても、なかなか、いい気分にはなれないと思いますが、実際はどうなのでしょう。

その一方で、子供たちは巣立ちます。一人は社会人となり、もう一人は、おそらく4-5年後に親元を離れます。確実に年齢を重ね、段階的に体力、気力は落ちて行くでしょう。

60歳になって、現実を突きつけられて、がっくりしないように、あれこれ考えていました。妻も、私の相手をする負担を減らすために、自分の暇つぶしを作りなさい、昔の友人に探りを入れなさいと、熱心に誘導してきます。


2) 元気老人の海外旅行

少し考えた結果、一人旅の海外旅行を柱にすることにしました。たまに夫婦旅、あるいは爺さんどうしの旅をすることもあるでしょう。私が好きなのは、あっさりした人間関係を保った海外旅行です。老人会ツアーや、いつもいっしょに行動して、昔の自慢話をぶつけあう旅は苦手です。

198007仏歩行者用信号 (2)
 ( 向きを変えて歩く )

また、ブログやラインなどのITコミュニケーションに慣れようと思いました。遠くの人たちと、手軽で安価に連絡するためです。

妻は、私が旅先で、シニアの恋に落ちて家に寄り付かなくなったり、ブログで大成功して有名人になったりすることなど、よもやあり得ないという態度です。確かに、そうですね。

私は、学校時代の友達を、それとなく誘ったり、声をかけています。
出世中の人は、もちろん一顧だにしません。”あがり”が見えてきたはずの現役の人の大半も、社交辞令レベルでも振り向いてくれません。官庁に勤めている人は、早期退官して、第二の、それなりにゆとりある職場にいるはずのに、ぜんぜん乗ってきません。

私の旅は、永遠に一人旅かも知れません。


3)元気なうちからシニアの旅

平均的な会社員タイプの日本人が、5日以上の海外旅行をするのは、けっこう大変です。”働き方改革”を叫ぶご時世ですが、まだまだ1週間程度の休暇取得にも気を遣います。うまく立ち回っていかなければなりません。

その一方、シニアの体力は確実に下降線をたどります。現役のうちから、あれこれと旅行に出るよう思案中です。海外旅行なんて、ある面では、場数(ばかず)を踏んでいる方が有利です。なるべく出かけて、シニアの旅に慣れるようにします。そうすれば、80歳になって海外に降り立っても、体が現地の気候や土地の雰囲気を覚えています。体力の消耗を防げたり、スリをひょいとよけられると思います。

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(  シニアでも世界をめぐる楽しさよ )

「あとは、旅立つだけなのに、お金を使って旅に出なくてもいいんじゃないですか?」、という意見があると思います。私も、実は、それが不安です。

学生旅行や有給休暇を取っての旅行では、旅行体験が確実に勉強や仕事にフィードバックされます。無意識のうちかも知れませんが、視野が広くなります。リフレッシュした結果、ますます仕事がはかどるようになるでしょう。

けれども、シニアの海外旅行は、冥途の土産を増やすだけかも知れないと思うと、とても心配です。そのような自暴自棄の気持ちで旅行しても、たぶん、つまらないでしょう。

そこを乗り越えられるよう、早めに、ゆるゆると旅に出ます。

201704不忍池の夜桜 (2)
 ( 暮れても輝く心でいられますように )

実際は、はっきりとした起承転結で物事を考えたわけではありません。
「何となく好きだから旅に出る」
ただ、それだけです。

2017年12月記      了







やまぶきシニアトラベラーの始まり


le lude son et lumiere 198008 (1)
 ( 音と光のショー開演前のル・リュード城。1980年8月)


2017年12月。やまぶきシニアトラベラーです。

「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶ、うたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまるところなし」

方丈記の出だしが好きですが、実態は、気まぐれで、うわついた哲学者もどきの中高年トラベラーです。
ヨーロッパ中心の街歩きと鉄道の旅、そして東京や首都圏の街並み散歩をメインにします。

旅の始まりは、はるか遠くの日のフランス、ル・リュードの夕暮れ。夏の夜の「光と音のショー」を素敵なパートナーといっしょに見たいと、あるとき感じたのです。

けれども、このショー自体は、とっくになくなってしまいました。だから、別の場面を探さなければなりません。
あの日の気持ちに帰れるように、かつ、めぐりて、かつ、とどまりて、旅をします。


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