ニッポン人の旅立ち

1) 海外旅行へのあこがれ

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん

(以下省略)

S CDG T2到着風景 1989年6月出張時
( かつてのエールフランスのジャンボジェット機。1998年 )

私は、海外旅行に出かけるとき、よく、この有名な詩を思い出します。

明治の文学者、萩原朔太郎(はぎわら・さくたろう : 1886-1942 )が、1925年に出版した純情小曲集に載っている「旅上」という詩の出だしです。

「遠くへ行きたい、海外へ行きたい、けれども、現実は厳しい。でも、やっぱり旅に出たい」、という状況が、ひしひしと伝わってきます。

時はいま、21世紀。たくさんの人が、背広どころか、ジーンズ、Tシャツ姿でスマホ片手に小さなバックひとつを転がして海外旅行に旅立つようになりました。

羽田国際線T201709 (2)
( 羽田空港、国際線カウンター )

2) 変わらない旅立ち

けれども、何か根源的なところで、私たち日本人の海外旅行気分は、萩原朔太郎の時代と変わっていないと思います。まだまだ、ハレの日の中でも、特別なハレの日なようです。

それは、海外旅行の「旅立ち」に、昔も今も、多くの方々が、とても大きなウェイトを置いているからです。

荻原朔太郎も「旅立ち」の場面を使って、フランスへ行きたいと言っています。決して、「シャンゼリゼのカフェに腰掛けて自由の空気を吸いこむ自分の姿」を想像して海外旅行への憧れを表現していません。

日々、多くの方々が投稿する海外旅行記の七割くらいは、国際線の搭乗場面から物語が始まります。書き出しが、「ウユニ塩湖の鏡張りを見た。もう思い残すことはありません」、という作品は、滅多にありません。


3) 国際線の魔力

S成田当時の国際線午後便198007
( 1984年冬の成田空港国際線出発案内 )

よく、このような写真が、投稿旅行記の初めに載っています。

けれども、「XX航空だ、△〇経由だ」と、事細かに説明されても、本人以外にとっては、「それが、どうした」なのです。せいぜい、「旅立ちの高揚感。そのお気持ち分かります」、です。

旅行用の背広を着て汽車に乗る瞬間や、国際線の機体や搭乗案内を見た瞬間、私たちニッポン人の海外旅行の精神的達成感は、すでに100点満点中60点くらいになっているような感じがしてなりません。

だから、私たちは、旅先での感動など忘れてしまい、空港、飛行機、機内食の三点セットを強調してしまうようです。とても正直で、微笑ましいことだと思います。

国際線の魔力の強さを、あらためて感じている次第です。


                                                   2018年4月  了