パリの橋 12 ノートルダムへ行ったときの橋 2021年4月記
火事になる前のノートルダム寺院観光は、たいてい徒歩でアプローチしていました。ノートルダムはシテ島の中にあるので橋を渡って行きました。教会の方へ80%気が向き、残りの15%はスリに注意しているので、シテの風景や橋への関心は5%くらいでしょう。
思えば、いろいろな橋を渡っていたようです。
( プティポン:Petit Pont )
まずは、可愛い名前が記憶に残るプティ・ポン。「小さな橋」という意味なのですが、記憶に小さくしか残りません。あらためて写真を見ると、パリの典型的な観光写真だなあと感慨ひとしおです。2021年現在、ツウの方々が小ばかにしていた、こんな観光地風景が戻ることを世界中の旅好きが待ち望んでいるのです。
( ノートルダム橋。1989年 )
プティポンと同じ通りのシテ島の北側に架かっているのがノートルダム橋。名前とは裏腹に、ノートルダム寺院の最寄りの橋ではありません。どうして、こんなちぐはぐな命名になってしまったのでしょう。
( ノートルダム橋をセーヌの川面から仰ぐ。2019年 )
パリは、できあがった都市の側面が強いので、30-40年経っても橋の風景は、ほぼ同じです。何度も言うように、それがいいことなのか、進歩がないことなのか、観光客としてパリに行くたびに考えてしまいます。
「お待たせえ・・・」
ノートルダム寺院の足元に架かっているのが北からアルコーレ橋と南のドゥブル橋です。火事騒動以降、ドゥブル橋は渡河禁止になってしまいました。
( アルコーレ橋とパリ市役所 )
女のお客さんが手をかざしていますが、”お上りのサル”と間違えられて対岸からエサを投げられたので「やめてえ・・・」と、言っているわけないでしょ。
( シテ島からドゥブル橋を見る )
( 夕暮れのプティポン(手前)とドゥブル橋(奥の緑の橋)
( 火事騒動で通行禁止のドゥブル橋。2019年5月)
シテ島と対岸をつなぐ橋はいっぱい架かっているので、どれがどれやらです。
「でも、ご安心あれ。何回となくパリ観光に行っているうちに、シテ島の橋って、けっこう渡っているものです。こんな私だって写真ひっくり返してみたら、それぞれ1-2枚ずつですが橋の写真ありました」
了
火事になる前のノートルダム寺院観光は、たいてい徒歩でアプローチしていました。ノートルダムはシテ島の中にあるので橋を渡って行きました。教会の方へ80%気が向き、残りの15%はスリに注意しているので、シテの風景や橋への関心は5%くらいでしょう。
思えば、いろいろな橋を渡っていたようです。
( プティポン:Petit Pont )
まずは、可愛い名前が記憶に残るプティ・ポン。「小さな橋」という意味なのですが、記憶に小さくしか残りません。あらためて写真を見ると、パリの典型的な観光写真だなあと感慨ひとしおです。2021年現在、ツウの方々が小ばかにしていた、こんな観光地風景が戻ることを世界中の旅好きが待ち望んでいるのです。
( ノートルダム橋。1989年 )
プティポンと同じ通りのシテ島の北側に架かっているのがノートルダム橋。名前とは裏腹に、ノートルダム寺院の最寄りの橋ではありません。どうして、こんなちぐはぐな命名になってしまったのでしょう。
( ノートルダム橋をセーヌの川面から仰ぐ。2019年 )
パリは、できあがった都市の側面が強いので、30-40年経っても橋の風景は、ほぼ同じです。何度も言うように、それがいいことなのか、進歩がないことなのか、観光客としてパリに行くたびに考えてしまいます。
「お待たせえ・・・」
ノートルダム寺院の足元に架かっているのが北からアルコーレ橋と南のドゥブル橋です。火事騒動以降、ドゥブル橋は渡河禁止になってしまいました。
( アルコーレ橋とパリ市役所 )
女のお客さんが手をかざしていますが、”お上りのサル”と間違えられて対岸からエサを投げられたので「やめてえ・・・」と、言っているわけないでしょ。
( シテ島からドゥブル橋を見る )
( 夕暮れのプティポン(手前)とドゥブル橋(奥の緑の橋)
( 火事騒動で通行禁止のドゥブル橋。2019年5月)
シテ島と対岸をつなぐ橋はいっぱい架かっているので、どれがどれやらです。
「でも、ご安心あれ。何回となくパリ観光に行っているうちに、シテ島の橋って、けっこう渡っているものです。こんな私だって写真ひっくり返してみたら、それぞれ1-2枚ずつですが橋の写真ありました」
了