やまぶきシニアトラベラー

気まぐれシニア・トラベラーの旅。あの日から、いつか来る日まで、かつ、めぐりて、かつ、とどまる旅をします。

2018年08月

スカラ座は眺めるだけかも

スカラ座は眺めるだけかも   2018年3月訪問


1)ミラノの定番その3

ガッレリアを歩いたあとは、たいてい、スカラ座:Teatro Scala の正面風景を見物します。豪華な劇場です。アーケードの中でUターンしたり、自由解散になってスカラ座にたどりつかないツアーはありません。初ミラノの個人客で、スカラ座前を見ないUターン組みも、ごく少数でしょう。

ガッレリアのアーケードを抜けた場所からスカラ座を見た光景は、多くの人々の記憶に、うっすらと残っていると思います。レオナルド・ダ・ヴィンチ像は、背中を向けているので、さらに印象に残りません。



DMスカラ座前とダヴィンチ像背面201803
( スカラ座広場とダ・ヴィンチ像の後ろ姿。2018年3月 )

広場を横切り、スカラ座正面入り口にやってきて、ガッレリアを振り返ってみましょう。朝な夕なに、レオナルド・ダ・ヴィンチ像が通行人をじっと見下ろしています。

200111初冬のミラノ スカラ座広場
( スカラ座前からガッレリアとダ・ヴィンチ像正面を見る。2001年12月 )

初冬の朝は、人通りもまばらで、ミラノの成熟した落ち着きを体感できます。じっくり、ゆっくり街歩きを楽しみたいものです。


2) スカラ座の四季

スカラ座は、派手さを抑えた端正な建物です。内部の大劇場のイメージと比較すると、外観は、そんなに大きく感じられません。

ミラノは、第二次世界大戦の空襲の被害が大きい都市でした。スカラ座も、ガッレリアともども大修復されたはずですが、外観はオリジナルに忠実だそうです。見た目でも200年以上経っているような感じがします。

四季折々のスカラ座正面の思い出に浸ります。しょっちゅう目にした割には、私も1回だけしか入ったことがありません。

早春のスカラ座は、起き抜けのような静けさで鎮座していました。

DMスカラ座正面201803 (3)
( スカラ座正面 2018年3月 )

初冬のスカラ座は、朝日を浴びて明るく輝いていました。今日も、張り切って舞台を切り回すぞ、という気力満々のオーラが伝わってきました。

200111初冬のミラノ スカラ座正面
( 冬の陽ざしを浴びるスカラ座。2001年12月 )

真夏のスカラ座は、明るい陽光の下で、少し黒ずんでいます。長年の排気ガスで汚れてくるのです。
「たまには洗ってくれよ」と、言いたげな雰囲気でした。

198808ミラノスカラ座 (2)
( 夏のスカラ座は日焼け気味。1988年8月 )

1980年代は、スカラ座前の広場も車道が広く、歩行者は肩身が狭かったでした。


3) スカラ座周辺の街並み

スカラ座広場を、ぐるりと見まわしてみましょう。市庁舎は市立美術館に改装され、ミラネーゼや市民の集まる観光名所化しつつあります。由来や修復レベルはさておき、重厚で堂々とした建物です。

DMスカラ座右市立ギャラリー201803
( スカラ座広場に開館した市立美術館 )

石造建築物の長所は、やはり街並みが100年単位で変わらないこと。人々に安定感を与えます。その一方、重々しい雰囲気なので圧迫感があったり、人生の軛(くびき)のように感じることもあるでしょう。

Mマンツォーニ通カブール方向201803
( スカラ座近くより見たマンツォーニ通り )

スカラ座を正面に見て、右折するとマンツォーニ通りです。あと300メートルくらい歩くと、お待ちかねの「モンテ・ナポレオーネ通り」との交差点に着きます。もう、気が急いてきます。

ですから、次は、スカラ座の脇を通りぬけて、ブレラ方面へ直行するような「ミラノぶらぶら歩き」をしようと思いました。


       2018年8月記                   了

ミラノの団地風景

ミラノの団地風景        2018年3月訪問

1)ミラネーゼの住

ミラノ生まれの人たちは、みんなミラネーゼです。

ミラネーゼは、おしゃれというイメージがあります。実際、衣食住のうち、「衣」の評価はピカ一です。

その反面、食と住については、あまり芳しい状況ではありません。食ですが、ミラノを含むロンバルディア一帯の料理は、イタリアの中では低評価です。住についても厳しい状況です。ミラノは、郊外も入れると人口330万人くらいの大都市なので、一般市民の住まいは相対的に狭く、不動産価格や家賃も高止まりです。

このようなことを、ぶつぶつ唱えながら、平均的なミラネーゼの暮らすマンションというか、団地に行きました。

ミラノの中心部のドゥオーモから、地下鉄で約20分のボノーラ:Bonolaという地区です。家から都心部のオフィスまで、ドア・ツー・ドアで40分弱の場所です。

Cri家ボノラ駅BONOLA周辺20180323
( メトロ1号線ボノーラ駅 )

2)マンション風の団地かな

ドゥオーモ付近から、地下鉄で15分くらい乗ると、あたり一帯は、近代的な建物ばかりになります。都心部の建物も、空襲で破壊されたものを元の姿で再建したものが多いので、近代建築なのですが、郊外に出ると、名実ともに戦後のマンション街や、21世紀風のオフィスビルが広がっています。

ミラノでは、観光客が闊歩する範囲なんて、ほんの1-2km四方です。ミラノの真髄は、ショッピング、そして、良い意味で変化する街並み体験だと、私は感じています。ドゥオーモ周りだけを見てミラノを去る観光パターンは、ちょっと残念です。

ボノーラの駅の前には、21世紀スタイルのショッピング・センターがあります。青味がかったガラスの壁面がスマートな印象を与えてくれます。手入れもよく、落書きや応急修理のベニヤなどが見えません。メンテがきちんとできるということは、素晴らしいことです。

Cri家BONLA駅近くのボノラSC201803 (1)
( ボノーラ駅に隣接するショッピングセンター )

ショッピング・センターから数分歩くと、典型的な団地風マンション街が広がっています。1950年代から1970年前後の建物です。イタリアの典型的な郊外住宅という感じです。間取りは、2LDKから4LDKくらいまでが主流です。お値段は、諸税手数料別で8万ユーロから20万ユーロくらいですが、実際に払うキャッシュは、その倍くらいの感じです。新築物件は、もっとします。また、日本のテレビで紹介されるような、優雅なミラネーゼ気分にひたれるアパートは、最低でも50万ユーロくらいです。

ミラノに住みたーい、という方のために、ひとつだけ不動産紹介Websiteを例示します。
https://www.immobiliare.it/vendita-appartamenti/milano/

私も、老後に5-6年住むのも悪くないかな、と思って、あれこれ見ていますが、ガイジンが買う場合のぼったくり、手続きの煩雑さ、冬場の光熱費のバカ高さ、管理費などを考えると、ミラノ住まいの決心は、なかなかつきません。

Cri家Bonolaまわりの風景201803 (2)
( ボノーラ周辺の団地風マンション街 )

イタリアも日本と同じく敗戦国ですが、住については、日本より力を入れて復興したと思います。地価が違う、耐震基準が違う、など細かい差異を言い出したら、きりがないと思いますが、60年以上経っても建て替える気配すらありません。

各アパートの色合いは、茶色系が多いですが、緑色の建物もあり、なんとなく統一感がある程度です。歴史地区ではないので、街並み条例も「ゆるふん」状態なんだなと思いました。

けれども、街中に電線はありません。駐車スペースもたっぷり取ってあります。各建物につながる道路の入口には、有料駐車場の入口のように遮断器がついていて、住民の車以外は入れないようになっています。歩行者は、歩道経由で自由に出入りできます。

少なくとも、日本よりは、見た目の住環境は整っています。

Cri家周辺の早春20180323
( 早春の青空に映えるミラノの中層アパート )

セキュリティも、それなりに万全です。各戸へ通じる共通の出入口は、暗証番号式のロックがかかっています。少しリッチなマンションになると、監視カメラもついています。伝統的なスタイルのアパートですと、昼間は管理人さんがいて、外来者の出入りチェック、荷物や郵便物の受取代行もしていますが、団地では、そこまでできません。

こういうのを見ると、日本は治安がいいんだな、とつくづく思います。裏返せば、自衛意識が低いということにつながります。

Buonarottiトレトリ界隈のマンションロンック装置
( 監視カメラ付きオートロック・システムのマンション入口 )


3)緑を見ながらミラネーゼ

団地の間取りや室内は、Websiteなどで見てのとおりです。廉価な物件では、お風呂がなく、シャワーだけの物件も少なくありません。

周囲の風景は、このあたりまで来ると、かなり広々としてきます。駅から奥まった場所には広い公園や緑地が取ってあります。新しいマンションも、少しづつできていますが、デザインは21世紀風で、なかにはキュービックでコンクリート打ちっぱなしのような建物もあります。

Cri家周辺風景BONOLA201803 (2)
( 団地街の裏側の緑地帯に通じる道路 )

Cri家周辺の緑地広いBONOLA201803 (1)
( 緑地帯と団地風景 )

Cri家周辺の緑地広いBONOLA201803 (3)
( 団地裏の緑地帯は広々 )

早春の息吹きが漂う緑地では、散歩やジョギングを楽しむミラネーゼの姿が絶えません。午後になると、子供たちの姿も見えるでしょう。

名もない多数派の、まじめなミラネーゼの日々の暮らしが想像できます。

「今年の夏休みは、何すんの?」
「家の部屋の壁塗り!。日帰りで、ガルダ・ランドの遊園地!」

出不精のミラネーゼだと、こういう感じの日々になります。


                                       2018年8月記     了



ラ・トーレ・デリ・アキーラ食堂で昇天

ラ・トーレ・デリ・アキーラ食堂で昇天    2018年3月訪問

1) パヴィアでもガストロノミー:Gastronomy

パヴィアでも一食を大切にします。イタリアも、全国区で食べ物が美味しい国のひとつです。

イタリアの中小都市は、お昼時になると、めっきり人通りが減ります。パヴィアも例外ではありません。その代わり、食堂やバルが混雑します。

ランチに連れて行ってくれたのは、ラ・トーレ・デリ・アキーラ:La Torre degli Aquila というカジュアル気分の食堂でした。お店は、市内屈指の目抜き通りCorso Nueba Strada:新街道通り、に面しています。建物の名前が、ずばり、レストランの名前です。

このお店は、各種ブログにも載っています。サクラのコメントもなさそうで、評判どおりの美味しいお店です。

見た目からして、わくわくするような雰囲気のレストランです。
パヴィア食堂ラトーレデリアキラ2018 (1)
 ( ラ・トーレ・デリ・アキーラの店構え )

ラ・トーレ・デリ・アキーラは、地元でも人気店なので、かなり混み合います。少しピークをはずせば、予約がなくとも入れる感じです。多くの人たちは、どんどん食べて、どんどんお会計を済ませて出て行くからです。

ドアを開けて入いると、目の前にバル・カウンターがあり、左に小さなテーブル席も見えます。カウンター右手の階段を数段上がった奥の空間が、本格的な食事の間で、テーブルが5-6卓くらい置いてあります。内部は、年代もので、壁には、昔の調理用具が飾りとして引っ掛けてありました。イタリアに多い、茶色がかった黄色の壁が印象的です。

太いダクトが、現代空間であることを物語っています。このダクトのおかげで、私たちは、調理場からもうもうと上がる煙に悩まされずに済んでいるのです。

食PパヴィアTorreDegliAquila座席
( ラ・トーレ・デリ・アキーレのテーブルとインテリア )

ガイジンには、こういうインテリアがいいのですが、地元の人たちには、当たり前すぎる景色なのでしょう。あまり注目されていないようです。とにかく、ほのぼのとした雰囲気の漂う家族経営の食堂です。


2) メニューはあってなきが如し

食の美味しい国の泣き所のひとつは、食事の流れや、外食の流儀をすんなり会得しにくいことです。食も文化なので、地域や生活パターンと密着しています。流れに乗って楽しい食事をするためには、少し慣れが必要なのです。

また、ガイジンにはメニューが難解であったり、料理の名前から内容が想像できないことも多いです。ニッポン、中国、フランス、スペイン、イタリア・・・・・・・、いずこの国でも抽象的な料理名が頻発します。「たぬきそば」なんて、典型的な例です。

ラ・トーレ・デリ・アキーラも、メニューと料理が一致しない店の系統です。

席に着くと、メニューを小脇に抱えたおばあさんがやってきて、あいさつのあと、いきなり口上を述べ始めます。様子から察するに、オーナー婦人のようです。

イタリア語なので、話の内容は理解できませんが、何のことを言っているかは、表情や口調で分かります。

「今日のプリモは、トマトソースのタリアッテーレ・・・・・。メインは、うさぎ肉の・・・・・・です」
「わかりました。ちょっと考えてから決めます。ところで、普通のメニューもあるんでしょ?」

と、友人が聞くと、おばあさんは、

「これですが、一応、置いていきましょう」と答えて去って行きました。

ちなみに、この時点で、私は、何の料理を説明されたのか全く分かりません。友人に、一つ一つ説明を受けました。プリモと呼んでいる一皿目が4種類、二皿目が3種類くらいありました。

「ほら、メニュー見ても意味ないね」

と、言いながら友人が開いたメニューの内容の恐ろしく単純なこと。

左のページ上部から内容が始まるのですが、何と、"プリモ8ユーロ”、メインとなる肉料理は”普通12ユーロ、特別料理15ユーロ”、みたいなことしか印刷されていません。

右のページにも、デザート(ドルチェ)が幾らとか、コースあり30ユーロのようなことしか書いてなかった感じです。

思わず、「げっ」とするような書きっぷりです。メニュー上の料理名を見て、「どれもこれも捨てがたいなあ」などと優雅に悩むどころではありません。

けれども、体験論的には、こういう雰囲気の食堂こそ、とても美味しく、楽しいひとときになる場合が多いです。

私のように、幸運にもサポートがあったので、口頭で告げられたメニューを80%くらい理解して注文するか、聞き返しても30%くらいしか理解が深まらない状態で、「ええい、ままよ」と、自分なりに料理を想像して注文するか、の違いです。どちらにせよ、出てくる料理は、好き嫌いを別にすれば、とっても美味しいのです。


3) 二皿食べて昇天

一皿目は、「トマトソースのタリアッテーレ」という、きしめん状のパスタを食べました。程よい堅さで、トマトソースがしつこくなくからんできて、つるつるっとお腹に入っていく感じです。

平たい麺も、太さや舌ざわりによって、めいめい呼び名があるのですが、私は、いまだに判別できません。いつか、料理本を見せてもらったとき、似たようなパスタでも、ぐっちゃりと別々の名前が振ってあったのを見て、「こりゃ、覚えきれないわ」と思ったくらいです。

友人は、クリームソースのラビオリを食べました。イタリア風の水ぎょうざ、と言ったら、怒られますでしょうか。

食PパヴィアTAのリガトーニ2018
( トマトソースのタリアッテーレ )

食PパヴィアTAのファルファーレ?2018
( クリームソースのラビオリ )

二皿目は、パヴィア名物、「オリーブ風味の、あぶりうさぎ肉のポレンタ添え」を注文。友人は、「半分ずつシェアすれば二品味わえる」と言って、「鹿肉のきのこソース煮込み」を注文しました。両方ともに、1回くらいマダムの説明を受けただけは、正確に想像することが難しい料理です。

食PパヴィアTAの鹿肉とポレンタ2018
( あぶりうさぎ肉のポレンタ添え )

食PパヴィアTAうさぎ肉2018
( 鹿肉のきのこソース煮込み )

素人が、料理の味わいを説明するのは、とても難しいです。

うさぎ肉は、オリーブの風味が効いているので、臭みもありません。食用に養殖された肉なので、すじもなく、あっさりした感じです。私はポレンタが好きですが、トーレ・デリ・アキーラのポレンタも、メイズ(とうもろこし)の甘味が、ほんのりと口の中に広がるやわらかい食感が、うさぎ肉とバランスしていて、とても感動しました。

一方の、鹿肉も、濃厚なきのこソースで十分煮込んだためでしょう、だしのような味わいが肉にしみ込んでいて、まろやかな食感です。肉も、すじまで柔らかくなるよう煮込まれています。

「いやあ、こんな美味しいイタリア料理食べたの久しぶり。うさぎや、鹿だの、普通の旅行者じゃ、手がでないからね。もう、思い残すことはありません!」

「うふふ」

「昔話で、ある食通の老婦人が、美味しい夕食のあと、『もうすぐお迎えが来そうだから、早くデザート持って来て!』と言って、デザートを食べたあと、幸せいっぱいの表情で、こと切れた、という物語がありましたが、私も、それと同じ気分です」

「つまり、英語でいう”Happy Die” 状態なのね」

「その通りです!」

「うん、わかった。じゃあ、デザートを頼みましょう」
となり、再度、おばあさんに声を掛けました。


4) 再び口頭メニュー

またまた、おばあさんの口から、5つくらい、今日のデザートが紹介されます。シャーベット、ティラミス・・・・・・、と残りは理解できません。しかし、最後の一品は、発音だけ分かりました。

「おばあさんのタルト!」

名前に惹かれて、即決で決めました。あとで説明を聞くと、いわゆるシンプルな外観と味の家庭風のタルトだそうで、おばあちゃん直伝のイメージから付いた名前だそうです。

食PパヴィアTAの祖母のタルト2018 (1)
( おばあさんのタルト )

頭の中で思っていたとおりの、シンプルで控えめな甘さの、どこか懐かしさを覚えるタルトでした。

蛇足ながら、もちろん、プロの手によるもので、テーブルの間を足しげく通うおばあさんの手料理ではありません。

お会計ですが、1人あたり25ユーロ程度でした。とても美味しかったラ・トーレ・デリ・アキーラに、心から笑顔でさようなら。

                                  2018年8月記                    了











パヴィアはイタリアの川越だ

パヴィアはイタリアの川越だ    2018年3月訪問

1)ミラノ近郊観光

ミラノ周辺には、ちょっと気になる観光地が点在しています。

今回は、ミラノから南へ30kmのパヴィア:Pavia という古い街に足を伸ばしました。ミラノの人気スポットのナヴィリオ運河を、ずんずんと南下していき、ポー川の支流のひとつティチーノ川:Titino と合流する場所にある中都市です。

近郊電車のパヴィア行きに乗ると約40分かかります。終点のひとつ手前が、チェルトーザ・ディ・パヴィア駅:Certosa di Pavia 、そして7km走ってパヴィア:Paviaです。

パヴィアから修道院への道とナヴィリオ運河
( パヴィア付近のナヴィリオ運河 )

事後の感想ですが、パヴィアは、東京で言うと川越みたいな感じの観光地だと思いました。共通点は、

大都市近郊、半日観光、街歩き、川、運河、平野、城、古い都市、再建された観光の目玉、大寺院、美味しい食、です。

異なる要素は、大学都市、キリスト教、電線のない市街、くらいです。

両都市ともに、観光初心者ならば行かないけれど、何かの拍子に足を伸ばしても満足感のある近郊観光地です。


2) パヴィアのシンボル「コペルト橋」

パヴィアのシンボルは、コペルト橋:Ponte Coperto です。一言で言えば、ティチーノ川にかかる屋根付きの石橋で、意味は、「覆われた橋」です。そのものずばりの命名で、ずっこけてしまいます。

パヴィアのポンテコペルト全景
( パヴィア中心街方向から対岸を見たコペルト橋全景 )

屋根付き橋は、アメリカの小説「マディソン郡の橋」などで知ってのとおり、そんなに珍しくもありませんが、ここまで大型の橋は数が少ないようです。そのため、パヴィアのシンボルとして、観光の目玉になったのだと思います。

実物を見ると、かなり大きい橋です。幅は2車線道路に両側の狭い歩道を加えた分があるので、かなり広いです。

パヴィアのポンテコペルト道路
( コペルト橋の内側 )


また、中央が少し盛り上がった左右対称の端正な姿が、とても印象的です。きれいに整備されていますが、第二次世界大戦の空襲で破壊されたものを、パヴィアの誇りにかけて昔どおりに復元したものです。

このあたりも、川越が「時の鐘」を街のシンボルとして、火災で焼ける度ごとに再建したことと気脈が通じるものがあります。

川越の時の鐘真夏201808 (11)
( 川越のシンボル「時の鐘」も明治時代の再建 )

受け売りの話ですが、コペルト橋の眺めがもっとも美しいのは、パヴィア中心部方向から対岸に渡り、パヴィアのドゥオーモを背景に見た構図だそうです。

ここは、素直に橋を渡り、おすすめの場面を見に行きました。早春の快晴の青空が目にしみます。

パヴィアのポンテコペルト全景 (3)
( コペルト橋と背後のパヴィアのドゥオーモ )

なるほど、確かに、絵になる構図です。川の水量も多く、とてもゆったりとした気分になれました。かつては、このティチーノ川からナヴィリオ運河を遡上してミラノまで行き来する船がひっきりなしに通っていたとのことです。このあたりも、川越と江戸が新河岸川(しんがしがわ)という運河みたいな水路を介してつながっていたことと似ています。

パヴィアのティチーノ川下流方向
( コペルト橋からティチーノ川下流方向。左がパヴィア中心部 )

穏やかな水辺の風景は、いつ見ても心が安らぎます。


3) 朽ちゆくドゥオーモ

きびすを返して、橋から見えたドゥオーモに戻ります。

パヴィアのドゥオーモも、かなり大きなレンガ造りの建物です。けれども、思いのほか荒れています。人の気配もあまりありません。体格のよい品のありそうな顔をした老人が、古家の奥の部屋で、ごろごろ寝ているような印象です。

パヴィアのDuomoとVとDo
( パヴィアのドゥオーモ正面 )

ここのドゥオーモの正面左端には、1989年3月17日に自然崩落した塔の土台が残っています。

パヴィアDuomoの崩れた塔跡
( ドゥオーモ脇の塔の土台 )

「あーあ。その後、再建しないのですか」
「別にぃー、そこまでしなくてもいいんじゃない。古い塔だったし、金もないから」

こちらは、コペルト橋と違って、市民からの人気がないようです。
私も同感です。ここのドゥオーモは心に響くものもないので、中に入らず、前の広場を一周して立ち去りました。


4) 優秀なパヴィア大学

パヴィアにあって、川越にないもののひとつが有名大学です。

パヴィア大学は、14世紀後半に大学に昇格しました。イタリアでは古い部類に入る学校だそうです。世界史の授業でやったのかも知れませんが、覚えているイタリアの古い大学名はボローニャ大学とサレルノ大学だけです。

おわびの気持ちも兼ねて、大学のさわりだけでも観光しました。なかなか、良い雰囲気の大学でした。

街の目抜き通りに面した本部校舎は、手入れがよく、若者たちの出入りがあるので、とても生き生きとした雰囲気です。伝統があるだけでなく、人気も実力もある大学のようです。ミラノやイタリア北部の産業集積地帯に近いので、就職状況が良いからです。やはり、金のあるところに人々は集まるのです。

パヴィア大学外観 (2)
( 街の中心にそびえるパヴィア大学本部校舎の外観 )

空いている門から中に入ると、外部の喧噪がウソのように、静寂でアカデミックな空間が広がっていました。
パヴィア大学中庭 (2)
(パヴィア大学本部事務局付近の中庭 )

パヴィア大学図書館付近 (1)
( パヴィア大学本部事務局付近の中庭通路 )

北イタリアによくある、うす黄色の壁と、軽快な感じのロココ風アーチが優雅な印象を醸し出していました。図書館も一般公開中だとのことですが、今回は、そこまでは入って行きませんでした。

中庭を突っ切った先に、大学の講堂(アウラ)がありました。ギリシャ風建築なので、ここ200-300年くらいの建物のようです。そこまでギリシャ風が、はやった時代があったんだな、と思います。

パヴィア大学レオナルド広場と講堂アウラ
( パヴィア大学のアウラ(講堂) )

アウラの奥にそびえるのが、中世風の名残の3本の塔です。11世紀から15世紀ごろは、財力誇示も兼ねて煙突みたいな高い塔を建てるのが流行したとの話です。

パヴィア大学の三本の塔2018
( パヴィア大学裏に残る三本の古い塔 )

「いやあ、いわゆる「うだつが上がらない」と、おんなじ発想ですね」
「そうです。塔の1本も建てられない奴は、一流のパヴィア市民としては認めません」

やがて流行は過ぎ去り、塔は、いつの間にか1本、また1本と崩れていき、いまでは数えるほどしか残っていないようです。

こういうポイントをアピールして観光客を惹きつけることに成功したのが、トスカーナ地方のサン・ジミヤーノ:San Gimignano町。多くのニッポン人の皆さんがサン・ジミヤーノ観光を楽しんだことと思います。私も行ったことがありますが、トスカーナの田園気分が残る、とても素敵な観光地だと思います。


5) ヴィスコンティ家がまた登場

パヴィア大学を出て、目抜き通りを先へ進んだ突当りがパヴィア城こと、カステロ・ヴィスコンテーオ:Castello Visconteo、です。

城を見てひとこと。

「ミラノのお城とそっくりじゃあないですか!」
「当然です。同じヴィスコンティ家の殿様一族が、ときを前後して建てたのですから」
「そうは言っても、同じパターンで、飽きは来なかったのでしょうか?」
「そういうことは、現代人の我々からは、測りかねるのですが・・・・・」

パヴィア城と周囲の公園風景 (3)
( カステロ・ヴィスコンテーオ全景 )

パヴィア城と周囲の公園風景 (4)
( カステロ・ヴィスコンテーオ本館の外観 )

この本館は、現在では市立美術館となっているので、中を見たい場合は入館しましょう。

パヴィア城と市立美術館
( パヴィア城の市立美術館入口 )


6) パヴィアでぶらぶら

イタリア観光では、やたら教会やお城、宮殿ばかりで、しばしば飽きてきます。もっと、ゆったりして、バルや面白そうなお店に入り、美しくも一筋縄ではいかない現代イタリアの空気を吸いましょう。

私もパヴィアの街の中心、ヴィットリア広場のバルに座って一休みです。橋も教会もお城も行ったので、観光はもう十分でしょう。

パヴィアのヴィットーリア広場とバル201803 (2)
( パヴィアのヴィットリア広場とバルのテラス )

大都会のバルほど洗練されていませんし、目の前を通るのは、買い物帰りのおばさんや、遠足に来た小学生ですが、その代わり、ほのぼのとした落ち着きを感じます。みんな思い思いにすわって、しょうもない雑談をしています。そういう、あてどもない時の流れが中小都市の隠れた魅力です。

パヴィアBroletto宮201803
( バルの椅子からブロレット宮殿正面を見る )

パヴィアのカバネリア広場界隈 (1)
( ブロレット宮殿の中庭側 )

ランチ前のひととき、パヴィアの目抜き通りをぶらぶらとしてみました。ローマ時代からの都市なので、街の中心部を十文字に走るCorso Strada Nuova:新街道通り、とCorso Camino Benso Cavour:カミーノ・ベンゾ・カブール通りの交差点一帯が賑わっています。一歩、裏通りへ入ると、けっこうシャッター商店街化している場所もあります。

パヴィアのカバネリア広場界隈 (3)
( ちょっと繁華街をはずれた寂しいアーケード )

パヴィアStradaNuova風景
( 昼前後のCorso Strada Nuova:新街道通り。奥がパヴィア大学 )

パヴィア旧市街の塔のある風景2018
( 目抜き通りのカブール通りから見えた塔 )

のんびりしていいなあ、と思うのは、都会人か外国人の勝手な思い込みかも知れません。いずこの国でも、地方都市のにぎわいを守るのは大変です。それでも、信用のある大学が厳として存在し、若い人たちの出入りが絶えないパヴィアは、恵まれているほうだと思いました。


                                    2018年8月記        了









密教系のパヴィア修道院

密教系のパヴィア修道院      2018年3月訪問

1) 高名な修道院

チェルトーザ・ディ・パヴィア:Certosa di Pavia = パヴィア修道院は、ミラノの南20kmくらいの平原の真っただ中に建つ、格式ある高名な修道院です。

パヴィアCチェルトーザ正面201803 (2)
(パヴィア修道院の本堂正面)

一般公開時間は、季節にもよりますが、午前、午後の各2-3時間ずつくらいです。
月曜日は閉館です。通年で、午前中は9:00から11:30まで開館、午後は14:30開館で、閉館は夏が18:00前後、冬が17:00ごろのようです。

パヴィアC修道院入口付近 (2)
( チェルトーザ・ディ・パヴィア正門の開館時間告知板 )

「お代は見てのお帰り」という修道院ですので、正門にキップ売場はありません。


2) 交通は不便な方の修道院

チェルトーザ・ディ・パヴィアに電車で行くならば、ミラノ都心部貫通するミラノ・パサンテ線:Milano Passante、に乗り入れてくる近郊電車に乗ると一本で行けます。30分毎に走っている普通パヴィア行きで都心から30分ほどです。終点のひとつ手前、修道院と同名の「チェルトーザ・ディ・パヴィア:Certosa di Pavia 」駅下車、徒歩約20分です。

電車の時刻表は、下記URLにあります。長距離列車もいっしょに掲載されていますので、少し読み取りにくいかもしれません。
http://www.trenord.it/media/2239825/q26_genova-voghera-pavia-milano.pdf

人家もまばらな平野の中の小さな駅に降り立って、四方を見回すと、延々と連なるレンガ色の塀が目に入ります。それが修道院ですが、入口は駅に面した塀と反対側にあるので、塀に沿ってぐるりと一周するように歩いて行きます。


パヴィアCの高い塀2018
( やっと着いたチェルトーザ・ディ・パヴィアの正門近く )

路線バスでも、パヴィア行きに乗って「チェルトーザ・ディ・パヴィア:Certosa di Pavia 」で下車します。東向きに進んで集落を抜けた場所から続く並木道を、やはり20分くらい歩きます。炎暑の日には、おそらく、ばてます。

パヴィアCチェルトーザ前の並木 (1)
( バス停のある集落の端から続く並木道 )

交通の便が良いとは言えないので、一般的なミラノ観光客はもちろん、住んでいても、あんまり訪れない観光地だと思います。「有名なので、いつか行こうと思っていたけれど、行きそびれた」、という場所です。

パヴィアC修道院入口付近 (1)
( チェルトーザ・ディ・パヴィア正門 )


3) 格式高い修道院

パヴィア修道院の縁起は、とても誇り高いものだそうです。Wikipedia等の解説によると、15世紀半ばに、当時のミラノの領主ヴィスコンティ家の支援を受けて、”ヴィスコンティ家による、ヴィスコンティ家のための”修道院としての基礎が確立したそうです。

「豊かなお殿様一族のための菩提寺っていう訳ですね」
「そうです。神への感謝を最大限に表すため、金に糸目をつけずに造りました」
「ゴシック様式だそうですが、豪華絢爛な建築ですね」
「そうなんですよ。さすが、お目が高い!」

チェルトーザ・ディ・パヴィアを訪れる観光客は少ないので、静かな時間の流れの中で、内外を見て回れます。本堂の奥に入るときは、修道士さんの案内に従って回ります。

たまに来る日本人観光客も、荘厳で意匠を凝らした建築物に賛辞を惜しみません。白く輝く本堂正面や、きらびやかな祭壇、立体感あふれる本堂中庭や塔などは、一見以上の価値があると思います。

建物内や本堂中庭などは撮影禁止です。Websiteなどを、是非、ご覧ください。

祈りの場であり、神へ奉仕するための場所であるということに敬意を払って見学しましょう。

内部の見学では、僧房の外観も見せてくれます。草地の中庭を取り囲むように並んだ独居式の僧房は、シンプルで静かなたたずまいです。今でも、修行に励む僧たちもいるとのことです。ひとつひとつの僧房も庭付きなので、往時、ここに入れた修行僧は、「それなりの」人たちだったようです。

パヴィアCチェルトーザ居住区の中庭 (2)
( パヴィア修道院の僧房 )

解説によると、いったん、ここに修行に入ったならば、ここで生涯を過ごすことになるそうです。安全、安心で飢えもないので、俗事に未練がない限り、安穏な生涯を送れた場所だと感じました。

どこの世界でも、修行僧の生涯は似たり寄ったりだなあと思います。ひとつのところで一生を送るか、逆に、雲水のように生涯、各地をさすらうか、の両極端です。


3) 修道院で”おつとめ”

「パヴィア修道院は、いかがでしたか」
「うーーん。ちょっと、敷居が高いところですねえ」

確かに、修道院の周囲は、ぐるりと高い塀で囲われています。まわりが農地なので、近隣の人々がうっかり入らないよう、外界との接触を断つためです。

パヴィアCチェルトーザ壁
( チェルトーザ・ディ・パヴィアの高い外周壁 )

「でも、お坊さんたちが、上司の目を盗んで外へ出て行かないようにするための塀みたいに感じました」
「まさに、無期の”おつとめ”です」
「それに、女が、こっそり忍び込んでこないようにする効果もありますね」
「そうそう、映画「薔薇の名前」でも、山深い修道院に、こっそり女が忍び込んで逢引きですからねえ」

こういう話の方が、現実味があると思います。

権力をバックにつけ、財政豊かな平野部の修道院で、もともと余裕のある家庭出身の僧に対して赤貧洗うがごとくの修行生活をしろ、という方が無理なのです。

「畑仕事は、作男中心でやらせるから、あなたさまは適当に手伝ってくれればよろしいです。あとは、大人しくお祈りしていて僧房から、あんまり出ないでね」、と本当は思っていたと説明された方が、私は納得がいきます。


4) 神を独占したい修道院

もうひとつ感じたことは、「神を独占している」という雰囲気です。別の言い方をすれば、

「うちは格式も高く、お布施も豊富なので、その分、神への奉仕が多くできるのだから、余所よりも神の恩寵を受けて然るべき」、

あるいは、

「殿の肝煎りの修道院であるウチこそ、領内では唯一、神と対話できる場所です。領民は、ウチを通して神の恵みに感謝するように!」、

という雰囲気を感じたことです。これは、「仏の真の言葉を聞けるのは、修行という特別な訓練をした私たちのみ」という論法の密教系寺院と同じ考え方です。

「ウチは、お殿様直営」のような雰囲気は、日本では、門跡寺院などで感じます。私も含めた人間の本性の一面を見たような気がしました。

私は、このようなスタイルの考え方には抵抗感を覚えるほうです。ミラノでお話しをした一人の方も、同じような感じがすると言っていました。

「ミラノのドゥオーモは誰でも受け入れる雰囲気があって親しみやすい。でも、チェルトーザ・ディ・パヴィアは、自分たちこそ神に一番近い存在だと言っているようで、権威的だな」

私も、同感です。
Duomo夕暮れややオレンジ201803
パヴィアCチェルトーザ正面201803 (3)
( ドゥオーモ(上)とチェルトーザ・ディ・パヴィア(下)の雰囲気は?)

いろいろと考えさせられたことが多かったチェルトーザ・ディ・パヴィア観光でした。


                                2018年8月記     了


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