やまぶきシニアトラベラー

気まぐれシニア・トラベラーの旅。あの日から、いつか来る日まで、かつ、めぐりて、かつ、とどまる旅をします。

2018年07月

芝生に足をサン・シーロ

芝生に足をサン・シーロ     2018年3月訪問


1)あれに見えるはサン・シーロ:San Siro

私はサッカーファンではありません。アンチでもありません。
ワールドカップに日本が出れば、テレビを見ます。けれども、わざわざパブリック・ビューまで行くほどではありません。

今回は、思い立って、ファンの聖地のひとつ、ミラノの「サン・シーロ」スタディアム観光に出かけました。
正式名称は、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ:Studio Giuseppe Meazza、というのだそうですが、「サン・シーロ」の一言で、みんな分かるようです。

サン・シーロは、巨大はサッカー場なので、ずいぶん遠くからでも存在感抜群です。ミラノ都心から西に5-6kmほど離れたサン・シーロ地区に建っています。北に2kmほど離れた団地からも、その堂々とした姿を遠望できます。

Cri家からサンシーロ拡大201803
( サン・シーロ遠望 )

地下鉄5号線に乗り、終点の「サン・シーロ」駅で降ります。大通り沿いの出口に上がってくると、サン・シーロ・スタディアムが、でーんと鎮座していました。圧巻でした。

サンシーロ外観スタディアム大きい
( 駅前からみるサン・シーロ )

「これは、すごい」の一言に尽きました。

建物に近づけば近づくほど、その巨大さに圧倒されてしまいます。ヨーロッパのサッカー熱を、形で表すと、こんな大きさなんだなと実感しました。

少し重い腰を上げて、こういう場所に来た甲斐がありました。

サンシーロ外観近景 (1)
( 巨大な建造物サン・シーロ近景 )

サン・シーロは、試合のない昼間は博物館扱いになって一般公開中です。料金は大人1人17ユーロです。( 2018年3月現在 )入場券売場と見学者入口は8番ゲートにありました。

サンシーロ近影見学きっぷ売場2018
( 8番ゲート付近が見学用入場券売場 )


2) ただで混雑FAIデー

私の見学当日は、年1回か2回の無料公開日でした。「FAIデー」と言って、FAI=Fondo Ambiente Italiano:イタリア文化遺産保存財団に協賛したサッカーチームの計らいです。ただし、FAIへの寄付3ユーロを求められます。

そのため、入場ゲートは、午前10時の開門前から、押すな押すなの人だかり。事前に寄付を済ませた人、私のように当日、成り行きで並んだ人が、切符売場の横でセキュリティ・チェックを受け、それぞれ長蛇の列を作って場内ツアーの順番を待っています。

これだけ人が押し寄せていると、案内係の人たちも大忙しのはずですが、どことなく、のんびりムードが残っているのはお愛嬌。私は45分待って、やっと見学ツアーの順番が回ってきました。

実際は、見学者コース上のロッカー・ルームが小さくて混雑するので、グループを作ったあと、一定間隔を空けて、見学者を中に入れていたようです。

サンシーロFAIデー
( FAIデーは一応、無料開放日 )

さあ、いよいよ場内突入です。
最初は、見学者入場口を兼ねた正面入り口で、ジュゼッペ・メアッツァ氏の偉業の説明を受けます。

見学者の多くは、「ふんふん、なるほど。わかったから、早く中へ入ろうよ」と、いう感じです。

サンシーロ入口のレリーフ


3) 歓喜のロッカールーム

サン・シーロは、ミラノに本拠を置く2つのプロ・サッカー・チーム、ACミランとインテルの共用スタジアムです。
そのため、どこへ行っても、ACミランの赤いシンボルカラーと、インテルの青いシンボルカラーが目に入ります。

関係者専用通路に誘導されて、まず、入ったのが、ACミランのロッカールーム。

「わおー」と、ミラネーゼは老いも若きも子供も、表情を輝かせて、ごひいきの選手の名前が書いてある椅子に腰かけます。ユニフォームや備品のタッチはだめですが、椅子に座ってもよいのです。

にーこ、にこにこ・・・・。子供らにせがまれて、しぶしぶ付いてきたような顔をしていたお母さん、お爺さんも、有名選手が使う空間を共有しているという気分になったのでしょうか、子供たちといっしょになってハイになっています。愛想もよくなり、「お兄ちゃん、写真撮ってあげるよ」と、私のことまで気を遣ってくれました。「どうもありがとうございました」

ちなみに、私は、誰が人気選手なのか分からないので、適当に空いている席に座って写真を撮ってもらいました。

BlogPaint
( ACミランのロッカールーム )

チームのスローガンは、なぜか英語。やはり、外国語を使う方がかっこいいのですかねえ。

つづいて、青い色調の、インテルのロッカールームに移りました。ここでも、歓声と、人気選手席の順番待ちと、写真撮影が続きます。

私にも、大試合を前にした選手や関係者の興奮が、少しづつ伝わってくるようでした。

サンシーロIntelローカールーム (2)
( インテルのロッカールーム )

「そう言えば、ミラノに日本人がいなかったっけ?」
赤いロッカールームにも、青いロッカールームにも、ニッポン人らしき選手名が見当たりません。
あとで調べたら、2018年1月に長友佑都選手がインテルを退団し、ニッポン人所属選手はいなくなったとのことでした。


4) フィールドからの、下から目線

ここまで来ると、気分は少しばかり、選手かVIPの心境です。サッカーをする方は、こんな空間を通って大観衆の前に登場するんだと思うと、いい気持ちです。

サンシーロ通路内部見学
( フィールドに直結する半地下通路。階段の先がフィールド )

コンクリートの半地下通路を、見学者の会話の木霊(こだま)を聞きながら進んで行きます。

BlogPaint
( フィールドに出た瞬間 )

「出たア・・・」
「おおっ、我らが前にうごめく8万人の大観衆!」

割れんばかりの声援に迎えられてフィールドにさっそうと登場するのは、何にも増して、いい気分だろうな、と実感できる場所です。

インテルは、2年ほど前からオーナーが中国企業になったので、宣伝用のロゴには漢字も書いてあります。特段、気になるほどでもないのですが、足元の経済が、どの国を中心にして、どういう風向きの中を進んでいるか、現実を思い知る瞬間でもあります。
思わず、「がんばれニッポン」。

サン・シーロの芝生に足を一歩出してみます。

サンシーロのフィールド面からスタンドを見る201803
( フィールド面から見た芝生と観客席 )

見学者が歩くことができるのは、フィールド面の、ほんの一画に過ぎないのですが、本物の芝生の上を歩くことができます。選手やコーチ、VIPの皆さまと、同じ高さの目線で、フィールドや観客席を見上げるのです。

「下から目線もいいものですねえ」

私も、周囲を見回しながらつくづく思いました。

サンシーロスタディアム内VIP席 (1)
( フィールドの一角を歩く見学者たち )

見学者も、広々とした空間に出られてほっとしています。思い思いの場所で記念撮影です。私も、観客席をバックに写真を撮ってもらいました。


サンシーロスタディアム内 (15)
( 整備機器が並んだフィールド中央と観客席 )

見学者は、芝生の端っこを進み、観客席へ上がります。フィールドには整備機器がいっぱい並んでいました。そして、見上げる観客席の高いこと、高いこと。実際に見ると、写真以上に、そそり立った感じを受けます。裏返せば、一番上の席から試合を肉眼で見ると、選手たちは、かなり小さくしか見えないということでしょう。けれども、あの歴史的一瞬をこの眼で見た、みんなといっしょにいた、という感動があるからこそ、サン・シーロにやってくるのです。


サンシーロのフィールドの様子と整備機器201803 (1)
( サン・シーロのフィールド全景とスクリーン )

しばらく、フィールドでぶらぶらしたあとは、皆、思い思いに帰途につきます。出口の近くには、お土産やさんがあり、ACミランとインテルのオフィシャル・グッズがたくさん置いてあります。

サンシーロのグッズ販売店201803 (2)
( サン・シーロのお土産品売場)

また、ひとつ、楽しいミラノ体験が増えました。


                                     2018年7月 記               了





ほどほどのトリック、サン・サティロ

ほどほどのトリック、サン・サティロ     2018年3月訪問

1) ドゥオーモの近く

サン・サティロ教会は、トリック・アートで少し名の通った観光地です。正式には、サンタ・マリア・プレッソ・サン・サティロ(もしくはサティーロ)教会=Chiesa di Santa Maria Presso San Satiro、 というそうです。

この教会は、ドゥオーモの近く、トリノ通り:Via Torino の脇っちょにあります。ドゥオーモ広場の銅像から歩いて3分くらいです。ドゥオーモから近い割には、ニッポン人への知名度も今ひとつです。

銅像の馬の尻尾の奥あたりがトリノ通りです。

Duomo広場とVE2世像午後
( ドゥオーモ広場からトリノ通り方向 )

アーケードの角は横断歩道になっていますので、1回だけ渡って左折し、奥へ進みます。

トリノ通り沿いにも、素敵なお店が並んでいます。そちらに気を取られるのも有りだと思います。成り行きで、ミラノの街角散歩を楽しみます。

Duomoガレリア横バリケード201803
( ドゥオーモ広場の南の角。トリノ通りは写真の右の外で見えない 

ちなみに、トリノ通りを、ずんずん進むとナヴィリオ運河に出ます。歩いて20分くらい、市電の3系統で10分弱です。

サン・サティロ教会は、トリノ通りの角から1分ほどの場所です。やや引っ込んだ位置にありますが、教会ですので、すぐに分かります。
DMサンサティロ教会入口2018
( サン・サティロ教会入口 )

人通りの多いトリノ通りから、数歩、入っただけで急にひっそりとします。物好きな、いや、ミラノをじっくり探訪したい観光客が三々五々、教会の扉を開けて出入りしています。


2) どこがトリックなの?

ガイドブックでは、「教会の奥行きが取れなかったので、祭壇を造る際に、名匠ブラマンテ:Donate Bramante がトリック・アートよろしく、奥行たっぷりに見えるように設計した」と、いう趣旨で説明しています。

外観を見ただけでは、「どこが寸詰まり?普通の平凡な教会だあ!」と、思ってしまいます。もう少し、思わせぶりな書き方のガイドがあってもいと思いました。

例えば、「だまされたと思って中へ入ってみましょう。そして、真っすぐに祭壇を見つめてください。一見、普通の造りです」

DMサンサティロ教会祭壇正面201803
( サン・サティロ教会の主祭壇正面 )

「けれども、少し横へそれて祭壇を斜め前方から見てみると・・・・・」

DMサンサティロ祭壇付近
( トリック・アートの寸詰まり主祭壇 )

このアーチの奥行きがトリック・アートです。横から見ると寸詰まりですが、正面から見ると、奥行きがあるように造ったのです。

これを3Dアートのはしり、と見るかどうかは、ひとりひとりの感性です。他にない造作であることは間違いありません。

私は、祭壇周り全体がトリック・アート風だと思い込んでいたのです。あまりに小じんまり。ですから、思わず、
「金かえせ!」
「はあ?もともと無料です」

3)反省

思い込みが裏切られて高ぶった気持ちを治めるため、懺悔(ざんげ)をしましょう。

DMサンサティロ教会ろうそく2018
( 献灯 )

2ユーロのお布施をして、ろうそくを献灯します。
そして、そばの懺悔室に入ります。

DMサンサティロ教会ざんげ室2018
( サン・サティロ教会の懺悔室 )

「勝手に勘違いして興奮してしまい、申し訳ありません。巨匠ブラマンテの作品に、敬意を払います」
「また、ミラノへ来てね!」


                    2018年7月記        了

サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会の強運

サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会の強運     2018年3月訪問


1) 低い知名度

「ミラノのサンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会:Chiesa Santa Maria della Grazie、って知っていますか?」

大声で「YES」と答えられる方は、イタリア通、ミラノ・フリークです。クイズで言うと100点満点で100点獲得です。

大半の方は、「どこかで聞いたことある名前だなあ」と、思ったはずです。


2) 第1ヒント

下の写真が、その教会の外観です。戦後の再建ですけれど、由緒正しき、威風堂々とした教会です。

SMG教会中庭からクーポラ見上げ201803
( サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会の主塔 )

昼下がりになると、それなりの人出でした。中庭の梅が満開になったので、花見客が多かったのです。

SMG教会中庭の梅か201803
( 花見客でにぎわうサンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会 )

「思い出しましたか?ここで当てると、100点満点中80点あげますよ」
「うーーん。もう、喉元あたりまで出かかっているんだけどなあ」

3) 第2ヒント

それでは、本堂の祭壇をのぞいてみます。私も2回くらいしか入ったことはありません。

SMG本堂内部サンタマリアデラグラーツェ201803
( サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会の本堂内部 )

「あまり、面白いヒントではありません。ここで当てても、70点は出せます」
「もう一声!」

4) 第3ヒント

ミラノ都心部や最寄り駅から、マジェンタ通り:Corso Magenta、をてくてく歩いてくると、最初に、こういうアングルを目にします。

SMG主塔を東より見る201803
( サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会を東より見る )

獲得点数は50点です。


5) 第4ヒント

「この教会で有名なものは、建物や祭壇ではありません。それは超有名なので、見物するためには予約が必須です」

ここまで言ったら、獲得点は20点です。


6) 最後のヒント

教会正面の写真です。ここ50年くらい変わっていないと思います。獲得点は10点です。

SMGサンタマリアデラグラ教会全景201803
( サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会正面 )

「ああ、<最後の晩餐>がある教会ね」
「おお当たりぃ」


7) 名画の陰に教会あり

教会の知名度は、名画に比べると天と地ほどの差があります。観光ガイドも、たいてい「ミラノの」<最後の晩餐>、と紹介しています。決して「サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会」の<最後の晩餐>、という表現はしていません。

なんか、「軒を貸したら、母屋を取られた」みたいな感じです。京都の「金閣寺」と同様に、本当のお寺の名前は「鹿苑寺:ろくおんじ」であるにもかかわらず、それが、あまり知られていない状態と似ています。

「<最後の晩餐>を予約して行ったものの、早く着きすぎた」、とか、「ひまがあったので、ついでに教会の方へも入った」という流れで、1割か2割の観光客が教会の方へ足を伸ばすだけです。ですから、うろ覚えで当然。写真を見ても、記憶にあるような、ないような状態が、正統派の観光客です。

私なんか、「教会としての知名度がないのは、長い間レオナルド・ダ・ヴィンチの名画を野ざらし同然にしていた報いかな」とも思います。

教会の名前の一部である、「デラ・グラーツェ」は、<感謝>という意味合いですが、いったい何に感謝しているんだろうと皮肉たっぷりに思うことがあります。

「<ダ・ヴィンチを粗末に扱ってきたバチもあたらず、近年は大儲け、という強運に感謝>に決まっているだろ!」という声が脳裏に響いています。


   2018年7月記      了






チェナコーロ・ヴィンチアーノって何だ?

チェナコーロ・ヴィンチアーノって何だ?   2018年3月訪問

1)Cenacolo Vinciano

この綴りを見て、何のことだか分かる一般のお方は、偉い、すごい、尊敬します。

私も、このごろ、ようやく馴染んできました。

これです。

「なんか、こきたない絵だなあ」

198808ミラノSMDグラツェ教会と最後の晩餐修復前 (2)
( Cenacolo Vinciano,  Aug 1988 )

「レオナルド・ダ・ヴィンチ作、<最後の晩餐>を何と心得おるか!」
「ははああ・・・・・」
と、いうわけです。

日本語では知名度抜群の、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のことです。イタリア語では、「ルルティマ・チェナ:L'Ultima Cena」、と呼んでいる場面ですが、たくさんの方が最後の晩餐の場面を描いているので、何とか区別しないと分かりません。

そのための通称が、「チェナコーロ・ヴィンチアーノ:Cenacolo Vinciano」です。<ダ・ヴィンチ絵の食事室>くらいの語感です。

私は、イタリア語は素人なので詳しいことは分かりませんが、南部の人たちが発音すると「シェナコーロ・ヴィンチアーノ」と聞こえます。イタリア語の南北間のばらつきは、こんな感じなのでしょうか。


2)ミラノにあるんだ

日本人にも大人気の、レオナルド・ダ・ヴィンチさまの代表作と言ったら「ラ・ジョコンダ」と、この絵です。

「格好つけなくても分かりますよ。<モナ・リザ>と<最後の晩餐>でしょ?」

私は、初めてミラノに来たとき、「最後の晩餐」がミラノにあることを知って、とても驚きました。バリバリのビジネス都市で、およそ観光ムードが薄いミラノに、世界を代表する絵画の一幅があったからでした。中学か高校の世界史、あるいは美術の教科書に載っている絵が、この目で見られた幸せを、しみじみとかみしめました。

1988年ごろは、特に並ばずとも、「最後の晩餐」を、のんびり鑑賞できました。フラッシュなしならば写真撮影もできました。この絵がある、サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会:Chiesa Santa Maria della Grazie、にも、あまり人は集まってきません。超有名な絵の割には、訪問者も少なく、「ミラノは観光都市ではないんだな」という状況を体感できる場所でした。

198808ミラノSMDグラツェ教会と最後の晩餐修復前 (1)
( サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会。1988年8月 )

美術好きの観光客が、三々五々、知る人ぞ知る、この教会にやってきて、ダ・ヴィンチの傑作を密かに鑑賞して去っていく、というムードが漂っていました。

薄暗い部屋で、煤けた黒っぽい「最後の晩餐」を見られて良かったなと、今では懐かしく思っています。


3) レア感出して丸儲け

21世紀の声を聞くころからの「最後の晩餐」ブームは、すさまじいものでした。1999年に、煤けた絵の修復が終わったことや、絵の保全のために入場制限をかけるという情報が広まった途端、「最後の晩餐」を初めて見ようという観光客が押し寄せました。

今から振り返ると、適度な「レア感」を出したことが人気急上昇の起爆剤になりました。2006年公開の映画「ダ・ヴィンチ・コード」において、「最後の晩餐」が謎解きの鍵を握る要素のひとつとして登場したことも、人気に輪をかけたと思います。

2001年、2回目か3回目にチェナコーロに来たときは、1回15分で25名の入場制限が始まり、予約入場制と一般入場制が併存していた時期でした。ディズニーランドなどのファスト・パス制度と同じで、予約のある人がすいすい入る一方で、先着順の行列が長々と伸びていました。

そのときは、2時間くらい並んで鑑賞しました。教会前の広場では、見学待ちの観光客がとぐろを巻いていました。それでも、ふらりと来ても忍耐強く待てばチェナコーロを見物できました。

名画を前にして声も出ないというよりは、「ダ・ヴィンチの傑作を、俺もこの目で見たぞ!」という達成感がポイントでした。

2000年前後に「最後の晩餐」を鑑賞した皆様の思い出は、いかがでしょうか。

そして、2018年の昨今、サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会前は、30年前よりは賑わっています。見学は、歯科医院のように完全予約制です。1回15分、25名の総入替制であるのにもかかわらず、教会前広場には、けっこうな数の観光客がたむろしているのです。

SMGサンタマリアデラグラ教会全景201803
( サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会。2018年3月 )

ネット販売のチケットは、2-3カ月前の発売開始から数時間で、ほぼ完売。電話予約でも、1カ月前くらいには空きは少々、という品薄状態がずうっと続いています。

正価では、予約手数料込みで大人ひとり12ユーロのチケットが、旅行代理店経由で買うと40-50ユーロくらいに跳ね上がります。教会公認で旅行会社がダフ屋をやっているような感じです。ここでも「坊主丸儲け」理論が実践されています。

予約時に入場者全員の名前を登録し、身分証明書を提示しないとキップを売らず、1度入場するまでは同じ人が2回以上の予約を取れないことにすれば、発売即完売のような現象は起こらないはずですが、この国は、一面では、社会全体がブローカー体質なので、いちど手にした「<最後の晩餐>入場券転売ビジネス」が既得権化してしまっているようです。

たかが観光客相手ですが、なかなか透明性の高いチケット販売システムにならないのは、いかがなものかと思います。

「イタリアで一番フェアプレー精神の高いミラネーゼよ、もう少し行動せよ!」
「うーん。坊主には、なかなか勝てないんですよ」

めでたく「最後の晩餐」の入場予約を取れたときは、わくわくしながらガラス戸を開けて進みましょう。

SMG教会とレオナルドの入口201803
( 最後の晩餐はクリーム色の建物が入口 )

SMG最後の晩餐入口ガラス戸201803
( 「最後の晩餐」見学者専用の入口 )

キップ売場と待合ベンチ、次の間の待合室、さらにガラス戸と、2ステップ、3ステップを経て、世界の名画のひとつと対面できます。

私も、体が動くうちに、あと1回くらい見ておこうかなと、これを書きながら思いました。

「何でも、フラッシュなしならば写真撮影OKに戻ったそうで?」
「はい、そのとおりです」


4) 不思議な晩餐

「最後の晩餐」について、私には2つばかり気になっていることがあります。

一つ目は、絵の構図です。キリストを中央にして12人の弟子たちが、横一列にならんで食事をしているなんて、現実の場面を考えたら、あり得ないくらい不自然です。

これは、絵のある場所の間取りを考えたら、効果的な構図であることが理解できるでしょう。

最後の晩餐が描いてある建物の部屋は、当時の食堂です。そして、絵は、人の背丈より高い位置に壁画として描いてあります。ここに集まってきて、ご飯を食べる僧侶たちからみれば、キリストをはじめとする偉いさんが、ヒナ壇に並び、こちらと対面する感じで食事をしている光景になることを想像すれば、すぐに納得できます。

ところが、事は、そう上手く収まりません。

あるとき突然、ヒナ壇がざわざわし、食事中であるのにもかかわらず、教祖様であるキリストの周りに幹部連中が集まってきて不安げな顔つきで、何やらこそこそ話し出した、ということが起きたのです。

食堂の下座で、賄いメシを口にしている我々から見れば「何だ、なんだ」という気分でしょう。鋭い者ならば「何か不祥事が発覚したな」と想像します。また、こういうときでも、みんな、食事は平然と喉を通るのでしょうか。

二つ目は、日本語訳ならではの問題ですが、「明るいうちから「晩」餐かよ!」という違和感です。絵の背景を見れば分かるように、この食事は、外の景色がよく見える時間帯に行なわれています。絵の中の部屋も、かがり火やランプなどで照らされた状態ではありません。

「おいおい、いくら教祖様ご臨席とはいえ、昼の3時、4時からアルコール付きはないよね」と、私は初めのうち、感じていました。

イタリア語の「Cena:チェーナ」には、夕食の他に、夜食というか、夕暮れの軽食、に近い意味があります。「晩餐」というほど、大掛かりな食事でなくてもよいのです。晩餐は常に暗くなってから取るものだと思っている日本人には、「最後の晩餐」という訳語は、少し違和感があります。

「キリスト最後の食事」、とか「裏切りの食卓」、のような訳を検討してみてはいかがでしょう。

しかし、この名画は、100年以上も「最後の晩餐」という題名で通用しています。いまさら私ごときが異を唱えて変わる確率は、とても低いです。


                                              2018年7月記     了














少しずつ変わるガッレリア

少しずつ変わるガッレリア                           2018年3月訪問

1) 定番ミラノその2

ミラノの定番その2は、ガッレリアです。

ヴィットリオ・エマニュエーレ2世のガッレリア:Galleria Vittorio Emanuele Ⅱ、というのが正式な呼称ですが、長いので、普段は「ガッレリア」の一言で済ましています。

ドゥオーモの北隣りにあるので、ドゥオーモ観光に来ると99%足を伸ばします。ガッレリアの先にあるスカラ座の見物と合わせ、三位一体となったミラノ屈指の観光ポイントです。

ドゥオーモ広場から見えるガッレリアの、端正で左右対称な姿は記憶に残る風景です。

ガレリア正面風景201803
( ガッレリアのドゥオーモ広場口 )

ガッレリアは、1877年の完成以来、もう140年以上も、あまり変わらない姿で鎮座しています。正確には第二次世界大戦で大破し、戦後、もとどおりの姿に忠実に修復、再現したものです。

私は、30年以上前に初めてガッレリアを見ましたが、外観はおんなじ。その間に煤けた壁を洗ったので、いまの方が、ずうっと小ぎれいです。観光ブームになると収入もあがるので、名所旧跡もお洒落ができて一石二鳥です。

よく見ると、ドゥオーモ広場ヴィットリオ・エマニュエーレ2世の銅像周りは、かつて、芝生であったことが分かります。人が増え、イベントをひんぱんにするようになってから、芝生も石畳に様変わりしたようです。

198808ミラノガレリア前
( ガッレリア。1988年9月ごろ )

逆を言えば、新たに観光客を呼び込みたかったら、建物や街路を驚くほど小ぎれいにすることです。
観光客は、史実や現実を見に来るのではありません。「こうであってほしい」と思っているものを見にくるのです!

2)巨大な商店街

ガッレリアは、巨大なアーケード式のショッピングセンターです。実際にやってきて入口付近に立つと、かなり迫力があります。グーグルマップのストリートビューでは、決して味わえません。そのうえ、アーケード内に並んでいる有名店にも、本当に入れます。

ガッレリアの中にいると、当時の最先端を狙ったショッピングセンターを作ったミラノの意気込みを感じます。現代風に考えると、銀座交差点一帯を立体化して大きなドームで覆い、エスカレーターやブランドショップを縦横無尽に配した、超おしゃれなショッピングセンターを作った感じでしょう。


ガレリア前アップ201803
( ドゥオーモ脇から見るガッレリア )

ガッレリアの反対側出入口も、観光客には、十分に馴染みの風景です。スカラ座前から見ると、レオナルド・ダ・ヴィンチの銅像越しに、ガッレリアが見えます。ガイドさんにせかされていると、スカラ座方向ばかりに気を取られてしまいますが、ちょっと、振り返ってみたいものです。

「ミラノも人生も、振り返って見ると、意外な発見があるかも」
「あんまり、面白くない見映えですね」

ガレリアをスカラ座方向から見る201803
( スカラ座前から見るガッレリア )


3) ガラスとレリーフと有名店

ガッレリア名物のガラスのドームや、壁面、床面などは、140年来あまり変わっていないようです。各自、各様に素敵な空間を楽しみます。

ガレリア天井美201803
( ガッレリア名物のガラスのドーム )

陽が暮れると、明かりがともり、たくさんの人出とあいまって良いムードになります。ゆったりとしてセンスのよい大人のショッピング空間という雰囲気を感じました。

いつでも、どこでも、光のショーにはうっとりします。

ガレリア夕方のにぎわい201803 (1)
( 夕暮れのガッレリア中央通路 )

ガレリア夕方十字路付近201803
( ライトが映えるガッレリア中央付近 )

198808ミラノガレリア床面
( 30年前のガッレリア中央付近 )

ミラノに住んでいる人々は、四季折々のガッレリアを楽しんでいることと思います。美しい床のレリーフも、当局のこまめな修理のおかげで、ピカピカに保たれています。私は、クリスマスの飾りつけのあるガッレリア風景が印象に残っています。クリスマスのきらびやかな飾りつけで、冬の薄暗い気分が少し晴れます。

200111初冬のミラノ ガレリア人少ない (1)
( クリスマスの飾りつけのあるガッレリア。2001年12月 )


4) また来る日まで

ガッレリアのお店は少しずつ変わっています。ミラノ市が家賃を大幅に値上げしたときは、がらりと変わったようです。そう言えば、スカラ座に出るあたりにあった画商のお店も、なくなっていました。ガッレリアのテナントの変遷は、取りも直さず、ミラノが生きているということの証です。

30年前、100年前と変わらない店があり、変わらぬサービスがあることは、たまの訪問者に取っては嬉しい限りですが、都市が生き抜くためには、やっぱり、刻々と競い合い、最先端でありたいと努力する姿勢が不可欠です。

ガレリアのPRADA本店201803
( ガッレリア内のPRADA本店。ミラノでは新しいほうの有名店 )

例えば、2018年2月にガッレリアの十字路の一角に移転してきたレストラン兼バルの「CRACCO」(クラッコ)は、テレビで人気のシェフの直営店。ミラネーゼと世界中の人々の舌を、うならせています。

そのうち、我らがニッポン人のミラノ旅行記にも、しばしば登場するようになることでしょう。

ガレリア新装CRACCO201803
( 人気シェフの店CRACCO。2018年2月に移転してきて開店 )

そういう意味で、ミラノは、イタリアでは例外的なイメージの都市かも知れません。ルネサンスの遺品や遺産を、整然と並べている観光地とは、いつまでも一線を画していてほしいものです。

ガッレリアを見ていると、ミラノの実力を感じます。

「次に行ったときは、何が変わっているのかな」、と楽しみです。


                                      2018年7月記     了


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