ゲルニカでバスクを感じる:Gernika
1) ゲルニカはバスクにあり
ゲルニカは、ピカソの「ゲルニカ」で有名な町です。戦争の悲劇を改めて心に刻む町です。それと同時に、バスクの心のふるさとでもあります。バスクの人々の魂を感じることができます。
「えっ、ゲルニカってバスクにあったの?」
30余年前、私も、ここに来て、初めてゲルニカがバスクの地名だということを知りました。マドリードの美術館で、本物のゲルニカを見て数年後のことでした。
21世紀のいま、ゲルニカのレプリカは日本でも見られるようになりました。JR東京駅丸の内北口のOazoビル1階のロビーにもあります。ときどき、その前をとおりますが、場面が混乱している様子が伝わってくる不思議な作品です。
( 丸の内Oazoビル1階ロビーにあるゲルニカ。無料で見られます )
バスク人気が上昇するにつれ、ドノスティア(サンセバスチャン)や、ビルバオの知名度が上がりました。そのため、第二次世界大戦の記憶の町ゲルニカの知名度は、相対的に下がり気味です。これが、時の流れというものでしょう。
けれども、見方によっては、バスク旅行の日本人が激増すれば、ゲルニカに寄る日本人も増えると思います。話に聞いたり、マドリードで見たゲルニカの、実際の土地を体験する人数が増えることは、良いことです。実際、私も日本人ツアーの一行をお見かけし、仰天してしまいました。よくぞ、ここまで、という気分でした。
2) ゲルニカ交通事情
ゲルニカも綴りがウスケラ風になり、Gernika と書きます。以前は、Guernica と書いていました。
ここは、人口1万5000人くらいの、静かで、のんびりとしていますが、さびれた様子もない小都市です。観光ムードがあるのは、中心部のエリアのみです。行政上は、隣町と合併して、ゲルニカ・ルーモ:Gernika-Lumo となっています。
交通は、ビルバオからウスコトレン(バスク鉄道)で約50分、またはビスカイバスで45分くらいです。電車もバスも、平日は30分毎、土曜休日は1時間ごとの運転です。ゲルニカ駅に隣接してバスターミナルがあるので、迷いません。半日観光で気軽に足を伸ばせます。
( ゲルニカ駅舎。バス発着場は、写真の右手100mくらい )
3) バスク議事堂でレンダカリ気分
はじめに、駅前の観光案内板を見るか、街中の観光案内所まで行って、ゲルニカ議事堂の場所や博物館、絵のレプリカの場所を確認しましょう。いずれも駅から徒歩10分圏にあります。
( ゲルニカ駅前の観光案内板 )
( 町の中心部にある観光案内所 )
駅を背にして、左斜め前の方の丘の上に建つのがゲルニカ議事堂:Gernikako Batzarretxea = ゲルニカコ・バッツァレッチャ です。フェリアル公園:Ferrial を通り抜け、ゆるい階段を昇ると、石造平屋建ての重そうな議事堂が見えてきます。築200年弱の建物です。世界遺産や国宝ではありません。
( フェリアル公園。議事堂側からの景色 )
よく手入れされた周囲の芝生と、何本も生い茂る大きな木の緑が目にしみる聖地の雰囲気を持つ場所です。振り返ると、平凡な家並みの向こうに、青々としたなだらかな山並みが望めます。
( ゲルニカ議事堂正面 )
( 議事堂前から見るゲルニカ市街とビスカヤの山並み )
議事堂内部は、大きく二つの部屋に分かれています。入口そばの議場と、入口左の大広間です。
ここは、かつてはバスク全体の議事堂でしたが、のちにビスカヤ県の議事堂となり、いまでは、バスク州かビスカヤ県の儀式を行なう場所になっています。そのため、ほとんど一年中、見学ができます。観光客に優しい施設です。入場無料なので、ツアーで来ても、開館時間内ならば、必ず入場観光できます!
雨が多いので、ここにも日本製の「傘ポン」が設置してあります。日本人なので、思わず顔がほころんでしまいますが、係員は、「何がそんなに珍しいんだ」みたいな顔をしています。
( ゲルニカ議事堂入口脇の傘ポン )
議場内部は、質素ですが品があります。天井の細工が見事です。また、壁面を取り込んでいる歴代ビスカヤ伯爵の肖像を見ていると、バスクの長い時間や、それなりに政治的に上手くやっていた過去のノウハウを感じます。
( 議場風景。正面が議長席 )
( 議場の天井。細工が見事 )
議場正面は議長であるバスク政府首班の席です。呼称は、「レンダカリ」: Lehendakari 。けっこう、かっこいい名前です。意味は、「おかしら」。現代風の呼称に引き直すと、大統領、社長、首班などなどでしょう。
ちょっと、あぶない脱線ですが、どこかの国の金髪の大統領様も、人工衛星と称するミサイルを発射してひんしゅくを買っている首領様も、昔風ウスケラで呼ぶならば「レンダカリ」で、ひとくくりだと思います。
議長席をじっと見ていると、歴代レンダカリが、粛々と議会を率いていた様子が脳裏を横切りました。
議場の隣りは、ロビー風の大広間。その奥に図書室、資料室があります。天井を仰ぐと、バスクの木を描いたステンドグラスが、無言で訪れる人々の上にかぶさっていました。
( 大広間全景 )
( ステンドグラスに描かれたバスクの木 )
私は、1986年9月にここに来たことがありますので、ここを見るのは二度目です。バスク議事堂の中では、時間がほとんど進んでいません。
( 1986年当時のバスク議事堂の大広間。少しだけ変わった )
4) ゲルニカの木を感じる
ゲルニカの木を見るため、大広間の衝立を回り込んで外にでました。議場の方からも出られます。
この有名な木は、建物背後の庭で、ひたすら静寂を保って直立していました。
( 三代目ゲルニカの木。四代目説もあり )
( ゲルニカの木と、議事堂背後の建物 )
バスク州は、グルメツアーの地だということ以外、気にかけるものがないと、「ゲルニカの木」は、ただの木です。ツアー客のみなさんも、3分くらい眺め、写真を2-3枚撮ると帰ってしまいました。時間は短くとも、バスク気分を感じればよいと思います。
歴史的には、ゲルニカの木は、バスクのシンボルであり、バスクの人々のシンボルでもあります。
解説によると、バスク領主になったビスカヤ伯は、この木の下で、バスクの自治権尊重を誓いました。日本人にとっての、三種の神器に似た感じ方をするのが、ゲルニカの木かも知れません。普通の木だと分かっていても、感情移入してしまうのです。
ゲルニカの木を5分、10分と眺めていると、無言のプライドが木の周りを取り巻いているような気分になりました。心霊スポットのような求心力があるのかも知れません。
今の木は、30年前の木とは、明らかに違っていました。パンフレットによると、私が初めて見たのは、1860年に植えられた二代目でした。かなり大きく育っていましたが、とうとう2004年に枯れてしまったようです。そのため、二代目の実から育てた苗木を2015年に植え替え、三代目としたそうです。
( 二代目のゲルニカの木。1986年の姿 )
ちなみに、この木の種類は、オーク:Oak tree と書いてあるので、樫の木のように見えます。しかし、実物を見ると分かりますように、ヨーロッパ柏か、ミズナラの木です。柏餅で使う柏の葉っぱのような、切れ込みがありますし、近くにある同種の木には、どんぐりがいっぱいなっています。
5) 初代ゲルニカの木
いったん議事堂を出て、庭に回りました。ギリシャ風の列柱に囲まれた、お堂の中に、初代ゲルニカの木の太い幹が保存してあります。きっと、村のどこからでも見えるシンボリックな樹木だったのでしょう。
( 議事堂の庭と、初代ゲルニカの木の保存用お堂 )
( 初代ゲルニカの木の幹回り )
日本でも、有名な松の木などが枯死すると、次々と植え替えていき、「今ごらんいただけます、太郎のマツは五代目でございます」なんて、ガイドさんが口にしています。あれと、そっくりです。
バスク人と日本人って意外と似通ったところがあるんだ、と感じました。
6) ゲルニカと戦争
ゲルニカの木を感じたあとは、街中へもどり、バスクの中小都市の雰囲気を味わいました。
また、1937年4月26日に起きた、ヒトラー指揮下のナチスのコンドル軍団による無差別空爆の悲劇を、思い起こしましょう。他所者の私ごときが言うことではないかも知れませんが、バスクの心のふるさとゲルニカだったからこそ、ここはファシストたちに執拗に憎まれたような気がします。
今では、平和博物館ができ、空爆の様子を、末永く語り継げるようになっています。街はずれの戸外にも、ゲルニカのレプリカがあるので、寄ってみました。
( ゲルニカ市街地にある、ピカソの「ゲルニカ」のレプリカ )
( 町の中心部にあるゲルニカ・ルーモ市役所(役場) )
( 市役所の対面にある平和博物館 )
市役所から駅へ通じるあたりが、ゲルニカの中心部です。けっこう人通りが絶えません。この一帯が、空爆で壊滅した地区です。伝統的な外観をしていますが、実は20世紀建築がけっこうあります。市街地は、道に迷っても、しまったと気づいて5分も引き返せば、見慣れた場所にもどれる大きさです。こころおきなく、無心で街歩きを楽しみました。
( 石造の立派なアーケードがある市役所通り )
( 観光案内所の、はす向かいにある数少ない土産物屋さん )
( ゲルニカ市民生活の中心、公設マーケット。左の丸屋根の建物 )
中心街の通りには、観光客もいるし、地元の若い人や老人もいて、けっこう活気があります。シャッター通りはありません。カフェが何軒もあり、思い思いに、おしゃべりをしたり、仕事の息抜きにピンチョスひとつ、コーヒー一杯を口に入れてスマホをいじっているネクタイ姿の紳士もいます。確かに耳に入ってくるのは、ウスケラが多いです。
私なりのバスクを感じて、ゲルニカを去ることにしました。
2017/9訪問、2018/1記 了
1) ゲルニカはバスクにあり
ゲルニカは、ピカソの「ゲルニカ」で有名な町です。戦争の悲劇を改めて心に刻む町です。それと同時に、バスクの心のふるさとでもあります。バスクの人々の魂を感じることができます。
「えっ、ゲルニカってバスクにあったの?」
30余年前、私も、ここに来て、初めてゲルニカがバスクの地名だということを知りました。マドリードの美術館で、本物のゲルニカを見て数年後のことでした。
21世紀のいま、ゲルニカのレプリカは日本でも見られるようになりました。JR東京駅丸の内北口のOazoビル1階のロビーにもあります。ときどき、その前をとおりますが、場面が混乱している様子が伝わってくる不思議な作品です。
( 丸の内Oazoビル1階ロビーにあるゲルニカ。無料で見られます )
バスク人気が上昇するにつれ、ドノスティア(サンセバスチャン)や、ビルバオの知名度が上がりました。そのため、第二次世界大戦の記憶の町ゲルニカの知名度は、相対的に下がり気味です。これが、時の流れというものでしょう。
けれども、見方によっては、バスク旅行の日本人が激増すれば、ゲルニカに寄る日本人も増えると思います。話に聞いたり、マドリードで見たゲルニカの、実際の土地を体験する人数が増えることは、良いことです。実際、私も日本人ツアーの一行をお見かけし、仰天してしまいました。よくぞ、ここまで、という気分でした。
2) ゲルニカ交通事情
ゲルニカも綴りがウスケラ風になり、Gernika と書きます。以前は、Guernica と書いていました。
ここは、人口1万5000人くらいの、静かで、のんびりとしていますが、さびれた様子もない小都市です。観光ムードがあるのは、中心部のエリアのみです。行政上は、隣町と合併して、ゲルニカ・ルーモ:Gernika-Lumo となっています。
交通は、ビルバオからウスコトレン(バスク鉄道)で約50分、またはビスカイバスで45分くらいです。電車もバスも、平日は30分毎、土曜休日は1時間ごとの運転です。ゲルニカ駅に隣接してバスターミナルがあるので、迷いません。半日観光で気軽に足を伸ばせます。
( ゲルニカ駅舎。バス発着場は、写真の右手100mくらい )
3) バスク議事堂でレンダカリ気分
はじめに、駅前の観光案内板を見るか、街中の観光案内所まで行って、ゲルニカ議事堂の場所や博物館、絵のレプリカの場所を確認しましょう。いずれも駅から徒歩10分圏にあります。
( ゲルニカ駅前の観光案内板 )
( 町の中心部にある観光案内所 )
駅を背にして、左斜め前の方の丘の上に建つのがゲルニカ議事堂:Gernikako Batzarretxea = ゲルニカコ・バッツァレッチャ です。フェリアル公園:Ferrial を通り抜け、ゆるい階段を昇ると、石造平屋建ての重そうな議事堂が見えてきます。築200年弱の建物です。世界遺産や国宝ではありません。
( フェリアル公園。議事堂側からの景色 )
よく手入れされた周囲の芝生と、何本も生い茂る大きな木の緑が目にしみる聖地の雰囲気を持つ場所です。振り返ると、平凡な家並みの向こうに、青々としたなだらかな山並みが望めます。
( ゲルニカ議事堂正面 )
( 議事堂前から見るゲルニカ市街とビスカヤの山並み )
議事堂内部は、大きく二つの部屋に分かれています。入口そばの議場と、入口左の大広間です。
ここは、かつてはバスク全体の議事堂でしたが、のちにビスカヤ県の議事堂となり、いまでは、バスク州かビスカヤ県の儀式を行なう場所になっています。そのため、ほとんど一年中、見学ができます。観光客に優しい施設です。入場無料なので、ツアーで来ても、開館時間内ならば、必ず入場観光できます!
雨が多いので、ここにも日本製の「傘ポン」が設置してあります。日本人なので、思わず顔がほころんでしまいますが、係員は、「何がそんなに珍しいんだ」みたいな顔をしています。
( ゲルニカ議事堂入口脇の傘ポン )
議場内部は、質素ですが品があります。天井の細工が見事です。また、壁面を取り込んでいる歴代ビスカヤ伯爵の肖像を見ていると、バスクの長い時間や、それなりに政治的に上手くやっていた過去のノウハウを感じます。
( 議場風景。正面が議長席 )
( 議場の天井。細工が見事 )
議場正面は議長であるバスク政府首班の席です。呼称は、「レンダカリ」: Lehendakari 。けっこう、かっこいい名前です。意味は、「おかしら」。現代風の呼称に引き直すと、大統領、社長、首班などなどでしょう。
ちょっと、あぶない脱線ですが、どこかの国の金髪の大統領様も、人工衛星と称するミサイルを発射してひんしゅくを買っている首領様も、昔風ウスケラで呼ぶならば「レンダカリ」で、ひとくくりだと思います。
議長席をじっと見ていると、歴代レンダカリが、粛々と議会を率いていた様子が脳裏を横切りました。
議場の隣りは、ロビー風の大広間。その奥に図書室、資料室があります。天井を仰ぐと、バスクの木を描いたステンドグラスが、無言で訪れる人々の上にかぶさっていました。
( 大広間全景 )
( ステンドグラスに描かれたバスクの木 )
私は、1986年9月にここに来たことがありますので、ここを見るのは二度目です。バスク議事堂の中では、時間がほとんど進んでいません。
( 1986年当時のバスク議事堂の大広間。少しだけ変わった )
4) ゲルニカの木を感じる
ゲルニカの木を見るため、大広間の衝立を回り込んで外にでました。議場の方からも出られます。
この有名な木は、建物背後の庭で、ひたすら静寂を保って直立していました。
( 三代目ゲルニカの木。四代目説もあり )
( ゲルニカの木と、議事堂背後の建物 )
バスク州は、グルメツアーの地だということ以外、気にかけるものがないと、「ゲルニカの木」は、ただの木です。ツアー客のみなさんも、3分くらい眺め、写真を2-3枚撮ると帰ってしまいました。時間は短くとも、バスク気分を感じればよいと思います。
歴史的には、ゲルニカの木は、バスクのシンボルであり、バスクの人々のシンボルでもあります。
解説によると、バスク領主になったビスカヤ伯は、この木の下で、バスクの自治権尊重を誓いました。日本人にとっての、三種の神器に似た感じ方をするのが、ゲルニカの木かも知れません。普通の木だと分かっていても、感情移入してしまうのです。
ゲルニカの木を5分、10分と眺めていると、無言のプライドが木の周りを取り巻いているような気分になりました。心霊スポットのような求心力があるのかも知れません。
今の木は、30年前の木とは、明らかに違っていました。パンフレットによると、私が初めて見たのは、1860年に植えられた二代目でした。かなり大きく育っていましたが、とうとう2004年に枯れてしまったようです。そのため、二代目の実から育てた苗木を2015年に植え替え、三代目としたそうです。
( 二代目のゲルニカの木。1986年の姿 )
ちなみに、この木の種類は、オーク:Oak tree と書いてあるので、樫の木のように見えます。しかし、実物を見ると分かりますように、ヨーロッパ柏か、ミズナラの木です。柏餅で使う柏の葉っぱのような、切れ込みがありますし、近くにある同種の木には、どんぐりがいっぱいなっています。
5) 初代ゲルニカの木
いったん議事堂を出て、庭に回りました。ギリシャ風の列柱に囲まれた、お堂の中に、初代ゲルニカの木の太い幹が保存してあります。きっと、村のどこからでも見えるシンボリックな樹木だったのでしょう。
( 議事堂の庭と、初代ゲルニカの木の保存用お堂 )
( 初代ゲルニカの木の幹回り )
日本でも、有名な松の木などが枯死すると、次々と植え替えていき、「今ごらんいただけます、太郎のマツは五代目でございます」なんて、ガイドさんが口にしています。あれと、そっくりです。
バスク人と日本人って意外と似通ったところがあるんだ、と感じました。
6) ゲルニカと戦争
ゲルニカの木を感じたあとは、街中へもどり、バスクの中小都市の雰囲気を味わいました。
また、1937年4月26日に起きた、ヒトラー指揮下のナチスのコンドル軍団による無差別空爆の悲劇を、思い起こしましょう。他所者の私ごときが言うことではないかも知れませんが、バスクの心のふるさとゲルニカだったからこそ、ここはファシストたちに執拗に憎まれたような気がします。
今では、平和博物館ができ、空爆の様子を、末永く語り継げるようになっています。街はずれの戸外にも、ゲルニカのレプリカがあるので、寄ってみました。
( ゲルニカ市街地にある、ピカソの「ゲルニカ」のレプリカ )
( 町の中心部にあるゲルニカ・ルーモ市役所(役場) )
( 市役所の対面にある平和博物館 )
市役所から駅へ通じるあたりが、ゲルニカの中心部です。けっこう人通りが絶えません。この一帯が、空爆で壊滅した地区です。伝統的な外観をしていますが、実は20世紀建築がけっこうあります。市街地は、道に迷っても、しまったと気づいて5分も引き返せば、見慣れた場所にもどれる大きさです。こころおきなく、無心で街歩きを楽しみました。
( 石造の立派なアーケードがある市役所通り )
( 観光案内所の、はす向かいにある数少ない土産物屋さん )
( ゲルニカ市民生活の中心、公設マーケット。左の丸屋根の建物 )
中心街の通りには、観光客もいるし、地元の若い人や老人もいて、けっこう活気があります。シャッター通りはありません。カフェが何軒もあり、思い思いに、おしゃべりをしたり、仕事の息抜きにピンチョスひとつ、コーヒー一杯を口に入れてスマホをいじっているネクタイ姿の紳士もいます。確かに耳に入ってくるのは、ウスケラが多いです。
私なりのバスクを感じて、ゲルニカを去ることにしました。
2017/9訪問、2018/1記 了