やまぶきシニアトラベラー

気まぐれシニア・トラベラーの旅。あの日から、いつか来る日まで、かつ、めぐりて、かつ、とどまる旅をします。

2017年12月

私の一人旅

私の一人旅

一人旅は、世界中で、連綿と、すたれることなく続いているスタイルです。

私も、先進国に行くなら、一人旅が好みです。ときどき、夫婦旅もいいものです。

最近では、一人参加のツアーも、一人旅と表現する人が増えています。あんまり、一人旅という感じはしないと思うのですが、言葉尻の問題はともかく、「パートナーや友達といっしょに、海外くんだりまで行くのはやだ」と、思っている人が少なくないことが分かります。

たくさんの人が、いろいろな切り口や書き方で一人旅の長短を述べていますが、大半が、肯定派です。
私も、肯定派の先達に加わって、自分自身の感じ方を書き残そうと思います。

私の一人旅は、ほぼ、先進国か観光国の旅です。そして、昔は学生、今はシニアで、期間は1週間から2週間程度です。かなり軟弱に見えますが、自分のしたいように旅しています。

一般的な見方では、一人旅の人には、陰があり、あまり関わりたくないイメージです。失恋したり、会社をクビになって傷心の海外旅行をしているか、学究肌、オタク肌で協調性がないので、必然的に一人旅をしている、と思いたいようです。そういう方も中にはいらっしゃいますから、一人旅の美女やイケメンに声をかけてみましょう。

一人旅を見つめる1
 ( 一人旅は気ままで、奥もあり )

けれども、多くの人たちは、自分自身で自由気ままに旅を楽しむために、一人旅をしています。2017年12月末、有名旅行会社H.I.S.社の澤田秀雄社長が、春先くらいに3カ月から半年間の一人旅に出ることがニュースになっていました。ただ、楽しめれば、それでよいと思います。

一人旅の最大のメリットは、気楽に行動できることだと思います。

同行者に気を遣うことなく、自由に動いたり、とどまったりするので、ストレスがたまりません。先進国では、ホテルにいれば引き籠って過ごせます。明日の糧や交通手段の心配がないので、気持ちが無になれるときがあります。気分がすっきりします。
そのあと、自分の旅の次の情景が浮かぶことがあります。とても、楽しい空想です。「昼間会った、あの人はどうしているかな」とか、「明日、情熱の出会いがあるかな」などと、ふと頭に浮かびます。

一人旅をしていると、意外と会話します。

何でも自分でこなさないといけないので、ホテルでも、バルでも、自分の肉声と身振り手振りが頼りです。押し売りのオバサンも、列車の前の座席に座ったカッコいいお兄さんも、自分とだけ会話するのです。ウマが合って、話がはずめば、とても幸せな気分になります。世界が、さらに広がるチャンスかも知れません。また、「NO」の一言が、出なかったばっかりに、無駄遣いをしたりすると、とても後悔し、反省します。

いつも誰かが傍にいないと不安な寂しがり屋タイプの方には、想像できないでしょうが、一人旅派は、このくらいで十分なのです。

一人旅のデメリットは、言い尽くされているとおりだと思います。トイレに行くにも他人に声かけが要る、シングル料金が高い、話し相手がいなくて寂しい、予約ミスも自己責任、等々です。数え上げたらキリがありません。

強いてデメリットを追加するならば、ときどき、凡庸な観光客にあるまじきミスを犯すことです。2番目に重要なくらいの定番の観光ポイントをはずすのです。例えば、ばりばりのお上りさん観光客としてパリ行ったのに、ルーブル美術館でミロのヴィーナスの前を素通りしていた、という感じのミスです。帰国後に、「あれま、どうしよう」と、思います。「後悔、先に立たず」、の典型例です。旅行記をまとめるとき、その場面は抽象的な書き方にするなどして、ごまかします。

「何か、変んな人だな」と、思った人もいるでしょう。

実際、一人旅を好むような人の考え方は、現代日本のサラリーマン社会の多数派意見ではありません。私も、見た目は普通ですが、会社の有給休暇を使い切って、親戚縁者を、年に何人も、あの世へ送る人間ではありません。頭の中で、少しだけ多くのことを考えているだけです。

私から見ると、「30歳になって、バックパック背負って1年かけて世界一周。ブログを作ったので、ポチしてね」、という方は、多数派です。絵に書いたようなアンチ・サラリーマン的世界旅行です。行動は少しユニークですが、脳みその中味は普通の日本人。そういう一人旅で満足できたらいいな、と旅先で思ったことがあります。

年の功のせいか、最近は、旅先で、見ず知らずの人と、たのしいおしゃべりをする機会が増えた気がします。若い女性は、白髪混じりのシニアっぽい人に話しかけられてもリスクを感じないようです。実に嬉しい変化です。そのため、学生のころや、一人出張に出ていたころに比べて、旅先での会話時間が増えています。一期一会の楽しさを、より多く味わえるようになりました。

一期一会のとき
 ( 旅先の一期一会。あなたたちは今どこに )

「それだけ、図々しくなったということだよ」
「大阪のオバチャンほどではないですよ」
「それが、年の功じゃ」
という感じです。

 2017年12月記                                     了

















ビルバオの歓び  その5 うっとり街角アート


ビルバオの歓び

その5 
5-1) うっとり街角アート

ビルバオ新市街のあちこちに街角アートがあります。
どのオブジェも自信たっぷりに鎮座しています。さわったり、蹴ったりしたくらいで傾くようなヤワなものはありません。

私も、オブジェの全部はおろか、半分も知りません。適当に通りをぶらついて、「あっ、あったあ」と、心の中で声をあげるのが、とても楽しみです。気に入るアートもあれば、なんじゃこれ、というものもあります。少なくとも言えることは、道徳的だったり、可もなく不可もないものはない、ということです。

「街角のオブジェは、自分の感性で楽しむもの」と、私は思っています。後で少し調べて、作品や作者の名前を書くようにしていますが、それは街角オブジェの楽しみの本質ではありません。
「パッと見で、ピーンときましたか?」ただ、それだけだと思います。

まず、RENFEのアバンド駅コンコースにある巨大なステンドグラスとブロンズの顔です。
正面入り口からエスカレーターで2階のコンコースに上がってきて、後ろを振り返ると目に入ります。
ステンドグラスは、50年くらい経っているかも知れませんが、ブロンズの顔は20年くらい前のものです。
駅に似合わないオブジェに、思わず笑みがこぼれてしまいます。
私は、こういうの好きです。

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( アバンド駅コンコース上のビスカヤ風景を描いたステンドグラスと、ブロンズの顔 )
198709ビルバオアバンド駅内の近郊電車2本
( アバンド駅のステンドグラスは少なくとも30年物。1987年ごろ )

ブロンズ製の顔を、まじまじと見てみましょう。人間の苦悩を表現しているようですが、じっと見ていると、こちらが笑い飛ばされているような気分になりました。

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 ( 顔の彫刻を拡大して見たところ )

ビルバオ市役所前には、輪っかのオブジェがあります。”21世紀への指切りげんまん”、という印象でした。
大きくて、けっこう遠くから見えるので、ついつい近寄っていきます。後で調べると、バスク出身のチリダという方の作品でした。私は、いいとも、悪いとも感じませんでした。

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( ビルバオ市役所前の ひねり輪っか。エドアルド・チリダ作 )

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( 輪っかアートを、しげしげと見る )

ネルビオン川沿い、サルベコスビアのたもとには、板チョコを猛スピードで人間が突き抜けたときに、人間の形にくり抜かれたような彫刻と、通った人物と思しき像があります。ちょっと遠くから1枚撮影したきりでした。手前のアイスクリーム屋さんの方に、気が向いていたので、えへへ・・・・・・・・、です。

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( サルベコ・スビア下にちらりと見える、板チョコ通り抜けの彫刻、遠景 )

ビルバオの都心、アバンド地区の大通りや、交差点の広場にも彫像、彫刻がちょくちょく置いてあります。
まず、モユア広場から北へ伸びるエルチラ通りにある、アルミ箔をぐしゃぐしゃにしたような彫刻。そばの地面に作家名、作品名が書いてあるので、読んだはずなのですが、そのまま通り過ぎたようです。

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( 鉄で作った、くしゃくしゃアルミ箔のオブジェ )

モユア広場から、歩行者専用になっているエルチラ通りを1ブロック南下したあたりの交差点にあるのが、鋳物の風鈴です。スペインの誇る巨匠ベラスケスの代表作のひとつ「女官たち:Las Meninas」を題材にした彫刻です。頭のふんわりした髪型や、裾がふくれたスカートで、女官であることが分かります。私は、けっこう気に入りました。見るからに重そうな鋳物の量感が、派手ですが守旧的な宮廷人たちのイメージにぴったりです。下の方を蹴飛ばしても、びくともしません。大奥の怖さを体現しているようでした。

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 ( 鋳物の風鈴、こと、ベラスケスの女官たちのイメージの像 )

オブジェでは、ありませんが、アバンド地区でも、ところどころに20世紀初頭の一軒家の豪邸が残っています。観光客に一番目につくのは、グッゲンハイム美術館から川沿いに東方向に歩いて行くと目にする屋敷でしょう。多くの方が、「あれは、何だ」と書いていますが、かのアスレチック・ビルバオの本部です。公式行事や記者会見を行なうときに使います。
下の写真は、インダウチュ広場の近くに残っている同じ雰囲気の邸宅。今はクリニックが入居しているようです。博物館ではありません。

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(オブジェではないけれど。古民家みっけ )

ビルバオのオブジェは、超モダンを軸に据えています。また、一様に躍動感があるところがすごいです。都市の活力がある証拠だと思いました。


5-2) メトロがアート

ビルバオ最大、最強の街角アートは、もしかしたらメトロビルバオの駅かも知れません。
グッゲンハイム美術館の建物に続いて、称賛の的になっているのが、メトロの出入口のガラスドーム。私も、ガラス芋虫と呼びたい建造物です。いったん、このデザインを覚えると、一目でメトロだと分かる優れもの。イギリス人建築家ノーマン・フォスター:Norman Foster 作です。
ビルバオ市当局も、新たに地下鉄を作るにあたって、造形物には、グッゲンハイム美術館並みのユニークさを追求した姿勢が伝わってきます。

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( メトロビルバオのインダウチュ駅西口のガラスのドーム状出入口 )

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( モユア広場には2つ、3つとガラス芋虫がある)

モユア駅の改札へ向かう通路の壁に、メトロビルバオ・デザインの生みの親フォスター氏のサインをレリーフにしたものが貼ってあります。写真撮るのを忘れました。


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( ガラス芋虫を下から見上げた状態 )

ビルバオのメトロは1995年に部分開業しました。20数年経っても、手入れがよく、ガラスは光輝き、エスカレーターにも傷や落書きがありません。潔癖でクソ真面目なバスク気質を感じます。だからこそ、「アートで都市を再生する」という、破天荒な方針でビルバオを変えた、当局の柔らか頭と実行力に、ただ、ひたすら敬意をささげるばかりです。
人のご縁がなく、ビジネスや観光で短期滞在した人に対しても、もう一度じっくり見たい、住んでもいいかな、と思わせる都市の魅力を創り出したのですから、ものすごいことです。

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( 暗闇に輝くメトロ出入口。サントゥルツィ駅 )

地下駅の構内は、一つか二つの例外を除いて、ほぼ、同じデザインです。駅名標を隠せば、どの駅か分からなくなると思います。もちろん、バリア・フリーもばっちり。全駅のホームの端にエレベーターが設置してあります。駅のトンネルは、天井が高く圧迫感がありません。

この造りは、大阪市営地下鉄の御堂筋線、梅田駅などと同じです。昭和初期の大阪と、20世紀末のビルバオには、幸運にも、将来にわたり市民が誇れるものを作ろうという志を持った指導者がいたようです。

ただ、21世紀スタイルのメトロを目指したのにもかかわらず、ホームドアがないのは、何か理由があるのでしょうか。分かりません。

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( 駅の構造も、地下区間は、ほとんどそっくり )

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( 統一デザインのホームの様子と電車 )

2017年4月に、ビルバオメトロの3号線が開通しました。この系統は、1、2号線とは違って、ウスコトレン:Euskotren という別会社の経営です。案内標識や運賃体系は統一していますが、駅のデザインは既存のものと異なります。色使いも青が主体です。利用方法は、既存の路線と変わりませんので、戸惑うことはありません。

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( 駅名標や、案内掲示も統一デザイン。インダウチュ駅 )

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( 新規開業の3号線でも、駅の案内は色違いの統一デザイン。サスピカレアク / カスコ・ビエホ駅 )

メトロの駅の出入口は、すべてガラス芋虫スタイルではありません。ざっと見て、半分くらいかな、という感じです。下は、アバンド駅北側のメトロ出入口ですが、ガラス芋虫スタイルでも良さような場所なのに、平凡な階段むき出し型です。何か訳ありなのでしょうか、と思わず考えてしまいました。


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( ガラス芋虫ではないメトロ出入口。アバンド駅東南出口 )

メトロの地上区間の駅も、もちろんフォスター氏の設計ですが、地下駅とデザインは少し異なります。それでも、とてもすっきりしていて、陽光が入る明るい空間です。ビルバオは雨が多いのですが、ホーム屋根は少ししかありません。これで、改善要望は出ないのかな、と思ってしまいました。

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( メトロ地上区間の駅の様子。地下駅のデザインに似せてある。エチェバリ駅 )

ビルバオ地下鉄は、きれい、美しい、安い、待たない、安全安心、です。街角アートのひとつですが、実用的な交通手段ですので、どんどん利用しました。

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ウスケラ ウスカラ バスク語

 1) バスク州の二つの公用語

スペインのバスク州と周辺一帯は、普通の日本人が思い浮かべるスペインのイメージから、かなり離れた地域です。

緑いっぱいの景色、総じて涼しい夏、生真面目な人々、時間に正確、清潔な市街、良い治安などなど。「あっと驚くスペイン」が展開します。私も、日本のどこかにいるような気分になって、よおく眠れています。

バスク州には、公用語が二つあります。

一つ目は、ウスケラという、ご当地固有の言葉。バスク語と訳されています。
二つ目が、日本人が普通に思うスペイン語。ご当地では、しばしばカステヤーノと呼びます。


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 (ビルバオの街路表示。上がスペイン語、下がウスケラ)

私は、言語学者ではないし、バスク研究家や在住者でもありません。けれども、直感的には分かります。

「ウスケラあってのバスク文化、バスクの生活なんだな」

友人、知人たちは、いわゆるスペイン系ですが、ウスケラもきちんと習います。自分たちの文化のルーツを感じ、暮らしの奥底に流れているバスクの誇りを、そっと確かめるためかも知れません。語学が苦手な人も、バスク流の暮らしに誇りを持っていることに変わりはないと思います。

このあたりは、ウスケラを話すバスク人と、カステヤーノを話すバスク人がいっしょに暮らしている場所だというのが、私の感想です。


2) ウスケラ、ウスカラ

ご当地では、いわゆるバスク語を、” Euskera ”、または”  Euskara ”と呼びならわしています。

綴りを見ると、”「エ」ウスケラ”、あるいは ”「エ」ウスカラ”、と発音するのかな、と思うでしょう。
実際の発音は、ウスケラ、ウスカラ、に限りなく近く聞こえます。強いて言うと、「エ」の音を声に出さないで、(エ)ウスケラとか 、(エ)ウスカラ と言うと良いのかも知れません。

ステレオタイプのイメージのスペイン人は、”ス”の発音が苦手なことになっているので、「ウ”シュ”ケラ」と言うらしいです。

また、「ウスケラ、ウスカラ、どっちなの?」という人もいるでしょう。

物の本などを見ると、”ウスケラ”が、スペイン語風の言い方で、”ウスカラ”は、いわゆるバスクの言葉風のようです。私は、従前の習慣で、「ウスケラ」と言っています。

現地は、混沌状態です。まず、バスクの魂の中心、ゲルニカ議事堂にある案内表示からして、二者混同です。

パンフレット入れには、「Euskera」と書いてありますが、パンフレットそのものには「Euskara」と印刷されています。思わず、苦笑してしまいます。
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( ゲルニカ議事堂の言語別パンフレット入れの「Euskera」 )

バスク議事堂入場パンフレット ウスケラ(ウスカラ)版2017
(ゲルニカ議事堂のパンフレットは、 Euskara 表記 )

メトロビルバオのウェブサイトの言語表記は、「Euskera」です。
ドノスティア(サン・セバスチャン)観光案内の言語表記は、「Euskara」です。

もしかしたら、本当は、”にほん”と、”にっぽん” みたいな関係なのかも知れません。
いずれにせよ、こだわり過ぎて血をみるような真似だけは、絶対に反対です。


3)ウスケラを見つけよう

多くの方々が言うとおり、ウスケラは、バスク州と周辺一帯でしか聞けない言葉です。私の耳で聞くと、ドイツ語を軽くしたような音感ですが、ドイツ語とは全く別物です。

日本人観光客は、バスクに来ると、”食う、見る、バルをはしごする”に夢中になります。けれども、たまにはホテルや街中の標識に目をこらしたり、地元の人たちのおしゃべりに耳を澄ましましょう。田舎になればなるほど、ウスケラが聞こえてくるチャンスが広がります。

TX、Z、K などがいっぱい入っている文章や表記は、ほぼ間違いなくウスケラです。


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(ベルメオ市の案内板。文字は、ウスケラしかない )

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( ビルバオの市内バス停。ウスケラとスペイン語の両方を見るチャンス)


スペイン側のバスクには、あまりお土産品がありません。その代わりに、超モダンなアートに度肝を抜かれ、料理を味わい、風景に心をいやし、ウスケラの響きを聞いて、忘れ得ぬ思い出にしたいものです。

一般論として、孤立的な言語というくくりでは、ウスケラも日本語も同格です。ですから、日本語も、日本でしか聞くことができません。けれども、日本は、人口1億3000万人で、世界中に旅行者やビジネスマンが群れています。結構、日本語を聞くチャンスはあります。

その一方、バスク州の人口は200万人強で、ウスケラを日常話している人は60万人くらいと言われています。ウスケラのヒアリング体験は、とっても貴重です。


4)ウスケラを話す

生半可な日本の知識人が、ウスケラのことを、「バスク語は難解」、「悪魔でも覚えられない言語」だと紹介しています。完全に、スペイン語目線、英語目線の考え方です。

心を安らかにして、余計なことを考えずに繰り返してみてください。


おはようございます=== エグン・オン

こんちわーー    === カイショー

ありがとう      === エスケリーク・アスコ

さよなら、またね  === アグル


ほら、何のわだかまりもなく、頭に入ったことと思います。
これだけ言えれば、バルやお土産屋さんで、旅行者は尊敬の目で見られます。

日本語からすれば、英語もスペイン語もウスケラも、いずれ劣らぬチンプンカンプンな外国語なのです。あとは、やる気の問題です。英語やスペイン語、フランス語などは、何だかんだと言っても、似ている部分が多いのです。その延長でウスケラを覚えようとすると歯が立ちません。それで、”悪魔論”になります。

「スペイン人、イギリス人のみなさあん。ウスケラを勉強しますか?それとも日本語を勉強しますか?」
「・・・・・・・」(し~~~~ん)
なのです。


5) ウスケラの地名

観光客が一番、目にしやすいウスケラは、高速道路や鉄道の地名、観光ポイントの看板だと思います。

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(ドノスティアのモタ城跡の二言語表記。左ウスケラ、右カステヤーノ)

二言語が、はっきり分かれて書いてある場合は、問題なく区別できます。

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 (ビルバオ空港から都心へ向かう高速道路の地名表示)

両者が、ごちゃまぜ気味に書いてあると、動揺します。交通標識を見てみました。現代のバスクでは、二言語の合成地名がけっこうあります。

地名が / (スラッシュ) 区切りのときは、ウスケラとスペイン語のどちらかを選べます。 - (ハイフン) で結んであるときは、一語の地名です。

ウスケラ名の”Bilbo:ビルボ”と、スペイン語名の”Bilbao:ビルバオ”は、お好みで選んでいい、ということです。
けれども、 ”Vitoria-Gasteiz:ビトリア-ガステイス”は、一語です、という意味です。

難問が、”Donostia-San Sebastian: ドノスティア-サン・セバスチャン”。私も、てっきり一語だと思っていましたが、これが、間違い。ビルバオ付近の道路標識が昔のままです。

2017年秋現在、ドノスティアが正式名称ですが、「サン・セバスチャンも正規に使ってよい」いう状態に変わったとのこと。合成の市名が、あまりに長すぎて各所で不便だったのかも知れません。バスクに敬意を表して、名は”ドノスティア”を取り、実で”サン・セバスチャン”を観光PRブランドみたいなものとして認知したのかも知れません。

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(ドノスティア港の正式表記。スペイン語でも「Donostia」と記載)

写真のように、公共施設における市名表記は、どちらの言葉を使おうが”Donostia:ドノスティア"。決して”San Sebastian"ではないのです。

観光客には、そんな細かいことを要求しませんから、ご安心ください。また、たいていの地名は、両言語共通の一語です。Gernika:ゲルニカ、 Getxo:ゲチョ、などです。

私は、いつもウスケラを観察するようにしていました。そして、言語問題に対するバスク人どうしの気遣いや、試行錯誤を、心に留めながら、旅をしました。














ビルバオの歓び  その4 ビルバオ・ルネサンス

ビルバオの歓び

その4 ビルバオ・ルネサンス


1) ビルバオ中心部歩き

どうして、わざわざ街歩きなどをするのでしょう。

いまでは、グーグルマップなどを使えば、居ながらにして名所旧跡から住宅街まで眺めることができます。単に、外観や名前を知りたいだけならば、それで十分です。由来を知りたければ、専門書やネット記事を孫引きすればいいのです。だからこそ、お金と時間をかけて、実地体験をするときは、街の香り、道行く人たちとの瞬時の交流が、いままで以上に貴重な体験となると感じています。
その体験を、自身の心にしみ込ませ、同時に、多くの方にも伝えることができれば、と思います。

ビルバオの中心部には、面白い建物やオブジェが散らばっています。最近20年間の都市再生プロジェクトが成功し、都心部もみちがえるようになりました。磨きがかかって輝くような建物も多くなりました。適当に歩いていても、ビルバオの力強さや未来を信じる明るさにぶつかります。わずかな例外を除けば、治安は日本と同じように良いです。
ゆるやかな坂道に沿って歩いているうちに、ビルバオの街並みが、心の中に溶け込んできました。

私は、中心部を西から東にかけて歩いて横断します。



サン・マメスのバスターミナル付近からインダウチュ地区をとおり、アバンド地区の中心モユア広場を横切り、グランヴィアに出て国鉄アバンド駅あたりまで行きます。ずんずん歩けば1時間くらいの距離ですが、カフェやバルに入ったり、品の良いお店に入ったりして、自分なりに2017年のビルバオ体験をしたいものです。

( San Mame*s ---    Indautxu  ---   Plaza  Moyua  ---  Gran Vi*a  ---  Estacio*n de Abando, RENFE )
 (*: アクセント記号がある字)

2)サン・マメスとUPV

ビルバオに高速バスで来る人が最初に降り立つのが、サン・マメス:San Mames のバスターミナルです。空港バスの起終点でもあります。メトロ、RENFEおよびトランヴィアのサン・マメス駅と地下通路を介してつながっている公共交通機関の一大ターミナルです。

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( サン・マメスのバス・ターミナル。まだ、一部工事中。2017年9月 )

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( メトロとRENFEのサン・マメス駅入口 )

バス・ターミナルから地下道伝いに各線の駅に行けますが、トランヴィアの駅だけは地上に出なければなりません。

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( トランヴィアのサン・マメス駅とバスク州立大学工学部校舎 )

線路をまたいでいるガラスの建物は、バスク州立大学工学部校舎です。
白い看板に、UPV、EHU の文字が書いてあります。
UPVは、スペイン語の ”Universidad del Pai*s Vasco ”の略です。  EHUは、ウスケラの ” Euskal Herriko Unibertsitatea  ”の略です。バスク州立大学は、大規模な総合大学です。ビルバオを中心に、ドノスティアやビトリア・ガステイスにもキャンパスを有しています。

工学部をくぐった先は、高速道路に直結する大きな交差点です。郊外にある大学本部までの直行バスが、昼間20分おきに出ています。およそ20分かかります。

バスク州立大学の様子は、観光案内では絶対に登場しないので、寄り道して紹介したくなります。

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 ( UPV:バスク州立大学本部付近。前方は医学部、右隅は管理棟 )

198709Euskadi大学内バス発着場所
( 1987年頃の、ほぼ同じ場所。建物は20世紀スタイル )

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 ( バスク州立大学構内。左は管理棟、右は生協、学食など、奥は文系の学部棟 )

こういう場所にシニアがやって来て、若い男女がにこにこしているのを見ると、我が子の成長した姿に重なって微笑ましい気持ちになります。「このクソじじい」、と思っているヤツも街中にはいそうですが、大学では稀でしょう。

3) eitbとスタジアム

再びサン・マメスに帰ります。大学発の直行バスを降りた場所にそびえるガラス張の青黒い曲面ビルは、eitb:バスクテレビ本社です。石造りの玄関左に、eitbのロゴがあります。

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 ( eitb:バスクテレビ本社 )

玄関上に並んだ顔写真は、人気ドラマの出演者たちです。若いカップルと親子間のごたごたや家族愛がテーマだと聞きました。どこかの国の、「渡る世間は鬼ばかり」みたいな感じの番組です。

バスクテレビでは、ウスケラとスペイン語のチャンネルが、1つか2つずつあります。話に聞いたところによりますと、日本のアニメもときどきやっているとか。ドラえもんも、こちらではウスケラをしゃべっていたようです。
「すごいぞ、ドラえもん!。バスクの子供たちの心をワシづかみにしてくれ!」です。

eitbのそばにあるのが、白くて巨大なドーナツ状の建物のサン・マメス・スタジアム。名門サッカーチーム、アスレチック・ビルバオ:Athletic Bilbao の本拠地です。

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( サン・マメス・スタジアム。地上階の左の赤枠が公式グッズショップ入口)

サッカーファンの旅行記を読みますと、はるばるやって来る日本人も少なからずいるようです。ビルバオを応援しに来るのでしょうか、それともアウェイのチームにくっついて来るのでしょうか。いずれにしても、試合の前後には、街歩きとピンチョスなどを存分に楽しむよう祈っています。

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( スタジアム内の公式グッズショップ )

公式グッズの店は、市内に数店舗があり、中心部では、アラメダ・レカルデ44番地:Alameda Rekalde 44、 にあります。時間の押している方で、実物を手に取ってショッピングを楽しみたい方は、ここが一番便利です。

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( アラメダ・レカルデ44番地の公式グッズショップ )


4) メトロのガラスドームに驚く

サン・マメス・スタジアムを背にして、モユア広場へ向けて東へ歩みます。
トランヴィアの走っている大通りは、サビーノ・アラナ大路:Avenida Sabino Arana。晴れの日は、そよそよと風に揺れる木々と、道の向こうに顔を出している緑の丘陵が、すがすがしい雰囲気を作り出しています。とても近代的な街路です。こういうところも好きです。

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( サビーノ・アラナ大路 )

大路の突当りに横向きに建っているのは、マリア像です。まわりは、大きな周回式交差点、 スペイン語でいうロトンダ:Rotonda になっています。サグラド・コラソン広場:Plaza Sagrado Corazon、で、意訳すると”聖心広場”です。

サビーノ・アラナ大路を東に折れてウルキホ大通りに入ります。ふと、交差する通りに目をやると、かの有名なガラスドーム・デザインの地下鉄入口が見えました。イギリス人建築家ノーマン・フォスター:Norman Foster が全体デザインを手がけたメトロビルバオの駅出入口です。

「わおー、すごーい。これが、うわさのビルバオ地下鉄の出入口かあ」

初めて、これを目にすると、明るく叫びたくなるような感動を覚えます。誰かも言っているとおり、ガラスでできた芋虫です。

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( メトロのインダウチュ駅西口 )

私は、東京の日暮里に似たようなガラス製地下出入口があるのを思い出し、つい比較してしまいました。
ビルバオのガラス芋虫の方が、異質すぎるくらいのデザインと、ピカピカに磨かれたメンテの良さで、断然際立っています。陽光を浴びて、自信たっぷりに輝いています。これが、伸び盛りのビルバオを象徴するものの一つなんだな、と実感せざるを得ません。

「世界のトーキョー、もうちょっと思い切りよく飛躍しようよ」と、内心、叫びたくなりました。

1274日暮里駅いもむし型出入り口
( 東京の日暮里駅前の地下駐輪場出入口。かなり、くすんでいて、似て非なるものみたい )

次第にお洒落なお店や、バルが増えてくると、インダウチュ広場です。ここの地下鉄出入口は、地下駐車場への入口を転用したので、ガラス芋虫タイプではありません。

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 ( メトロのインダウチュ駅東口と、インダウチュ広場 )


5) 古き器に新しいカルチャー

広場を過ぎると、レンガ造りの大きな建物が現れます。

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( アスクーナ・セントロア南面 )

アスクーナ・セントロア:Azkuna Zentroa、別名アロンディガ:Alho*ndiga です。昔の穀物取引所兼ワイン倉庫を改造して、市民カルチャーセンターにしました。外観は、20世紀初頭の竣工当時の姿を保存していますが、内部は総入れ替え、屋上にテラスも追加しました。ヨーロッパには、こういう建物がけっこう多いです。

中に入り、ビルバオ市の心意気を見てみましょう。
大きなピロティの脇の2階から4階は、市立図書館と温水プール、映画館になっています。温水プールの底がガラスになっている部分があるので、上を見上げると、泳いでいる人がゆらゆら動いているのが見えます。
5階屋上は、現代風インテリアのオープンカフェとレストラン。カフェ人気がすざまじく、たくさんのカップルやグループがおしゃべりしながら午後のひとときを過ごしています。

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( アスクーナ・セントロア1階ピロティ。赤い照明は、実際はミラーボール状 )

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( アスクーナ・セントロア5階屋上カフェからの市街展望 )

このあたりから、観光客も思わず足を止める超ユニークデザインのビルが、あちらこちらに顔を出します。


6) ガラスと鏡のビルに唖然

アスクーナ・セントロアを出たところの広場に面して、長ーいカーブを描いているガラスのビルがあります。
バスク州政府合同庁舎で、公団公社のようなオフィスが、いくつも入っています。

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( アスクーナ・セントロアとバスク州政府合同庁舎 )

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( 西日を浴びて輝くバスク州政府合同庁舎 )

このビルの左を周りこんでモユア広場の方へ100メートルほど進むと、キラキラとした、異様としか言いようのない建築物が目に飛び込んできます。鏡張りの角砂糖を積み重ねたようなデザインです。
「何なんだ、これは・・・・」
「バスク州保健局ビルです」
「・・・・・・・・・」
「見るだけで、十分ですね。ここに転勤しても給料同じだし」


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( バスク州保健局ビル )

21世紀スタイルの文化商業都市を目指すならば、行政側も、これくらいやる覚悟が必要ですよ、という見本のようなビルです。これだから、最近のビルバオは人気が上がる一方なのだと思います。

観光客は、しばし唖然と見ていますが、市民たちは何事もなかった顔をして通り過ぎていきます。
近くには、ガラス張りに近いビルが、いくつか目に入りますが、もう何も感じません。ちょっとくらい奇抜な外観のビルを建てても、不感症になっているので、「あっ、そう」で終わりです。


7) ビルバオのへそ、モユア広場

どんどん進んで、ビルバオ都心部のヘソであるモユア広場:Plaza Moyua に到着です。

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( ビルバオ都心部のへそ、モユア広場。正面はチャバリ宮ビル )
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( 1986年のモユア広場。 ビルそのものは、ほとんど同じ )

楕円形の大きな広場です。内側は公園。広場を取り巻くように、高級ホテル、銀行、官庁などが立ち並んでいます。王宮か大貴族の館のように見えるビルは、チャバリ宮:Palacio Chavarri  です。20世紀初めのビルで、いまは、スペイン軍関係の政府庁舎です。入れません。

「壁がきれいになって、華やかさは増したものの、30年前とおんなじ感じだなあ」と、感慨ひとしおです。

モユア広場には、地下鉄の入口が数カ所あり、どれもガラス芋虫スタイルなので、”これぞ、現代版ビルバオ”、という光景が広がります。観光に来た甲斐がある場所です。
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( モユア広場東側の地下鉄出入口 )

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( ガラスドーム型のメトロ出入口を見上げた光景 )

モユア広場を貫通して東西に走っているのが、グランヴィア:Gran Vi*a というビルバオ都心部の目抜き通りです。格式の高い雰囲気を持ったビルが並んでいます。大きな街路樹が並んでいるので、森の散歩道みたいな場面もあります。
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( グランヴィアの並木。 銀色の壁はエル・コルテ・イングレス・デパート )

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( ビスカヤ県庁旧庁舎。奥の海老茶色が入った建物がBBVAタワー )

さきほど目にしたチャバリ宮と雰囲気が似たビルが見えてきます。ビスカヤ県の旧庁舎です。いまは、儀式用に使われているだけですが、20世紀初頭の街の繁栄ぶりをアピールしているかのような、重厚で凝った造りです。

さらに並木を歩くと、右手にステンレス壁のデパート、エル・コルテ・イングレス:El Corte Ingre*s の建物が見えてきます。
外観は、ずうっと同じだったようです。変わらないビルバオに出会って、何だかほっとしました。
教会前の道は、先ほど通ってきたウルキホ大通り:Arameda Urquijo  の続きです。おしゃれな店が並んでいます。お土産屋さんはありませんが、品のよいブティックや食料品店、バルなどがあります。ビルバオで一番、優雅に買い物できる地区のひとつです。
私も、この一帯でお買い物をします。


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( エル・コルテ・イングレス・デパート。建物外観は30年変わらず )

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( エル・コルテ・イングレス・デパート、1986年。奥の教会の塔があった頃 )

グランヴィアの東の終端は、オベリスクが建っている丸い小さな広場です。ピリビラ広場:Plaza Biribila。スペイン語名は、シルクーラ広場 Plaza Circular  です。旧名は、エスパーニャ広場でした。ご想像のとおり、マドリードにちなむ名前は、公の場では好かれていないようです。

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( ビリビラ広場のいま 2017年9月 )

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( 1987年当時はエスパーニャ広場。あまり変わらず )

このあたりは、銀行や保険会社が軒を連ねています。昔の写真に写っていた、BCの看板が見えるバンコ・セントラルは、スペイン中央部あたりが本拠の会社でしたが、とうの昔に事実上つぶれました。建物はそのままですが、いまは、他の会社の事務所です。

広場の反対側にわたって南の方を向きました。BBVAタワーとアバンド駅が並んで見えます。
BBVAは、現在、スペイン最大最強の銀行です。この本店タワーは、1980年代から変わらない姿で、そびえています。ビルバオ経済、バスク経済の底力を感じます。

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( ランドマークのひとつBBVAタワー。手前はメトロのアバンド駅出入口)

BBVAタワーの向かいにあるスペイン国鉄レンフェ:RENFE のアバンド駅も重厚な建物です。ゆるやかな坂の斜面にある、長距離列車用に作られた大きな駅で1番線から8番線まであります。2017年9月現在、リニューアル工事中で、駅舎全体にネットがかかっていました。

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( ビリビラ広場から国鉄アバンド駅(補修中)とBBVAタワーを見る )

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( RENFEアバンド駅舎。1987年 )

この駅も、いつの間にか改称されて、アバンド・インダレチオ・プリエト駅:Estacio*n Abando Indalecio  Prietoと言います。正直、長い名前は覚えづらいです。

ビリビラ広場のアバンド駅寄りのビルの1階には観光案内所がありますので、このあたりを歩いた方は多いと思います。日本人だと、旅先で、何となく駅にすり寄る傾向もありますね。私もです。

ここで一区切り。近くのバルに足を向けて一休みします。


  その4  了

ビルバオの歓び その3 うきうきのスビスリ

ビルバオの歓び

その3  うきうきのスビスリを渡って

グッゲンハイム美術館を出たあとは、自分の気分に従って歩き回ります。

私は、ビルバオのエッセンスは、旧市街より新市街のクリエイティブな雰囲気だと思っています。ビルバオの活力と未来を感じるからです。

まず、流れをさかのぼるように東に向かって歩きます。多くの市民も、ネルビオン川沿いに行ったりきたりしています。5分ほどで、楽器のハープを横に寝かせて白く塗ったよなうな橋が見えてきます。

スビスリ:Zubizuri という名前の歩行者専用橋で、ビルバオ観光の名所のひとつです。ウスケラの地名で、意味は” 白い橋 ”。 ”スビスリ橋 ”と書くと、” 白橋の橋 ”と言っていることになるので、変ですね。

「Zubi」は”橋”という意味なので、気をつけて他の地名を見てみると、あちらこちらに”Zubi”、とか”Zubia" の文字があります。日本語でも、”・・・はし”、”・・・ばし”とか変化しますので、ウスケラも同じようなのかと思いました。

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( スビスリをやや遠目に見る。手前がグッゲンハイム側 )

スビスリは、橋そのものが曲線を描いています。歩いている面も、ガラスの床です。敷物のようなものが置いてあるので、すべりません。
私は観光客なので、なんだか、うきうきしながら渡ります。その横を、地元の人は無表情で行き来しています。けれども、来客があれば、いっしょにやってきて、「ほら、変わった形の橋でしょ」と、言って、にこにこしながら渡るんだと思います。

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( スビスリ橋上。欄干はさわれない )

スビスリを渡り切って、後ろを振り返ると、トーレス・イソザキ:Torres Isozaki、とか、イソザキ・アテナ と呼んでいるツインビルと広場が見えます。日本人建築家の磯崎新(イソザキ・アラタ)氏設計のビルです。とても、真面目な印象です。もっともっと、ユニークなデザインに挑戦してほしかったです。スビスリと、ひねり方が逆になっている、お菓子の白いチュロスのようなデザインのタワービルとかは、いかがでしょうか。

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 ( スビスリと、その先のトーレス・イソザキ )

このツインビル付近は、丘の斜面になっているので、スビスリからは、階段を上下することなく進んでいけます。
歩行者にやさしいバリア・フリーですが、スビスリの設計者である 建築家サンチアゴ・カラトラバ氏にとってはカチンと来たようです。ビルバオ市当局に対して、”橋の姿を勝手にいじった”、と意匠権侵害のクレーム。すったもんだのあと、解決金を支払うことで事を収めたというニュースを聞いたことがあります。

ユニークなデザインを追うと、トラブルもユニークになり、たいへん勉強になります。デザイナーも、当局も、ガチンコで自己主張をしないと、本当にクリエイティブなものはできません。

ビルバオ新市街のユニークすぎるビルやオブジェが、東京や大阪などの建築物に比べて何となく凛としているのは、このような真剣勝負を勝ち抜いた力強い作品だからなのかなあ、と感じます。

話は飛びますが、ビルバオには、サンチアゴ・カラトラバ設計の建物が、もうひとつあります。
ロイウ:Loiu にあるビルバオ空港です。
まっ白なつくり、流れるような曲線、垂直方向を強調するデザインが、スビスリと共通です。鳥のくちばしのような姿が、いつまでも記憶に残ります。

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 ( 南側よりビルバオ空港本館ビルを俯瞰 )

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 ( ビルバオ空港旅客出入口付近の構造 )

バスク旅行をする、多くの日本人旅行者が、ここのお世話になります。日本との接続便の到着、出発時刻が深夜、早朝になりがちなので、じっくり見る機会が少ないです。ほんの1、2分でよいので、ホールの天井を見上げて、独特の造りを見てほしいです。盲点の観光ポイントかも知れません。

スビスリを抜けて、さらに上流へ進みます。川は、右に大きくカーブしますが、その外側に建っているのがビルバオ市役所:Ayutamente Bilbao です。左右対称の薄いベージュ色の建物は、こじんまりとした感じで、対岸に広がる新市街と向かい合っています。


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 ( ビルバオ市役所正面 )

市役所前をとおり過ぎると、前方にアーレナル橋が見えてきます。右の新市街と左の旧市街入口をつなぐ橋です。橋の左手奥に威風堂々と鎮座するのは、アリアーガ劇場:Teatro Arriaga です。1905年竣工の現役の劇場です。パリのオペラ座を手本に造ったそうですが、じーっと見ていると、雰囲気が似ているのが分かります。

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( アーレナル橋。緑青屋根の建物がアリアーガ劇場 )

このあたりも、とてもさわやかな場所になったと、私は、かつての光景を思い出しながら歩いていました。

 ( ビルバオ市役所を望む。上1986年、下2017年 )
198609ビルバオネルビオン川沿いの風景
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30年前、このあたりは、小さな波止場や駐車場、線路が並ぶ港湾地帯でした。ネルビオン川は、どす黒い水で染まっていました。昔ながらの重工業都市の末期を見ている光景でした。
浄化作戦の結果、今や、川面は青みがかった色になり、両岸は木立の緑が目にやさしい遊歩道になりました。

それだけ、私も年を重ねました。嬉しくもあり、寂しくもある光景です。

折返して、さきほどのトーレス・イソザキまで戻ります。
磯崎新 氏の作品を、もう一度見ながら、アバンド中心部に向かいます。

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( スビスリと、トーレス・イソザキのツインタワー全景 )

ツインタワーの間をくぐり抜けたところで、振り返って、もういちどスビスリを目に焼き付けます。そして、川岸より一段高くなった台地の上に広がるアバンド地区に歩いて行きます。

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( トーレス・イソザキの都心側の丘からスビスリと対岸を見る )

アバンド一帯は、ビルバオ市内随一の高級住宅街です。新しいマンションもあれば、築100年前後の伝統的バスクスタイルのマンションもあります。ざっくり言って、1戸40万ユーロから100万ユーロくらいのようです。

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( 伝統的バスクスタイルのマンション。20世紀初頭の建築 )
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( クラシカルな高級マンションが整然と並ぶエンサンチェ広場 )

ビルバオやバスク一帯は、雨が多いので、バルコニーにガラスをはめ、フレーム部を濃い緑色か、こげ茶色に塗ったマンションが、ご当地特有の景観を醸し出しています。ビルバオに来て、街中を歩いているときに感じる、バスク特有の異国情緒は、おそらく、このデザインが原因です。

建物そのものも重厚な造りで、高さや基本デザインがそろっている地区が多いです。また、手入れが良く、壁のキズや、はがれ、落書きなどがないので、高級感あふれる景観です。、維持費が高いので、普通の会社員くらいでは住みにくいそうです。

もちろん、路地裏にいたるまでビルバオ一帯の市街地では電線は一切ありません。空を無情に切り裂く光景や、クモの状のうっとうしい雰囲気にげんなりすることは、市内にいる限りありません。

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( 上品な雰囲気を醸し出すアルビア公園の朝 )

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( トーレス・イソザキが顔を出すアバンド地区の高級マンション街 )

アバンド地区にあるアルビア公園:Jardines Albia は、とてもお上品な緑地。南の縁には、有名なカフェやバルも並んでいます。気の向くままに通りを歩いていると、ひょっこりトーレス・イソザキが顔を出すこともあります。どの通りも整然としているためでしょう。全く異質な建築が、いっしょに目に入っても、そんなものかと受け入れてしまいます。

ネルビオン川の少し下流まで戻ります。

グッゲンハイム美術館を横目に見て、デウスト大学のそばの遊歩道に出ます。
デウスト大学は、この地域の名門私立大学です。左のガラス多用のビルが新館で図書館、右の赤い屋根と白壁の建物が本部です。授業のある期間は、わりとお洒落な学生が、観光客といっしょに二つのキャンパスを結ぶ橋を行き来しています。

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( グッゲンハイム美術館付近からデウスト大学を見る )

大学を通り過ぎると、2017年9月現在、ビルバオで一番高いビルのイベルドローラ・タワーのあたりに出ます。
近くで見ると、銀色に輝く大きな高層ビルです。イベルドローラ社は、電力やエネルギー供給事業を行なっているグローバルな会社で、事業は拡大の一途をたどっています。儲かっている会社なんだなあ、と納得してしまいました。

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( イベルドローラ・タワー・ビルと周辺の高級マンション )

タワーの下あたりは、ここ10年ばかりの間に次々とできた新築の高級マンション街です。少し余裕のある若い世代が似合いそうな街並みです。

マンション街の都心部寄りには、昔からあるビルバオ美術館が鎮座しています。内外ともにリニューアルされました。万人が想像するような展示内容です。変わり映えがしないとも言えますが、グッゲンハイム美術館の超現代アート振りにびっくりしてしまった気持ちを落ち着かせるために良い空間かも知れません。

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( ビルバオ美術館と、右の新築高級マンション群 )

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( 1986年ごろのビルバオ美術館。今より地味で古風 )

ビルバオ都心部の住宅街は、どこへ行っても落ち着きがあり、整然としています。伝統的バスクスタイルのマンションと21世紀タイプの新築マンションが共存できています。ガラス張り、奇妙な形のビルやオブジェも、当たり前のように目に入ります。法律さえ守れば何でもあり、という感じで作ったとは思えません。隣近所のビルを意識しながら、でも、自分はセンスあふれるユニークなビルを上手に建てるぞ、という意気込みを感じてしまいます。

これが、21世紀に再躍進中のビルバオが持つ魅力のような気がします。

                                                         その3 了





ビルバオの歓び  その2 パノラマビュー

ビルバオの歓び 

その2 移りゆくパノラマビュー

高台に登って、ビルバオのパノラマをしみじみと見つめます。

都心の北側に横たわっているアルチャンダの丘:Artxanda  の公園に来ました。アクセスは、ふもとからケーブルカー:Funicular  、バス、クルマ、急坂歩き、といろいろ選べます。

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 ( ケーブルカーのアルチャンダ山頂駅 )

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 ( アルチャンダ公園内の芝生 )

アルチャンダ公園内には、バリクカードのデザインに採用された指紋の彫刻があります。大きな緑地で、陽ざしのある週末の昼下がりはピクニック客でにぎわいます。

公園の展望台から眺めたビルバオ都心部です。あいにく、うす曇りで、すこし印象が暗いかも知れません。30余年の移り変わりを、少しづつ思い出しながら、街のランドマークを見つめました。

ビルバオは、すぐ近くまで山が迫っている都市であることが分かります。

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( アバンド地区全景。 右下がグッゲンハイム美術館とサルベコ・スビア)

真ん中の黒いペアのビルが、”イソザキ・タワー”。左に視線を移動し、白いビルのやや左奥、赤っぽい高層建築が、BBVAという銀行の本店タワーです。1980年代から変わらぬ姿を見せているランドマークのひとつで、とても懐かしいです。BBVAタワーの左下に、RENFEのアバンド駅がありますが、見えるか見えない状態です。
高層ビルの間に見える赤い屋根のビルは、おおむね7-8階建てで、高さがほぼそろっています。大半が、オフィスビルや高級マンションです。

視線を振ると、右下にグッゲンハイム美術館が見えます。

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( ビルバオ都心の西寄り )

灰色の丸い高層建築は、イベルドローラ・タワー。2017年9月現在、ビルバオで一番高いビルです。
「こんな超高層ビルもできたんだあ」と、驚いてしまいました。
その右後ろ、赤い屋根と黒い壁面の大きな建物が、” ウスカルドゥナ:Euskalduna ”です。州立の会議場兼大ホールです。白く平たい建物は、サン・マメス・スタディアム。名門サッカーチーム、アスレティック・ビルバオ:Athletic Bilbao  の本拠地です。

中央の流れはネルビオン川:Nervion。ビルバオ川ということもあります。

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( 港湾設備と工場が林立していた1986年のネルビオン川風景 )

1980年代まで、川沿いに連なっていた港湾設備、造船所、鉄工所などは、ほとんど姿を消しました。グッゲンハイム美術館や緑地、中層マンションになって、21世紀のビルバオを代表する街並みとなりました。
往時をしのぶために、クレーンや埠頭の一部が保存されていて、公園化されています。
感慨もひとしおです。

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 ( モニュメントのクレーン。後方はサン・マメス・スタディアム)

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( 埠頭跡地の遊歩道。後方が下流。奥の右岸の更地が再開発予定地)


いま、市当局が取り掛かり始めたプロジェクトは、川の右岸にある工場跡地の再開発です。本流から分かれた運河を生かして中洲をつくり、そこにユニークなデザインのマンションを作るのだそうです。

基本プランは、イラク出身のイギリス人建築家、故ザハ・ハディッド氏のデザイン。2020年東京オリンピックの国立競技場設計コンペの初代当選者です。大屋根が宙返りしているようなユニークなデザインを覚えている方も多いと思います。工事が難しく、見積額が倍々ゲームのように膨れ上がって政治問題となり、結局、流れてしまったことは記憶に新しいです。

ビルバオ市も、故ザハ・ハディッド氏のデザインが高くつくことは承知のうえで、それなりの皮算用をして再開発を進めるようです。
ユニークだけれども、心地良さそうな街並みができる予感がします。それが、話題を呼び、さらに街に活気が出る様子を、私も、是非、見たいです。



ビルバオの歓び  その1 グッゲンハイム見ずして

ビルバオの歓び   2017年9月

その1  グッゲンハイム見ずしてビルバオ観光なし

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 (グッゲンハイム美術館正面と下をくぐるトランヴィア)


いまや、グッゲンハイム・ビルバオ・美術館:Guggenheim Bilbao Museoa " は、ビルバオ観光の目玉。そして、ビルバオの顔であり、ビルバオ再生のシンボルです。

ご当地での発音は、「グッグアイム」 (グッグアイム)。市電のトランヴィアの案内放送でも、同じ発音が聞こえます。

ポーーン ”グッグアイム” (案内放送)
(観光客動ぜず)
「あんたがた、美術館に行くんじゃないの?ここだよ!」
「えっ!」(ダッシュで飛び降り)
(窓越しに手を振って、おばさんに「ありがとさん」。内心で、「ああっ、危ないところだった」)

という風になります。

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(グッゲンハイムを背に走るトランヴィア。ちらりと、人が抜け出た形の彫刻が見える)

”美術館”の部分は、ウスケラの ”Museoa” が正式名称です。
いわゆるスペイン語では、おそらく、Museo Guggenheim Bilbao となるのでしょう。けれども、単にひとこと”グッグアイム”、と言えば分かるので、実生活では、なんら問題ありません。

グッグアイムは、1997年10月に開館しました。当初は、あまり注目度もなく、「けっこう奇抜な形の美術館ができたの」という感じで言われただけです。1999年にそばを通ったときも、ふんふんとうなづいて、数分眺めただけでした。

「あのとき、もっと、みんなにPRしていれば、今ごろは・・・・・・」と、後悔すること、しきり。観光客目線の悲しいところです。

グッゲンハイム美術館の最大の展示物は、美術館の建物そのものでしょう。アメリカ人建築家フランク・ゲーリー:Frank Gehly の作品です。”変な作風のおっさん”、と言われていたのが、これをきっかけに、大人気になったらしいです。

彼の才能を見破ったビルバオ市の先見の明に拍手喝采です。
「いやあ、候補作の中で、猛反対が多かったので、コンチクショーと思って採用したんです」、という、感じかも知れません。

多くの方が、グッゲンハイム美術館の周囲をひとめぐりし、お犬さまのパピーや屋外彫刻を遠目に見ただけで、それなりに満足されているのが、とっても新鮮です。

ビルバオにいるときは、朝な夕なに周りをうろつき、チタン合金でできたバラの花、あるいは船をイメージさせる百面相のような建物を、自己流で堪能していました。

評判によりますと、晴れの日の夕暮れ、西側のデウスト大学付近にかかる橋の上から見える姿が最高のようです。淡いオレンジ色に染まるグッゲンハイムと、背後のサルベコ・スビア(橋):Salbeko Zubia の真っ赤なアーチが脳裏に焼き付くようです。

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(グッゲンハイムとサルベコ・スビア。もう少し離れた場所から眺めるのがお薦めのようです)

私は、雨上がりの夕陽に照らされたグッゲンハイムを見るのが精一杯でした。曲面が、品よくうすいオレンジ色に輝いています。朝か夕方でないと、うまく輝きが出ないようです。

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(雨あがりの夕陽に映えるグッゲンハイムと犬のパピー)

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(朝のグッゲンハイム。橋といっしょに写真を撮ると逆光です)

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( デウスト大学前の橋。ここに行って夕陽の写真を撮りましょう )

ビルバオは、雨が多いので、是非、晴れ女、晴れ男になって、評判の姿を目にしてください。

美術館入口は、そばを流れているネルビオン川の反対側にあります。2017年9月時点での入場料は、大人1名10ユーロでした。小さなバッグ以外は、すべてクロークに預けて入館します。

Guggenheim のパンフレットと見取図
(グッゲンハイム・ビルバオのパンフレット表紙と館内図)


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(グッゲンハイム・ビルバオ美術館正面口)

室内展示品は、超モダンアートの絵や彫刻、映像です。アバン・ギャルドなものがいっぱいあります。具体的な作品名は、ほとんど知られていません。いまのところ、パピーや屋外彫刻ばかりが有名になっています。

室内展示品は撮影厳禁です。ホールなどの構造物の撮影はOKです。インテリアの一部みたいな作品もあり、係員が写真を撮らないよう注意していました。

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(グッゲンハイム内部。ガラスと中空の渡り廊下がいっぱい)

内部は、ガラスをたくさん使い、自然光がいっぱい入るようになっています。花びら状の建物なので、展示室を移動するときは、宙に浮いたような渡り廊下を伝わって移動します。

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(朝の陽差しに輝くチタン合金の曲面。後ろにサルベコ・スビアが見え隠れ)

私の感想です。
「抽象画は、胸に直接飛び込んでくる響きのある作品があり、けっこういけます。映像作品は、どこかで見たようなスピリチャルの修行場面みたいのが多く、あんまり独創性がありません」
「うーーん、霊感でハイになって寺で修行中とか、服を着ないでヨガをやっている感じかな」

当日は、フランス人がいっぱいいたのですが、あまりのモダンアートぶりに圧倒されたようです。入場前のおしゃべりはどこへやら。静かに作品を鑑賞していました。

室内の作品を見終えてから、屋外の作品を見ます。
見逃してはならないのが、有名な、”チューリップ”です。外から見ると、遠目になりますので、館内にいるうちに近寄って見ます。さわれません。

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 (チューリップ:アメリカ人ジェフ・クーンズ作。Tulip, Jeff Koons )


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(チューリップの展示と背後のビルバオ市街)

チューリップは、ネルビオン川沿いに張り出したテラスの上にあります。

館内から出ましょう。玄関前に鎮座しているのが、花で作った犬のパピーです。
パピー:Puppy、はご当地の音で”プピー”。チューリップと同じジェフ・クーンズ作です。

パピーは、かなり大きく、怪獣のような量感です。両目の上に金属の角が生えていますが、スプリンクラーです。花の維持が大変なようで、ところどころに枯れかかった株がありました。次の植え替え時期はいつでしょうか。

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 (花で作った犬のパピー)

パピーは当初、客寄せのための期間限定展示だったそうです。人気が沸騰したので、いつの間にか常設展示になりました。

この犬は、美術館にケツ、いや、お尻を向けています。

「パピーは、どこを見ているんですか? 目線の先にペアになる像や建物があるの?」
「えっ? 知らない。どこも見てないと思う」
「ふうーん、じゃあ、ビルバオの未来でも見ているのかなあ」
「そう言われてもねえ・・・・・・」


続いて、ネルビオン川沿いに降りて屋外彫刻を見ます。

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(グッゲンハイム館外から見た夕暮れの Tall Tree and the Eye )

チューリップの花びらの手前にある ”高い木と目玉:Tall Tree and the Eye” です。インド人のアーニッシュ・カプーア:Arnish Kapoor 作です。銀色の玉に映る景色にも目をこらしましょう。

周囲の池にも展示作品があります。ナカヤ・フジコ(中谷芙二子)作の”霧の彫刻:Fog Sclupture)で、時間を決めて、霧吹きショーがあります。
夜の光のショーをする作品もあるようですが、見落としました。

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( Tall Tree and the Eye と池。背景はデウスト大学本部 )

池を過ぎて、サルベコ・スビア寄りに向かうと、蜘蛛の彫刻ママン:Mamanが、足を広げています。アメリカ人ルイーズ・ブルジョア:Louise Bourgeois 作です。

ママンを見て平気な人もいれば、「キモー」となる人もいるようです。思わず殺虫剤をかけたくなるのでしょうか。
「見る人に深い印象を与える」という意味では、作者のテーマ選びは成功です。

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(ママン:Maman)

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(ママンと、左グッゲンハイム美術館、奥デウスト大学本部)

ママンの下を抜けると、サルベコ・スビアの下をくぐり、トランヴィアの線路沿いに出ます。巨大な板チョコを人の通った形にくり抜いたような彫刻と、逃げる人間像が置いてあります。

近くにはアイスクリーム・スタンドもあるので、日中の暑いときは、ついつい足が向いてしまいます。

グッゲンハイム美術館と一体化した景観を構成しているサルベコ・スビアを、うまく写真に撮るのは、ちょっと大変です。徒歩で橋の歩道に出て、少し移動するのが王道です。空港と市内を結ぶバスが、ここを通るので、前の席から1枚撮ることもできます。チャンスを狙っていないと、失敗します。クルマでも、駐停車禁止場所なので撮影は大変です。

昔、横浜のベイブリッジができたとき、夜景見物のため橋の上でクルマが徐行するので大渋滞になりました。同じ感覚の場所ですが、交通マナーはきちんと守りましょう。


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(サルベコ・スビアの赤いアーチと、右のグッグアイム )

とにかく、グッゲンハイム美術館詣ができたので、気分もすっきりです。

ビルバオ観光客としての最低限のノルマをクリアーです。



























ETAの悲しみを乗り越えて

ETAの悲しみを乗り越えて  2017年9月

1)バスクの陰とETA

2017年のいま、バスクは静かに美しく輝いています。

その輝きに重みを添えているのが、バスク現代史の苦悩だと思います。政治の犠牲者を弔う気持ちが、バスクの陰となって、この土地の雰囲気に荘重さを添えているような気持ちがしています。

バスクは、1939年から1975年まで、フランコ総統の政治体制下で苦難の歴史を体験しました。バスク固有の言葉であるウスケラは禁止され、永年の自治権も否認されました。同じ国民であるのに、他者に増して抑圧されることほど、プライドが傷つくことはありません。

そのため、1950年代からバスク独立運動が起こりました。1959年にETAが結成され、独立運動は密かに、そして組織的に行なうようになりました。

ETAは、バスクの言葉で、

Euskadi
Ta
Askatasuna

の頭文字を取ったものです。” ウスカディ・タ・アスカタスナ ”と読みます。意味は、”祖国と自由”です。スペインでは、ローマ字読みして、”エタ”と言い慣わしています。ウスケラの"eta "は、英語の”and” と同じ意味です。偶然かも知れませんが、意味深に考えられた略称のような気もします。

私は学者ではないので、細部の内容は、参考文献から引用しました。少し古くなりますが、「バスク民族の抵抗」(大泉光一著、1993年新潮選書)は、中立的な視点でバスク現代史を解説している本だと思いました。

19931025新潮社バスク
 (「バスク民族の抵抗」の表紙)

バスク民族の抵抗目次例199310
(「バスク民族の抵抗」目次中、ETA関する章)

日本人でも、1970年代から1990年代にかけて、高校や大学の授業でETAのことを習った方がいるかも知れません。
”スペイン北部のバスク地方では、分離独立運動が活発で、過激派組織ETAがテロを起こしている”
という趣旨だったと思います。

中央集権的な政府のもとに地方自治を最小化して運営する政治が最適、という視点です。
その結果、「目には目を、歯には歯を」のような考え方が出てきて、ETAの活動が、ますます過激になったという側面は、否定できないと思います。

今ならば、

”バスク地方では、ETAという政治結社を中心として、歴史的に認められてきた自治権回復運動が盛んであった。その一方で、ETA内の過激派が、武力闘争に走り、要人暗殺や施設爆破を行なった。”

くらいの書き方になると思います。

ほんの一例ですが、バスクの高等学校の教科書を見ると、
”フランコ時代の独裁政治と、バスク自治権回復や独立を目指したETAが活動”、という趣旨のことが書いてあります。

106ETAの創設と歴史
(ETAとバスク独立運動のことが書いてある高校教科書)

学究的なことを抜きにして考えても、ETAは、とても強力で統制の取れた政治組織でした。家族の誰かが入っていても、当局に逮捕されるまで、そのことが分からなかったと言われているくらいです。
1970年代から1980年代にかけては、アイルランド独立を主張するIRAと並んで、ヨーロッパ最強の武力闘争政治団体だという評価がもっぱらでした。

実際の活動も、筋金入りだったと思います。
殺害のターゲットは、反バスクの要人や軍事警察関係者に的を絞ってしました。建物の爆破は、予告をして実行していました。一般人の退避時間を与えるためです。それだからこそ、殺人という大罪を犯しながらも、ETAは密かな支持を集めていました。

その結果、日本人にとって「バスクは政情不安で危険」という場所になりました。観光に行くなど、もってのほかでした。

けれども、1980年代のビルバオ市内はのんびりムードで、要所要所の警備や荷物検査もありません。そんなことをやっても、意味がなかったのです。

「ETAは、ピンポイントで狙うから大丈夫」

と、私は言われました。

報道などによりますと、組織の内紛で、1986年9月に殺された元ETA幹部の通称ヨイエスさんは、ほんの1-2メートルの距離から撃たれて即死しています。当日は、町のお祭りで、多くの人々が出歩いていましたが、その他の誰も殺人事件に巻き込まれていません。


2)ETAの超過激化と終末

1978年憲法でバスク自治権が回復し、自治政府が活動し始めると、大多数のバスク人は、プライドをもって、自分たちの暮らし方が正々堂々できるようになったと思いました。

その一方、政治目標完遂を目指すETA過激派は支持を失い、やぶれかぶれになって、次第に無差別テロに走りました。2000年前後のことです。人を選ばない政治家の誘拐や、一般市民を巻き添えにした爆破事件を起こし、人々の支持は、さらにしぼみました。

ETA過激派も、世論を感じて、繰り返し武力闘争停止宣言を出しましたが、中央政府との間に、しこりが残ったままでしたので、テロは続きました。

先の高校教科書の例では、
”1976年以降、ETAは次第に過激化した。1990年代から2000年代にかけて無差別テロを起こすと、世論の反感が急速に高まった”という内容が書いてあります。

107ETA1976年以降
(はっきりと「ETAのテロリズム」と書いてあるETA末期の政治情勢)


3)悲しみを乗り越えるとき

2017年4月、ETAは何度目かの停戦宣言を出し、翌日には武器の隠し場所をフランス警察に教えました。

私は、このニュースを見て、今度こそ、本物の和解、本物の平和が訪れるのではないかと感じました。

ETA結成以来の犠牲者は、バスク側、中央政府側を合わせて800名以上とされています。権力者として標的にされた方もいれば、与えられた任務を遂行中に犠牲となった方、無差別テロに巻き込まれた方もいるでしょう。また、不合理な死を受け入れられず、ETAあるいは中央政府への恨みを決して忘れない遺族もいることでしょう。

けれども、それを乗り越えて、双方がお互いに歩み寄り、犠牲者と遺族に敬意を払う時が、ようやく来たような気がしてなりません。合掌。

バスク自治権否認から78年、ETA結成から58年。一瞬のうちに崩れた信頼と共存関係を取り戻すためにかかった時間は、ゆうに一世代分です。枕を高くして寝られる幸せの大切さが、心にしみわたる私は、たぶん、古い世代の人間なのでしょう。


4)ETAの気配

ビルバオ一帯では、30年前もいまも、観光客が街中をふらふらしたくらいでは、政情不安やETAの存在を感じることはありません。たまに、路地裏に”ETA”という文字の落書きがあったり、地元民が通うバルの奥にETAのロゴが見え隠れする程度でした。

いまでも、ETAに関連する政治課題は、いくつか残っています。
最大のテーマが、テロ犯罪者の受刑地復帰問題です。ETAがらみの受刑者も、スペインの一般的なやり方に従って、出身地の最寄りの刑務所で服役するべき、という主張です。

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( 受刑者の故郷帰還を主張するスローガンが書いてある壁。ゲチョ市内)


ビルバオ都市圏のゲチョ市内で、その主張が壁に書いてある場所を、私は通りました。週末には、昔風の雰囲気を求めて、ちょっとした散歩気分で人々が集まる場所です。

このテーマの解決が、和解と平和をさらに強固なものにすることを願ってやみません。


  了








迷えるシニア旅行

1) まさかの60歳

私も、60歳の節目が近づいてきました。

はっきり言って、「私は60歳です」と、自己紹介をするような場面を、まだ想像できません。「まさか、こんなことが起きるなんて」、という気分です。

いまのところ、職場も無風です。ブラック企業でもありません。
おそらく、他社の多くと同じように、60歳を境目に、給与は半額とか6掛けとかに減り、65歳まで中途半端な状態に置かれます。

198007仏歩行者用信号 (1)
 (  迫りくる定年 )

サラリーマンの価値観や仕事中心の生活感覚だけで、自分自身のことを評価しても、なかなか、いい気分にはなれないと思いますが、実際はどうなのでしょう。

その一方で、子供たちは巣立ちます。一人は社会人となり、もう一人は、おそらく4-5年後に親元を離れます。確実に年齢を重ね、段階的に体力、気力は落ちて行くでしょう。

60歳になって、現実を突きつけられて、がっくりしないように、あれこれ考えていました。妻も、私の相手をする負担を減らすために、自分の暇つぶしを作りなさい、昔の友人に探りを入れなさいと、熱心に誘導してきます。


2) 元気老人の海外旅行

少し考えた結果、一人旅の海外旅行を柱にすることにしました。たまに夫婦旅、あるいは爺さんどうしの旅をすることもあるでしょう。私が好きなのは、あっさりした人間関係を保った海外旅行です。老人会ツアーや、いつもいっしょに行動して、昔の自慢話をぶつけあう旅は苦手です。

198007仏歩行者用信号 (2)
 ( 向きを変えて歩く )

また、ブログやラインなどのITコミュニケーションに慣れようと思いました。遠くの人たちと、手軽で安価に連絡するためです。

妻は、私が旅先で、シニアの恋に落ちて家に寄り付かなくなったり、ブログで大成功して有名人になったりすることなど、よもやあり得ないという態度です。確かに、そうですね。

私は、学校時代の友達を、それとなく誘ったり、声をかけています。
出世中の人は、もちろん一顧だにしません。”あがり”が見えてきたはずの現役の人の大半も、社交辞令レベルでも振り向いてくれません。官庁に勤めている人は、早期退官して、第二の、それなりにゆとりある職場にいるはずのに、ぜんぜん乗ってきません。

私の旅は、永遠に一人旅かも知れません。


3)元気なうちからシニアの旅

平均的な会社員タイプの日本人が、5日以上の海外旅行をするのは、けっこう大変です。”働き方改革”を叫ぶご時世ですが、まだまだ1週間程度の休暇取得にも気を遣います。うまく立ち回っていかなければなりません。

その一方、シニアの体力は確実に下降線をたどります。現役のうちから、あれこれと旅行に出るよう思案中です。海外旅行なんて、ある面では、場数(ばかず)を踏んでいる方が有利です。なるべく出かけて、シニアの旅に慣れるようにします。そうすれば、80歳になって海外に降り立っても、体が現地の気候や土地の雰囲気を覚えています。体力の消耗を防げたり、スリをひょいとよけられると思います。

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(  シニアでも世界をめぐる楽しさよ )

「あとは、旅立つだけなのに、お金を使って旅に出なくてもいいんじゃないですか?」、という意見があると思います。私も、実は、それが不安です。

学生旅行や有給休暇を取っての旅行では、旅行体験が確実に勉強や仕事にフィードバックされます。無意識のうちかも知れませんが、視野が広くなります。リフレッシュした結果、ますます仕事がはかどるようになるでしょう。

けれども、シニアの海外旅行は、冥途の土産を増やすだけかも知れないと思うと、とても心配です。そのような自暴自棄の気持ちで旅行しても、たぶん、つまらないでしょう。

そこを乗り越えられるよう、早めに、ゆるゆると旅に出ます。

201704不忍池の夜桜 (2)
 ( 暮れても輝く心でいられますように )

実際は、はっきりとした起承転結で物事を考えたわけではありません。
「何となく好きだから旅に出る」
ただ、それだけです。

2017年12月記      了







めざせ絶景のサンファン・デ・ガステルガチェ  3 絶景にひたる

めざせ絶景のサンファン・デ・ガステルガチェ       2017年9月

その3  絶景にひたる

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(絶景のサンファン・デ・ガステルガチェ)

サンファン・デ・ガステルガチェは、今のところ、入場料無料、駐車場無料です。自然保護費用や、トイレ、案内標識維持費用などを賄うため、そのうち有料になるかも知れません。

エネペリのバルで一休みしたあと、最初は展望台まで足を向けました。
案内標識に沿って歩くこと約5分で到達します。かなりの急坂で、ところどころ未舗装の場所があるので、足元注意です。多くの人が、この展望台までは行き来するので、狭い遊歩道はかなり混雑します。

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(にぎわいのサンファン・デ・ガステルガチェ展望台遊歩道。参道への分岐点付近)

展望台に到達。
ここからは、美しくも荒々しいサンファン・デ・ガステルガチェの全貌が、はっきりと見えました。海に出っ張った岩山は、やっぱりユニークな存在です。昔から、信仰の対象になった理由が分かります。

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(展望台より見たサンファン・デ・ガステルガチェ)

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(サンファン・デ・ガステルガチェとアカチャ島。ワイワイがやがや)

運良く、晴れ間が広がってきました。今がチャンスとばかりに、岩山の教会堂まで行くことにします。往復1時間から1時間半です。
最初は、急斜面の道を降ります。
ここまでやってきた老若男女の半分くらいが、教会堂を目指している感じです。お年寄りの方は、準備万端。歩きやすく雨にも耐える服装や履物です。

一歩、一歩、サンファン・デ・ガステルガチェが近づいてきます。メルヘンチックな場所では、みんな記念撮影に余念がありません。

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(サンファン・デ・ガステルガチェへ降りる急坂で1枚)

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(かつてクルマが入っていた道路跡を下る)

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(アカチャ島も近くなった)

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(サンファン・デ・ガステルガチェの島へつながる、くびれまで到達)

下りはじめて約15分で、本土と島のつなぎ目まで来ました。
「うおーっ!」
岩山が量感いっぱいで眼前に迫ります。岩肌に打ち付ける波しぶきも荒々しく、気持ちが高ぶります。

ここからは、一転、石畳の登り道です。
空の青い部分が大きくなり、陽光が差して来ました。

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(山頂へ連なる石段の参道に取りつく)


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( はじめは緩やかスロープ )

この石段は、現地では中国の”万里の長城”に例えられています。「よくぞ、こんな壁のような石段を作ったものだ」、と感無量です。

石段は約250段。途中に数字が書いてあるようですが、息切れしていて見落としました。

岩山の右端の二つの洞穴には、絶えず波頭が立ち、少し秘境感を醸し出しています。
参道の途中には、下り階段もあり、自己責任で磯に降りられます。晴れ間が出たので、家族連れが磯遊びをしていました。

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 (洞穴に打ち寄せる荒波)

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(石段の参道から磯へ降りる階段)

「あそこが、頂上!。もう一息!」と、言い聞かせながら歩みを進めます。

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(あと少しと思って、頂上を見上げる)

登りはじめてから約15分。何とかお堂にたどりつきました。

「とうとう、念願のサンファン・デ・ガステルガチェに登りつめたあ!」

教会堂の周りだけ、秋晴れです。もう、ここで思い残すことはありません。

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( サンファン・デ・ガステルガチェの教会堂を見上げる)

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( 青空のサンファン・デ・ガステルガチェ教会堂正面)

教会堂内部は、当日は閉鎖。けれども鐘つきは大丈夫。鐘を3回鳴らすと再訪がかなう、とか、カップルならば永遠に別れない、とか。子供どうしや、カップルが列を作って次々と鐘をついていました。

「いっしょに鐘をついてくれるパートナーがいればなあ」、と、少し、目が霞みました。

頂上から見る海や陸の様子も、目に焼き付く風景です。品のよいリゾートタウン、バキオの街並みが湾曲した海岸の奥に見えます。

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( サンファン・デ・ガステルガチェ山頂よりバキオ方面を遠望 )

また、教会堂の北面に回ると、カンタブリアの真っ青な海が茫々とに眼前に横たわっていました。隣のアカチャ島が、手にとどくような距離で迫っています。目をこらすと、その遥か向こうに、天然ガスをくみ上げるリグがうっすらと見えます。

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(サンファン・デ・ガステルガチェ教会北面と、アカチャ島)

喉をうるおし、汗が引くのを待ちながら、山頂の教会堂を、もう1回めぐります。
山頂に売店やバルはないので、飲物、汗拭き持参はお忘れなく。トイレはあります。

初秋の風はすがすがしく、見下ろした磯に打ち寄せる波は、飽くことなく岩にぶつかり、水しぶきをあげています。

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( サンファン・デ・ガステルガチェ山頂で風に吹かれる参拝客)

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(寄せては砕け散るカンタブリアの波)

山頂に着いて20分。黒雲が再び空の彼方から現れ、サンファン・デ・ガステルガチェに迫ってきました。
階段を下り、そして県道へ続く急坂を上ります。聖から俗への帰還です。

坂の途中で、もういちど振り返ると、サンファン・デ・ガステルガチェの雄姿がありました。

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(岩山への遊歩道途中から見下ろすサンファン・デ・ガステルガチェ全景)


すごいところですが、期待し過ぎてもいけないので、一言付け加えます。
このようなパターンの絶景は、けっこうあります。”海に突き出た島状の岩山と、頂上のお堂”という組み合わせです。

ABBA*の名曲で綴った映画「マンマ・ミーア」の舞台となった、ギリシャのスコペロス島は、サンファン・デ・ガステルガチェとそっくり。向こうが地中海にある分、全体的に明るいです。
(*1文字目のBは左向き)

日本では、江の島風景が似ています。クルマの通る橋や、参道のお土産屋さん、食べ物屋さんなどが一切ない姿を想像すると、共通点が多いと思います。石川県の能登半島東端近くの見附島(別名軍艦島)も、サンファン・デ・ガステルガチェに近い雰囲気を持っていると思います。

フランスのル・モンサンミッシェルは、サンファン・デ・ガステルガチェを荘重にした感じ。島や教会が一回りも二回りも大きいので、少し権威的です。バスク版は、荒くれムードが混じった素朴さが売りの聖なる場所です。

もう一度、
「やっぱり、来てよかったあ!」


その3 了

めざせ絶景サンファン・デ・ガステルガチェ   了。







めざせ絶景のサンファン・デ・ガステルガチェ  2 エネペリ


めざせ絶景のサンファン・デ・ガステルガチェ    2017年9月


その2  エネペリの展望台



サンファン・デ・ガステルガチェは、秘境ムードが少しだけ漂う観光地です。交通は不便です。自然保護地区なので、周囲には、昔からあるバルなどが数軒建っているだけです。

一本道が続く県道を折れてサンファン・デ・ガステルガチェ入口まで来ると、大駐車場と大きなバルが鎮座しています。県道の右左折場所には、きちんと標識が立っていますので、迷子になる心配はありません。


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(サンファン・デ・ガステルガチェ無料大駐車場)

「えっ!こんなに大きい駐車場なの」
と、声に出したくらいの光景が広がります。第1から第10駐車場くらいまでありそうです。広くて平坦な場所には大型バスが駐車しています。


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(バル、エネペリ横の無料大駐車場)

当日は週末でしたので、クルマがいっぱいです。
「あっちに多分、空きあるよ」
「ありがと!」
そんな感じで、行き交うクルマのドライバーどうしが、声を掛け合ったり、ジェスチャーで合図しています。

このあたりは、
人気ドライブインの様相です。

サンファン・デ・ガステルガチェのイラストがついた看板に沿って歩いて行くと、遊歩道の入口に、”エネペリ” :Eneperi Jatetxea、という名前の大きな観光バルがありました。Jatetxeaは、ウスケラ(バスク語)で、ハテチャ(ハテチェァ)と発音し、”食堂”の意味です。


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(エネペリ食堂の玄関)

聞いたところによりますと、ドライブ感覚の人は、このあたりから岩山を見物して帰れば十分満足なようです。
「東京の人は、たまに江の島行くけど、いつもいつも山頂や磯の方まで行かないよね」
「江の島のシラス丼食べがてらドライブする?」
のと、同じ感覚です。

私も、まずはエネペリで一休みしました。中はかなり広く、屋外席やピクニック・コーナーもあります。

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(エネペリの玄関付近の屋外席)

太陽が出ているときは、こういう席でリフレッシュします。
エネペリは、バルとレストランに分かれていて、バルの部分はピンチョス・パルです。お値段は、市中より高めなのは致し方ありません。味は、十分においしいと思います。午後1時、2時と周るにつれて、どんどん混んできました。

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(エネペリのバル風景。まだ、すいているころ)

エネペリに入り、左横のバル・カウンターに寄らないで真っすぐに進んだところが、屋内展望スペースです。バルで一品買わなくても入れます。お店の人のチェックもありません。ガラスをいっぱい使った近代的な空間です。

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(エネペリの屋内展望スペース)

ここは完全自由席です。バルの一部なので当たり前です。

先着順ですから、混んでくると、窓際席を確保するのが容易ではありません。後から来たグループは、鵜の目鷹の目で室内を見まわしています。席を立ちそうな人がいると、すかさず近寄って「ここ、空きますか」と確かめて席取りをしています。

テラスに出てサンファン・デ・ガステルガチェを見物しましょう。
ここからでも、十分に気分爽快です。
「よくぞ、たどり着いたね」

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(エネペリの室内展望スペースのテラスからの眺め)

残念ですが、ここからだと、サンファン・デ・ガステルガチェの絶景も上半分くらいしか見えません。

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(エネペリの屋外庭園の端からの眺望)

お店の外へ出ると、ちょっぴり眺望は良くなります。
高齢などで足腰に自信がない方、時間が取れない方は、ここから見物するしかありません。
私は入りませんでしたが、レストランで食事しながらゆったり見物すると、それなりに味わいがあるそうです。ただし、週末や夏休みシーズンの混雑時は3時間待ち、4時間待ちだそうです。

サンファン・デ・ガステルガチェは、周囲も緑いっぱいの雰囲気の良い場所です。けれども、秘境と表現するには、少し大げさな気がします。
また、、少なくとも30年くらい前には、そこそこ知名度があったようです。1980年代のバスク名所案内にも、ちゃんと掲載してありました。現在ほど注目度は高くありませんが、奇観で有名なB級観光地だったようです。

観光地紹介風に言うと、そもそも、1990年代まで、バスク自体が”秘境”、あるいは”危険ゾーン”でした。

サンファンデガステルガチェ 出典Pais VascoⅡ
(サンファン・デ・ガステルガチェ紹介。出典。Descubra Espan*a  Paso a Paso, Pais Vasco Ⅱ、S.A.de Promocion y Ediciones 1986年版 、 * n 上に~がある

余談ですが、1980年代のバスク一帯では、多くの地名の綴り方が21世紀の現在と異なっていました。サンファン・デ・ガステルガチェは、”San Juan de Gastelugache”、バキオは”Baquio" でした。


   その2 了




めざせ絶景のサンファン・デ・ガステルガチェ 1 バキオ


めざせ絶景のサンファン・デ・ガステルガチェ 2017年9月
San Juan de Gaztelugatxe

その1 ウスケラの海辺バキオ

今日はサンファン・デ・ガステルガチェをめざすことにしました。
海に突き出した岩山と、その頂上に建つ教会が強烈な印象で迫る、ビスカヤ県内の絶景ポイントです。

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(サンファン・デ・ガステルガチェ全景)


サンファン・デ・ガステルガチェは、最近、とみに有名になった観光ポイント。2014年のスペイン国内の絶景人気ナンバーワンの場所だったそうです。ヨーロッパ内外からもたくさんの人が来ていました。けれども、日本人には少し縁遠いようです。

余談ですが、それにしても、すごい名前と綴りですね。
”San Juan de Gaztelugatxe”

周辺住民の言葉であるウスケラでの言い方は、多少違うようですが、観光客ですので勘弁です。

サンファン・デ・ガステルガチェに行くには、ビルバオからバキオ回り、あるいは、ベルメオ回りの二通りの方法があります。クルマで行くのが便利ですが、電車や路線バスを乗り継いで行くこともできます。
私は、バキオ経由で行きました。ビスカイバスならば、3518系統バキオ行き(Bakio)で、およそ1時間の旅です。

当日の天気予報は、「曇り時々晴れ、ところによっては小雨」という何とも無責任な内容。「まあ、何とかなるさ」という気分で出発。今回は、是非行ってみたいと思っていた場所なので、多少の悪天候など気になりません。

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(バキオ市街を西側より見る)

バキオに到着。小雨模様ですが、雲が切れてきそうな気配もします。
ここは、ビルバオ市民の保養地も兼ねた海辺の小さなリゾートタウン。真夏と週末をのぞけば、静かなバスクの町。ウスケラを話す住民が多数派の町です。観光客が、いきなりウスケラでペラペラやられて呆然ということはありません。

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(バキオ市街はずれの河口よりサンファン・デ・ガステルガチェを遠望)

まず、町の西はずれまで歩いて行き、サンファン・デ・ガステルガチェを遠目にチェック。街中を流れる川沿いの遊歩道を通って河口に来ました。
うっすらとサンファン・デ・ガステルガチェの三角形の岩山が見えます。「このぶんだと、行けるぞ!」と、心の中で思わず喝采。

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(サンファン・デ・ガステルガチェを拡大)

バルで30分ほど待機して、もう一度チェックすると、雲がかなり上がってきています。「うひひ」

バキオ一帯は、ご当地風ワインであるチャコリの産地のひとつ。山の斜面にはブドウ畑や牧草地が点在しています。

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(サンファン・デ・ガステルガチェのズームアップ)

サンファン・デ・ガステルガチェをズームアップ。目をこらすと、もう、山頂に登る人々の姿が少なからず見えます。観光写真は正面からの姿が大半ですが、横向きの風景も見られて満足でした。

それでは再び前進。

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(バキオ市街を東側の高台より見る)

バキオからサンファン・デ・ガステルガチェまでは、東へ向かう県道の一本道です。町はずれの坂道を上ってくると、ちょっとした展望台があり、バキオの街並みを見ることができます。

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(リゾート地バキオ市街とビスカヤの山々)

バキオのビーチ。9月だというのに、雨や曇り空の下で見ると、冬の日本海のようです。


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(県道沿いのサンファン・デ・ガステルガチェ展望台)


県道沿いのサンファン・デ・ガステルガチェを真下に見る展望ポイントに到着。バキオから約4kmです。
「あっ、電線がじゃま」
この件については日本と同じで、苦笑せざるを得ません。つくづく、バスクと日本は相性いいんだなと思ってしまいます。
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(県道沿いの展望台からのパノラマ)

視界は180度開けているので、サンファン・デ・ガステルガチェと、その東どなりのアカチャ島を遠望。やっぱり「電線どけ」です。

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(サンファン・デ・ガステルガチェ付近をズームアップ)

「もっと近寄り、あの教会まで行きたい !」


綴りメモ

サンファン・デ・ガステルガチェ:San Juan de Gaztelugatxe
バキオ:Bakio
ビスカイバス:Bizkaibus 
ウスケラ:Euskera   /   Euskara
チャコリ:Txacoli  /  Txacolin

その1了




バスクのお得なきっぷ

バスクのお得なきっぷ      2017年9月情報


その2   お得なきっぷ、便利なカード


1)  バリクカード  barikcard


ビルバオとビスカヤ県一帯を電車やバスで移動するならば、バリクカードが便利でお得です。

バリクカードは、日本のSuica、Icoca、Pasmo のようなIC系交通カードです。ただし、お買い物はできません。その代わり、現金払いの運賃より2割引きくらいで該当路線の電車、バスに乗れます。


バリクカードの表と裏です。裏面の上半分がウスケラ表記、下半分が、いわゆるスペイン語表記です。
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(Barikcardの表裏)

カードデザインは、とてもシンプルですが、センスの良さを感じます。右の指紋デザインは、街中アートからの流用で、オリジナルの屋外彫刻は、市内を見晴らせるアルチャンダ公園の一角に鎮座しています。

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 (アルチャンダ公園。指紋の彫刻の写真は撮り忘れました)


バリクカードの詳細は、メトロビルバオのウェブサイトに載っています。
https://www.metrobilbao.eus/en

1枚3ユーロ、有効期限なし、10人まで同時利用可能、クレジットカードで購入やチャージ可。メトロの他、ビルバオ市内バス、ビスカイバス、スペイン国鉄のRENFEとFEVE、ケーブルカー、そしてビスカヤ橋の通常利用で通用します。運賃は、現金払い額のおおむね2割引き。メトロの駅の自動販売機もしくは周辺の提携店舗で販売中。

何と言っても、不慣れな外国で、毎回、きっぷを買う手間が省けるし、小銭をその度ごとに用意することもなくなります。

ビルバオ都心部の均一区間の運賃は2017年9月現在で0.90ユーロ、ビスカヤ橋の最寄り駅までの片道運賃は1.07ユーロです。ざっくり言って、まる2日間、ビルバオ街歩きをしようとしているならば、バリクカードの初回最低購入額13ユーロを買っても損はないと思います。
ビルバオ土産は少ないので、記念品にもなります。

「えっ、何ですって? ”Barikcard自体を買うことが不安” ですか?」
「それもそうですね。外国ですものね」
「日本でも、電車やバスに乗り慣れていない人が、海外に行ったら、そりゃ、たまらんわ」

いろいろ、あるようですが、何とかなります。

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 (ビスカヤ橋の自動改札機。出っ張っている部分がカードタッチ場所。タッチが有効な場合は、バーが開いて通行できます)


2017年4月からバリクカードの定期券版が本格スタート。
30日有効期間中の70回利用券とか、高齢者向けのカードなどがある旨ウェブサイトに書いてあります。写真付きカードになるので、発売は、有人のカスタマーセンターのみ。観光客向きではありませんが、運賃は3割引き、5割引きの感じです。日本と違って、大幅割引の通勤通学定期券制度が少ないヨーロッパ諸国の中では、目立ったサービスです。

単なる紹介のはずが、バリクカードの宣伝になってしまいました。

ビルバオ市では、バリクカードとは別に、地下鉄と市電の市内均一区間のフリー乗車券に観光施設割引券のついた”ビルバオビスカヤカード”、略称BBCカードを発売しています。24時間券10ユーロ、48時間券15ユーロです。郷土博物館のような場所まで、こまめに入場するくらいの気概の方ならば、役立つようなイメージです。



2) サンセバスチャアンカード、バスクカード

美食都市ドノスティア(Donostia)、 スペイン語名、サン・セバスチャン(San Sebastian) でも、いわゆるツーリストカードの宣伝に余念がありません。観光案内所で紹介されたのは、市内向けの ”サンセバスチャアンカード”、と郊外を含む広域用の ”バスクカード”でした。

ドノスティアランス語版交通カード案内パンフ2017

ドノスティアウスケラと仏語版交通カード案内2017
(ウスケラとフランス語によるサンセバスチャン・カードとバスク・カードの紹介:出典ドノスティア・サンセバスチャン観光案内所パンフレット)

総論として、”10日有効”、ということで、端から日本人観光客向けではない感じです。
発想の原点が、「ゆっくり滞在して、あるときにはバスで出かけ、ある時には市内をブラブラする」、という滞在型観光客の行動を前提にしています。1泊2日や2泊3日で、三ツ星レストランや、ランキング上位のピンチョス・バルを歩き回る場合、こういうカードは使い勝手が良くありません。

私が寄った観光案内所のスタッフが調べた結果、期間限定で、バス用の6ユーロ券があることが分かりました。パンフレットに”6、12”の手書き文字が入っているのは、そのためです。それでも1回1.70ユーロの市内バスに4回乗らないと元が取れません。「オラ!ようこそドノスティアへ!」と、笑顔で接客してくれたお姉さんには残念でしたが、利用しないことに決めました。

結果として、バスに乗ったのは2回限りでした。バルめぐりは徒歩なので、あんまりバスには乗らないのです。

「やっぱり、普通の日本人の旅行ペースなんて、こんなものかな」と、サンセバスチャン・カードのパンフレットを見返して、寂しくなりました。

また、MugicardというSuica相当のバス、電車用カードがあるそうですが、バスカード以上に、一見の者には縁遠いカードでした。



3) パスバスク:Passbask

パスバスクは、スペイン側のウスコトレン社と、フランス国鉄SNCFの共同企画フリーきっぷです。
お得感があります。2)のバスクカードとは全くの別物です。

パスバスクは、ドノスティア・ラサルテからエンダイア間のウスコトレン(バスク鉄道)と、アンダイとバヨンヌ間のSNCFの、ほぼ全列車が乗り放題というフリーきっぷです。値段は12ユーロで、使用開始日と、その翌日有効。利用圏内の主要駅窓口で発売しています。

この12ユーロという値段は、バヨンヌからドノスティアまでの片道運賃額より、少し高いくらい。私も、試しに利用しました。

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 (Passbask  きっぷの購入時のセット。下がフランスSNCF区間のフリーきっぷ。上の2/2がウスコトレンの1日乗車券の引換用バウチャー)

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(バヨンヌ駅のSNCFのセルフ式改札機)

SNCF部分の切符を使い始めるときは、ご自身で刻印することを忘れないようにしましょう。これを怠ると、キセル乗車とみなされます。

パスバスクは、派手な宣伝こそないものの、地道に売れているようです。日本人のブログ旅行記でも、一人か二人、パスバスクのことに触れている人を見つけました。こまめに節約型旅行を実践する方々がいるようで、少し感動しました。

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(下のきっぷが、ウスコトレンの指定区間1日乗車券。大きな文字の「Kutxabank」は、銀行の宣伝ロゴで、きっぷの内容と無関係です)


自分の旅行プランに適したお得な切符や、期間限定の割引券をGETしたりすると、旅の達成感が不思議と高まります。


    その2 了

















バスクの時刻表探し

ビルバオの鉄道に揺られて  2017年9月


その1  鉄道とバスの時刻表探し


バスクの旅も、基本的には公共交通機関を使った個人旅行です。

電車やバス、タクシーの情報収集は旅の必須作業です。それどころか、これを機に、バスクの電車やバスの旅を楽しむことにしました。


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(ウスコトレンの最新型電車900形。ビルバオ市内にて)


バスク旅行で役に立つ公共交通機関は、

1)フランス国鉄SNCF
2)スペインのバスク鉄道ことウスコトレン
3)空港バス、高速バス
4)ビルバオの地下鉄
5)ビルバオのニュートラム
6)ビルバオの市内バスと郊外バス

本屋でのガイドブック立ち読みは、古典的手法。ブログ上の旅行記や口コミを探して、電車やバスの話題を読むのは、ネット社会ならではのやり方です。

それでも、体系的にバスク一帯の交通事情は分かりません。普通の旅行者が、電車の画像を貼り付けたり、ひやひやものの高速バス体験談を披露したくらいでは、これからバスクに行こうとする旅行者の役には立ちにくいのが実態でしょう。

6つの交通情報を整理しました。

1) フランス国鉄SNCF   

SNCFのウェブサイトには、いわゆるフランス領バスク付近の地域限定時刻表があるので、列車事情の全体像が分かります。

SNCF時刻表画面例2017
(SNCFバスク付近時刻表検索で、路線番号を入力してクリック前の状態。出典SNCFウェブサイト)

http://www.sncf.com/>>> Se delacer (*)>>> En region >>> ter >>> Aquitaine >>>Horaires & trafique >>> Fiche horaires a telecharger >>> Ligne 61  を入れて、画面中央右の濃いピンクの表示 RECHERCHER をクリック。画面下部に当該時刻表のPDFマークが出ますので、それをクリックすると当該区間の上下線の全駅、全列車の時刻表が出ます。画面をスクロールして、列車を探します。

(*)eやaなどの上に、フランス語特有のアクセント記号がある語がありますが、うまく変換できないので省略しています。


2) スペインのウスコトレン (バスク鉄道) EUSKOTREN

EUSKOTRENのウェブサイトがあり、全駅全列車時刻表の他、路線図、運賃などが分かります。ただし、言語はウスケラとカステヤーノ(スペイン語)しかありません。時刻表は、地名と数字を理解するだけですから、すぐ内容を会得できます。

Euskotren時刻表例201709
(ウスコトレン(バスク鉄道)時刻表の画面例。出典:EUSKOTRENウェブサイト)

http://www.euskotren.eus/でトップ画面が出ます。euskotren horario とかで検索しても、ウェブサイトに行き当たります。時刻表は、全駅全列車が載っています。平日と土曜休日ではダイヤが異なるの注意して見ます。


3) 空港バス、高速バス

日本人のバスク旅行者にとっては、何にも増して知りたい交通情報です。

まず、ビルバオ空港バス探しをしました。空港は、ロイウというビルバオに隣接した市にあります。<”羽田”にある”東京国際空港”>という表現と同じパターンです。

Bilbao airport とか Airepuerto de Bilbao の語句で検索し、ビルバオ空港のウェブサイトを見つけました。http://www.aena.es/en/bilbao-airport/index.html

空港アクセスのページに市内連絡バスと高速バスの発車時刻表やバス乗り場が書いてあります。

ご当地の2言語に加えて、英語、フランス語も選択できます。

ビルバオ空港バス案内例2017
 (ビルバオ空港の高速バス時刻表と乗り場案内画面例。出典:ビルバオ空港ウェブサイト)

関係するバス路線の時刻表を詳しく知りたい人のために、各バス会社のURLを書いた個所があります。さらに詳しい内容や、別の路線のバス情報も得られます。


Q1 ビルバオ空港と市内を結ぶ空港バスの本数と最終や始発は?

2017年9月現在の冬ダイヤでは、空港発は6:15から30分毎で23:15までと、最終の0:00発があります。

空港行きのバスは、サンマメス始発が5:25で、最終の21:55発まで終日30分間隔の運転です。空港と市内間は25分から30分程度かかります。

大人片道一人当たりの運賃は、現金で1.45ユーロ、ICカードで1.13ユーロです

6月から9月初頭までの夏休みシーズンの空港バスは、2017年は20分間隔の運転でした。何はともあれ、最新の時刻表やバス停位置のチェックは、私も怠らないようにしました。

下の写真は、ビルバオ都心のモユア広場の空港バス乗り場です。バス停の看板も大きく、時刻表も貼ってあります。明らかに旅行者と見える方々が列を作っているので、安心していられます。

Bizkaibus 5 Sep2017
(モユア広場の空港バス乗り場。2017年9月)


Q2 空港からドノスティア・サンセバスチャン行きのバス時刻表と発車場所は?

2017年9月現在、ビルバオ空港発は、7:45から1時間毎で最終は23:45発です。大人片道1人あたり運賃は17.10ユーロです。


類似の手順で、例えば、ビルバオとドノスティア・サンセバスチャン間の高速バス時刻表も調べることができます。ドル箱路線なので2社が競合する状態で運行しています。

PESA社 http://www.pesa.es    最短30分間隔の運転が魅力的です。
ALSA社 https://www.alsa.es     本数は少ないですが、早割運賃が安いです。


4) ビルバオの地下鉄

メトロ・ビルバオのウェブサイトで地下鉄事情全般が分かりました。
https://www.metrobilbao.eus/en  英語版もありますので安心です。

2017年9月現在、路線は3系統あります。
早朝、深夜を除き、運転間隔は8分から10分内外です。L1とL2が重なるビルバオ都心部では、電車は4-5分間隔で走っています。とても、便利です。

メトロビルバオ路線図とカード利用運賃
 (メトロ路線図。2017年9月現在。出典:メトロビルバオ案内パンフレット)

メトロビルバオ2017始発終電等案内
(メトロ各線の始発、終電、運転間隔。2017年9月現在。出典:メトロビルバオ案内パンフレット)


L3は、2017年4月に開通した新路線。ウスコトレンの地下鉄線ですが、メトロビルバオと一体となって運行しています。近い将来、ロイウにあるビルバオ空港まで延伸するようです。楽しみです。


5) ビルバオのニュートラム

ビルバオにはニュートラムタイプの市電が走っています。”トランヴィア”という名前です。

路線図、時刻表は 2)のウスコトレン社のウェブサイトに載っています。先頭のページで、TRANVIAを選択して進むと路線図などが出てきます。英語版がないのが、玉に傷でしょう。

6) 市内バス、郊外バス

バス情報収集は、一般論として、どこの国でも決して楽ではありません。

ビルバオ市内バスは、Bilbobusという名前の市営バスです。真っ赤な車体のバスです。
こういうバスは、現地に行けば何とかなるものなので、予習はなしです。

一方、ビスカヤ県一帯の郊外路線バスは、ビスカイバス:Bizkaibus という県のバス事業体が運行しています。黄緑色で、ぴっかぴかの大型バスが走っています。利用者の多い路線では、後方のタイヤが二組ついたロングボディ車とか、二両連結のバスがやってきます。

Bizkaibus 1 Sep2017
(サンマメスのサッカースタジアム前に停車中のビスカイバス2両連結車)


このビスカイバス情報探しは、難易度が高いです。バスサービスの通称が、”ビスカイバス”であることを突き止めるまでに、結構時間がかかりました。ただし、一度、知ってしまうと、何てことはありません。

時刻表調べ用の、ウェブサイトは、http://www.bizkaia.eus/home2/Temas/DetalleTema.asp?Tem_Codigo=195&idioma=CA
 です。

画面左上付近のバスマークをクリック。試行錯誤してみましょう。

出発地と目的地の地名を選択してページ下のConsultaという表示部をクリックすると、ビスカヤ県の地図上に、希望路線が明るいブルーの線で表示されます。濃いブルーの線は、希望外の全路線なのでびっくりしないようにしましょう。

試しに、サンファン・デ・ガステルガチェ近くのバキオに行く路線を見ることにしました。ビルバオからバキオへのバスは、A3518系統でビルバオからムンギア経由バキオ(Bilbao - Mungia - Bakio ) 行きであることが分かりました。

Bizkaibus検索画面例201709

 (ビルバオからバキオへのビスカイバス検索画面例。出典:ビスカイバスのウェブサイト)

表の右は、明細欄です。

Ida :  往路のバスルートが出ます。右の Vuelta は復路の意味。
Horario : 始発停留所の発車時刻です。途中停留所の通過時刻や所要時間は、どこをつっついても表示されません。

A3518系統のビルバオ発は、平日および土曜日は6:30から1時間間隔で最終は21:30、ムンギア止まりが22:30。休日は8:00発から1時間間隔で最終が22:00発、ということが書いてあります。

Iteneraio :市町村単位の区切りで全部の停留所の位置が書いてあります。

観光客は、停留所明細場所をきちんとメモして行き、現地で付近の人に、正確な停車場所を聞くしかないです。ヨーロッパ流です。

Tarifa : 運賃表です。

県内は完全なゾーン別運賃制です。最高でも7ユーロくらいですから、けっこう安い運賃体系です。


同じ手順で、いろいろなバス路線の概要を調べることができました。主なバス路線は、1時間毎くらいの運行なので、あらかじめバーチャルな路線バスの旅を楽しめました。


その1 了



















やまぶきシニアトラベラーの始まり


le lude son et lumiere 198008 (1)
 ( 音と光のショー開演前のル・リュード城。1980年8月)


2017年12月。やまぶきシニアトラベラーです。

「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶ、うたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまるところなし」

方丈記の出だしが好きですが、実態は、気まぐれで、うわついた哲学者もどきの中高年トラベラーです。
ヨーロッパ中心の街歩きと鉄道の旅、そして東京や首都圏の街並み散歩をメインにします。

旅の始まりは、はるか遠くの日のフランス、ル・リュードの夕暮れ。夏の夜の「光と音のショー」を素敵なパートナーといっしょに見たいと、あるとき感じたのです。

けれども、このショー自体は、とっくになくなってしまいました。だから、別の場面を探さなければなりません。
あの日の気持ちに帰れるように、かつ、めぐりて、かつ、とどまりて、旅をします。


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