チェナコーロ・ヴィンチアーノって何だ?   2018年3月訪問

1)Cenacolo Vinciano

この綴りを見て、何のことだか分かる一般のお方は、偉い、すごい、尊敬します。

私も、このごろ、ようやく馴染んできました。

これです。

「なんか、こきたない絵だなあ」

198808ミラノSMDグラツェ教会と最後の晩餐修復前 (2)
( Cenacolo Vinciano,  Aug 1988 )

「レオナルド・ダ・ヴィンチ作、<最後の晩餐>を何と心得おるか!」
「ははああ・・・・・」
と、いうわけです。

日本語では知名度抜群の、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のことです。イタリア語では、「ルルティマ・チェナ:L'Ultima Cena」、と呼んでいる場面ですが、たくさんの方が最後の晩餐の場面を描いているので、何とか区別しないと分かりません。

そのための通称が、「チェナコーロ・ヴィンチアーノ:Cenacolo Vinciano」です。<ダ・ヴィンチ絵の食事室>くらいの語感です。

私は、イタリア語は素人なので詳しいことは分かりませんが、南部の人たちが発音すると「シェナコーロ・ヴィンチアーノ」と聞こえます。イタリア語の南北間のばらつきは、こんな感じなのでしょうか。


2)ミラノにあるんだ

日本人にも大人気の、レオナルド・ダ・ヴィンチさまの代表作と言ったら「ラ・ジョコンダ」と、この絵です。

「格好つけなくても分かりますよ。<モナ・リザ>と<最後の晩餐>でしょ?」

私は、初めてミラノに来たとき、「最後の晩餐」がミラノにあることを知って、とても驚きました。バリバリのビジネス都市で、およそ観光ムードが薄いミラノに、世界を代表する絵画の一幅があったからでした。中学か高校の世界史、あるいは美術の教科書に載っている絵が、この目で見られた幸せを、しみじみとかみしめました。

1988年ごろは、特に並ばずとも、「最後の晩餐」を、のんびり鑑賞できました。フラッシュなしならば写真撮影もできました。この絵がある、サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会:Chiesa Santa Maria della Grazie、にも、あまり人は集まってきません。超有名な絵の割には、訪問者も少なく、「ミラノは観光都市ではないんだな」という状況を体感できる場所でした。

198808ミラノSMDグラツェ教会と最後の晩餐修復前 (1)
( サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会。1988年8月 )

美術好きの観光客が、三々五々、知る人ぞ知る、この教会にやってきて、ダ・ヴィンチの傑作を密かに鑑賞して去っていく、というムードが漂っていました。

薄暗い部屋で、煤けた黒っぽい「最後の晩餐」を見られて良かったなと、今では懐かしく思っています。


3) レア感出して丸儲け

21世紀の声を聞くころからの「最後の晩餐」ブームは、すさまじいものでした。1999年に、煤けた絵の修復が終わったことや、絵の保全のために入場制限をかけるという情報が広まった途端、「最後の晩餐」を初めて見ようという観光客が押し寄せました。

今から振り返ると、適度な「レア感」を出したことが人気急上昇の起爆剤になりました。2006年公開の映画「ダ・ヴィンチ・コード」において、「最後の晩餐」が謎解きの鍵を握る要素のひとつとして登場したことも、人気に輪をかけたと思います。

2001年、2回目か3回目にチェナコーロに来たときは、1回15分で25名の入場制限が始まり、予約入場制と一般入場制が併存していた時期でした。ディズニーランドなどのファスト・パス制度と同じで、予約のある人がすいすい入る一方で、先着順の行列が長々と伸びていました。

そのときは、2時間くらい並んで鑑賞しました。教会前の広場では、見学待ちの観光客がとぐろを巻いていました。それでも、ふらりと来ても忍耐強く待てばチェナコーロを見物できました。

名画を前にして声も出ないというよりは、「ダ・ヴィンチの傑作を、俺もこの目で見たぞ!」という達成感がポイントでした。

2000年前後に「最後の晩餐」を鑑賞した皆様の思い出は、いかがでしょうか。

そして、2018年の昨今、サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会前は、30年前よりは賑わっています。見学は、歯科医院のように完全予約制です。1回15分、25名の総入替制であるのにもかかわらず、教会前広場には、けっこうな数の観光客がたむろしているのです。

SMGサンタマリアデラグラ教会全景201803
( サンタ・マリア・デラ・グラーツェ教会。2018年3月 )

ネット販売のチケットは、2-3カ月前の発売開始から数時間で、ほぼ完売。電話予約でも、1カ月前くらいには空きは少々、という品薄状態がずうっと続いています。

正価では、予約手数料込みで大人ひとり12ユーロのチケットが、旅行代理店経由で買うと40-50ユーロくらいに跳ね上がります。教会公認で旅行会社がダフ屋をやっているような感じです。ここでも「坊主丸儲け」理論が実践されています。

予約時に入場者全員の名前を登録し、身分証明書を提示しないとキップを売らず、1度入場するまでは同じ人が2回以上の予約を取れないことにすれば、発売即完売のような現象は起こらないはずですが、この国は、一面では、社会全体がブローカー体質なので、いちど手にした「<最後の晩餐>入場券転売ビジネス」が既得権化してしまっているようです。

たかが観光客相手ですが、なかなか透明性の高いチケット販売システムにならないのは、いかがなものかと思います。

「イタリアで一番フェアプレー精神の高いミラネーゼよ、もう少し行動せよ!」
「うーん。坊主には、なかなか勝てないんですよ」

めでたく「最後の晩餐」の入場予約を取れたときは、わくわくしながらガラス戸を開けて進みましょう。

SMG教会とレオナルドの入口201803
( 最後の晩餐はクリーム色の建物が入口 )

SMG最後の晩餐入口ガラス戸201803
( 「最後の晩餐」見学者専用の入口 )

キップ売場と待合ベンチ、次の間の待合室、さらにガラス戸と、2ステップ、3ステップを経て、世界の名画のひとつと対面できます。

私も、体が動くうちに、あと1回くらい見ておこうかなと、これを書きながら思いました。

「何でも、フラッシュなしならば写真撮影OKに戻ったそうで?」
「はい、そのとおりです」


4) 不思議な晩餐

「最後の晩餐」について、私には2つばかり気になっていることがあります。

一つ目は、絵の構図です。キリストを中央にして12人の弟子たちが、横一列にならんで食事をしているなんて、現実の場面を考えたら、あり得ないくらい不自然です。

これは、絵のある場所の間取りを考えたら、効果的な構図であることが理解できるでしょう。

最後の晩餐が描いてある建物の部屋は、当時の食堂です。そして、絵は、人の背丈より高い位置に壁画として描いてあります。ここに集まってきて、ご飯を食べる僧侶たちからみれば、キリストをはじめとする偉いさんが、ヒナ壇に並び、こちらと対面する感じで食事をしている光景になることを想像すれば、すぐに納得できます。

ところが、事は、そう上手く収まりません。

あるとき突然、ヒナ壇がざわざわし、食事中であるのにもかかわらず、教祖様であるキリストの周りに幹部連中が集まってきて不安げな顔つきで、何やらこそこそ話し出した、ということが起きたのです。

食堂の下座で、賄いメシを口にしている我々から見れば「何だ、なんだ」という気分でしょう。鋭い者ならば「何か不祥事が発覚したな」と想像します。また、こういうときでも、みんな、食事は平然と喉を通るのでしょうか。

二つ目は、日本語訳ならではの問題ですが、「明るいうちから「晩」餐かよ!」という違和感です。絵の背景を見れば分かるように、この食事は、外の景色がよく見える時間帯に行なわれています。絵の中の部屋も、かがり火やランプなどで照らされた状態ではありません。

「おいおい、いくら教祖様ご臨席とはいえ、昼の3時、4時からアルコール付きはないよね」と、私は初めのうち、感じていました。

イタリア語の「Cena:チェーナ」には、夕食の他に、夜食というか、夕暮れの軽食、に近い意味があります。「晩餐」というほど、大掛かりな食事でなくてもよいのです。晩餐は常に暗くなってから取るものだと思っている日本人には、「最後の晩餐」という訳語は、少し違和感があります。

「キリスト最後の食事」、とか「裏切りの食卓」、のような訳を検討してみてはいかがでしょう。

しかし、この名画は、100年以上も「最後の晩餐」という題名で通用しています。いまさら私ごときが異を唱えて変わる確率は、とても低いです。


                                              2018年7月記     了