やまぶきシニアトラベラー

気まぐれシニア・トラベラーの旅。あの日から、いつか来る日まで、かつ、めぐりて、かつ、とどまる旅をします。

ラグーザとカオス・シチリア物語

ラグーザとカオス・シチリア物語    2018年9月訪問

私がシチリア島へ行きたいなと思ったきっかけは、映画「カオス・シチリア物語」に出てきた風景に感化されたからです。

カオスシチリア物語DVD
( 映画「カオス・シチリア物語」 )

この映画は1984年の作品です。監督はタヴィアーニ兄弟という方々。原作は、劇作家のルイジ・ピランデッロ(1867-1936)というイタリア人で、ノーベル文学賞も受けた文豪だそうです。自分の故郷、シチリア島のカオス村で見聞きした話を書いた作品がもとです。映画では、そのなかから4話をオムニバス形式で取り出し、前後に序章と終章をつけて合計6話の作品にしています。約3時間の長い作品ですので、じっくり、ゆっくり見るに限ります。

6話中、ラグーザ・イブラのドゥオーモが登場するのは、4番目の「かめ:甕」と終章です。馬車で街を通るときの背景として登場するほか、まどろむようなシチリアの街を俯瞰する場面でも、遠くからラグーザ・イブラを映した風景が出てきます。
カオスS物語ラグーザ かめ
( カオス・シチリア物語に登場したラグーザ・イブラのドゥオーモ )

私は、ドゥオーモの場面に、とても関心を惹かれました。真っ青な空と、濃い緑色をしたヤシの並木道の奥に威風堂々と鎮座する美しい教会の姿が脳裏に焼き付きました。ヨーロッパ風ではない俗と聖の不思議な組み合わせに惹かれました。

今から思い返すと、人生の喜怒哀楽や思うがままにならない日常生活と関係なく、富を吸い取ってたたずむ聖の姿を悲しげに対比させようとしていたのかも知れません。単に、シチリアの典型的な街中風景を見せようとしていた以上の雰囲気があるのは事実です。

そのため、今回のシチリア旅行では、イの一番にラグーザ・イブラのドゥオーモの姿を見に行こうと決めていました。

実際にドゥオーモの夕方近くの逆光姿を眼にしたときの感動は、言い尽くせないほどでした。
「これが、あの超然とした教会の実物かあ」と、5分くらいドゥオーモ広場に立って眺めていました。

ラグーザイブラドゥオ逆行
(  初めて見たときは逆光のラグーザ・イブラのドゥオーモ )

ラグーザは、いまや世界遺産の観光地です。ドゥオーモは、その主役のひとつなので、周囲の建物ともども美しく手入れされていました。まさに「見せたいように整えた観光名所」、「見たいと思っていた光景が展開する観光スポット」そのものでした。

ただ、惜しむらくは映画の時には生えていたヤシの並木が、ばっさりと抜かれていたことでした。跡地に背丈の低いソテツがしょぼしょぼと植えられて、少しがっかり。きっと、ヤシの大木があるとドゥオーモが見えないじゃないか、ということで抜かれたような感じを受けました。私にとっては、あのヤシの木こそ、生活実感から浮いたドゥオーモの姿をひょうひょうと示してくれる存在だったのにです。

カオス・シチリア物語は、そんなに、はやった映画ではなかったので、市当局にとっては、映画の一場面より、世界遺産目当てでやってくる大多数の観光客の視線こそ重要でしょう。

googlemapのストリート・ビューのおかげで、ヤシ並木がなくなっていることは分かっていたとはいえ、実際に来てみると、寂しいものでした。

この映画では、そのほかの有名観光地としてリパリ島も登場します。シチリア島旅行に興味がある方は、他の映画やTVドラマといっしょに、ぜひ、「カオス・シチリア物語」も入手したり、オンデマンドでご覧ください。あんまり売っていないし、DVDは高いので、なかなか手が出ないのが玉に傷でしょう。

2020年9月記                           了





富豪の館、ノートのニコラチ邸に入る

富豪の館、ノートのニコラチ館に入る   2018年9月訪問

つづいてドゥオーモ近くの1本入った道沿いにあるニコラチ館(Parazzo Nicolaci)という大邸宅を見学しました。

ニコラチ館は、通り沿いのバルコニー下に彫られた、たくさんの彫刻でも有名ですし、館の前の坂道で5月の第3週に開催される「インフィオラータ」(Infiorata )という、花を通りいっぱいに敷き詰めた祭典でも有名な場所です。インフィオラータの様子は、あちこちのブログに華やかな写真がいっぱい掲載されています。

ノートのニコラチ邸前から坂下201809
( ニコラチ館(右)と、インフィオラータ会場となる坂道)

お寺と役場と豪邸と客寄せの祭典会場が、ほぼ街の一角に集中しているのですから、ノートの都市規模が想像できますでしょう。何を見るにも、何をやるにも、ノートではヴィットリオ・エマヌエル2世通とドゥオーモこそが会場なのです。

多くの観光客は、ニコラチ館のバルコニー下にいっぱい彫ってある”持ち送り”と言われる彫刻のユニークな姿を見物し、館の中庭に入って写真を撮ると出ていってしまいました。表通りにもどって、アイスでも食べるようですし、バスの集合時刻も気にしなければなりません。

ノートのニコラチ邸パンフ201809
( ニコラチ館のパンフレット )

16 お決まり馬と人間Sep2018
( ニコラチ館のバルコニー下の彫刻見上げ )


17 ニコラチ宮中庭のヤシSep2018
(ニコラチ館の中庭から退散する観光客)

姿恰好から察するに、ドイツ人観光客も我らが同胞のニッポン人ともどもノートには長居できないようです。

「何たって、タオルミナから日帰りのバス・ツアーでシラクーザ、ノート、ラグーザ3都市めぐりをしているんだもん」
「ビーチに行かない日の、暇つぶしってとこかな」
「まあ、みんなが行くって言うんで、あたしも付いてきたんだけど」
って感じです。

それでも、バルに入り、土産物屋を冷やかして、いくばくかのお金をノートで使ってくれるのですから、ありがたや、ありがたや、なのでしょう。

私は、そこまで時間が押していなかったので、ニコラチ館にも入りました。入口付近の人混みの割には見学者が少ないので、手持無沙汰の受付のお姉さんも、にっこり。おまけに、有料の館内ガイドまで貸してくれました。

さあ、ゆっくり上の階の部屋の数々を見てみましょう。

18 ニコラチ宮大階段Sep2018
( 2階に上がるオモテの階段 )

ノートのニコラチ邸客間か201809
( かなり豪華な部屋が連なっている造り )

18世紀から19世紀を舞台にしたシチリア映画の富豪のお屋敷に出てくるような内装を感慨深げに見て回りました。当時は、部屋が直接、連続していて、いわゆる廊下がないのが普通のようでした。現代人から見ると、ご主人の寝室などの例外を除いてプライバシーもへったくれもない造りです。どうして部屋割りがこんな構造になったのか、生活の仕方が理解できていないので、ただただ見るだけです。
21 寝室の展示Sep2018
( 当主の寝室と再現されたベッド )

部屋には、往時の雰囲気を出すため、家具調度が少しばかり置いてありました。いまは、博物館なので生活の匂いは全くありません。
「こんなに、すっきりとした感じで日々過ごしていたとは思えないな」
「タバコ、ランプ、本、雑貨などが積み重なっていたり、使用人がお盆を捧げて行き来したり、客人がおしゃべりしていたりしていたんだろうな」
と、想像をめぐらしました。

寝室はきれいなのですが、「トイレはあったのか、それとも”おまる”を使ったのだろうか」などと想像してしまいました。洗面台もありません。

一番奥は広間でした。大きな部屋の壁面に、ダミーの窓が描かれていて開放感を醸し出しているようです。
写真のように、各種儀式はもちろん、講演会や表彰式などができるように椅子がたくさん置いてありました。
「もしかして、今晩、一般公開終了後に何かあるのかも」と、いう雰囲気でした。

22 ニコラチ宮大広間Sep2018
( 奥の広間と、行事用の椅子 )

広間からバルコニーへ出て外を見渡すと、市役所や町の彼方に広がる田園、その向こうに横たわる地中海が一望できました。のんびりとした眺めです。クルマの音も、観光客のおしゃべりも聞こえそうで聞こえませんでした。

23 大広間Noto展望Sep2018
( ニコラチ館の2階よりノート市役所、郊外風景を遠望 )

空や海の青と、田園の緑、そして後期バロッコの建物のベージュ色の3色が程よく調和したノート風景に、しばし見とれていました。

   了

ノート市役所も観光名所

ノート市役所も観光名所     2018年9月訪問

ノート市役所本館も、いまや立派な観光名所です。儀式の場という感じの建物でした。おひとりさま3ユーロ也を払って内部を見学しました。

ノート市役所は、ドゥオーモの対面にあります。お金持ちの邸宅を買い取って市役所にしたのだそうです。結果論ですが、市役所が一段低い場所にあるのは、やっぱりキリスト教の権威に勝てないというか、事を穏便に済ますための世俗の知恵でしょう。

ノート市庁舎旧館201809
( ノート市役所正面全景 )

多少くすんでいますが、立派な建造物です。

ノート市庁舎を斜め見201809
( ノート市役所を斜め前から見る )

道路目線から見ても、威風堂々の建築です。正面玄関前の階段は、日陰になると絶好のベンチ代わり。私も、写真を撮ってもらったあと、座って、ひといき入れていました。

ノートの市庁舎旧館ホール201809
( ノート市役所の儀式の間 )

中へ入ると、ホール兼儀式の間を見学できます。どういう市政が行なわれていたいるかは別として、風格ある空間でした。もう少しボロボロで、椅子や事務用品が置かれていて雑然としながらも活力がある部屋ではありません。見世物になると、小ぎれいになるのですが、死んだ空間になってしまいます。

ノート市庁舎背面201809
( ノート市役所背面と広場とバル )

建物の正面だけを取り巻く柱廊を回って背後の方に回りました。裏は、一段低くなった広場風の空間で、むかしは、馬でもつないでおいた場所のような気がしました。現代に例えれば、来庁者用駐車場です。そこにひっそりと店を構えるバルは常連客用で、たまに迷い込んでくる観光客の分だけ、もうけが上乗せみたいな経営ではないでしょうか。

とにかく、立派な市役所と儀式の間を見物できて良かったです。

2020年8月記        了

ノートのドゥーモはぴかぴか

ノートのドゥーモはぴかぴか   2018年9月訪問


世界遺産「ヴァル・ディ・ノートの後期バロッコ建築の街々」のひとつノート:Noto、の中心に聳え立つのがドゥオーモです。駅からも丸い屋根の頂部が見えるし、列車でノートに出入りすると、駅に着く1-2分前に車窓の彼方から見えます。

ノート観光の3本の指に入る名所なので、開館時間内でしたらぜひ、入りましょう。

正確な開館時間は、教会のサイトなどを見て要確認です。おまけにイタリアなので、本当に行ってみて開館していてこその見学なのですが、目安しては、10時から2時、4時から6時あるいは7時ごろまでが開館時間です。

11 ドゥオーモ正面階段でーんSep2018
( ノートのドゥオーモ正面と広々とした正面玄関)

ドゥオーモ正面は、広々とした大階段です。真向いの市役所前でイベントを行なうときは、即興の座席代わりにもできるでしょう。傾斜地を利用した工夫に感心、感心。

ノートドゥオーモ側面201809
( 正面の造りは、お約束の張りぼて )

後期バロッコ建築:Barroco Tarde の教会正面は、たいてい、張りぼてです。大きく見せるために玄関を高く広くしているのが特徴。横に回ってみると、背後に何にもないのが分かります。こういう造りなんだ、と受け入れるしかありません。
ノートドゥオーモのクーポラ201809
( 駅や遠くから見えるドゥオーモのクーポラ )

近くのニコラチ館という観光名所の2階のバルコニーに出ると、ドゥオーモの丸い塔:クーポラ、が見えました。駅からも見えるので、ノート観光のランドマーク的存在です。近年の大地震で崩れてしまったので再建した建造物なので、まだ、新品ぴかぴか感が出ています。

ノートドゥオーモ内側廊下201809
( ドゥオーモの入口。左奥が祭壇 )

外ばかり眺めていないで内部へ入ってみましょう。祈りの場であることをわきまえて、静かに、そおっと。

13 ドゥオーモ内陣Sep2018
( ドゥオーモの中央祭壇 )

内陣も大地震で壊れてしまった壁や柱を修復し終えたばかりなので、とってもきれいです。シミも鳩のフンもまったくありません。

14 ドゥオーモドーム仰ぎ見る人Sep2018
( おニューの祭壇と天井画 )

よくぞ、地震被害からここまで復興できました。およそ20年かかったようです。
「手間もかかるが、カネもかかった」
「うん、そうですね」
「地震国イタリア、というかノートの熱意に拍手」
「ニッポンも、東日本大震災から頑張って立ち直ったもんね。お互いさまよ」


2020年8月記                      了

ノートの観光一本道

ノートの観光一本道               2018年9月訪問

ノート:Noto の観光の中心はヴィットリオ・エマヌエレ通り: Corso Vittorio Emanuele に尽きます。

ノートのレアレ門近影201809
( 街の中心で観光の入口でもあるレアレ門 )

ノート観光案内図201809
( ノート案内図。中央の横一線がヴィットリオ・エマヌエレ通り )

鉄道、バス、クルマのいずれの交通手段を使ったとしても、とにかくノート観光の玄関、レアレ門: Porta Realeにさえ行き着けば、あとは楽勝です。

門の後ろに続く、まっすぐな道に沿って、2-3時間、そぞろ歩きをして、ときどき人影の多い脇道に入って、それなりの建物をのぞけばおしまいです。日本でも、宿場町観光をすると、この「一本道パターン」に遭遇します。福島県の大内宿とか徳島県の脇町などです。

29 ウンベルトにぎわいSep2018
( ヴィットリオ・エマヌエレ通りの観光客とレアレ門 )

「大地震後の都市再建で、碁盤の目のような道を張り巡らせてくれたノート市のトップに感謝です」
「350年後になっても、こんなに褒めてもらい感激です」
ってな感じ。谷合いにあった、ごちゃごちゃした旧ノート市から、現ノート市に移転を英断した人々は、本当に先見の明があったと言えましょう。

ノートのドゥーモ植え込み越し201809
( ヴィットリオ・エマヌエレ通り沿いのドゥオーモ )
ノートのVエマ2世通にぎわい201809
( ドゥーモの対面にある市庁舎旧館 )

レアレ門から入って5分も歩けば、ノート観光のメッカであるドゥオーモと、対面の市庁舎本館前に着きます。
お土産やさんや、そこそこ人だかりのする教会が通り沿いに並んでいます。雰囲気も穏やか、でも観光客の夏服は薄めで華やかなので、とっても楽しい街歩きができます。

6 信心よりCシチリアSep2018
( ドゥオーモの先100mくらいにある名店『カフェ・シチリア』)

ドゥオーモの先まで歩いてゆくと、レアレ門を背に左側に超有名店「カフェ・シチリア」があります。目立たない店構えなので、あんまり期待してアプローチしない方がよいと思います。でも、味には、大いに期待しましょう。コロナ禍で休業かも。

27 再びVエマヌエーレと教会Sep2018
( カフェ・シチリアの先にも名所の教会が続く )
ノート市立劇場正面とVエマ通201809
( 市立劇場もヴィットリオ・エマヌエレ通り沿い )

さらに先には、別の教会や市立劇場などがあり、このあたりにも観光客がウロウロ。私もウロウロ。市立劇場手前の道を右に折れた2軒目にはシクラメンテ:sicuramente のノート店もあります。
ノートのシクラメンテとVエマ通201809
( シクラメンテのノート店とヴィットリオ・エマヌエレ通り )

みんなでそぞろ歩きも楽しいノートの一本道です。

ノートのそぞろ歩きVE通201809
( みんなで楽しくヴィットリオ・エマヌエレ通りを歩く )

2020年8月記                         了



ノート駅から歩く

ノート駅から歩く   2018年9月訪問

ノート:Noto の旧市街も世界遺産です。シラクーザやラグーザと同じく、ヴァル・ディ・ノートの街のひとつに指定されています。

12 ドゥオーモのドームは再建Sep2018
( ノート観光のシンボル、ドゥオーモ )

シラクーザからノートまでの鉄道やバスの便は1日に6-7往復くらいです。カターニア国際空港からのシラクーザ経由の高速バスも1日4-5往復あります。ヨーロッパ内の皆さんはクルマで来る人が多く、アメリカ人やニッポン人旅行者の多くは、ツアーバスで乗り付けます。そして、1~2時間街並み散歩をして次へ行ってしまいます。

「それでも、ノートに寄っただけマシかもね」
「そうですよ。だって、日本で「ノート」って検索すると、『能登』が出ることがほとんどですもの」
「まあ、仕方ありませんね」

私は、シラクーザから鉄道でノートまで往復しました。約35分のディーゼルカーの旅です。
ノート駅は、建物こそ大きいのですが、完全な無人駅でした。すべての扉が板張りで打ち付けられているので、駅舎の中さえも入れません。
30 ノート駅寂れてSep2018 
( 無人で寂れたノート駅舎 )

昼下がりの駅前にはタクシーはおろか、バルもなく、人っ子ひとりいません。到着した列車から降りた十数人の観光客だけが動いていました。ディーゼル・エンジンの音が遠ざかると、静寂の支配する空間でした。

いち早く列車から降りた高校生数名は、家族の迎えのクルマに乗って一目散に消え去ったようです。

駅前に立って丘の方を眺めると、ドゥオーモの丸い屋根が目に入ります。駅前から右に緩やかな坂道が出ていますので、それを道なりに15分ばかり歩くと、ノートの中心部へ行けます。
1 Noto駅前からドゥオーモ見えるSep2018
( 駅前から目を凝らすとドゥオーモが見える )
ノート駅前と街への坂道201809
( 右のノート駅舎と、正面が街中へ通じる駅前通 )

ノート駅前は、こじんまりしていますし、人が歩いていそう道は一本だけですので、よほど、間抜けではない限り街中へ行く際には迷わないでしょう。

2 坂道昇れSep2018
( だらだら坂を適当に昇る )

ノートで下車した観光客は、一様にドゥオーモ方向を目指して歩いて行くので、歩調を合わせてついていきましょう。シチリア島の日差しは強いので、のんびりと歩きましょう。

10分強すると、道なりの先に緑の木陰が広がってきますが、そこがバス・ターミナル。広場の隅にバス待合所があるだけですが、いくつものバス案内板が貼り付けてあるので、バス発着場だということが分かります。

3 バス停に着いたSep2018
( 坂を昇りきるとバス・ターミナル)

少し汗ばみながらバス発着場に近づくと、駅からスタスタと歩いて行ったオバサンがバス時刻表を見ていました。考えることは同じですね。

「帰りはバスにしようかしら。でも、あんまりバスも走っていないようね」

この辺の鉄道やバスの時刻は、高校生の通学の便に合わせた、いわゆる「高校生ダイヤ」なので、鉄道もバスも似たような時間帯に走っているのです。
4 レアレ門の奥へSep2018
( 市街地外側から見たレアレ門 )

公園の木立の日陰で10分ばかり休んでいたら、汗も引いてきました。乾燥した気候なので、日陰に入れば、そこそこ涼しいし、汗も乾くスピードが速いです。

それでは、公園の端の先に見える門をくぐって旧市街に入って行きましょう。

2020年8月記



シラクーザの奇跡のラクリメ聖堂をのぞく

シラクーザの奇跡のラクリメ聖堂をのぞく     2018年9月訪問


シラクーザの街並みを俯瞰したときから、ずっと気になっていた丸いとんがり屋根のラクリメ聖堂にやってきました。

観光案内書のオバサンは、「あれは街並みとマッチしないから嫌い」と言っていた代物ですが、私は、けっこう興味を惹かれるクチでした。ユニークな形状を見るとワクワクするタイプです。

シラクーザラクリメ聖堂O島から遠望201809
( ラクリメ聖堂をオルティージャ島より遠望 )

ラクリメ聖堂は、案内書を見ると正式には、Basilica Santurio Madonna delle Lacrime :聖母の涙(なみだ)大聖堂、らしいです。普通の教会や、ドゥオーモとは違う特別な聖なる空間、という命名のようです。機能としては、大きな教会です。

私は、オルシ考古学博物館から、ラクリメ聖堂の裏側を目指して歩いて行きました。徒歩3分くらいで敷地の端につきました。そばで見ると、とても大きくて尖ったイメージの建造物です。
シラクーザラクリメ聖堂三角錐201809 (2)
( ラクリメ聖堂を仰ぎ見る )

デザインは超モダンで、その発想にほれぼれします。バルセロナ観光で大人気のサグラダ・ファミーヤもユニークなデザインですが、一目で教会と分かる形であるのに対して、ラクリメ聖堂の方は円形大ホールだと言われたら「そんなもんか」と納得するくらいのユニーク度です。塔のてっぺんに十字架が付いているので宗教建築物だということが理解できます。

「シラクーザ、けっこう、やるじゃない」
「何しろ、奇跡にちなんだ聖堂ですからね。張り切って考えました」
「超ユニーク」
という感じです。

シラクーザラクリメ聖堂三角錐201809 (1)
( ラクリメ聖堂裏門の案内板 )

裏門から入って、まず正面に行き、見てほしい姿を脳裏に焼き付けます。

ラクリメ聖堂は、近くで見ると、コンクリートの表面が、かなり毛羽だっていて劣化している印象を受けました。1990年竣工の建物ですから、まだ30年ほどしか経っていない割には劣化が早いのではないかという印象です。もう少し、コンクリート打ちっぱなしの表面にコーティング処置を施せば、味わいも出るし長持ちもするのでは、と素人ながら心配してしまいました。

「まあ、何とかなるさ」
という返事が、耳の奥に響いたような気がしたので、あまり気にせず歩みを進めました。

シラクーザラクリメ教会全景Sep2018
( ラクリメ聖堂正面入り口 )

ここも人影はまばらでした。入場料はタダ。観光施設ではなく、あくまでも祈りの場なのです。私も、静かに、そおっとドアを開けて場内に入りました。

シラクーザラクリメ聖堂祭壇Sep2018
( 奇跡の発現場所が保存されたラクリメ聖堂のメイン・ホール )

地上面から入ってまっすぐの場所にある大ホールを見下ろすと、奇跡の発現場所と思しき岩が大切に保存されていました。

あちこちの解説本のとおり、ここは、数少ないバチカン公認の奇跡認定地点のひとつです。1953年8月29日に、聖母マリア像が突然、涙を流し、しばらくの間にわたって病人たちを直したということです。それは、それで、とても喜ばしいことです。なんだか、川岸に流れ着いた金色の観音様を祀ったら村が栄えた、という我ら風の奇跡物語との共通点を感じてしまいました。宗教の癒しの機能が、存分に発揮された場所でした。

涙の聖母を思って、静かに祈る人々の邪魔をしないように、私も、そおっと周囲をひと歩きして外にでました。

宗教を超えて、みんなの心が安らぎますように・・・・・・。

2020年8月記                                 了







シラクーザのカタコンベはカラだった

シラクーザのカタコンベはカラだった   2018年9月訪問


シラクーザ(シラクーサ:Siracusa)にも、カタコンベがありました。

場所は、考古学公園からオルシ考古学博物館やラクリメ教会の方に10分ばかり歩いたマンション街の一角です。廃寺となったサン・ジョバンニ教会の地下にあります。

カタコンベ入場料は大人1名5ユーロで、ガイドさんの案内で穴倉見物を小1時間ほどします。入場券売場の先で待っていて、人数がまとまるとガイドさんが出てきて、「さあ、行くよ」みたいに、ぞろぞろと歩き出します。解説はイタリア語と英語のみです。日本語やフランス語が刷ってあるパンフレットもありません。完全にB級観光スポットですね。

シラクーザサンジョバンニ教会と市街Sep2018
( サン・ジョバンニ教会外観。右奥が入場口 )

カタコンベは、ローマ帝国時代末期のキリスト教迫害時代に掘られた避難用の洞穴です。アリの巣のような感じです。たいてい、”キリスト教受難の”という解説が付いていますが、明らかにキリスト教目線、勝てば官軍目線です。当時は、ローマ皇帝を敬わない不貞の輩(ふていのやから)を、いぶしていたのですから、もう少し中立的な目線で解説してもいいのではないでしょうか。

内部は撮影禁止ですので、以下のurlなどを参考にしてください。

https://www.siracusaturismo.net/scheda.asp?ID=51 (市の公式観光案内のサイト)

https://www.secretsiracusa.it/dove-andare-a-siracusa/catacomba-di-san-giovanni/ (シラクーザ観光スポット解説サイト)

私は、パリのカタコンブ(カタコンベ)のように、洞穴のあちこちに人骨や遺物が積んであるのかと思っていました。しかし、シラクーザのカタコンベは、迷路構造ですが、がらんどうでした。ちょっと、がっかり。

観光シーズンは数組のガイドツアーが穴倉を行き来しているので、意外と声が響いています。それでも、ガイドさんが懐中電灯を消すと、内部はほとんど真っ暗になります。

寝床とか、集会広間、空気穴などをめぐり、ひんやりした穴倉見物を終えると、次は隣接する半地下式の教会跡に案内されました。

シラクーザサンジョバンニ教会のカタコンブSep2018
( カタコンベから半地下教会へ向かう見物人一行)

暗闇から出てくると、陽光まぶしいシチリアの太陽が痛いくらいでした。

教会跡も撮影禁止です。祭壇跡や集会室などを10分ほど見て解散です。こちらの画像は観光案内サイトにも見当たりませんので、適当に、もぐりの写真を当たってみれば、と書くしかありません。

こういう場所では、最後にガイドさんが出口のドアを開けてくれ、うやうやしくお辞儀をしながら見物人の退出を促すと同時にチップほしいな、という顔をするのですが、カタコンベでは全く気配なし。地上面に戻ってくると、「出口はあそこ」と指さして、さっさと事務所に入って行きました。なかなか好感の持てる接遇ぶりに、ホッとしました。日本人にとって、チップを格好よく渡すのは難しい技だからです。

久々にカタコンベ見物ができて良かったです。終わりよければ、すべて良しですね。

2020年8月記                            了




シラクーザのオルシ考古学博物館は専門的

シラクーザのオルシ考古学博物館は専門的   2018年9月訪問

シラクーザは、ギリシャ遺跡が観光の売り物なので、オルシ考古学博物館という専門家向けの観光ポイントもあります。正式な名前は、Museo Archeologico Regionale Paolo Orsi :パオロ・オルシ州立?考古学博物館だそうです。
オルシ博物館正面
 ( オルシ考古学博物館正面 )

私は、ギリシャ遺跡とのペア入場券を買ってしまったので、成り行きでぶらぶらと行きました。
リゾート地まで来て頭を使うのはいやなのか、もともと考古学が不人気なのか分かりませんが、博物館はとても空いていました。空調完備の人気のない空間で、暑さしのぎみたいな時間でした。

古代ギリシャファンにとっては、とても有益な展示品や歴史理解の助けになる出土品が見られると思いますが、私にとっては「猫に小判」状態でした。地下の展示室に、シラクーザ周辺で出土した金貨の数々が並べてあったことが一番の記憶です。
オルシ博物館屋外展示ギリシャ彫刻

正面入り口横の、大理石の彫刻も首無しなので、素人には、いまいちインパクトがありません。ミロのヴィーナスのように、他の部分は欠けていても、顔が残っていれば少しは訪問者にアピールするのに、と思ったのは私だけでしょうか。

それでも、精力的にシラクーザ観光をするべく、汗のひいた体で次の目的地に向かいました。

2020年8月記       了

シラクーザ考古学公園のローマ時代遺跡を見る

シラクーザ考古学公園のローマ時代遺跡を見る    2018年9月訪問

この遺跡公園には、ローマ時代の遺跡も2つあります。

100mくらいはあろうかという長い祭壇と、その隣の楕円形の劇場です。イタリア観光をすると、ローマのコロッセオを筆頭に、あちらこちらでお目にかかる定番の遺跡です。どちらも青空の下、ちょぼちょぼと生えた夏草に半分覆われていました。

最初は、「イエローネ2世の祭壇: Ala di Ierone Ⅱ 」という呼び名の遺構です。解説によれば、100頭くらいの牛を生贄に捧げることもあったとか。それだけ、大掛かりな儀式をして大判振る舞いができるくらい繁栄していたのだなあと感慨深げに眺めました。訪問当時は、遺構保護のためらしく、柵越しに眺めるだけでした。

シラクーザネアポリスイエローネ2世の場Sep2018
( イエローネ2世 ( ヒエロン2世 )の祭壇跡 )

その隣りにあるのが、楕円形型の劇場:Anfiteatro Romano です。考古学公園の目玉であるギリシャ劇場に比べるとこじんまりしています。
シラクーザネアポリスローマ円形闘技場Sep2018
( ローマ劇場跡全景 )

こちらは、ギリシャ式の「大劇場」に対する「小劇場」のような感じだったのでしょうか。役者の細かい表情を見て楽しんだり、サドンデスの決闘ゲームのような臨場感あふれる出し物向けなら効果があったのだと感じました。
シラクーザローマ競技場各種201809 (1)
( ローマ劇場跡の観客席から舞台を見る )

いまは見捨てられ、観光客もほとんど入ってこない遺跡に座って2000年以上前の様子を思い浮かべていました。暑いので、ペットボトルの水を飲む休憩タイム兼です。
シラクーザローマ競技場各種201809 (4)
( ローマ劇場跡。舞台へ向かう、くぐり抜け付近 )

ローマ時代の建築技術は優れていたと言われますが、それでも、何のメンテもせずに2000年放置すると、こんなふうになるんだということも分かって、ちょっぴり勉強になりました。

「じゃ、次に行きましょう」

2020年7月記

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